さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

大暑・土潤いて溽し暑し~弟の結婚

2020-07-30 | 父・母、家族のこと
新暦の、およそ7月28日~8月1日ごろの今の時期、
旧暦では大暑(たいしょ)の次候、
「土潤いて溽し暑し(つちうるおいてむしあつし)」
です。

大暑とは、もっとも暑い真夏のころのこと。
土用のうなぎ、風鈴、花火と、
風物詩が目白押しの時期…
ですが、
コロナ感染がひろがっている今は、
多くのイベントやお楽しみも中止や自粛で
ままならないことが多いですね。

土潤いて溽し暑し とは、
むわっと熱気がまとわりつく蒸し暑いころ。
遅い梅雨明けの今年ですが、
梅雨明けのあとは、また暑い夏になるのでしょう…
ああ、つらい^^;
なんとか乗りきっていくとしましょう。


父と母の病と看取り。
父が最初に患った2012年から、
母を見送った今年のつい先月まで、
息つくまもなく全力疾走してきたような気がしています。

試練つづきの日々でしたが、
今年はよろこびごとがひとつ…

母の四十九日の忌明けを待って、
弟が入籍(結婚)しました。

母も一緒に暮らす予定で、
母の暮らしやすさを第一に考えてさがしてくれた新居。
日当たりのいい、静かで明るい和室を
母が毎日過ごす部屋として考えてくれていました。

たとえわずかな間でも、
そこで母には、おだやかでしあわせな日々を過ごしてほしかったです。

40歳という、
どちらかといえば遅いスタートになった弟夫婦ですが、
おたがいにとって、いいであい、いいご縁であったなら
遅いも早いもありません。
末永く、なかよくしあわせに暮らしてほしいと思います。

父と母も、
きっと笑って祝ってくれているでしょう。









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母、父のみもとへ

2020-06-08 | 父・母、家族のこと

5月は、とうとう1日も書けずじまいでした。

6月に入ってまもなく、
母が、父のいる天に召されました。


母の退院予定が決まり、
自宅で安心して過ごしてもらうための準備を進めながらも、
病状に不安が続いた日々。

わずか数日後の退院予定日を前に、
病状が急変した母は、
覚醒していればたえず呼吸困難が続いてしまい、
その苦痛をとってやるためには、眠ってもらうしかありませんでした。
病気は違いますが、
それは父のさいごと同じ状態でした。

しっかりとした鎮静をかけるまで
(あるいは、かけてからあとも)
本人の意思や感情はクリアだったので、
不安感もいっぱいで、
かえってそれが不憫でせつなかったですが、
さいごまで本当によくがんばってくれました。

これから先、母にしてやりたかったこと、
母自身にしてもらいたかったこと、
そのこころ残りが尽きることはないけれど、
悔いはありません。

急変しての再入院後、
ずっと続いていた息苦しさや心の苦しみから、
母がようやく解放され、楽になれてよかったです。

父と母、
自宅と病院とで、さいごの環境は違いましたが、
どちらも弟と一緒にさいごを看取ることができ、
死後のケアも、
それぞれに縁あった看護師さんと一緒にさせていただけて、
きちんと見送れたことは、
娘として幸せでした。

父と母がこの世にいないさびしさは、
このさきずっと抱えていくのでしょう。

それでも、しっかり生きていきたいと思います。
わたし自身が寿命を迎えるその日まで。


おかあさん、
さいごまでよくがんばってくれました。
これまで本当にありがとう。
だいすきなおとうさんに、やっとあえるね。
これからもわたしたちを見守っていてください。



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母の急変~再入院

2020-04-15 | 父・母、家族のこと

例年より長く咲いてくれた桜も葉桜となり、
バトンタッチした花水木が出番を迎えました。

いまだ心落ちつかぬ日々が続きます。
年明け1月から長らくの入院で、3月末にようやく元気になって退院でき
機嫌よく過ごしていた母ですが、
ほっとしたのも束の間、
帰宅して3日目の4月2日に急変し、気管内挿管のうえ救急搬送され
先日までお世話になっていた病院の救命センターに入院しました。

搬送当初にはコロナ感染を疑われて隔離のうえで処置、
私たち家族も疑いある患者の濃厚接触者として、
結果が出るまでの2日間、
勤務や外出をひかえて過ごしました。
幸い陰性で、ひとまずほっとしましたが、
予断をゆるさない状態が続き、
コロナ感染拡大防止のため
一般の患者家族でも面会はままなりません。
祈りながら、病院からの連絡を待つばかりでした。

