4月17日、りんは天寿を全うしました。
いつかは来るこの日。
数年前から、
今年が明けてからはいっそう、
そしてその数日前からは、
より迫ったリアルな現実として
覚悟をかためてきたつもりでしたが…
やはりお別れはつらいものですね。
ただ救いは、
前の晩、すぐそばで添い寝しながら、
何度も息を確かめ、ほっとしては
そのからだを撫でてやりながら過ごしたこと、
翌朝、
注射器に吸ったスープや水を少しでも飲んでくれたこと、
そのあときれいなおしっこをじゅうぶんに出してくれたこと、
それからまもなく、
苦しまず自然に息を引き取ったこと。
自分の手で死後のケアをしてやれたこと、
出張中の夫が無理を強行して一時帰宅してくれるまで
きれいな姿で保ってやれたこと。
火葬に出すとき、夫と一緒に見送ってやれたこと…
棺を花でいっぱいにして、
夫も私もりんへのメッセージを書いて。
2005年10月12日に生まれたりん。
19歳と半年が過ぎたところでした。
さいごまで、本当によくがんばってくれました。
10歳を過ぎるころまでは病気知らずでしたが
12歳ごろから皮膚炎のかゆみに悩まされはじめて…
14歳のとき腎機能低下がみられはじめ、
動物病院の先生には
「16歳は難しいかも知れないけれど、
15歳の誕生日は目標にできると思うよ」
と言われました。
点滴が効果的だということで、
ストレスが少なくてすむよう自宅で行うようになり、
長らく原則1日おきにしていましたが、
様子をみながら2日おき、3日おきと間隔をあけてゆき
昨年はじめからは1週間おきくらいにしていました。
様子が変わらなければ、
この数年は、あえて血液検査をチェックすることもしていませんでした。
尿量が維持できていたこともあり、
筋肉が落ち、やせが目立って、
針を刺すために、つまむ皮膚をさがすのもかわいそうに思えてきたので
昨年の12月1日で、いったん点滴をやめてみましたが、
その後、
点滴を必要と思わせるような尿量の低下や
心配な症状はみられず…
結果的に、その日が最後の点滴となりました。
14歳から19歳になってしばらくまでの5年間に
自宅でりんにおこなった点滴は706回にも及びました。
膵炎も2度ほど、
16歳では胆管炎?らしきものにも。
そのつど、病院で適切な治療を受け、回復してくれました。
皮膚炎のかゆみどめや
腎機能低下をおさえるためのくすりが数種類、
必要時には短期間の抗生剤。
のみにくいくすりもあり、
5年ほどのんで止めたものもありますが、
工夫もかさねましたし、りんもよくがんばってくれました。
先生の言われた15歳をクリアし、16歳をクリアし…
あとの寿命はおまけかなと思いましたが、
腎機能の心配よりも、りんの自然な寿命のまま
元気にいてくれたらいい、と願いました。
やがて、
腎機能や病気の心配よりも、
老いから来る問題がクローズアップされてきて
少しずつ、見守りやお世話を必要とすることが増えていき、
たいへんさも増していきましたが、
いろいろ知恵をしぼったり
アドバイスを受けたりしながら、
工夫のしがいがありました。
弱ってゆく脚を支えるためのハーネスや
食事のときにハーネスを固定するために
夫が作ってくれた柵や
食べやすい形状の食器。高さの調整。
食事の内容。トッピング。
食事量がじゅうぶんにとれないときは、
時間をあけてもういちど与えてみたら思いのほか食べてくれたり…
すぐに転んでしまい、定まらない姿勢を支えるための
ソフトサークル、クッションがわりの毛布やシーツ。
自分で思うように動くことも
食べることも、排泄することも、
生きておこなう営みすべてが
たいへんな仕事のようになってしまっても、
りんは毎日がんばりました。
りんに老いというものを教えてもらいながら、
そのときできる手助けをしながら、
若い元気なころとはまたちがう、
可愛らしさやいとおしさを感じながら過ごした日々でした。
家族として19年も一緒にいてくれたりん。
その存在は想像以上に大きなもので、
りんがいなくなった部屋は、あまりにも広くて肌寒いです。
いてくれるだけであたたかかった。
気配があるだけでよかった。
つらいとき、かなしいとき、
どれほどりんに慰められたか。。。
笑いも、しあわせも、たくさんもらいました。
それでも、
元気を出して生きていこう、と思います。
いつか、たましいが再会できる日を信じて。
これまで長らく、
りんと私たち家族のことを気にかけ、
りんを可愛がってくださった方々にも感謝いたします。
ありがとうございました。
りんという名の犬と暮らした十九年 さくら





















