菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

「地域おこし協力隊ー日本を元気にする60人の挑戦」を見る

2019年05月06日 20時03分54秒 | 日々の雑感
 

この本は、一般財団法人活性化センター、一般社団法人移住・交流推進機構編著の本です。
桜川市にも地域おこし協力隊の方が2名きています。他の自治体ではどのような活動をしているかと興味をもって見たものです。60人の方々が、3ページの分量で書いていますが、表面的で、読んだだけでは、良くわかりませんでした。
 
 茨城県では、埼玉県から常陸太田市へきた白石百合乃さんが書いている。今は任務を終えて、茨城県に魅了されて、行方市にすんでいるとのことである。
 
 文章の最後はこう書いてある。
 金砂郷での活動にすっかり茨城県に魅了されてしまい、人気を終えた現在、茨城県行方市に移住した。具体的な活動はまだ模索中だが、新天地でもまずは地域の文化を知り、人の話に耳を傾け、現状をきちんと把握し、つながりを大切にしながら、地域の方々とわくわくするする取り組みをしていきたい。

 常陸太田市で「茨城県に魅了されなが」ら、なぜ行方市にきたのかもわからない。こんなありきたりの文章を読まされたら、他の文章は読む気がしなくなった。
 

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有岡利幸著「桜Ⅰ、Ⅱ」(法政大学出版局)にざっと目を通す

2019年05月06日 16時41分45秒 | 日々の雑感
 

 笠間図書館から23冊もかりてきていながら、ちゃんと読んだものは3冊しかない。街頭演説をした日と翌日は、だるくて本も読む気もなかなかおきない。そうはいっても、8日には返さなければならない。
 そんなわけで、一番読にくそうな本・有岡利幸著「桜Ⅰ、Ⅱ」(法政大学出版局)からてにとった。この本は、副題に「ものと人間の文化史」とついているので、学名が出てこないのが、植物学の専門書とちがって、読みやすい。
 とにかく、サクラを分類から入ると複雑で、難しくなる。

 また、磯部のサクラを研究した三好学博士の業績なども手際よくまとめており読んで勉強になった。
 私のように植物の名前を覚えるのが苦手な者には、この本は読みやすい。
ただ1つ残念なことは、著者の有岡氏が関西方面の人で、西の吉野に関しては詳しいが、私が一番読みたかった「桜川・磯部」に関しては何も書いていなかったことだ。
 このものと文化史シリーズは、1968年から始まって、この「桜Ⅱ」は2007年発行で、けっこう新しい。
 まだ、「西の吉野 東の桜川」のキャッチフレーズが行き届いていなかったのかもしれない。
 とにかく1冊3800円の本である。ぜひ、桜川市民の方には、借りてお読みすることをおすすめします。



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学校と川の思い出

2019年05月06日 06時18分48秒 | 仮説関連
 今日の茨城新聞のトップ記事は、結城市をながれる「田川」の治水について書いている。私は、真壁農業高校、鬼怒商業高校、笠間高校と3校を勤務してきたが、その3校とも川とは縁が深かった。

 まず、真壁農業高校。ここは学校の真ん中に、通称・逆川が流れていた。真壁高校のさきで桜川と合流する。逆川という名前からして、桜川とは逆向きの流れである。
 普段困ったのは、球技大会で、サッカーやソフトのボールが、川に飛び込んでしまうことである。私は、一計を案じ、球技大会のときには、長い網を用意して、ボールを拾えるようにした。
 
 一番大きかった水害は、1986年の小貝川水害のときである。このときは、桜川が氾濫し、真壁高校の校庭はプールとなってしまった。幸い、夏休みであったので、授業には直接影響はなかったが、校舎も床上浸水し、Pタイルの貼り替えを行なった。プールとなった校庭には魚が泳いでいた。水が引くのに、3日間かかったと記憶している。

 20年間勤務していた真壁高校(途中で農業高校から普通科のある高校に変わった)から初めて転記したのが鬼怒商業高校であった。ここは、学校の中には川はなかったが、すぐ脇を田川が流れており、すぐ下流の栄橋近くで、鬼怒川に注いでいた。
 私は6年間しか勤務しなかったので、水害には遭わなかった。しかし、さきの関東・東北豪雨ではおおきな被害を受けた。

 次に転勤した笠間高校でも、すぐ脇を涸沼川が流れていた。ここでは、上流の福田という集落に産廃処分場(今のエコフロンティア笠間)をつくる計画が持ち上がり、地元の方たちと一緒になり、「処分場建設反対運動)に取り組んだとき、涸沼川にそって、友部の取水場まで歩いたことがある。笠間高校には12年間勤務した。


 

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「男系天皇制はそれ自体が差別」ー宮子あずさ氏の指摘

2019年05月06日 05時49分21秒 | 日々の雑感
 私も、「男系天皇制」にこだわる保守系をはるかにと通り越している「極右」の言論が気になって仕方なかったが、上手く書けなかった。今日の東京新聞・本音のコラム欄には、看護師の宮子あずさ氏が、きちんと正確に鋭く、「皇室最後の役割」として書いている。紹介したい。

  皇室最後の役割  宮子あずさ

 政府は秋以降、安定的な皇位継承について、検討を開始するという。
 皇室典範には、父方に天皇の血を引く「男系男子の」による継承が定められているが、現在これを満たす皇族は3人しかいない。継承の条件を見なおさない限り画期的案はなさそうだが、安部首相は「男系」継承に固執しているようだ。

 皇位継承に関する議論を聞けば、天皇制はそれ自体が差別だとわかる。生まれながらに尊い人がいるなんて、憲法に保障された平等の原則に反する。また、「男系男子」による継承の限定は性差別である。

 こうした指摘に対しては、「日本古来の伝統」を免罪符として、男系を説く人がいる。これはもう信心の域。聞けば聞くほど「性差別教」の信者なんだとわかる。現在、世論調査では、8割程度が女性天皇を容認する。それでも「男系」に固執するオールドボーイズが変わるとは思えない。

 繰り返すが、天皇制の本質は差別である。今は、権力を握る政治家が下品で高圧的、ゆえに皇族が品良く民主的に見えたりもするが、皇族個々の人間性と制度は分けて考えねばならない。

 だが、天皇制廃止を叫ばずとも、「男系男子」へのこだわりによって皇室は終わりに近づく。いかに性差別が道理に合わなぬものか体現しながら。これが皇室最後の役割になろう。
(看護師)
 

 

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