4月8日。
ようやく連絡があり、
その日の午後、一般病棟に移ることができました。
前日の7日に人工呼吸器から離脱(抜管)できたとのことでした。
よく戻ってきてくれたと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、病状としてはシビアな説明を受けており、
今後も楽観視はできません。

トラブルなく順調にいけば、
とりあえず今回は退院できるであろう、
しかし、
根本的なところを治療しないかぎり、

(母にとっての根本的な治療とは、今の場合、
 7年前に手術で置換した大動脈弁が劣化しており、
 そこから起こる心不全も悪循環・命取りになるので
 その再手術が必要であるということですが、
 開胸にせよ、カテーテル術が可能にせよ、
 検査治療の身体的負担や合併症の危険性を思えば、
 今はとても現実的に考えられるものではないのです)
 
今後も、今回のような急変はくり返されるであろう、と。
その際に、また挿管をするのか?
どこまで救命をはかるのか?
正解のない、苦しく悩ましい問題です。
生きているかぎり、何びとにおいても、苦(悩み)は続くわけです。

けれど、生きているかぎり、その日その日をたいせつに
ありがたく感謝しながら、楽しく笑って過ごしたいものです。
母にもそうあってほしく、
もうしばらくの間、時間の長さではなく
父亡きあとにも「いい時間があった」「しあわせだった」
と本人も家族も思えるような、質的に充実した時間をせめて数か月でもいいから
この世に生きて味わってほしいのです。

今コロナで家族を亡くした人たちのことを思えば、
それすらぜいたくなことかも知れませんが…

いろいろ、落ち着きどころに至るまでに、
もうしばらくかかりそうです。
母の今回の退院に、まだちゃんとした見通しは立っていません。
希望をうしなわず、
かつ何があっても、しっかり受けとめたいと思います。

職場の医院は、
院長をはじめ、みな平常心を保ちつつ働いていますが、
患者さんたちの間にも恐怖心が蔓延してきており、
またコロナ疑いを否定できない患者さんの対応にも追われたり、
日に日にものものしい雰囲気になっています。

母のことも、
世界中を混乱と不安とかなしみの渦に巻き込んでいるコロナ感染も、
回復への希望をつなぎながら、
今できることをやっていくしかありませんね。

不安や恐怖のあまり、
ひととしての、こころまで侵されることのないように、
ふんばって乗り越えたいと思います。

それにしても、
現実的に生活がたちゆかない、
一刻も猶予がない人たちへの支援をこそ、国には急いでもらいたいものです。


 

ご近所のお寺さんの今月のことば。

今のわたしたちには、いっそう身にしみます。






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春分・雀始めて巣くう

2020-03-23 | 父・母、家族のこと
新暦の、およそ3月20日~24日ごろの今の時期、
旧暦では春分(しゅんぶん)の初候・「雀始めて巣くう(すずめはじめてすくう)」
です。

春分とは、太陽が真東から昇り、真西に沈む日のこと。
昼と夜が同じ長さになる春分の時期は、
二十四節気の大きな節目のひとつとされるそうです。
雀始めて巣くう とは、
雀が枯れ草や毛を集め、巣をつくりはじめるころ。

桜が早くも開花しましたが、
世界中がコロナウイルスという大きな試練にみまわれているこの春は
晴れやかな気持ちにはなれませんね。

それでも、自分のできることをしつつ、
日常を可能なかぎり維持しながら、くじけず過ごしていきたいものです。

ご近所のお寺さんの、今月のことばです。

  


快方に向かいはじめた母は、
日常生活に向けてのリハビリも進み、
近いうちに退院できそうな希望がみえてきました。

当初は、
必要な治療が終了すれば、
急性期の治療のみとうたっている今の病院から、
リハビリ専門の病院への転院をというお話がありましたが、
どうやらこのまま家に帰れそうです。

安静が解除されてからの母の回復はめざましく、
2か月もベッド上安静だった人が、
こんなにすんなり立てて、ふらつきも筋力の萎えもなく、
難なく歩けるとは、
と、主治医の先生や看護師さん、リハビリスタッフの方々にも
感心されるほどでした。

お世話いただいた先生がたや、
病院のおおぜいのスタッフのみなさんのおかげであることはもちろんですが、
気力を維持し、治療に耐えた母自身のがんばりも大きかったと思います。

安静を強いられている期間にも、
ベッド上でできる足の筋力維持のための運動は欠かさないように
と、私はこっそり伝えていて、
それを母は毎日実践していたようです。

また、しっかりたんぱく質を摂らないと、治るものも治らないので、
病院食が進まないときから
毎日毎日、豆腐や温泉卵、チーズ、
りんご、みかんなどの果物、野菜ジュース、
母の好きなトマトなど、せっせと差し入れました。
まったく食欲のなかった入院当初には、
以前にうちの医院で処方してもらって実家に置いてあった
栄養剤のラコールを持ち込んで、
勝手に母にのませていました。
まったく食べられなかった時期に、
これをおいしいとのんでくれたことにはほっとしたものです。