いつかは来るこの日。
数年前から、
今年が明けてからはいっそう、
そしてその数日前からは、
より迫ったリアルな現実として
覚悟をかためてきたつもりでしたが…
やはりお別れはつらいものですね。
ただ救いは、
前の晩、すぐそばで添い寝しながら、
何度も息を確かめ、ほっとしては
そのからだを撫でてやりながら過ごしたこと、
翌朝、
注射器に吸ったスープや水を少しでも飲んでくれたこと、
そのあときれいなおしっこをじゅうぶんに出してくれたこと、
それからまもなく、
苦しまず自然に息を引き取ったこと。
自分の手で死後のケアをしてやれたこと、
出張中の夫が無理を強行して一時帰宅してくれるまで
きれいな姿で保ってやれたこと。
火葬に出すとき、夫と一緒に見送ってやれたこと…
棺を花でいっぱいにして、
夫も私もりんへのメッセージを書いて。
2005年10月12日に生まれたりん。
19歳と半年が過ぎたところでした。
さいごまで、本当によくがんばってくれました。
10歳を過ぎるころまでは病気知らずでしたが
12歳ごろから皮膚炎のかゆみに悩まされはじめて…
14歳のとき腎機能低下がみられはじめ、
動物病院の先生には
「16歳は難しいかも知れないけれど、
15歳の誕生日は目標にできると思うよ」
と言われました。
点滴が効果的だということで、
ストレスが少なくてすむよう自宅で行うようになり、
長らく原則1日おきにしていましたが、
様子をみながら2日おき、3日おきと間隔をあけてゆき
昨年はじめからは1週間おきくらいにしていました。
様子が変わらなければ、
この数年は、あえて血液検査をチェックすることもしていませんでした。
尿量が維持できていたこともあり、
筋肉が落ち、やせが目立って、
針を刺すために、つまむ皮膚をさがすのもかわいそうに思えてきたので
昨年の12月1日で、いったん点滴をやめてみましたが、
その後、
点滴を必要と思わせるような尿量の低下や
心配な症状はみられず…
結果的に、その日が最後の点滴となりました。
14歳から19歳になってしばらくまでの5年間に
自宅でりんにおこなった点滴は706回にも及びました。
膵炎も2度ほど、
16歳では胆管炎?らしきものにも。
そのつど、病院で適切な治療を受け、回復してくれました。
皮膚炎のかゆみどめや
腎機能低下をおさえるためのくすりが数種類、
必要時には短期間の抗生剤。
のみにくいくすりもあり、
5年ほどのんで止めたものもありますが、
工夫もかさねましたし、りんもよくがんばってくれました。
先生の言われた15歳をクリアし、16歳をクリアし…
あとの寿命はおまけかなと思いましたが、
腎機能の心配よりも、りんの自然な寿命のまま
元気にいてくれたらいい、と願いました。
やがて、
腎機能や病気の心配よりも、
老いから来る問題がクローズアップされてきて
少しずつ、見守りやお世話を必要とすることが増えていき、
たいへんさも増していきましたが、
いろいろ知恵をしぼったり
アドバイスを受けたりしながら、
工夫のしがいがありました。
弱ってゆく脚を支えるためのハーネスや
食事のときにハーネスを固定するために
夫が作ってくれた柵や
食べやすい形状の食器。高さの調整。
食事の内容。トッピング。
食事量がじゅうぶんにとれないときは、
時間をあけてもういちど与えてみたら思いのほか食べてくれたり…
すぐに転んでしまい、定まらない姿勢を支えるための
ソフトサークル、クッションがわりの毛布やシーツ。
自分で思うように動くことも
食べることも、排泄することも、
生きておこなう営みすべてが
たいへんな仕事のようになってしまっても、
りんは毎日がんばりました。
りんに老いというものを教えてもらいながら、
そのときできる手助けをしながら、
若い元気なころとはまたちがう、
可愛らしさやいとおしさを感じながら過ごした日々でした。
家族として19年も一緒にいてくれたりん。
その存在は想像以上に大きなもので、
りんがいなくなった部屋は、あまりにも広くて肌寒いです。
いてくれるだけであたたかかった。
気配があるだけでよかった。
つらいとき、かなしいとき、
どれほどりんに慰められたか。。。
笑いも、しあわせも、たくさんもらいました。
それでも、
元気を出して生きていこう、と思います。
いつか、たましいが再会できる日を信じて。
これまで長らく、
りんと私たち家族のことを気にかけ、
りんを可愛がってくださった方々にも感謝いたします。
ありがとうございました。
りんという名の犬と暮らした十九年 さくら




















