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東京都民はよそに行くなと言われて久しく、夏の海など夢のまた夢。
七年前、ヤルタに行ったとき、堤防沿いの猫の額ほどのビーチで、人々が涙ぐましい海水浴をしていたのを思い出す。(写真)
この年、チェーホフ・フェスティバルのオープニング作品として招かれ、『屋根裏』を上演したのだ。
ヤルタはクリミア半島南端で、海は黒海である。
ロシア人にとっては屈指の保養地として知られている。
レーニンはこの地を労働者のための療養の地へと作り変えようとした。
ヤルタ会談のヤルタである。会議場となったリヴァディア宮殿にも行った。
庶民的な市場も素敵で、私は滞在中、毎日行っていた。
この当時は、この地はぎりきりまだウクライナだった。
トルストイもチェーホフもヤルタで夏を過ごした。
チェーホフはここで『三人姉妹』『桜の園』を書いた。彼の住居と日本庭園は今も残っている。この地は「犬を連れた奥さん」の舞台でもある。
ひょんなことで昨夜遅くにチェーホフの家のことで当時の写真をひっくり返していて、あの芋を洗うようなビーチのことを思いだしたのである。
なぜ人は海に憧れるのだろうか。
島国の人間でさえそうなのだから、内陸で育った者たちが海を夢見るのもわかる。
アメリカはでっかい田舎である。その内陸で育った海を知らない若者たちが兵士として沖縄に配属され、海に興奮して舞い上がるのだ、という話も聞いたことがある。
ガルシア・マルケス『エレンディラ』を蜷川幸雄演出で上演するため戯曲化したとき、「エレンディラは海を見たことがなかった」というフレーズが、キーワードの一つだった。作曲のマイケル・ナイマンも、そのことを理解してくれていた。このときタイトルロールを演じた美波が、ジョニー・ディップがユージン・スミスを演じる水俣の映画で妻のアイリーンを演じるというのが、個人的には、海の因縁というか、不思議な円環である。
『エレンディラ』のラストで、ヒロインは海を跳ぶのである。
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