さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

クリスマスコンサート&ある再会

2012-12-17 | 歌のおけいこ


「ピアノ合わせでした」 (12月8日の記事)

で書いたクリスマスコンサートですが、
15日に ぶじ終えることができました。


きっとまたアガるにちがいないけど、
それは わたしにとって
なかなかすぐには克服できない課題なので
しかたないとして、
あがっても いつもに近い感じで歌えるように
がんばろう。

そして、
お仲間さんたちの歌や おちびちゃんたちのピアノを聴くのも 
自分が歌うのも 思いきり楽しもう。

みんなが楽しめるコンサートになるように、
自分にできることがあったら なにかお手伝いもしよう。 

そんな1日にしよう。

そう思って臨みました。


歌うのはプログラムの第3部で 終わりのほうなので、
ひとの演奏を聴きながら 歌う順がせまってくるのを
やっぱり緊張もしながら過ごしていましたが…。

緊張しつつも、みんなの演奏を楽しく聴きました。

そして いよいよ3部のはじまり。

歌うのが、ぬっくさんとのデュエットからでよかった~

とか思いながらも、
やっぱり ひと前に出ると
心臓バコバコの自分がいて
またかー という感じですが、
うれしかったのは

デュエットもソロも、今回は
あまり声がふるえたり うらがえったり うわずったり
息もたえだえだったり…
ということが なかった(と自分では思えた)こと。

アガッても歌えるんだ!
と、気持ちをつよく持てば、
すこしずつ ふだんに近い状態で歌えるようになれるかな…

と、はじめて感じられたこと。

そして、
相棒のぬっくさんに ソロを

 「今まででいちばんよかったよ」

と ホメてもらえたこと。


この次また ひどくアガって
あーあ。。。
になってしまわないともかぎりませんが、
今回の感覚をイメージして、
すこしずつすこしずつ 
自分の課題を自分なりにクリアしていけたら いいなと思います。

人生みたいですね。


自分の弱みや、にがてとすることや
面倒がって避けていたことやらに
いやでも 向き合わされて、
でも 向き合って みとめて
それにとりくんでいかないと 一歩もすすめない。

できない自分にめげそうになることもあるけれど、

ひとりじゃないから みんなもいるから
見捨てないでいてくれる先生もいるから

ということを思いだすと、
不思議と またやろう がんばってみよう と思える。

今回 自分がえらんだ「春の歌」でも

  
   悠然と皮を打ち破って
   勇気をもって春と向き合え

   こころ貧しくなってはならぬ
   ひとりぼっちになるな

   歌と太陽の光に取り巻かれて!


と うたっているじゃないか。


音楽は その存在だけでもすばらしいものだけど、
わたしは 歌をつうじて、こんなふうに
たくさんの学びも救いも いただいている気がします。


今回のコンサートでは、思わぬうれしい再会もありました。

おなじ門下生のお仲間さんで
刺繍を長く教えておられるかたがいるのですが、

わたしの小学校時代の恩師と、
やはりその頃同級生だった男の子のおかあさまとが そろって
そのお仲間さんに刺繍を習っている生徒さん だったのです。

おふたりが今回 聴きにきて下さると
コンサート前に知ったわたしは、
うちの母にも それを伝えていました。

 
  体調と都合がよければ、ぜひ聴きにきてね。

  小学校でお世話になったOO先生と、
  xxくんのおかあさんも来てくださるそうだから、
  来れるなら あえるよ。


そして、
わたしの恩師&同級生のおかあさんと わたしの母とは、
30数年ぶりの 感激の再会! となったのでした。

わたしは、その恩師とは なぜか
何年かにいちど のペースで不定期に 偶然ばったり顔を合わせ、
立ち話をする…
という会いかたをしており、
年賀状のやりとりもしているのですが、
同級生のおかあさんとは やはり30数年ぶり…

