さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

神隠しされた街

2015-01-20 | たわごと・できごと


とつぜんですが、
若松丈太郎さんという詩人をご存知でしょうか。
1935年、岩手県奥州市生まれ、福島県南相馬市在住のかたです。
1994年に発表された「神隠しされた街」。

この1篇の詩を、きょうはご紹介したいと思います。


「神隠しされた街」 若松 丈太郎

4万5千の人びとが2時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「3日分の食料を準備してください」
多くの人は3日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけをだいた老婆も
入院加療中の病人も
1100台のバスに乗って
4万5千の人びとが2時間のあいだに消えた

鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生40時間後のことである
1100台のバスに乗って
プリピャチ市民が2時間のあいだにちりぢりに
近隣3村をあわせて4万9千人が消えた

4万9千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径30kmゾーンは危険地帯とされ
11日目の5月6日から3日のあいだに9万2千人が
あわせて約15万人
人びとは100kmや150km先の農村にちりぢりに消えた
半径30kmゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約15万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故6年のちに避難命令が出た村さえある
事故8年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った

亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている

それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
4万5千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上にひろげたままの書類

ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう


ストロンチウム90 半減期 29年
セシウム137 半減期 30年
プルトニウム239 半減期 2万4000年
セシウムの放射線量が8分の1に減るまでに90年
致死量8倍のセシウムは90年後も生きものを殺しつづける

人は100年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない

私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす 





2011年3月11日以降にこの詩にであう読者はみんな驚嘆して鳥肌がたち、
「予言だ」とささやきます。

それに対し、若松さんは

「わたしは予言者ではまったくない。ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと。」

と答えられるそうです。


社会がかかえている問題について、
わたしはこれまで自分の考えや思いをネットで語ることは
まったくといっていいほどなかったと思います。

自分の見識不足を自覚していることや、ひとに語るほどの持論がないから
ということもありますが、
不特定多数の人びとに向けて社会問題を語り
何らかの発信をするのは、
とても責任をともなうデリケートな行動で、
わたしにはとてもできないことだと思っていたから
という理由が大きいです。

けれど、こと原発問題に関しては。。。
あらためて自分の考えを確認しました。

人間が制御できないものを、
人間が無力化できないものを
人間は持つべきではないと 思います。

ゼロにしたところから、
(ほんとうはすでにゼロではなく、負債を背負っている。
 いのちは戻らず、汚染は戻らないのだから)
あらためて エネルギー問題にとりくむべきでしょう。

人それぞれ、考えや思いはいろいろでしょうが、
議論をしたいのではなく、
ただ 若松さんの詩をひとりでも多くのかたに読んでいただいて
何かを感じていただけたらと思い、
きょうの記事を書きました。






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ドイツリート・習った曲4(2014年)

2015-01-14 | 演奏曲・習った曲


ドイツリート・習った曲 3 は こちら

これ以降、2014年1月~12月までに
ドイツリートの会で習った曲一覧。


117.アンゼルモの墓で  Am Grabe Anselmos  シューベルト

118.眠りの歌      Schlaflied    シューベルト  

119.泉に寄せて     An eine Quelle シューベルト

120.死と少女      Der Tod und das Madchen  シューベルト

   (羊飼いの嘆きの歌  Schafers Klagelied  シューベルト)

121.泉のほとりの若者  Der Jungling an der Quelle シューベルト

122.少女        Das Madchen     シューベルト    

123.花の便り      Der Blumenbrief   シューベルト

124.歌の中の慰め    Trost im Liebe    シューベルト
 
125.薔薇        Die Rose       シューベルト

126.蝶         Der Schmetterling  シューベルト(欠席で習えず)

127.娘さん、お許しを(Duet)
           Erlaube mir,fein's Madchen ブラームス

128.ガニュメデス    Ganymed    ヴォルフ(欠席で習えず)

129.エレンの歌 第一  Ellens Gesang Ⅰ シューベルト

130.エレンの歌 第二  Ellens Gesang Ⅱ シューベルト(欠席で習えず)

   (笑いと涙   Lachen und Weinen  シューベルト)

   (ひめごと   Geheimes  シューベルト)

131.二人はさまよい歩いた Wir wandelten  ブラームス

   (愛の歌  Minnelied  ブラームス)

   (憂愁   Wehmut  シューマン)      

132.薄明         Zwielicht    シューマン

133.森で         Im Walde    シューマン

134.ヴェネツィアの歌 Ⅰ・Ⅱ Zwei Venetianiche Lieder シューマン(Ⅰは欠席で習えず)
 


この期間、これまでに習ったことのある曲で再度とりあげられたのは

・羊飼いの嘆きの歌(シューベルト)

・笑いと涙(シューベルト)

・ひめごと(シューベルト)

・愛の歌(ブラームス)

・憂愁(シューマン)


昨年は、父のことがあって
どうしても行けない状況にあったり
行ける状況ではあっても 気持ちがしんどくて出かけられず、
やむなくお休みすることもちょくちょくあったが、
父を見送るまでの、あの日々を考えれば、
これでもよく行けたほうかも知れない。


これまでに習って、2度、3度と登場する曲もあるが、
まったく知らなかった、
コンサートでも聴いたことがなかった
という曲がとりあげられることも多い。
知らない曲がまだまだあるのだなあ…!

進むペースは早く、1~2回で1曲を終えることがほとんど。
音がようやくとれて、
なんとか歌えるようにまではなった
という頃に終わってしまう。
それでも、
1回1時間半のレッスンは盛りだくさんで、
みっちり??しぼられる。

はじめの頃は、習った曲はすべて
自分のなかに印象づよく刻まれて、 
どんな曲だったか思い出せないなどということはなかったのだが、
最近は、習い終わってまもなくでも、
ほとんど記憶に残っていないわ みたいな曲も
多くなってきた。。。
これが自分ではもったいなくて、とても残念な気がする。

マイナーな曲が多いせいなのか?
わたしの記憶力の低下のせいなのか??

あまり深く考えないでおこう。
またまた落ち込みがひどくなりそうだから。

とにかく、
へたの横好きで続けているだけだけれど、
めげずにほそぼそとでも、歌っていこう。 




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ひつじ(未)来る新年

2015-01-03 | たわごと・できごと


 (画像の写真は、「花の庵」さなえさんが生けて下さったものです)


各地で大雪、全国的な寒波。
さむいお正月になりました。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

年末までの忙しい仕事を終えて、ホッとひと息。
自宅と、双方の実家でそれぞれ1日ずつ
ささやかなお年始をしただけのお正月ですが、
家族で平穏無事に過ごせるだけでありがたく
感謝の思いです。

今回は年賀状書きも、届く年賀状もなく、
そして今年からはずっと、父のいないお正月…
父と日々楽しくお酒をくみかわせないのは、
やはり何よりさびしく、さむいことですが
いま与えられているものに感謝しつつ、
生前の父のようにおいしいものを楽しく食べて
元気を出そうと思います。



   決めごとも誓いもないが年あらた

   おだやかな日々を祈って家族膳

   寒波来る家族でかこむぬくい鍋

   好物の餅に遺影の父わらう



本年もよろしくお願いいたします。

Darth Yumiさんの言われた、
ヒツジが(未)来る(来)未来。

未来につながる今日からの1日1日を
たいせつに積みかさねていきましょう。
新年の幕開けです。

よい年でありますように。








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