さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

ひとつクリアすれば…

2012-09-30 | 父・母、家族のこと


ひとつクリアすれば、また次の試練。

手術という大きなイベントをぶじ乗り越え、
順調に退院できた父だが、
当然ながら
それですぐに 手術前と同じような生活に戻れるわけではない。

下痢や 便秘のトラブルをおこしやすい状態なので
排便のコントロールが必要であり、

消化のよい食事を少量ずつ 効率よくとり、
徐々に 量や 内容をアップしてゆくことが
これからの だいじな課題。
個人差のあることなので、
父にとっての 適切なペースで、だ。

多くの人がそうであるように、
父も
おいしいものがすきで、
食事が楽しみの大きな位置を占めるので、
ただ 栄養がとれればよいというのではなく
満足感もたいせつ。

母の働きに期待されるものは大きい。

さいわい、
母は ふだんから食事に気を配ってくれており、
父のために 手間をかけることをいとわない人だ。

早い時期に退院して
家で自分のペースで過ごしながら、
母の手料理を食べられるほうが
早く元気になれるだろうと思っている。

一緒にいない時間 あれこれ父の心配をしながら
病院を行き来する母の大変さを考えても、
そのほうがいい。

が、

ものごとには いい面と 困る面と
両方がつきものだ。

退院するなり、
父はその日の午後 息子(わたしの弟)に運転を頼み
仕事のお得意先へ出かけて行った。

その前後の時間には
家で 仕事の書類整理や 伝票書きを。

最初からそんなに気張ってはあかんよ…
と言っても、本人は じっとしていることが
落ちつかないのだろう。

あれこれ 考えごとをしては 気を張りつめて
入院前からの不眠も 相変わらずらしい。
体力の消耗が気になる。

そして数日。

父は 自分なりにかげんをしながら
気になるその日の仕事を 片づけているようだし、
今のところ 
身体上の大きなトラブルは起こっていないが、
ともに住む父、母、弟の3人は
毎日の生活のなかで
たがいに たがいを心配したり
気づかったりするあまり、息をぬくことができず
みんなが 疲れてしまっているようだ。

弟も、時折発熱してはダウンしているらしく
父と弟のふたりを気づかいながら
母も へとへとの様子。

さきは長いのに…。

これもまた、徐々に自分や相手のペースに慣れて、
バランスをとっていくしかないだろう。


術後の患者さんや その家族は、
みんなきっと 多かれ少なかれ
このような経過を経て 回復へ向かっていくのだろうと思う。


そして、気がかりなもうひとつの 父の問題である
肺の影の正体検索のため、
退院後まもない先日、胸部のCTを受けた。

来週の 外来受診では
その結果をふまえ、おそらく精査ということになるのだろう。

母は 父の胃が悪性の病気であったことも、
肺の影のことも、まだ知らないままだ。
それでも 現状で手いっぱいというところ。
いま現在、あとまわしにするしかない 母の心臓弁膜症のことも
忘れていていいわけではないが、
せめて 心身の負担をなるべく軽くしてやることぐらいしか
今は できない。


家族の病気、気疲れ、毎日の生活をまわしていくこと。

それだけでもたいへんだが、
わがやはそのうえ、
不景気で いくつものお得意先が倒産した
父の自営業の長年の不振による 経済的な困窮に
もう 何年も前から見舞われている。

気のやすまらない日々がつづく。

どうか、これ以上過酷な試練が
父や母に 与えられることがありませんように。

どうかすると、
神さまをうらんでしまいそうになる自分が、いる。

なにがあっても、

わたしたちが ちゃんと立っていられますように。





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父の術後

2012-09-24 | 父・母、家族のこと


父の手術は 予定されていた術式でぶじ終了。

麻酔の覚醒状態もよく、ひと安心する。

手術当日の夜は 
ナースステーションとつながっている回復室で過ごし、
翌日の昼前に ナースさんがからだを拭いて着替えさせて下さり、
もとの病室へ。

このときには すでに尿のカテーテルを抜いてもらっていて、
あとは 歩け歩けとの指示。

点滴と 硬膜外に入っている痛みどめのチューブとを
お供に連れているので、
なかなかたいへんではあるが
なんとか がんばっていた。

何度か立って歩くうちに、
だんだん しっかりした足どりに。

尿のカテーテルを抜いて半日は
排尿が つらそうだったが 

(抜いたあとがかなり痛かったらしい。
 男性は たいへんだ)

翌朝からはスムーズにできたらしい。 やれやれ。


食事のほうも、
はや手術翌日の午後には 少しずつ水をのんでいってよいとの指示が。
それで特に異常もみられなかったので、
術後2日目のお昼から 流動食が開始になった。

