A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記400 「井浦千砂 Ⅱ」

2010-05-20 23:46:17 | 書物
タイトル:Iura Chisa Ⅱ 井浦千砂個展カタログ
企画/監修:土屋恵津子
執筆:布施英利(芸術学者)
翻訳:Christopher Stephens
撮影:小橋慶三
印刷:あさひ高速印刷株式会社
発行:土屋現代美術画廊
発行日:2009年10月16日
内容:
大阪・土屋現代美術画廊にて2009年11月7日―12月16日にて開催された<井浦千砂展>の展覧会カタログ。
B5判、白黒、21ページ

「世界にデビューする子供たち―井浦千砂彫刻展「ときはなたれる今」をめぐって―」布施秀利(芸術学者)
Fuse Hideto, “Children Making Their Debut in the world : “Free from the Present” – An Exhibition of Sculpture by Iura Chisa”.
図版5点
作家略歴

頂いた日:2010年4月23日
頂いた場所:土屋現代美術画廊
画廊の方より頂いた1冊。どうもありがとうございます。
井浦千砂は樟、檜を素材に子どもの姿を木彫によって制作する。子どもたちの肌には木目や年輪の作り出す造形が取り入れ、現代の彫刻としてはある意味で珍しい作品となっている。しかし、彫刻はやはり実物を見てみたい。
余談だが、布施氏の肩書きである「芸術学者」とは何なのか気になる。

未読日記399 「青木愛弓 Ⅰ」

2010-05-17 23:54:26 | 書物
タイトル:Aoki Ayumi Ⅰ
企画編集:土屋恵津子
発行:土屋現代美術画廊
印刷:あさひ高速印刷株式会社
発行日:2009年4月4日
内容:
大阪・土屋現代美術画廊にて2009年4月4日―5月14日まで開催された<青木愛弓:neo Landscape>展のカタログ。
B5判、16頁

「新しい風景画の確立をめざし」青木愛弓
作家略歴
作品図版5点

頂いた日:2010年4月23日
頂いた場所:土屋現代美術画廊
大阪・土屋現代美術画廊にて開催された<青木愛弓個展>(4/12~4/24)に行った際、ギャラリーの方より頂いた1冊。どうもありがとうございます。

シンプルな白い表紙をめくると、今時めずらしい幻想的にして緻密な絵画を見ることができた。大きい空間で見た方がいい作家かもしれない。


未読日記398 「はないばら」

2010-05-16 22:15:50 | 書物
タイトル:はないばら 秘められた美へ
冊子編集:
行木弥生(千葉大学大学院教育学研究科1年)
深谷文(千葉大学大学院教育学研究科1年)
小野笑(千葉大学教育学部4年)
小野麻菜美(千葉大学工学部4年)
金丸直樹(千葉大学教育学部4年)
儀間南(千葉大学文学部3年)
金城明日美(千葉大学文学部4年)
多田啓太朗(千葉大学工学部3年)
藤田早紀(千葉大学文学部3年)
細谷真樹子(千葉大学法経部4年)
吉田英美(千葉大学工学部4年)
冊子デザイン:太田健司(千葉大学工学部)
撮影:加藤健、坂田峰夫、神野真吾
発行:千葉大学千葉市美術館千葉市民ギャラリー・いなげ
発行日:2010年3月31日
内容:
千葉市民ギャラリー・いなげにて開催された<はないばら 秘められた美へ>(2010年1月13日―1月24日)の展覧会カタログ。
A5判横開き、中綴じ、24頁
出品作家:橋本トモコ、須田悦弘、押江千衣子、坂田峰夫、荒神明香、丸山純子、在知

「花は美しいのか」神野真吾(千葉大学准教授、芸術学)
橋本トモコ「モチーフとしての花」藤田早紀
須田悦弘「木から植物を彫りだす」金丸直樹
押江地衣子 作家コメント
坂田峰夫 作家コメント
荒神明香「造花の風景」金城明日美
丸山純子 作家コメント
在知 作家コメント
学生コメント
作家略歴・出品作品
「展示をつくる」
旧神谷伝兵衛別荘について