仲のよい男の子だったから、
すごくなつかしかったです。


これも、不思議なご縁のつながり。

いま 元気に生きているから、またあうことができた。

そして 歌をつづけていたから、
そのお仲間さんと であえたから…


いま あえないでいるひとたちとも、
どこかでまたつながって 
また あえる日がくるのかも知れないと思うと、
なんだか 生きていくことが楽しくなってきますね。

としをとるのも、ながく生きることも
いいものだなーと。





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父のその後…ひと安心

2012-12-16 | 父・母、家族のこと


胃の手術で入院していたときから
CTにより指摘されていた、
父の肺の気になる影。

このたび、3ヵ月後のフォローで
また 胸部CTを受けた。

結果をきくための受診を待つこと1週間。

父とともに、
不安半分、
いやきっとだいじょうぶにちがいない
と思う(思いたい)気持ち半分で
病院へ向かう。


「前回と 大きさも形も変わっていませんね。
 また半年ぐらいあけて CTで経過をみる、
 ということでよいと思いますよ」

とのこと。

ほっとひと安心する。


すくなくとも、今まさに活動している病変ではなさそうだ。


変化のない時期を経て 急に大きくなるものもあるので
(悪性のものだった場合)
すっかり安心していいものでもないが、
今のところは、
すぐに 次の段階の検査や治療が必要な状態ではないので
また しばらくは わたしたち家族が
おだやかな気持ちで 日常を過ごすことができる。

そのことに感謝したい。


そして その2日後、
今度は 肺のことではなく
胃の術後のフォローとしての内科受診。

こちらも、今後も定期的に胃カメラで
様子をみていきましょうということで、
転移や 再発の兆候をCTで調べていくなどの必要はないんですか
と、こちらが訊ねたくらい。

父が今後 転移や再発をおこす可能性、確率が
どの程度あるのかわからないが、
医師の診たてからすると
ゼロではないせよ、
それほど深刻な状態ではないということかも知れない。

それなら よろこんでいいことなのだろう。


半年に1回とか 1年に1回とかの定期受診、定期検査なら
健康なひとと 変わらないぐらいのもの。

今どんなに健康なひとにだって、
このさき病気にかかる心配があるのだから、
そのぐらいの頻度での定期検査でよいというのなら、
父の今後も あまり神経質にならない程度に
必要なフォローはしつつ、
みまもっていきたいと思う。


ひとまずは、平和でおだやかなお正月が迎えられそう。


ほんとうによかった。





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ピアノ合わせでした

2012-12-08 | 歌のおけいこ


さむいさむい1日。

15日にある、A野先生門下のクリスマスコンサート の 
ピアノ合わせでした。

今日は デュエットもソロも、
かたくならず わりとふだんに近い感じで
歌えたように思うのですが。。。

当日も アガらなければいいなぁ。


今回うたうのは、
デュエットとソロ 1曲ずつです。


     海と涙と私と     やなせたかし 詩/木下牧子 曲

  
   月夜の海にきてみたが
   月夜の海は青いだけ
   波がむなしくさわぐだけ
   たださびしさがこみあげる


   夜あけの海にきてみたが
   夜あけの海も青いだけ
   かもめがひくくうたうだけ
   ただかなしみがますばかり


    でもこの海のなつかしさ
    でもこの海の塩からさ
    すこし心がほっとする


   ひるまの海をみていると
   ひるまの海も青いだけ
   遠くを船がすぎるだけ
   すこし涙がかわくだけ
       

これは ぬっくさんとうたうデュエット。

やなせたかしさんの詩に 木下牧子さんが曲をつけた
「愛する歌」(全10曲)からの1曲で、
以前に ぬっくさんとうたった
 誰かがちいさなベルをおす も、この曲集にあるものです。