術後2日目の夜には 硬膜外チューブが抜け、
痛み止めは 内服薬に。

術後3日目の昼には 持続点滴も抜け、
すべてのくだがとれて すっかり身軽になるという
目をみはるような回復ぶりで、きょう術後5日目を迎えた。

食事も 順調にアップしてきており、
これから、夕方からの仕事の前に
父の顔を見に寄るつもりだが、
昨日の5分粥から 今日は 全粥になっているだろう。


退院も見えてきた。


そうなると、今度は
食事をはじめとする 退院後の生活や、

手術で採った病巣の組織検査結果や
いまだ正体をはっきりさせていない肺の影や
今後 注意していかなければならない再発・転移のことなど、

また 次なる段階の心配ごとがクローズアップされる。

ひとつひとつ、
現実の状態をはっきりさせては 向き合い、
日々 とりくんでいくしかない。

どちらにしても 
長いスタンスで見ていかないといけないのだから、
本人も まわりも 息切れしないようにしないとね…。


もともとほかに持病もなく、

同年代の男性一般からしてしても
父の体力・筋力は よく保たれているほうで
それも さいわいしただろうし、
本人も早い回復に向けて 努力しているが、

ドクターやナースさんをはじめ、
治療や 回復のためにかかわって下さる方々、
心配して 祈って下さる方々、
たくさんの方々のおかげで

まずは、手術がぶじに終わったことと、
順調に回復してくれていることに 感謝している。






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救い

2012-09-13 | 歌のおけいこ


その日にただ発散して 楽になれる程度のことならともかく、
自分にとって深刻な問題は
その解決がなされない限り、
だれに不安をうちあけようと 楽になどなれるわけはない、

と 思っていた。


けれど今、

ただ 不安を小出しに表出できるだけでも、

仕事や 家事や 歌うことや 句をつくることに
一瞬でも集中できるだけでも、

救われている自分を感じている。


もっとも、すぐに感情がこみあげて
不安定になる自分をも感じているのだけれど…。


行けないと思ってお休みするはずだったA野先生の
定期のレッスン、昨日はからだも気持ちも空いて、
ひさしぶりに 行くことができた。


デュエットとソロ、

このふたつの曲に 励まされているかのような
自分を感じる。

課題は山積みだけど、
あせらず とりくもう。

歌に集中できる自分がいて、よかった。

でも、これからさき、

なにごとにしても、 

むりをしないように 自然にやっていこうと思う。





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揺れうごく日々

2012-09-05 | 父・母、家族のこと


おひさしぶりです。

時折 おいで下さっている方々へ

ちっとも更新のされないページで ごめんなさい。

いざ書くとなると、わたしは
わりとまとまった時間&エネルギーを要するほうなのですが、
そのタイミングに ここしばらくは
なかなか恵まれずにいました。

また次はいつ?? という調子ですが、
よかったら たまにのぞいてみて下さい。



9月に入った。

吹く風や 日陰の涼しさは
秋の訪れを感じさせるが、
日中の残暑は まだまだ厳しい。

7月初旬から、心身落ちつかない毎日を過ごしている。

母が、あまり遠くないうちに
心臓の弁置換の手術を要することがわかった。

長年の高血圧も 高脂血症も
近年はうまくコントロールできており、
体重コントロールも まずまず。

本人も 加齢によるものはともかく、
体調がよく 元気に動けているというのが実感だったので
ショックが大きかったよう。

が、

いま現在 もっとも気がかりなのは
父のこと。

病気知らず、病院ぎらいの父に
胃がんが見つかった。

母に手術が必要であることを知らされたその翌日、
胃カメラを受けた父。

2度に渡るカメラの肉眼的所見で
がんです と言われながらも 病理組織診断では
2度ともがん細胞は 見つからず、
(病巣のある場所の何点かからしか組織をとれず、
 調べるところが限局的であるため)

入院し、内視鏡的に病巣を採りきっておこなった病理診断で、
はじめて がんが確定診断となった。

この間 約ひと月。

ここで、良性のポリープという結果であったなら、
検査とともに 治療もめでたく終了、
ということになるのだが…


がんと確定されたからには、
あらためて 胃を部分切除することが
根治的治療となるので、
再度入院して 今度は全身麻酔の開腹手術となる。

その日時が決まったのが、
やっと昨日。

そして 手術日までには、
さらに 2週間を待たなければならない。

父の所見は いちおうは早期がんに分類されるが
気になるのは、
筋層には至らないものの、粘膜下層深くに及んでおり
一部 静脈浸潤がみられること。

細胞のタイプと浸潤の深さから
早期がんに入るとはいえ、
転移の可能性は ありうる。

それは、ごく近いうちになのか、
何年も経て なのか、
寿命を迎えるまで 表面化しないでいてくれるのか、

いまの時点では 誰にもわからない。


さらに、
もうひとつ 心配なことには、

開腹手術をするにあたっての
術前検査の一環でおこなった胸部CTで、
気になる影が 見つかった。

とりあえず、
わかっている胃の病気を先に片づけるのがのぞましいとの見解で
肺の精査はそのあとに。

わたしもそう望んでいたので、
ひとまずは ほっとした。

7月と、内視鏡的処置前に撮った8月の
胸部レントゲンには 何も写らなかったのだが…

タバコを長年すっているわりには
きれいな肺だねーと、いつも言われていた父。
CTでこそ、写る程度のものだったのなら、
いまの段階で見つかったことを よかったと考えるべきだろう。