頂いた日:2010年4月19日
出品作家の方より郵送にて頂いた1冊。カタログが制作されるとは知らなかったので、とてもうれしい。どうもありがとうございます。
それにしても今年の1月に見た展覧会なのに懐かしい。それは、自分が引越しをしたせいだろうか。冬にしては強い日差しが降り注ぐ中、人気のない庭園が頭に映像として焼きついている。その日、引越しが決まった後だったせいか落ち着かない心持ちだったが、稲毛への旅で心も少し落ち着いてきたことが思い出される。どうやら私は移動をすると思考や精神が回りだすようだ。帰りの京成線の車窓から見える千葉の風景を眺めながら、今後は千葉の風景を見ることも少ないのだと感慨深く思ったものだった。
 さて、だらだらと追憶に耽ってしまったが、本展は千葉大学の授業の一環として開催された展覧会である。そのため、カタログも学生の手により作られているようだ。疑問なのは、なぜ作家紹介を学生と作家本人が書いている場合の2種類があるのかよくわからない。信じられないのは書いた学生の名前がアルファベットで表記されているのである。例えば、K.N.のように。西洋美術や日本美術の展覧会カタログにある作品解説を参考にしたのかもしれないが、出品作家7名、24頁のカタログでイニシャル表記はないだろう。学生の文章も短すぎて、ただの感想でしかなく、わざわざ掲載するほどのことなのかと思わざるをえない。
 また、「学生コメント」ページは、学生が作家と接した印象、展覧会を通して得た経験や感想を書いているのだが、どれも短く、感想文の域を出るものではない。雑誌にある編集後記のようなつもりなのだろうが、全員がコメントを寄せる必要はないだろう。
 しかし、上記の冊子編集欄をご覧になれば分かるように、参加学生たちは一般大学に在学中の美術とは縁のない人たちである。そのため、ここで「批評」をやる必要もない。つまり、感想文でいいのである。私が切に願うのは、こうして現代美術と出会った彼ら/彼女たちが今後も(現代美術の)展覧会を見続けてくれることである。ある意味では、そのような観客こそ今もっとも求められていると言えるのではないだろうか。


Recording Words 092 さびしく

2010-05-15 22:47:23 | ことば
何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり

(石川啄木『一握の砂・悲しき玩具 石川啄木歌集』新潮社/新潮文庫、1952年、p.26)

私の場合は「二月にもなれり」が正しいが、そんなことはどうでもよくて、今日も何がなしに出歩いてしまった・・。きっとこんな風に出歩き続けるのだろう。

未読日記397 「ヴィジュアル・カルチャー入門」

2010-05-14 23:50:44 | 書物
タイトル:ヴィジュアル・カルチャー入門――美術史を超えるための方法論
著者:ジョン・A・ウォーカー、サラ・チャップリン 岸文和・井面信行・前川修・青山勝・佐藤守弘 共訳
カバーデザイン:谷本研
カバー印刷:イチダ写真製版
装画:河合晋平『layerojeal #50』
編集協力:高橋千晶
レイアウト協力:田尻麻里子
発行:株式会社晃洋書房
発行日:2001年5月30日
内容:
John A. Walker & Sarah Chaplin, 1997, “Visual Culture : An Introduction”, Manchester University Press.の邦訳。

はじめに
謝辞
序論
第1章 「カルチャー」とは何か?
第2章 「ヴィジュアル」とはどういうことか?
第3章 「ヴィジュアル・カルチャー・スタディーズ」とは何か?
第4章 理論とどのようにつきあうか?
第5章 生産・流通・消費のモデル
第6章 さまざまな制度
第7章 視線、眼差し、監視
第8章 ヴィジュアル・リテラシーと視覚の詩学
第9章 さまざまな分析方法
第10章 ヴィジュアル・カルチャーの快楽
第11章 規範――価値とは何か?
第12章 ヴィジュアル・カルチャーと商業
第13章 ニュー・テクノロジー
訳者あとがき
註――さらなる読者のために
索引(人名・団体名/事項/作品名・展覧会名)
(本書目次より)

購入日:2010年4月19日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 「ヴィジュアル・カルチャー・スタディーズ」という新しい研究方向を概説的に紹介した入門書。もともと大学の教科書として出版された1冊であるそうだ。私も同じく教科書的な目的で購入したのだが、第4章「理論とどのようにつきあうか?」は実利的かつ本質的な点を指摘していて、勉学をするすべての人に参考になるような1章であった。
 全体の内容は、ヴィジュアル・カルチャーにまつわるトピックを様々に取り上げているので、読んで損はない1冊かと思う。ただし、訳が硬かったり、欧米圏の事例が多かったりするので、やや読みにくい点があるのも事実。そこは読者の課題として日本の事例を考えてみてほしい。