ソロは、クリンゲマン 詩/メンデルスゾーン 曲 の、

      春の歌 op.71-2   Fruhlingslied


   春が近づいてきた 激しい雨とともに
   動きだそうと支度をしてる
   そして嵐やざわめきの下では
   緑の種子が静かに芽吹く

  
   だから目覚めよ、目覚めよ 人の子よ
   眠ったままのお前を 春が見つけたりしないように


   冬の気苦労を放り出して
   さわやかに春を迎えるのだ
   春は飛ぶ 若い朝のように
   春は長いこと休んだりはしない


   つぼみがふくらみ
   花が咲き出でる
   時は過ぎゆき
   春は逃げ去ってゆく

   
   だから目覚めよ、目覚めよ 人の子よ
   眠ったままのお前を 春が見つけたりしないように


   お前、哀れな人の子は
   心が傷つき 痛んでいる
   悠然と皮を打ち破り
   勇気をもって春と向き合うのだ!


   氷は溶け
   泉は流れだす
   お前の痛みも解けて
   穏やかに消えていく


   そして静かな鳥たちのように
   彼らのコーラスに声を合わせるのだ
   お前の調べも響かせるがいい
   お前の胸の奥底から


   心貧しくなってはならぬ
   ひとりぼっちになるな
   歌と太陽の光に取り巻かれて!



いまのわたしを励ましてくれるような気がする歌です。
応援歌??

音の跳躍が多いし、けっこう高くまではねあがるし、
うたうには エネルギーが要りますが…

たぶん通常は 速めにうたう曲なのでしょうが、
わたしがあまり速くうたうと
ただ いさましいだけのイメージになりそうなのと
歌詞や 音までいいかげんに駆け抜けてしまいそうなので、
すこし ゆっくりめのテンポでうたいたいと思っています。

といっても、
本番で アガッてしまえば
心臓の速い鼓動のままに 超スピードでうたいだし、
そのまま さいごまで走りつづけてしまうかも。


春といっても 春らんまんの春ではなく、
まだ土のなかで虫がうごめきはじめる 啓蟄のイメージ。
実は わたしがうまれたのは、まさにこの季節。

まぶしい春の光に向き合う勇気をもって
顔をあげよ、うごきだせ と
背中をおされているような、
そんな歌だと 感じています。

この歌を選んだのは、
父と母の 健康上の問題が次々現実化した時期でした。

しっとりした暗めの歌をうたうには
わたし自身が どんどんおちこんでしまいそうで、
(もともとそういう歌をうたうのは にがてなのですが)

まずうたう自分にとって 元気の出る歌がいい!
そういう歌しか とくにいまはうたいたくない、
という気分でした。


こんな歌、
わたしにうたえるかなーと思ったけれど、
たしかにむずかしいのはむずかしいけれど、
練習しているあいだも この歌には
ずいぶん 励ましてもらいました。

えらんでよかったと思います。


こんなふうに思うとき、
うたに おおきなちからがあることを 
たしかなものとして 感じます。





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100%ではなく

2012-12-06 | たわごと・できごと


先日、
時間調整のために入った本屋さんで
ちょっとだけ立ち読みした本に、
こんなことが書いてあった。


  ひとを信じるのは 98%にしなさい 

と。

なぜ100%、120%ではなく 98%なのか。

残りの2%は、
そのひとが間違ったときに
それを自分がゆるせるように、とっておくのだそうだ。

なるほどなー と思った。


人間は 神さまではないから、
まちがいをおかす。 ミスもする。
魔がさす ことだってある。

うたがう とか 信じない という意味ではなく、
そんな人間のもつ弱さや ふたしかさを受け容れ、
ゆるすことのできる寛容さをもつ、
相手と向きあう自分自身に、余裕をもつ
ということなのかも知れない。


たとえば 友人と 向きあうとき。
たとえば 恋人と。

たとえば 親やきょうだいと。 
仕事仲間と。 上司や先輩と。

お医者さんと。
食事をするために入ったお店の人と。
泊まることになった 宿の人と。。。


いつも こんなこころがまえでいられたら、
自分も おだやかな気持ちで
すこしのことでは 動揺することなく
ひとと接することができるかな。





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