呼吸器科の医師の見立てでは、
悪性のものだとしても
今回の胃とは 別のものだろうということだった。

まだ初期ならば、
肺のほうも 根治がのぞめる。

病気知らず、病院ぎらいの父だが、
医師や わたしの説明をよく前向きに理解して、
体力・気力をたもってくれているのが 救いだ。

けれど、
心臓のこともあり こわがりで不安のつよい母には
できるだけ心配をかけたくないと、
父の希望で 
胃の悪性がはっきりしていることも
気になる肺のことも 伏せてある。

ほんとうに大変なこんなときに、
夫婦で かくしごとなく苦しみを分かち合えないのは
つらくないのか、

弱音やぐちを言いたいときだってあるでしょうに。

父にそう言うと、

 「そんなことは、自分で こうと思い決めたら、
  のみこめる。
  それより、いま おかあさんに倒れられたら どうしようもないから」

と言う。

状況の変化のなかで 父の思いが変わってくることも
考えておくつもりだが、
いまのところは 父の希望に沿おうと思う。

父の病状…

けっして希望がないわけではないが、
不明瞭なことが 今は多すぎて、
どの程度 根治に期待が持てるのか、
どの程度 シビアな覚悟が必要なのか わからない。

いまの父の状況に限らないことだが、
最高に幸運な場合と 不運な場合では、
経過(結果)に、天と地ほどのひらきがある。

多くは その中間あたり となるのだろうが、
いろいろな場合を すべて想像できるわたしは、
どうしても 最悪の場合を考えては
気持ちが 不安定になる。

まだまだ、
治療の可能性があるうちは 悲観している場合じゃない
元気を出さなくては と思い直す。

そのときそのとき、
見えてきた現実に対して
いちばんいいと思うことをやっていく。

そのときそのとき、
今やるべきことに集中する。
(仕事でも 家事でも)

が、また次の瞬間には
大きな不安におそわれる。

気持ちをあちこちに揺らしながら、

人間は ひどいと思える状況でも
不思議と 適応できていくしなやかさがあるのだ、

最悪と思えるときは まだ最悪ではないのだ と…

言い聞かせる。

絶望と希望のあいだを 行ったりきたり。


張りつめて、緊張したまま長い時間を過ごしたら、
それをゆるめるように
わっとひとりで泣く。

わたしは なきむしだ。

不安で泣く。さびしくて泣く。つらくて泣く。
くやしくても、うれしくても 感動しても、
なにかというと 泣く。

泣かずにいることは できない。

だけど、
泣くときは ひとり。

意思に反して、
勝手に ひと前で涙が止まらなくなる なんてことが
ありませんように…

いくら泣いてでも、
そのあとは すっくと立てるように、
つよくありたい。

雨風に揺れても折れぬ雑草のように
たくましく、たくましくありたい。

いまは なにより、父と母のために。


1日も早く、いい方向で落ちつくのを祈っている。

父が ひと安心できる状態になるまで、
母にも どうか 心身安定していてもらえますようにと、
願う毎日だ。


わたしが 子宮体がんの手術を受けたのが、
ちょうど10年前の9月。
もう 10年になるのだ。
いまも元気でいられることに 感謝。

おなじ9月、おなじ病院で
今度は 父が手術を受ける。

きっと、順調にいく。



ひさしぶりに書くのに、重い内容でごめんなさい。

みじかくまとめるつもりが、いつものわたしのことで、
やっぱり長文になってしまいました。

でも、やっといまの胸のうちを書くことができました。

読んで下さって ありがとうございます。

ひと息で読めるくらいのものも
書いてみたいものですが…

あ、それが川柳か わたしの場合。



    泣いてなどおれぬほんとの一大事   (泣いてるくせに??)


    逆境で真価をみせたああ男      (父はやっぱりえらいです)


    こんなにも広かったのだ父の傘    (いつもまもられてきました)


    年かさね祈ることのみ多くなる    (自分の思いやがんばりだけでは
                       どうにもならないことが ふえてきます)

    愚痴よりはいいさと今日もおやじギャグ(でもやっぱり、生きているかぎり前向きに)







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