未読日記396 「イメージ」

2010-05-13 23:55:17 | 書物
タイトル:イメージ―Ways of Seeing 視覚とメディア
著者:ジョン・バージャー 伊藤俊治訳
カバー表:アンジェロ・ブロンツィーノ「ヴィーナスとキューピッド、時と愛」
カバー裏:ダヴィッド・I・テニールス「レオポルド・ウィルヘルム大公の画廊」colle:Museo del Prado, Madrid 提供:オリオン・プレス
ルネ・マグリット「夢の鍵」
ブック・デザイン:東幸見
撮影:大蔵康充
発行:株式会社PARCO出版局
発行日:1986年2月25日
内容:
はじめに
イメージの変容
 1「見ること」の位相
 2言説の神秘化
 3複製環境の意味
 4絵画の新しい価値
 5解き放たれたイメージ
社会空間になったイメージ
「見ること」と「見られること」
 1光景としての女性
 2NUDEとNAKED
 3「裸体」の機能
見られる女たち 取り囲む女たち
所有するタブロー
 1所有形式としての絵画
 2画法の矛盾
 3新しいジャンル
 4風景と自然への浸透
 5油絵の本質
「見ること」のなかの「所有すること」
広告の宇宙
 1欲望のトポス
 2広告言語と絵画言語
 3現実から非現実(メディア)へ
<見ることのトポロジー>伊藤俊治
 1視覚のメカニズム
 2写真の発生の周辺
 3ブルジョアジーの眼
 4コレクターとしての美術館
 5自然からの離脱
 6複製環境の広がり
 7博覧会から広告へ
 8新しい見ることの位相
訳者あとがき
収録図版一覧
出典・参考文献
(本書目次より)

購入日:2010年4月19日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
John Berger, 1972, "Ways of Seeing" Penguin Books.の邦訳。
とある目的で必要に駆られ購入した1冊。ジョン・バージャーはイギリスの美術批評家として有名な人物だが、ちゃんと読んだのは本書が初めてであった。つくづく勉強不足である。余談だが、原題の「Ways of Seeing」の「Ways」に「s」が付いているあたりにウィットが利いていると思う。こういうさり気ないニュアンスの出し方が英語では出来るからうらやましい。残念ながら邦題が現代の意味をまったく伝えないタイトルになっているのが残念である。
 さて、それはともかく本書の章「所有するタブロー」は教えられることが多かった。油絵を「物」として捉え、「所有」の観点から油絵の歴史を説き起こしていく流れはスリリングかつ刺激的であった。最後の「油絵の特別な性質は、見えるものを表現するために特別な慣習の規律をつくりだした。」(p.136)という一文は油絵というメディアを考える上であらためて考えさせられた。
なぜなら、最近の現代絵画を見るにつけ、あらためて「油絵」で描く(表現する、選択する)ことはどのようなことなのだろうか、という疑問が頭にあったせいかもしれない。現代の絵画表現はアクリル絵具、テンペラ、日本画、水彩、鉛筆・木炭デッサン、フォトショップやイラストレーターなどのコンピュータソフトなど表現する技法が様々ある。その中で、なぜ「油絵」なのかという点が今さらながら気になっていたのだ。人はいつ「油絵」と出会い、「油絵」を習得し、自身の表現に相応しいものとして受け容れていくのだろうか。それには油絵の具の流通、学校・予備校・絵画教室における教育・指導、周囲の環境など複合的な要素があるだろう。例えば、写真を撮るとき、「カメラ」という機械に出会わなければ人は写真を撮ることはない。携帯電話でも写真が撮れる時代ではあるが、「カメラ」という存在を知らなければ、人や世界にシャッターを向けようとは思わない。同じように、人はいつ「油絵」と出会い、油絵的なものの見方をするようになるのだろうか。
近代洋画で多く見られた表現主義的な油絵が姿を消し、フラットな絵画が主流を占める00年代以降、油絵で絵画を描くことはどのような作品を生み出しうるのだろうか。などと読後つらつらと考えてしまった。


未読日記395 「死なないための葬送」

2010-05-10 22:33:45 | 書物
タイトル:死なないための葬送―荒川修作初期作品展
編集:平芳幸浩
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
デザイン:西岡勉
印刷:野崎印刷紙業株式会社
発行:国立国際美術館
発行日:2010年
内容:
大阪・国立国際美術館にて開催された<死なないための葬送―荒川修作初期作品展>(2010年4月17日―6月27日)の図録。

ごあいさつ
「荒川修作の初期作品について」平芳幸浩(国立国際美術館客員研究員、京都工芸繊維大学准教授)
「フェティッシュを越えて」建畠晢(国立国際美術館館長)
作品図版
作家略歴、主要展覧会歴
主要参考文献
作品リスト
Foreword
Plates
The Early Works by Arakawa Shusaku, Hirayoshi Yukihiro
Beyond Fetish, Tatehata Akira
Selected Biography and Exhibitions
Selected Bibliography
List of Works
(本書目次より)