治療のためには不可欠であった安静が仇となった(と私は思います)、
胸水貯留や血栓による急変からもなんとか回復できました。
一時は、母は生きて帰ることができるのだろうかと
大きな危機感を抱き、不安な日々を過ごしました。
ここまで回復してくれて、今は本当に安堵しています。

それでも、リハビリが進む(運動量が増える)
という、通常なら喜ばしいことが、
病気の再燃の原因となるという不安をはらんでいるので、
慎重に経過をみていかなくてはならないことには変わりありません。
それは、退院したあとも続きます。

けれど、不安ばかり大きくして過ごしてもしかたありません。
できることには最善を尽くして、あとは楽しく笑って生きてほしい。
幸い母は、心身ともに、入院前よりも元気になって
若返ったような気がします。

このままトラブルなく、まずは順調に退院できますように。



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雨水・土脈潤い起こる

2020-02-21 | 父・母、家族のこと
新暦の、およそ2月19日~23日ごろの今の時期、
旧暦では雨水(うすい)の初候・「土脈潤い起こる(どみゃくうるおいおこる)」
です。
この冬は、なんとなく真冬の実感もないままに、
初めて春の兆しが現れてくるころ…立春の時期も過ぎてしまいました。

雨水とは、降る雪が雨へと変わり、水が解け出すころのこと。
昔からこの季節は、農耕の準備を始める目安とされてきたそうです。
土脈潤い起こる とは、早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおいめざめるころ。
古くは「獺魚を祭る(かわうそうおをまつる」
という、不思議な季節とされていたとか。

獺は魚をよく捕えますが、
魚を岸に並べたあとなかなか食べようとしないらしく、
それが祭の供え物のように見えたことから、
獺が先祖の祭をしているといって、
この季節の名が生まれたそうです。
日本酒で人気のある「獺祭(だっさい)」の名も、
これに由来するものなのでしょうか。

母が入院して6週間。
1日も欠かさず通っています。
ベッド上安静が必要で、
入院以来ベッドから1歩たりとも動けずにいる母の気力を支えるため。
体力的、時間的にはきついこともたしかにありますが、
母の病状が落ち着いてさえいてくれれば、
毎日通うことじたいは、もう日常のリズムとなりました。

私自身が母の顔を見て安心したいこともありますし、
毎日のこまごまとした雑用やら、
ねまきの着替えを手伝ったり、
病院の食事がなかなか進まなかった母に、
少しでも食べられそうなものをさしいれしたり、
母の話を聴いたりと、
毎日できることはたくさんあります。

入院当初は、今回のメインの治療である腰のことではなく
循環器系のトラブルが続き、
急変もあったりで、一時はハラハラしました。
ぶじによくなって退院できるのだろうかと…

今は、おかげさまで病状は落ち着き、腰の炎症も改善中。
食事もだいぶとれるようになりましたが、
依然油断はできず、退院の予定もまだまだ立ちません。
母本人も、まわりの家族も、
気力体力を保ち続けることが、なにより必要です。

治療が順調に進んでひと段落したら、
次は日常生活に向けてのリハビリ。
あせらず、息切れすることなく、
ゆっくり、ゆっくり進めていかなくてはなりません。

時間はかかっても、
このままトラブルや急変など起こることなく、
よくなってほしいと願いながら過ごす毎日です。

母のこと、おうちのこと、仕事以外のあれこれには、
なかなか手をつけられず、時間も割くことができない日々が続きますが、
また再開できるようになるまで、
もうしばらく母のことを優先に暮らしたいと思います。

愛犬りんも、腎機能の悪化を少しでも遅らせるためのくすりや
1日おきの点滴が欠かせない状態ですが、
昨年から母が不調をきたしてからの毎日、
吐いたり具合がわるくなったりすることなく、
食事もそこそこよく食べてくれ、
おるすばんもちゃんと落ち着いてしてくれています。

主人も、毎日の仕事が忙しいなか、
りんのことや家のこと、
とても協力的にしてくれます。

本当にありがたいです。

お寺さんの今月のことばです。
 
 


このことばは、今の私にとって、とてもこころに沁みます。
多くの人から、またそのときそのときのめぐり合わせから、
たくさんの恵みをいただき、
与えられることばかりだなあと、実感するこのごろ。

母にも、まわりのひとたちにも、
はたして私は何を与えることができるでしょうか。




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