さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

「おかあさん」

2005-04-30 | 父・母、家族のこと

ある日 さくらは
知人の おかあさんの話を
さくらママに していた。

そのおかあさんは 90さいを越える。

さくらの知人は そのおかあさんを
とても たいせつにしているのだが
いろいろ事情もあって
おかあさんは ひとりぐらしをしておられる。

ひとり…で 暮らすには
おぼつかないところも ふえてきた

と いう。

日々の生活のいとなみは
きちん きちんと しておられるのだが…

ものわすれも はげしく
ちょっとしたことに対する 不安感や
こだわりが つよくなってきたらしい。

そして その知人は
しょっちゅう おかあさんを 
おいしい食事をしに つれだすのだが、

つい先週に 出かけたことや 食べたもの
さらには 
ついさっき 食べたことも

 
 「そう だったかしら…?」

 「あら…さっきねぇ…?
  なにを 食べたんでしたっけねえ」


と おぼえておられないことが
多くなって きたそうだ。

知人は けっして
悲劇的には 語らない。

  
  「つらいよね…」


と 言いながらも

淡々と 受け容れているように 
静かに おだやかに
そんな 話を 私に語ってくれる。


さくらママは そんな話をきいて

  
  「まあ…
   
   かなしいわね」


そして ふと こう言った。

おだやかに ほほえんだ顔で。

  
  「わたし…もしも ぼけちゃったら
   
   さくらさんのこと

   ”おかあさん”

   って 呼びそうな 気が するわ…」


…え??

一瞬、言葉につまった。

つぎの瞬間から たまらなく せつなくなった。

ちょっとあせりながら
こんな言葉を 返していた
(ように 思う)。


  「あらあら、そう?? 

   まあ ちょーどいいかもね!

   私には こどもがいないんだし…

   おかあさんが 娘になってくれるのも いいわね。

   いいよ、私のこと

   ”おかあさん”

   って 呼んでくれても…」


そしたら 私は

おかあさんが 私を
うまれてからずっと いつくしみつづけてくれたように

おかあさんに
愛情を そそぎつづけられるのだろうか…

おかあさんのこと 名前で

  ”まあちゃん” とか

  ”まさちゃん”

って 呼ぶのだろうか。


でもね でも

私が おかあさんのこと

”おかあさん”

って 呼べなくなるのも かなしいかな


いつまで 今みたいな

しあわせで おだやかな日々が過ごせるのか
わからないけれど

いちにち いちにち

だいじに 生きようね


おかあさん




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JRの脱線事故…身近でおこった惨事

2005-04-26 | たわごと・できごと
自宅から ほど遠くない距離の、
最寄りのJRの駅~ひと駅の ところでおこった
突然の 脱線事故に おどろいている。

その日
私は 朝からの勤務。
職場である クリニックで
お昼1時過ぎまでかかった 
午前中の診察と あとかたづけを終えて
休憩に入った。

そこで気づいた
携帯に入っていた メール。

沖縄の 従兄から だった。

  ”JRが 脱線したとの情報があったが
   だいじょうぶか??”

。。。なんのこと?