頂いた日:2010年4月16日
頂いた場所:国立国際美術館
プレスプレビューにて頂いた1冊。どうもありがとうございます。
これまた頂いておいて恐縮だが、厚紙表紙・裏表紙と背綴じのテープの接着が悪く、剥がれそうなのが不安である。内覧会に間に合わせるために製本を急いだのかもしれない。
さて、展覧会の方はルノワール展の余韻を見事に粉砕する気味の悪い棺状の作品20点が並ぶ。この組み合わせは偶然なのか、嫌がらせなのかわからないが、ルノワールが「生」だとすれば、荒川は「死」が作品から漂う。勝手な想像だが、デイヴィッド・リンチの映画『イレイザーヘッド』の赤子が棺に入ったら、こんな感じかもしれないと思う。
 疑問なのは、壁に立てかけられた作品と台座の上に置かれた作品の2種類の展示があったが、展示方法に決まりはあるのだろうか。どちらにせよ不気味なことに変わりはないが、見下ろすのと並行な視線とでは少し印象が変わる気がするのだが・・。


未読日記394 「ルノワール 伝統と革新」

2010-05-09 23:52:17 | 書物
タイトル:ルノワール 伝統と革新
編集:国立国際美術館国立新美術館ポーラ美術館読売新聞大阪本社文化事業部
翻訳:スタンリー・N.アンダソン、マーサ・マクリントク、シェリル・シルバーマン
翻訳協力:西山哲(株式会社インターパブリカ
デザイン:高岡健太郎(株式会社エヌ・シー・ピー)
印刷:日本写真印刷株式会社
発行:読売新聞大阪本社
発行日:2010年1月
内容:
「画家ルノワールの芸術的資質―ボヘミアン主義、ファンテジー、東方趣味、ロココ復興、田園牧歌と印象主義について」新屋鋪 透(財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館館長)

カタログ Catalogue
第Ⅰ章 ルノワールへの旅 The Journey to Renoir
第Ⅱ章 身体表現 Expressions of the Body
第Ⅲ章 花と装飾画 Flowers and Decorative Paintings
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統 Fashion and the Rococo Tradition

「伝統と革新のはざまに―光学調査で探るルノワールの絵画技法」内呂博之(財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館学芸員)
「ルノワールと日本人画家たち 言葉でたどる巨匠の面影」安來正博(国立国際美術館主任研究員)
「ルノワールの装飾画をめぐって」西野華子(国立新美術館主任研究員)
「ルノワールの少女たち ≪野原で花を摘む娘たち≫を中心に」岩崎余帆子(財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館学芸課長)

ルノワール関連年譜
ルノワール関連地図
参考文献 Bibliography
作品リスト List of Exhibits

Renoir’s Creative Sprit: An Exploration of Bohemianism, Fantasy, Orientalism, Rococo Revival, Pastoralism and Impressionism, Toru Arayashiki
Renoir and Japanese Painters: A Master’s Visage in Words, Masahiro Yasugi
Renoir’s Decorative Paintings, Hanako Nishino
Renoir’s Girls, with a Focus on Girls Picking Flowers in a Meadow, Yoko Iwasaki
Between Tradition and Innovation: An Optical Study of Renoir’s Painting Techniques, Hiroyuki Uchiro
(本書目次より)

頂いた日:2010年4月16日
頂いた場所:国立国際美術館
プレスプレビューにて頂いた1冊。どうもありがとうございます。これまでの数少ない内覧会経験で初めてカタログを頂けた。この後、東京に行く用事があるにも関わらず、カタログをもらえたことがうれしくて、本の重さは気にならなかった。
ところで、頂いておいて失礼な話だが、お金を払ってまで買おうとは思わない展覧会だけに私にとっては貴重な1冊である。つまり、現代美術を中心に見ている人の本棚にルノワールの画集やカタログが並んでいることが想像しにくいようなものであろうか。それだけに一家に1冊ルノワールがあると格が上がるというものである。すべての掲載論文が英訳されるのもルノワール展だからこそ成せる気がする。

内容についてだが、ルノワールの装飾性に焦点にしぼり、光学調査のセクションを設けるなど、ただの時代順に展示される回顧展とは異なる構成が思いのほか功を奏している。売り絵の画家ではあるが、ヘタな現代美術などよりルノワールの方が見どころが多かったりするから古典というのは恐るべしである。当たり前だが、好きか嫌いかは別にして見ておいて損はしない。つまり、ルノワールのしたたかさや能天気な画風に呆れるにせよ、つまらない現代美術展を見るよりは、鑑賞後に言葉や感情が出てくる展覧会だという意味である。

ところで、現代においてルノワールが好きだと言う若者がもしいれば、たちまち失笑に付される雰囲気がある。それだけ現代では「ルノワール」と発することが喫茶店の名前ぐらいに軽くなってしまった。だが、久しぶりにルノワールの絵画を大量に見て、ネガティヴなイメージがついてしまったルノワール作品の「明るさ」に私は今さらながら怖さを感じてしまう。モネやマネ、セザンヌと異なり、ルノワールの絵画史における存在感は薄い気がするものの、この変わり映えのしない「明るさ」は堅牢で安定していると感じるのである。今の時代に必要なのはルノワールのような絵画なのかもしれない。