さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

秋の感傷??

2008-09-29 | たわごと・できごと


。。。いかん。

少々 気分が沈んで テンションが落ちている。


失恋にも似た気分を味わっているような。


といっても、言葉どおりの意味…恋愛における失恋ではなく、



いうなれば


楽しみにしていた予定が フイになってしまった とか

ほしいものが 売れてしまっていた とか、

ある種の 自分の無力さを 感じてしまった とか

次にいつのめるかわからない おいしいお酒がカラになってしまった とか??


そんな感じ なのだけど  



つい前日まで ノースリーブのワンピースに裸足で過ごしていて


  暑い暑い 早くさわやかな風を感じる秋にならないかな…


と思っていたのが、

急に 深まった秋のような冷え込みが来て


ものがなしくなってしまった のかな??



そういえば、

私は ひとより暑がり だけど、

きびしい冷えを 感じると、さらにそこへ 空腹感まで加わると

そのさむざむしさと ひもじさで

極端にいえば 一種 しにたいような、虚無感・孤独感におそわれることがある。

ほんの一瞬ね。


ある程度、本能が満たされれば 過ぎ去ってしまうような感覚で、

これも 言葉どおり ほんとうにしんでしまいたいわけではない。

あたたかい部屋で あたたかいものをとるだけでも

ひいてゆく感覚 なのだけど。


でも、たしかに一瞬、それに似た気分を味わう。


山で遭難などしたら、

絶対にあきらめず 強靭な精神を保つことができるのか、

こんな私には とうてい自信が持てない…。



あまり 極端に左右されたくはないけれど、 

季節や 天候が ひとの感情にある種の影響をあたえることを
否定は できない。


さむい地方・暑い地方で うまれ育った人たちに
それぞれ 一種共通した気質があるように…。


とくに私は、意外に 理屈のつかない、感覚的・感情的なところのある人間らしい。

リクツっぽいところも たくさんあるくせにね 



私でなくても(笑)

秋は ひと恋しい、メランコリックな気分になる季節 らしいし、

まあ いいか。


そのうち おさまって、気持ちも 復活するでしょ。


そう、今晩 おいしいお酒をのんで

おいしいものを食べるだけでも、

なにかひとつ いいお話をきいて笑う だけでも

元気が出る 程度のことかも知れない。



いいかげん、世間では 

いいおトシの れっきとしたオトナ でとおるんだから

じょうずに やり過ごしましょ!







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であいから、はや3年

2008-09-26 | 川柳に寄せて


はやいものだ。 もう3年が過ぎたなんて。


何が かというと、
見よう見まね 人マネで
川柳の何たるか も知らないままに
私が 川柳をつくりはじめてから。


きっかけについては、

2005年5月15日の記事 に詳しい。


もう いくつくらい つくったんだろう。


数えるのがシンドイほどたまってきたのだが、
正確に 数えたことは ない。


ほとんど整理もできず 書きためてあるだけの
その川柳たちを、
テーマ別にして 手直しもしたりして
すこしずつアップしているのが

もうひとつのブログ。。。 

さくら・川柳の部屋 です。



とはいっても、

ずっと毎日 コンスタントに句がつくれていたわけではない。


実際、それどころではない日々もあったし、
いざ つくろうとしても
何も浮かんでこないことも多かった。


何かにとり憑かれたように、
集中して 句や 写真川柳をつくり続ける日があるかと思えば、

何日も、何週間も つくれなかったり

つくれたとしても、
なんだか いまひとつだなあ~と思うものばかりだったり、


私のバイオリズムの波の激しさ
振幅の大きさ とおなじで、
ペースは まったく一定しない。


でも不思議と、

  もう にどとつくらないだろうな とか

  やめよう 

とか思うことは なかった。


むしろ、

  マイペースでもいいから
  できないときが続いてもいいから、
  息ながく ほそぼそとでも続けよう

  やめてしまうことだけは 考えずにいよう


という思い だけはいつも変わらなかった。


きっと この表現形式が すきなのだろう。


そして、

おなじように 川柳を友としている先輩や お仲間さんたちが
人間的魅力に あふれているからだろう。


あったことは ないけれど
句づくり というものが
より 内面的な作業であり 表現であるせいか、

なんとなく 句に表れる
その人となりのイメージがあって、
もう 何年も前から知っているような気がする。


つくりはじめてまもない頃、


  ”あなたの句、ここをこうしたら もっとよくなるのに
   ここが残念!”