勤務中で その大きな事故を知らなかった私は
なんのことやら わからず

  まあ いいや
  あとで返事を送ろう と

そのときは 返信せず
職場のみんなと 休憩室でお弁当をたべていた。

そこへ

午後から勤務 のスタッフがやってきて

 「ちょっと!
  えらいことに なってるで!!」

と その事故のことを教えてくれ、

びっくりした午前中のメンバーは
職場のTVをつける。

それで はじめて
たいへんな事故がおこったことを知った。

私も 時折
利用することのある沿線だった。

なんども 電車で通ったことがあるはずの
身近な場所での 惨事。

時間を追って 報道されるなかで

ふえつづける 死傷者の数…


あたりまえの日常が 
いとも かんたんに こわされ

次の瞬間には
やりきれない痛みや かなしみ、
怒り、恐怖 といった
さまざまな心身の傷が
多くの人々に 深くきざまれる。

つくづく思う。

ひとのいのちをあずかるのは
なにも 医師や 看護師にかぎらない。

およそ 仕事という仕事のほとんどは
そうなのだ。

飛行機や 船、列車やバス、タクシー…
人を運ぶ 交通機関に働く人々。

人が住む 家を設計し 建てる人々。

遊園地の 遊具を管理する人々。

工場で ものをつくる人々…
食べ物や 薬をつくり、扱う人ももちろんそうだが、
人が 手にし、扱うものすべて、
「安全」
が 最優先でなければ ならないはず。

そうでなければ

おこらなくてすむ事故が
いくらでも おこってしまう。

防げるべき 事故が。

思いもよらぬ、

とりかえしのつかない 事故が。


日々、
人のからだや こころに接することの多い仕事につく
私は、つねに事故やミスととなりあわせである
という事実を いつも自分にいいきかせている。

それが ストレスでないとは いわない。

けれど

そのぐらいの緊張感をもって
仕事をする ことは

だれもが もたなければならない姿勢ではないだろうか。

それでも 時として
事故や ミスはおこりうるのだから。

現に私たちだって

ひとのいのちにかかわらない程度の
ちいさなミスや まちがいは
日常 しばしばおこしている。

けれど

それが 大きな事故 につながらないまでに
修正していくことや

同じようなまちがいがおこらないように

必要なら システムを変更すること

あらためて 気をひきしめて仕事にあたる

といったことに つなげていくことが
たいせつだと 思う。


震災とは ちがう今回の事故は

おこしてはならない
おこるべきものではない ものであるために

よけいに やりきれない思いがする。

亡くなられた方々の 無念を思う。

どうか やすらかに。







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ちょっと おちこみ

2005-04-18 | 歌のおけいこ

ひと月にいちどの 
合唱グループ 「ジュビラーテ」 の
練習に でかけた。

でも 声が ちゃんとした高さに出ていない。

  くちの あけかた
  声の だしかた
  息の つかいかた
  イメージ

…いろいろ 自分なりに 試すのだけど

ぜんぜん 高みに とどかない。


なんども 同じ部分を歌っているうち
正しい 一点の音の 存在すら
つかめなくなり
どこへ 向かえばいいのか
わからなくなって
しまいには

歌うことが つらく なった 

もともと ない自信が 
さらに 消え入って
 
  しょんぼり。。。

週に いちど
きっちり 歌っていた頃は
ヘタなりにも 今よりは それなりに
だったのかなあ 

歌うことも そうだけど
発声練習すら ひと月にいちど では
やっぱり 追いつかないのだろう

なにをするにしても
たゆまぬ 努力が必要なのは
同じ ですね

さて

これから どうしようか…

なんとか できる努力は してみたいと
思う私です



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オペラ座の怪人…映画館にもファントムが!?

2005-04-12 | 映画ほか芸術鑑賞記
このところ 
ちょくちょく 映画を楽しんでいる

映画も ミュージカルも
ストレート・プレイも だいすきなのだけど

忙しさに とりまぎれ
体調や 予定のぐあいや
タイミングがうまく合わないまま

その機会を 逸してしまうことが多かった
もう ここ何年か

だから 

 ”これ みたかったんだ~!”

