さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

雨水・霞始めて靆く~ドイツリートの会「ヴァイラの歌」

2022-02-27 | 歌のおけいこ
新暦の、およそ2月24日~28日ごろの今の時期は、
旧暦では雨水の次候、
「霞始めて靆く(かすみはじめてたなびく)」
です。

霞始めて靆く とは、春霞がたなびき、山野の情景に趣きが加わるころのことで、
遠くかすかな眺めが、ほのかに現れては消える移ろいの季節。
春は霞、秋は霧と呼び分け、
そして夜には霞ではなく、朧というとか。

そろそろ寒さもやわらぐようですが、油断はできませんね。
その日のかげん、時間帯によっても調整が必要そうです。

先日のドイツリートの会は、
男性ふたりと私で、3人の参加でした。
曲はこちら。 ↓

 

メーリケの詩にヴォルフが曲をつけた「ヴァイラの歌」。
2011年にリートの会で1度習ったことのある曲ですが、
そんなのもう、記憶の彼方;;
でも、歌ってみると、なんだか懐かしい気がしました。

個性的な作曲、独特な和音のイメージがあるヴォルフ。
初めてだいだいリートコンサートで歌わせていただくときに
選んだ2曲のうち1曲が、ヴォルフで
「Verborgenheit」(陰棲)
という曲でした。
いま思えば、なんて大胆な、マニアックな選曲。

レッスンの時、ピアノとぶつかる和音の部分で先生に

 「あなたの歌とピアノで完成する和音なんだ。
  しっかり出して」

と言われたことを思い出します。
今だって、あの頃よりよく歌えるかと言われれば、
う~~ん。。。
と、悩んでしまいますが、
歌は技術だけのものではないし(もちろんそれも必要ですが)
思いを込めることはもっとたいせつ。
その時どきで、自分なりに精いっぱい向き合い、取り組みたいものです。
治らないあがり症とも、つきあってゆくしかないですね。。。


 煽るように寄り添うように鳴るピアノ さくら


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雨水・土脈潤い起こる~眠っていた振袖

2022-02-21 | お買い物・かわいいもの
新暦の、およそ2月19日~23日ごろの今の時期は、
旧暦では雨水の初候、
「土脈潤い起こる(どみゃくうるおいおこる)」
です。

雨水とは、降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのことで、
昔からこの季節は、農耕の準備を始める目安とされてきたそうです。
土脈潤い起こる とは、早春の暖かな雨が降り注ぎ、
大地がうるおいめざめるころ。
古くは「獺魚を祭る(かわうそうおをまつる)」
という、不思議な季節とされていたとか。

捕った魚を岸に並べたあと
なかなか食べようとしない獺の様子が、
祭の供え物のように見えたことから、
この季節の名が生まれたそうですよ。
興味ぶかいですね。
お酒ずきの私としては、どうしても
「獺祭」
の酒の名が思い浮かんでしまいますが…^^

まだ大雪の心配があるこのごろ、
氷が解け出すのももうしばらくあとでしょうか。

昨年秋のことになりますが、
むかし着た振袖の袖を切り、訪問着として着られるよう
お直ししていただきました。

成人式、お正月、謝恩会、友人の結婚式、
そして沖縄・宮古島の従兄の、地元での結婚式で
新郎である従兄の自宅で三々九度の盃のお酒を酌む巫女役?を仰せつかったとき…
何度も着せてもらい、若かった私の晴れの日を彩ってくれた振袖でした。

袖の下部にきれいな刺繍があり、
それを切ってしまうのが惜しい気がして、
また、誰かあとに着てくれる人がいるかも知れないとの思いから、
ずっと袖を切る決心がつかなかったのです。

が、このたび一大決心。
娘も孫娘も、どうやら姪っ子も授からないめぐり合わせとなった私。
それならば、もういちど自分で着られないだろうか。
袖を惜しんで振袖のまま置いていても、
箪笥で眠らせているだけ。
だったら、袖を切ってでも自分が着られるかたちにしてもらえたら。

