タイトル:イメージ―Ways of Seeing 視覚とメディア
著者:ジョン・バージャー 伊藤俊治訳
カバー表:アンジェロ・ブロンツィーノ「ヴィーナスとキューピッド、時と愛」
カバー裏:ダヴィッド・I・テニールス「レオポルド・ウィルヘルム大公の画廊」colle:Museo del Prado, Madrid 提供:オリオン・プレス
ルネ・マグリット「夢の鍵」
ブック・デザイン:東幸見
撮影:大蔵康充
発行:株式会社PARCO出版局
発行日:1986年2月25日
内容:
はじめに
イメージの変容
1「見ること」の位相
2言説の神秘化
3複製環境の意味
4絵画の新しい価値
5解き放たれたイメージ
社会空間になったイメージ
「見ること」と「見られること」
1光景としての女性
2NUDEとNAKED
3「裸体」の機能
見られる女たち 取り囲む女たち
所有するタブロー
1所有形式としての絵画
2画法の矛盾
3新しいジャンル
4風景と自然への浸透
5油絵の本質
「見ること」のなかの「所有すること」
広告の宇宙
1欲望のトポス
2広告言語と絵画言語
3現実から非現実(メディア)へ
<見ることのトポロジー>伊藤俊治
1視覚のメカニズム
2写真の発生の周辺
3ブルジョアジーの眼
4コレクターとしての美術館
5自然からの離脱
6複製環境の広がり
7博覧会から広告へ
8新しい見ることの位相
訳者あとがき
収録図版一覧
出典・参考文献
(本書目次より)
購入日:2010年4月19日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
John Berger, 1972, "Ways of Seeing" Penguin Books.の邦訳。
とある目的で必要に駆られ購入した1冊。ジョン・バージャーはイギリスの美術批評家として有名な人物だが、ちゃんと読んだのは本書が初めてであった。つくづく勉強不足である。余談だが、原題の「Ways of Seeing」の「Ways」に「s」が付いているあたりにウィットが利いていると思う。こういうさり気ないニュアンスの出し方が英語では出来るからうらやましい。残念ながら邦題が現代の意味をまったく伝えないタイトルになっているのが残念である。
さて、それはともかく本書の章「所有するタブロー」は教えられることが多かった。油絵を「物」として捉え、「所有」の観点から油絵の歴史を説き起こしていく流れはスリリングかつ刺激的であった。最後の「油絵の特別な性質は、見えるものを表現するために特別な慣習の規律をつくりだした。」(p.136)という一文は油絵というメディアを考える上であらためて考えさせられた。
なぜなら、最近の現代絵画を見るにつけ、あらためて「油絵」で描く(表現する、選択する)ことはどのようなことなのだろうか、という疑問が頭にあったせいかもしれない。現代の絵画表現はアクリル絵具、テンペラ、日本画、水彩、鉛筆・木炭デッサン、フォトショップやイラストレーターなどのコンピュータソフトなど表現する技法が様々ある。その中で、なぜ「油絵」なのかという点が今さらながら気になっていたのだ。人はいつ「油絵」と出会い、「油絵」を習得し、自身の表現に相応しいものとして受け容れていくのだろうか。それには油絵の具の流通、学校・予備校・絵画教室における教育・指導、周囲の環境など複合的な要素があるだろう。例えば、写真を撮るとき、「カメラ」という機械に出会わなければ人は写真を撮ることはない。携帯電話でも写真が撮れる時代ではあるが、「カメラ」という存在を知らなければ、人や世界にシャッターを向けようとは思わない。同じように、人はいつ「油絵」と出会い、油絵的なものの見方をするようになるのだろうか。
近代洋画で多く見られた表現主義的な油絵が姿を消し、フラットな絵画が主流を占める00年代以降、油絵で絵画を描くことはどのような作品を生み出しうるのだろうか。などと読後つらつらと考えてしまった。
著者:ジョン・バージャー 伊藤俊治訳
カバー表:アンジェロ・ブロンツィーノ「ヴィーナスとキューピッド、時と愛」
カバー裏:ダヴィッド・I・テニールス「レオポルド・ウィルヘルム大公の画廊」colle:Museo del Prado, Madrid 提供:オリオン・プレス
ルネ・マグリット「夢の鍵」
ブック・デザイン:東幸見
撮影:大蔵康充
発行:株式会社PARCO出版局
発行日:1986年2月25日
内容:
はじめに
イメージの変容
1「見ること」の位相
2言説の神秘化
3複製環境の意味
4絵画の新しい価値
5解き放たれたイメージ
社会空間になったイメージ
「見ること」と「見られること」
1光景としての女性
2NUDEとNAKED
3「裸体」の機能
見られる女たち 取り囲む女たち
所有するタブロー
1所有形式としての絵画
2画法の矛盾
3新しいジャンル
4風景と自然への浸透
5油絵の本質
「見ること」のなかの「所有すること」
広告の宇宙
1欲望のトポス
2広告言語と絵画言語
3現実から非現実(メディア)へ
<見ることのトポロジー>伊藤俊治
1視覚のメカニズム
2写真の発生の周辺
3ブルジョアジーの眼
4コレクターとしての美術館
5自然からの離脱
6複製環境の広がり
7博覧会から広告へ
8新しい見ることの位相
訳者あとがき
収録図版一覧
出典・参考文献
(本書目次より)
購入日:2010年4月19日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
John Berger, 1972, "Ways of Seeing" Penguin Books.の邦訳。
とある目的で必要に駆られ購入した1冊。ジョン・バージャーはイギリスの美術批評家として有名な人物だが、ちゃんと読んだのは本書が初めてであった。つくづく勉強不足である。余談だが、原題の「Ways of Seeing」の「Ways」に「s」が付いているあたりにウィットが利いていると思う。こういうさり気ないニュアンスの出し方が英語では出来るからうらやましい。残念ながら邦題が現代の意味をまったく伝えないタイトルになっているのが残念である。
さて、それはともかく本書の章「所有するタブロー」は教えられることが多かった。油絵を「物」として捉え、「所有」の観点から油絵の歴史を説き起こしていく流れはスリリングかつ刺激的であった。最後の「油絵の特別な性質は、見えるものを表現するために特別な慣習の規律をつくりだした。」(p.136)という一文は油絵というメディアを考える上であらためて考えさせられた。
なぜなら、最近の現代絵画を見るにつけ、あらためて「油絵」で描く(表現する、選択する)ことはどのようなことなのだろうか、という疑問が頭にあったせいかもしれない。現代の絵画表現はアクリル絵具、テンペラ、日本画、水彩、鉛筆・木炭デッサン、フォトショップやイラストレーターなどのコンピュータソフトなど表現する技法が様々ある。その中で、なぜ「油絵」なのかという点が今さらながら気になっていたのだ。人はいつ「油絵」と出会い、「油絵」を習得し、自身の表現に相応しいものとして受け容れていくのだろうか。それには油絵の具の流通、学校・予備校・絵画教室における教育・指導、周囲の環境など複合的な要素があるだろう。例えば、写真を撮るとき、「カメラ」という機械に出会わなければ人は写真を撮ることはない。携帯電話でも写真が撮れる時代ではあるが、「カメラ」という存在を知らなければ、人や世界にシャッターを向けようとは思わない。同じように、人はいつ「油絵」と出会い、油絵的なものの見方をするようになるのだろうか。
近代洋画で多く見られた表現主義的な油絵が姿を消し、フラットな絵画が主流を占める00年代以降、油絵で絵画を描くことはどのような作品を生み出しうるのだろうか。などと読後つらつらと考えてしまった。
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