と、何人かのかたに さりげなくメールをいただいたりもしたし、


今でも
  

  ”ここのこの言葉の使いかたは おかしいよ”


  ”言葉の順序を こう変えてみたら…”



などなど、掲示板で添削指導をいただいたりしている。


ときには 


  ”この句 いいね”


と、ほめていただいたりして、うれしくなる。


いいねとほめるのはともかく、


ひとに 


  ”これをもっとこうしたら”


と伝えるのは けっしてかんたんなことではないはずなのに、


  (とても 言葉に気をつかうだろうし、
   エネルギーが要る と思う。

   まして、身近で顔をみて話しているのではなく
   あったこともない相手になら なおさらだろう)


それでも 

その一句一句がよりよいものになるようにと、

あえて 伝えて下さることが、

どんなにか ありがたい。


川柳も 歌をうたうことも、

へたでも続いているのは、自然に続けていられるのは

ただ すきだから…なのだろう。


  もっと うまくなりたいな

  そしたらもっと 楽しいだろうな


私にあるのは その思いだけなんだろうと思う。


すきなことでないと…続かないんですね、私はきっと 



ともあれ、


川柳も 歌も すえながいおつきあいになるようにがんばりたいです。


 





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シャガール展

2008-09-25 | 映画ほか芸術鑑賞記


シャガール展に出かけた。


すきな画家は? と たずねられたら、
いちばんにあげるのが このシャガール。


小学生か中学生のとき、
図画・工作(美術??)の教科書で はじめて絵をみたときから
こころ魅かれた。


その頃はただ、夢みるような 幻想的な絵と
色彩の美しさに 魅かれたのだが…



彼の ユダヤ人としての、そして彼個人としての生涯、人生観。


戦争に翻弄され、迫害され 絵を焼かれ、

周囲の無理解や 裏切りにもあい、

最愛のひとに先立たれ、

故郷のロシア・ヴィテブスクの町を想いこがれながら
他国を さすらい歩かねばならなかった


…そんな 苦しみの多い人生のなかでも

彼のうしなわなかった、

ひとの営みや 美しいこの世界を愛する気持ち

神を敬う気持ち が描かせた

美しい絵の数々。 


90歳を過ぎてもなお、なしとげた
偉大な仕事の 数々。


そんな彼の人生を知り、思いをはせるごとに
彼の絵は いっそう私にとって
味わいぶかいものとなり、
ますます すきになった。


彼の絵に登場する

恋びとたち、花束、3本のろうそく、街並み、

雄鶏や さかな、天使、時計 などに込められた意味 なども

知っていくにしたがって、

彼のその絵にこめた想いが 感じられるような気がする。


近くで個展が ひらかれるたびに、出かけては彼の絵をみたものだが、
前回出かけたのは いつだっただろう。


今回は ずいぶんひさしぶりのような気がする。


機会あるごとに 絵ハガキや 画集をみつけては買いもとめたので、
けっこうたくさん集まっている。
古本屋さんで 買ったものもある。


家に何枚か 飾ってあるのも、彼のポスターや絵ハガキ、
私が作った彼の絵のジグソーパズル。

ほんものは 一枚もない。

とても高くて買えないし、
自分が そんな身分ではないと思っていたから。


それでも、彼の色や 描こうとした世界を感じることはできる。


ふと思いたって、また画集をひらいてみる。
やはり 本物の絵と向き合うのがいちばんだけれど…。


今回も いざ絵をみに行ったら、
一枚一枚を じっくりみてしまうので とても時間がかかってしまった。

なかなか そこから
こちらの世界に 帰ってこられない(帰りたくない)
感覚。


何年も前にみた、ユダヤ劇場の壁画。

本の挿絵になった版画。


  ああ、またあえたね。。。


終わりのほうには、
ジグソーパズルでつくって わがやに飾ってある絵の本物版が(!)