色が、あまりにも若々しく可愛らしいピンクの総絞りで
ためらいもありました。
が、着物に詳しいおかみさんや先生方みなさん、

 「着られるわよ! 帯や小物を落ち着いたものにすれば大丈夫!」

と言ってくださるので、ひと安心。

振袖と長襦袢の袖を切り、
今の私が着られるようにしていただきました。

そして、切ってしまった袖は…
ふたつの可愛い手提げバッグに生まれ変わりました。
着付の先生が作ってくださったものです。
デザイン違いで、ふたつとも素敵です。

 


裏地には、やはり長襦袢の切った袖部分を使っていただき、
中に小さなポケットや留めボタンなどの心遣いが。↓

 


姿を変えて、生まれ変わった振袖を
これからも着物として着たり
バッグとして使えるしあわせ。

 「おかあさんがのこしてくれた着物、
  たいせつに着てあげなさいね」

いつも言われるうれしい言葉。

まわりにモノが多く、
断捨離にはほど遠い自分を反省してはいるのですが、
もうしばらく、
父母がのこしてくれたもの、
まだ捨てられぬ愛着あるものたちとの暮らしを
楽しんで生きていたいと思います。


 生まれ変わりの花とふたたびめぐり逢う さくら

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立春・黄鶯睍睆く~歌のレッスン

2022-02-13 | 歌のおけいこ
新暦の、およそ2月9日~13日ごろの今の時期は、
旧暦では立春の次候、
「黄鶯睍睆く(うぐいすなく)」
です。

黄鶯睍睆く とは、
春の到来を告げる鶯が、美しい鳴き声を響かせるころ。
私はまだ、鶯の声を聴けてはいませんが…

鶯も、最初からじょうずには鳴けなくて、
だんだんとうまく鳴けるようになっていくようですね。

昨日は、私も鳴き声の…ではなくて
歌の個人レッスンを受けました。

前回に受けたのは…
2019年の暮れに母のぐあいが悪くなり、年明けに入院するまでの間に
門下生のコンサートがあり、
レッスンやリハーサルの予定をどうにかクリアしていた頃でした。

2020年からコロナの騒動が始まり、
6月には母を見送り…
個人レッスンもドイツリートのグループレッスンも、
休講や私の事情でのお休みが続きました。

およそ2年ぶりの個人レッスンです。
曲はこれ。 ↓

 

ドイツの詩人、アイヒェンドルフの詩で
曲はメンデルスゾーン。

同じ詩に、シューマンが曲をつけた
「Die Stille」(静寂)
の方が有名かも知れません。

同じ詩に、違う作曲家が曲をつけた歌はたくさんありますが、
曲によって、本当にイメージがガラリと変わります。

メンデルスゾーンのこの曲は、
いつか歌えたらいいなと、
ずっとこころのなかであたためていたものですが、
ちゃんと歌いきれるようになれるかしらん;

発声を含め1時間のレッスンを無我夢中で終え、
続いてドイツリートの会のグループレッスンに入るはずが。。。

なんと、みなさんお休みで参加者は私ひとりだけ。
想定外の事態です。どひゃー;;

「なんでも歌っていいよ~
 好きに時間を使ってくれてかまわないから」

という、ありがたい師匠のお言葉に、
続けてひとりでレッスンを受けることに。

たまたま、次回レッスンを受ける予定の
もう1曲の楽譜を持っていたので、
それをお願いすることにしました。

 

これもまた、以前から歌いたかった曲。
大汗かきかきの、なんとも濃ゆーいレッスンでした。

ドイツ語にはドイツ語の、
日本語には日本語の、
歌詞を伝えられるように歌う(語る)ための
歌い方があります。
極端にやりすぎてもいけないし、
人によって、どのあたりまでやればいいのか、というのも違いますし、
とてもむずかしいのですが、
じょうずにはなれないまでも、自分なりの歌をつくりあげていく
喜びを感じます。

本番での緊張がひどい私には、
練習どおりに歌えればそれでヨシ! なのですが、
いまだにできたためしがありません。

めげずにがんばってみます。
(なんでもこれだ^^;)

それにしても、
2時間半も連続して、ひとりでレッスンを受けることになろうとは。

思わぬ展開になった、2年ぶりのレッスンでした。


 楽しんでしまえ予定外のことも さくら



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今月のことば

2022-02-08 | 今月のことば
立春を迎えてからの寒さが、ことのほかこたえますね。

ご近所のお寺さんの、おなじみ今月のことばです。


 

