Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

若手演出家コンクール2017 第1次審査通過者 決定!

2017-09-13 | Weblog
劇作家協会の新人賞のことだけでいいのか、と言われればその通りで、日本演出者協会の「若手演出家コンクール」の結果も発表されているのでお知らせします。

私も昨年度は審査員をやれたのだけれど、今年はスケジュール的にとても無理で、残念。

………

若手演出家コンクール2017 第1次審査通過者 決定!

若手演出家コンクール2017の第1次審査会(ビデオDVD審査)が、2017 年8月30日午前11時より日本演出者協会事務局(新宿・芸能花伝舎)にて行われ、議論の末、第1次審査通過者15名が決定した。
☆一次審査を通過されたのは以下の15名の皆様です。(敬称略)

穴迫信一 (福岡県)
一宮周平 (神奈川県)
うえもとしほ (東京都)
笠浦静花 (東京都)
加藤拓也 (東京都)
神谷尚吾 (愛知県)
澤野正樹 (宮城県)
中原和樹 (東京都)
中山美里 (東京都)
平野亙 (東京都)
深井邦彦 (東京都)
本坊由華子 (愛媛県)
松森モヘー (東京都)
南英二 (東京都)
望月清一郎 (神奈川県)

【次点】
1.永野百合子 (神奈川県)
2.山口将太朗 (埼玉県)

また、審査にあたらせていただいた審査員は下記のとおり。

【第一次審査審査員】
加藤ちか 鹿目由紀 木村繁 小林七緒 スズキ拓朗 土橋淳志 弦巻啓太 外波山文明 はせひろいち 日澤雄介 平塚直隆 広田淳一 山田恵理香 流山児祥 和田喜夫

今年度の応募総数は89名であった。 第1次審査は応募者から送られたDVD等による映像審査で、各作品につき、最低5名の審査員が審査し審査票を作成し採点し、その上で審査会を開催。議論のうえ、15名の第1次審査通過者を決定した。議事進行は実行委員長の大西一郎および副委員長の西沢栄治が行なった。

今後、11月30日までの期間において、審査員が候補者の公演もしくは公演に準ずる通し稽古を実際に観ることにより第2次審査が行なわれ、最終審査進出4名(優秀賞)が決定する。
最終審査は、2018年3月6日(火)~3月11日(日)の期間、下北沢「劇」小劇場にてその4名による作品上演を経て公開審査で最優秀賞が決定する。

http://jda.jp/contest01.html
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第23回 劇作家協会新人戯曲賞、一次審査通過作、発表。

2017-09-13 | Weblog
第23回 劇作家協会新人戯曲賞の、一次審査通過作が発表された。25作品である。

選考委員の皆様、お疲れ様でした。

もう第23回めなのだ。今年の応募総数は231本。
最終候補作を決める二次審査の結果は、10月中旬から下旬に発表予定。
最終的に受賞作を決める公開審査会は、12月17日(日)。 座・高円寺2にて。

「一次審査通過作一覧」は、正式には、日本劇作家協会ホームページから御覧ください。


http://www.jpwa.org/main/activity/drama-award/prize


<一次審査通過作>(応募戯曲到着順)

『精神病院つばき荘』くるみざわしん
『愛子のいえ』鈴木穣
『麦とクシャミ』山田百次
『黒いらくだ』ピンク地底人3号
『花火の陰』村松みさき
『父、躍る』山下平祐
『ナンチャッテおちゃめ宇宙』中村馨
『つややかに焦げてゆく』吉田康一
『すきやき』旭珠海
『アカメ』八鍬健之介
『コーラないんですけど』工藤千夏
『KUDAN』大西弘記
『無名稿 侵入者』中條岳青
『偏在、或いは、いつもの軽く憂鬱な水曜日について』有川義孝
『根も葉も漬けて』笠浦静花
『下校の時間』長谷川彩
『ゆうくん帝国』坂本隆太朗
『un』一宮周平
『ここにライオンはいない』伊地知克介
『うかうかと終焉』出口明・大田雄史
『煤男(すすおとこ)』まかたまこと
『虎と娘』藤井颯太郞
『明日の青さを宣告される罪のない伝言たち』渡辺鋼
『めんどくさい人』ハセガワアユム
『海繭』深瀬優


あと、
大切なお知らせを。

来年締切の、つまりこの次の回である第24回劇作家協会新人戯曲賞は、受付期間を今年より早め、2018年6月1日(金)から7月1日(日)にする予定である。
いつもの年よりも締切が、一ヶ月、早いのである。
ご留意ください。

写真は、関係ないのですが、和歌山・太地の夜明け。この9月。
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パレスチナに取り組んできたジャーナリストを、チビチリガマ破壊の第一発見者にさせてしまった無惨。

2017-09-13 | Weblog
住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた現場である読谷村波平の「チビチリガマ」が、荒らされていた。
ニュースを聞いて、いやな予感がした。それは当たっていた。
パレスチナに取り組んできたジャーナリスト、アミラ・ハス氏が来日、今は沖縄を取材されていて、ちょうど読谷村でチビチリガマの証言収集などに長年携わっている知花昌一さんのところに滞在されていると聞いていたからだ。
12日午前11時ごろ、知花さんがアミラ・ハス氏はじめ受け入れ側の日本のジャーナリストも含めた一行を案内したまさにその時に、この惨状を発見することになったのだ。
なんとも残念だ。氏に、日本のひどい現実を見せることになってしまった。しかしこれが現実である。

ガマ内部では、遺骨が集められている部分も荒らされていたという。辛い死を余儀なくされた方々の亡骸にまで手をつけるとは、とても人間のやることではない。
折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒され、遠くに投げられていたという。
そうしたモニュメントへの対応を見れば、「平和」を訴えることが「反国家」であると決めつける人間たちの仕業ではないかと予想されるという声が多いが、推定で話をすることは、避けたい。
チビチリガマでは、1987年11月にも平和の像が破壊された。これは、知花さんが、国体の開会式で日の丸を燃やしたことに対する愛国者たちの反発であった。
日の丸を燃やした事件は全国で知られた。チビチリガマで何が起きたかを、戦後三十年経って知ることになった知花さんの、日本国家への憤りから、為されたことだ。
その頃の知花さんのことを、私は『海の沸点』という戯曲に書いた。(ハヤカワ演劇文庫所載)
チビチリガマは「墓」である。平和学習のためとしても、奥の方には入らないでもらいたいという住民の方々の声は皆に尊重され、知花さんたちもその後、現場ではさらに丁寧にガマに接してきていたのだ。
今回のアミラ・ハス氏の通訳を担当しているのは旧知のWさんで、『海の沸点』を事前に読んでくれていたので、知花さんのところではお役に立てたのではないかと思う。しかし、こんなことになるとは。

アミラ・ハス氏は、今日は高江にも行ったという。
高江の皆さんに会って、N1前テント(写真 撮影は7月)で、住民の方々の声を聞いたりしたようだ。
やんばるの自然にも触れていただければと思ったら、みんながよく泳ぐ川辺にも行ったらしい。
この先も長い日本滞在、少しでも寛いでいただければと思う。

こんな事項をここに書いてしまってもまあいいかと思うのは、どのみち新共謀罪施行以降、情報など全て筒抜けだろうからである。
プライバシーが当局に晒されてしまうことが合法化されてしまった。それが現実感を伴わないと思っている人が、いつかその脅威を実感する日が来るかもしれない。しかしそんな時は来てほしくない。ずいぶんとねじれた気持ちにさせられるものだ。
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