そして、これまで知らなかったことだが、

彼の絵の一枚に モーツアルトが描かれていること、

オペラ・魔笛 に関わる仕事も 手がけていたのだということを

はじめて 知った。


モーツアルトの曲も 合唱や ドイツリートで習ったり、
オーケストラの演奏を聴いたり
オペラを観たりするようになって、
音楽の世界に ちょっぴりご縁ができた私にとって

うれしい発見と おどろき。


彼と こんなところで通じるものがひとつ、あったなんて。


期間中に もういちど行って、

じっくり シャガールさんの絵と対話してこようと思う。



画像の写真は、シャガール展の入り口にあった看板。

 「ふたつの顔を持つ花嫁」






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ひとの歌声

2008-09-20 | 歌のおけいこ


ひとの歌声って、いいなと思う。

しみじみと 思う。 


つい最近も、それを実感した。

フレッシュな、新進の若いひとたちが歌う、
日本歌曲の コンサート。

みんな音大で 声楽を専門的に学んでこられた人たちだから、
それ相応のレベルに達している。

歌いかた、発声のしかた とか 
私に 音楽的な評価はできないけれど、


じょうずへたを比較して 評価するのではなくて。

だいいち そんなことには あまり興味もないし…。


それより

純粋に そのひとそのひとが歌う歌に、歌声に耳を傾けて聴く。

歌う表情に 見入る。

そうしたら…


おなじ顔のひとが いないように、

おなじ声のひともいなくて、

そのひとが歌おうと選んだ曲、

そのひとが着ているドレス、立ち姿も表情もふくめて

ひとそれぞれの、そのひとにしかない個性というか

感性… 


性質とか 好みとか もっとおおげさにいえば人生

みたいなものが ふとかいまみえる(ような気がする)。


そして、

だれかより うまいとか へただとかくらべるよりも、

そのひとが 自分の声の出しかた、歌いかた、 

想いの表現のしかたの めざすべき方向をみつめて

それに近づけるように、よりよく努力することは

だれもができることなんだと あらためてわかったような。。。


自分にしかない声をだいじにして、
自分なりの よりよい歌声を、歌う表現を めざす。


だれかに、なにかを歌で 伝えられるように。
なにかを感じてもらえるように。


どのひとの、どの顔も 声も 姿かたちもすばらしい。


もちろん 人それぞれの好みはあるとしても、


ひとの姿って…

ひとの歌声って…

いいものだな と 、あらためて感じた。



私も、

欠点だらけだけど ひとりしかいないじぶんを、

ぬけたところだらけの 私の性質 を、

それでもだいじにして、

ひとつしかない 私の歌声 を、

もっと みがきたいなあ


と思う。



…とか 書きながら、

実は 今日も二重唱のレッスンでしぼられてきました 


つねにつねに そうなのですが、

一難去って また一難!? 


あきらめずに ひっぱりあげてくれる師匠にこたえなくては  





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麦焼酎・夢想仙楽

2008-09-17 | お酒ほかおいしいもの


今日は お酒 プラスα の話題です。。。


夢想仙楽。


なんとも 魅惑的なネーミングの、
この麦焼酎も 私のすきなお酒のひとつ。


シェリー酒の樫樽に 5年以上長期貯蔵されてつくられた、
アルコール度数 40度の麦焼酎。


味は コクがあって まろやか。
色は 琥珀色。

味も 色もウイスキーを思わせるような焼酎だ。


芋焼酎は どうも…といい、
麦なら なんとかのめる(味として ゆるせる!?)、という、
どちらかといえば ビール、ウイスキー、ブランデーずきな
さくらの父も これはお気に入り。

私は 芋もすきだけどね♪


ストレートで ちびちびやるのもいいけれど、
度数が高いので、ちょっとこたえるかなーと感じたら
水割りでも お湯割りでも。


たいていの焼酎、 ロックでいただくのが好みの私は
これも他の焼酎とおなじく、
氷を多めに入れたロックグラスで、

ストレートに近い濃い味から
すっかり氷も溶けて 水割りに近い味になるまで、
変化する味わいを楽しむのが すきだ。


おツマミなしで
食後酒に これだけを楽しむのもいい感じ。
むしろ そのほうが向くお酒かな。


酒びん、パッケージも
こんなに雰囲気のあるもので、
だれかにさしあげたり、
さしいれに持って行くにも、
へんに包装なんかしないで、
このすてきな箱入りのまま 贈りたい感じだ。 


で、次の記事 ↓ で、

追記をちょっと。






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