なるほど…と思わせられます。
生きる意味。生かされる意味。

思春期~20代、30代の頃には、
なんだか深刻に考え込み、
勝手に重いものを抱え込んでいたような気がします。
この世に生まれてきたからには、
何かをなし得ないといけないとか、
役に立つ存在でいないといけないとか…。

よく知られている、有名な人というのはひと握りの数の存在で、
同じようなことができなければいけないなんて
つい考えてしまいがちですが、
かえりみる自分はといえば、
そんな大きなことはできない、平凡な存在。
平凡、とはいっても、
数多くの平凡な人はその人なりに、個性や才能、得手不得手もあるわけですが。

私自身は、世に出るような個性も才能もなく、
世のため人のため、
などと大それたことは、考えることも実行することも難しいですが、
自分の身近な家族や友人、仕事仲間や趣味の仲間とともに在りながら
その中でささやかでも自分のできること、
役目や役割のようなものをできる範囲で果たしていけばいいのかな
と、いつからか思うようになりました。

支えたり、支えられたりしながら、
自分の手の届く範囲に、
すこしでも明るさを添えられたらいいな、と。

しあわせになること、
しあわせであることに気づくことも、
生まれてきた意味、生きる意味であると思います。

おいしいごはんを食べること、
おいしいお酒を味わうこと、
いい景色をみること、
いい音を聴くこと。
たのしいと感じる時間を過ごすこと、
ささやかでも、自分の仕事や役目を果たすこと、
ときには、乗り越えるべき試練もあって、
それをクリアしていくこと。
そこに、一緒にいる存在があること。。。

私にとっては、
これらはみんな、生きる意味、生かされる意味であるといえます。

けれども、
こんなことを書きながら、
生まれてからずっと、
あたりまえのように愛し愛される家族…
親の存在や環境に恵まれないまま
生きてこざるをえなかったこどもたち、
そのままおとなになってしまう人、
まして虐待でいのちを落とす子のことをおもうと、
生きる意味など知るものか、
と思ってしまう人がいることも、
否定できない自分がいます。


 生きる意味まずはおなかを満たしたい さくら



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立春・東風凍を解く~恵方巻

2022-02-04 | お酒ほかおいしいもの
新暦の、およそ2月4日~8日ごろの今の時期は、
旧暦では立春の初候、
「東風凍を解く(とうふうこおりをとく)」
です。

立春とは、初めて春の兆しが現れてくるころのことで、
この季節から数えて最初に吹く南寄りの強い風が
春一番。
旧暦では、この季節が新年のはじまりです。
まだまだ寒さは残りますが、暦は春に入りました。

 

昨日の晩ごはんだった巻きずし。
具は、
サーモンやカニかま、きゅうり、たまご、サラダ菜、ほうれんそう、
それから牛肉のこまぎれを甘辛く煮たもの(すきやき風)。
これらを適当に組み合わせて巻き巻きしました。
かんぴょうや高野豆腐も家にありましたが、
今回は省略。

牛肉すきやき風の巻きずしは、
長いおつきあいの年長の友人が毎年作っている、
そのおうちでは定番のもの。
ほうれんそうや人参を合わせて、彩りもよくおいしいのです。
ずっと前に、教えてもらいながら一緒に巻いたことを、
節分になると毎年思い出します。

夫の急な日帰り出張が入り、遅い帰宅→遅い晩ごはんになりましたが、
りんの晩ごはんはその前にすませて、
ゆっくりいただきました。
おともには、燗酒。
食事がごはん(お米)系なので、
休肝日にしようかとも思ったのですけどね。。。
寒い日でからだも冷えていたし、
出張と遅くまでの仕事でお疲れの夫へ
ねぎらいの気持ちもあって??

最初のひと巻きだけ、
今年の恵方である北北西を向いて、黙って食しました^^

ふたりと1匹の家族。
そろっておいしくごはんを食べられるしあわせ。
ぶじに過ごせた1日に感謝して、
おなかも満足したら、ぐっすりおやすみ。。。です。

 


 黙食も慣れて静かに恵方巻 さくら


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