と 思ったものを
ちゃんとみに 出かけられたときは
とっても しあわせ 


最近 観た映画のひとつ 

「オペラ座の怪人」 

劇団四季のミュージカルは
もうなんども 観ていて
作品そのものと 曲には
ひとかたならぬ愛着がある

それだけに
映画のデキが 思っているようなレベル以下だったら
イヤだな なんて思っていたけれど

杞憂だった

ミュージカルの流れに忠実でありながら
それ以上の 深い解釈と演出を加えた脚本

そして
舞台ではできない 映画ならではの
演出効果が あちこちで
みごとにみられていた

モノクロの現在から 極彩色の華やかだった過去へ
そしてまた 現在へ

劇中劇と 現実の交差

登場人物の表情

そして この作品になくてはならない
ミュージカルナンバーの数々 

実際 この作品に
これほどぴったりな曲が 
よく作られたものだと 思う

あの数々の名曲がなく
台詞だけで 物語がすすんでいったら

陳腐で クサいお芝居にしか
なりえないかも知れない

この作品を だいすきな私でさえ
そう思うくらいだが

あのナンバーたちのおかげで
台詞を語るより
どれほど多くの 感情や思い…

ファントムの 孤独 嘆き 怒り 愛

クリスティーヌの とまどい 迷い 恐れ 決意 慈愛

ラウルの 恋心 若い情熱 敗北感 かなしみ

それらが どれほど
より深く私たちに訴えかけてくることか 

音楽のすばらしさを 実感する作品でもある

それだけに 歌い手の魅力が
作品の魅力そのものにもなりうるくらい
大きなウエートを占めていると思うが

ファントムの クリスティーヌの そしてラウルの
歌声や キャラクター全体の魅力が
幻滅するものだったら イヤだな… 

観る前は 心配していたが
これも 杞憂だった

主役3人の 魅力的なこと♪

脇をしめる
メグ・ジリーも マダム・ジリーも
そして
すこしこっけいで どこかにくめないカルロッタも
それぞれに魅力的

この作品を観るたび
そのときの新しい発見がある

そのときの自分の立場や状況によっても
より思い入れのあるキャラクターがいたり

なんど観ても あきることのない作品
なんど聴いても 色あせることのない音楽

私にとって
「オペラ座の怪人」
は はずせない芸術作品だな~

それにしても ビックリしたのは

映画のクライマックス
残り 約20分 というときに
 
 ”1階 駐車場で 火災が発生しました

  落ちついて 避難して下さい ”

との 放送が 

あとで 人に話すと

 「それは 絶対 ファントムのしわざよ!
  ファントムが そこにいたのよ

と 言われた この騒動

幸い ボヤだったらしく

しばらく 劇場内ロビーで待機したのち

ちゃんと 続きはみせてもらえたのだが…

実は 私
その放送があったとき
まず 思ったのが

 ”ええっ いちばんいいところなのに!
  やっぱり 出ていかなくちゃいけないのかしら
  このまま 最後までみたいわぁ

  でも 焼け死ぬのも 困るし…

  まあ 誘導があるまでは いいか
  パニックになっても 困るし”

。。。おちついてる場合か  

そのうち 観客たちがざわめき
ひとり立ち ふたり立ち
映画にも 集中していられなくなり

そうこうしているうちに 画面が
プツッと 切れた  あーあ 

   あーあ じゃないだろう  


自分でも あきれてしまう 私であった

で もういちどちゃんと観たいな 
という 思いがつのり

また後日 行ってしまった

なんどみても いい… 


もはや 別世界に
イッてしまっている さくらだった?? 

 
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さくら 開花

2005-04-03 | 旅・自然・動物
心ときめかせながら
今か 今かと
まちどおしかった

さくら 咲く日 


通勤途中
自宅~駅までの道すがらに
眺める 桜の木々

  つぼみは だいぶふくらんだけど
  花は まだ咲いていないなあ…

なんて 思いながら 歩いた毎日


昨日 やっと
ちらほらと 咲いている木をみつけた

ひとつ咲きはじめると あっというまに
花が ひらきだすだろう

動物園のある 王子公園も
さくらが 咲き始めたと 
今日 TVのニュースで 言っていた

今週末あたりが 見ごろかな!


さくら咲く
春の色とりどりの花が ひらきだす
お花屋さんも はなやかに彩られる
鳥たちが うれしそうにさえずり
日ざしが やわらかく あたたかくなる 春は

だいすきだけど…

年中 荒れて かゆみとカサカサの状態がつづく
私の まぶた

スギ花粉の時期には どうもそれが 悪化する

今年は 飛散が多い花粉
まぶただけでなく 目そのものも
ちょっと調子がわるい

ハナの症状が 出ないだけ
まだ ましなほうなんだと思うけれど

  春だ~

と よろこんでだけ いられないのは
つらいなあ。。。

でも さくらの花の時期は
やっぱり 外に出かけて

  今年のさくら を 眺めたい
  ゆっくり 愛でて 楽しみたい

ゆっくり お花見できる時間が とれるといいな



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