さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

母の急変~再入院

2020-04-15 | 父・母、家族のこと

例年より長く咲いてくれた桜も葉桜となり、
バトンタッチした花水木が出番を迎えました。

いまだ心落ちつかぬ日々が続きます。
年明け1月から長らくの入院で、3月末にようやく元気になって退院でき
機嫌よく過ごしていた母ですが、
ほっとしたのも束の間、
帰宅して3日目の4月2日に急変し、気管内挿管のうえ救急搬送され
先日までお世話になっていた病院の救命センターに入院しました。

搬送当初にはコロナ感染を疑われて隔離のうえで処置、
私たち家族も疑いある患者の濃厚接触者として、
結果が出るまでの2日間、
勤務や外出をひかえて過ごしました。
幸い陰性で、ひとまずほっとしましたが、
予断をゆるさない状態が続き、
コロナ感染拡大防止のため
一般の患者家族でも面会はままなりません。
祈りながら、病院からの連絡を待つばかりでした。

4月8日。
ようやく連絡があり、
その日の午後、一般病棟に移ることができました。
前日の7日に人工呼吸器から離脱(抜管)できたとのことでした。
よく戻ってきてくれたと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、病状としてはシビアな説明を受けており、
今後も楽観視はできません。

トラブルなく順調にいけば、
とりあえず今回は退院できるであろう、
しかし、
根本的なところを治療しないかぎり、

(母にとっての根本的な治療とは、今の場合、
 7年前に手術で置換した大動脈弁が劣化しており、
 そこから起こる心不全も悪循環・命取りになるので
 その再手術が必要であるということですが、
 開胸にせよ、カテーテル術が可能にせよ、
 検査治療の身体的負担や合併症の危険性を思えば、
 今はとても現実的に考えられるものではないのです)
 
今後も、今回のような急変はくり返されるであろう、と。
その際に、また挿管をするのか?
どこまで救命をはかるのか?
正解のない、苦しく悩ましい問題です。
生きているかぎり、何びとにおいても、苦(悩み)は続くわけです。

けれど、生きているかぎり、その日その日をたいせつに
ありがたく感謝しながら、楽しく笑って過ごしたいものです。
母にもそうあってほしく、
もうしばらくの間、時間の長さではなく
父亡きあとにも「いい時間があった」「しあわせだった」
と本人も家族も思えるような、質的に充実した時間をせめて数か月でもいいから
この世に生きて味わってほしいのです。

今コロナで家族を亡くした人たちのことを思えば、
それすらぜいたくなことかも知れませんが…

いろいろ、落ち着きどころに至るまでに、
もうしばらくかかりそうです。
母の今回の退院に、まだちゃんとした見通しは立っていません。
希望をうしなわず、
かつ何があっても、しっかり受けとめたいと思います。

職場の医院は、
院長をはじめ、みな平常心を保ちつつ働いていますが、
患者さんたちの間にも恐怖心が蔓延してきており、
またコロナ疑いを否定できない患者さんの対応にも追われたり、
日に日にものものしい雰囲気になっています。

母のことも、
世界中を混乱と不安とかなしみの渦に巻き込んでいるコロナ感染も、
回復への希望をつなぎながら、
今できることをやっていくしかありませんね。

不安や恐怖のあまり、
ひととしての、こころまで侵されることのないように、
ふんばって乗り越えたいと思います。

それにしても、
現実的に生活がたちゆかない、
一刻も猶予がない人たちへの支援をこそ、国には急いでもらいたいものです。


 

ご近所のお寺さんの今月のことば。

今のわたしたちには、いっそう身にしみます。






コメント (2)
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