さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

日本語の歌はむずかしい。。。

2006-05-24 | 歌のおけいこ

昨年の夏、
メサイアの練習から 入団した合唱団…

大阪アカデミー合唱団 であるが

あれから もういちねんになるのか…
早いなあ。


その合唱団の 夏のコンサートが近づいてきた。

今回は
日本語の詩の 現代曲。

実は 私にとって
日本語の曲に 本格的にとりくむのは
今回が はじめてだ。


これまでも 
コール・プルプルや ジュビラーテで
何曲か日本語で 賛美歌や クリスマスソングを
歌うには 歌ったけれど…

半年かけて 練習して
コンサートホールで
大きな合唱団として 歌うのは 
今回が はじめて。


練習に はげむなかで
日本語の詩の美しさや
それを 伝えることのむずかしさ、

そして
現代曲のリズムの難解さ を

しみじみ痛感している。


ふつうに発音しているだけでは
(とくに 関西人の場合。。。!)

その詩のようには きこえなくなってしまう言葉の
正しい発し方 

  たとえば 
  ”ぼくが…” なんていう場合の
  「が」。

  関東の人なら ふつうに発音すれば
  自然に 鼻濁音になるらしいのだけど
  関西人は 意識しないと ならない人が多い

  とか

  一音一音 はっきり発音すればいいのかというと
  これがまたちがって
  
  ”大空” だったら
   
  「おおぞら」 ではなくて
  「おーぞら」 と 歌わないと 不自然にきこえる

  とか


詩の言葉が 
正しくその言葉どおり
きこえるように歌うだけでも
いろいろ 意識しなければいけないのだけれど

さらには

情感のこめかただとか

音の 強弱だとか

リズムのとりかただとか


ひとのこころに伝わるような歌の表現のしかた には

それはそれは さまざまな要素があって…


   どれもこれも
   ちょっとやそっとでは クリアできなくて

   やればやるほど むずかしさを痛感する。


根気よく教えてくださる先生がたには
いつも 感謝 です



夏のコンサート 6月4日まで
あとすこし。


もうひとつの ちいさな合唱団・
ジュビラーテも
7月に参加するコンサートを ひかえている。

クラシックの小曲、日本語の現代曲、
それから
「サウンド・オブ・ミュージック」からの2曲 
とりまぜて 7曲を歌う予定 だが

こちらも 
日本語の曲に 悪戦苦闘中 

とっても すてきな歌ばかり なので
みんなで 早く 
うまく歌えるようになりたい。


初の アカペラもありで
こちらのほうが 緊張しそう 



がんばります 




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たった5分でも

2006-05-16 | たわごと・できごと

毎日 忙しく、
あわただしく時間が流れるなかで

最近 ひとつだけ
意識して こころがけていることがある。


それは

いちにちのうち たった5分でもよいから
ぼおっとして、
自分をからっぽにする時間を持つこと。


それはたいてい
愛犬・りんと行く 公園のベンチに腰かけ、

さやさやと木を揺らす風を

みどりのにおいを 感じながら

風に揺れる木々の葉っぱを 

ハトや スズメや ムクドリたちを 眺めながら

野鳥たちのさえずりを聴きながら

ということが 多い。


なにか 考えごとをするのにも

本を読むのにも

絶好の 環境のように思うけれど、

あえて

頭に浮かんでくる 思考や感情を追い出して

自分をからっぽに、
リセットする時間にしようと

意識して そうしている。

無意識にそうできれば
もっといいのだけれど。


でも

このたった5分ほどの時間が

(時間の余裕があるときには
 もっと ゆっくりすることも)

私にとっては

とても貴重な リラックスタイム。


どうやら 私は

自然を感じ

自然につつまれているときが

いちばん 

ほっとできるらしい…



みなさんは

どんなリラックスタイムを過ごしていますか?



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神は 細部に宿る

2006-05-04 | 旅・自然・動物

季節のうつりかわりや、
自然の木々、花々、生きものたちを見ていると
時々 感じることがある。


毎日のように 眺めていても飽きない空や 木々や 花たち。
生きているものたち。

おなじようでいて、
刻々とうつりかわり、流れてゆく風景。

おなじ人間が ふたりといないように、
おなじ一日もなく、
おなじ種類でも まったくおなじ花は ない。

そして、あらゆるものが
きのうと きょうでは
もう おなじ姿をしていない。


その 色かたちのうつくしさ、あざやかさ
よくできたしくみ…
正確で むだのない、自然の摂理。


生き死にだって 自然のいとなみ。
花も やがては枯れる。

けれど、
季節がめぐりくれば、また 花は咲く。

枯れて散った花の一部を どこかに残した姿で…


こんなとき…

ふと、


  神は 細部に宿る


という言葉を 思い出す。


そして たしかにそうだと、

神の手は すみずみまでゆきとどき、

すべてのものには 神の息がかかっているのだと
感じる。


神…

宗教上の神 というより

自然の手 みたいなイメージだけど。


自分も 
その自然の輪のなかの 
ちいさな一部を になっているのなら


ちっぽけで ささやかな人生でもいいから

自然にさからわず

吹く風に身をゆだね

なにものにも執着することなく

生きていけばいいのかな、


なんて 思ったりする。


なにしろ 煩悩や 迷いだらけで

むずかしいことではあるけれど…(苦笑)






コメント (2)
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