A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記251 「マイ・グランドマザーズ」

2009-04-02 15:38:08 | 書物
タイトル:やなぎみわ:マイ・グランドマザーズ
企画・監修:東京都写真美術館国立国際美術館
翻訳:木下哲夫
校閲:沼部信一
ブックデザイン:吉野愛
製版:中江一夫(日本写真印刷株式会社
編集:淡交社美術企画部
発行:株式会社淡交社
発行日:2009年3月24日
定価:本体2476円+税
内容:
2009年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家
若い女性が思い描く50年後の自画像<マイ・グランドマザーズ>全26点ほか
<エレベーター・ガール><フェアリー・テール><Granddaughters>約50点を一挙掲載!

本書は、2009年ヴェネチア・ビエンナーレへの出品など、いま国際的な注目を集めるアーティスト、やなぎみわの国内巡回展(東京都写真美術館/国立国際美術館)を記念して、新作を含む<マイ・グランドマザーズ>シリーズの全26点と、<エレベーター・ガール><フェアリー・テール><My Granddaughters>など代表的作品を網羅した全72点の作品と評論によって、その魅力と全容に迫ります。

PART Ⅰ
Plates / My Grandmothers
Essay「マイ・グランドマザーズ 共鳴する記憶」丹羽晴美(東京都写真美術館学芸員)
Essay「女性の四半期 無邪気、欲望、忘却、覚醒の肖像」デイヴィッド・エリオット(2010年シドニー・ビエンナーレ、アート・ディレクター)
PART Ⅱ
Plates / Works 1994-2009
PART Ⅲ
Essay「やなぎみわ、まなざしの先にあるもの」植松由佳(国立国際美術館学芸員)

シリーズ解説
展覧会歴
作品リスト
主要参考文献

購入日:2009年3月20日
購入店:LIBRO BOOKS 渋谷パルコ店
購入理由:
 展覧会を見たときに買おうかどうしようか迷って買わなかったが、その後調べることがあって買い求めた。展覧会のことは現代アートのウェヴ・マガジン「カロンズネット」でレヴューを書きましたので、よろしかったらご覧ください。

 「やなぎみわ:マイ・グランドマザーズ」レヴュー
 カロンズネットhttp://www.kalons.net/j/review/articles_391.html

 ここでは、レヴューテキストとして書いてボツにした別バージョンのレヴューを以下に載せます。

「やなぎみわ:マイ・グランドマザーズ」

 先日、祖母が亡くなり、残されていた写真アルバムを見ることがあった。そこに写されていたのは、若かった「祖母」や「祖父」である。今はもう2人ともいなくなってしまったが、アルバムには旅先での記念写真、お正月や夏休みなどに子供たちや孫たちに囲まれて撮影された家族写真、また単身で撮られた肖像写真等があった。そのとき、私が見たのはある夫婦の写真であり、私の知らない「祖母」だった。
若い女性たちの50年後の自画像としての「祖母」を映し出すやなぎみわの「マイ・グランドマザーズ」を見たとき、あの祖母の写真が思い出されてくる。私が家族アルバムで見た祖母は、確かに「祖母」なのだが年はいまよりずっと若かったり、あるいは中高年だったりする。年齢は違っても、私にとっては「祖母」であることにかわりはなくて、24歳でも39歳でも65歳でも、私にとっては「祖母」である。ひとりの女性の生涯を写真で断片的に見るとき、見る者と対象との関係から私は「祖母」の写真を「祖母」としてしか見ることができない。もちろん「祖母」は「祖母」である前に女性だし、母だ。だが、写真から一人の女性を「祖母」と見てしまうとき、「マイ・グランドマザーズ」もまた同じ「祖母」へのまなざしが働いていることを感じるのだ。

「マイ・グランドマザーズ」を考えるのに、もう一つの展覧会を同時に鑑賞することを薦めたい。それは、幕末から明治初期の中部・近畿・中国地方の古写真を丹念な調査によって、展示・構成された「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅱ」(2009.3.7~5.10東京都写真美術館)である。この展覧会は、芸術表現となる前の記録としての写真から、「もの」としての写真の美しさ、写真黎明期の中での高い技術力を見ることができる。ここで写されているのは大名や武士、市井の人々の肖像写真や観光地などの風景写真である。名刺判サイズの古い肖像写真1点1点に接していると、ここに写された人々はかつて生き、存在した私たちの「祖父」であり「祖母」であったことに気づくだろう。
「夜明けまえ」展で写されている「祖母」は過去100年以上も前に撮影された江戸幕末~明治に生きた人々だ。「マイ・グランドマザーズ」では50年後の「祖母」が撮影されている。両展は、ひとつは未来へ、ひとつは過去へとベクトルを向けている。写された時間は過去と未来を写しだしているが、私たちがそこに見るのが私たちの残像であり未来に他ならない点で、両展は相似た構造を持つ内容を含んでいるといえるだろう。
それでは、両展を混ぜてみるとどうだろうか。やなぎみわ展には写真の側にモデルとなる人々との対話から生み出されたテキストが添えられている。このテキストを「夜明けまえ」展に展示されている古写真に付してみてはどうだろうか。例えば、<マイ・グランドマザーズ>の「ESTELLE」に付されたテキスト

「ありがとう、私の大切な人たち。愛しているわ。きっとまた会いましょう。」
(『やなぎみわ:マイ・グランドマザーズ』東京都写真美術館/国立国際美術館企画・監修、淡交社2009.3、p.23)

この言葉を古写真に付してみると、人物がまるで現在生きている人のように思えてくる。あるいは、さらに想像を働かせることを許してもらえるならば、古写真に写る女性たちは、「マイ・グランドマザーズ」で展示されている「祖母」なのかもしれない。そのとき、写真が示す遠い時間という距離は光となり、過去と未来をつなぎ、私たちに「マイ・グランドマザーズ」という未来の青写真を焼き付ける。
 私の知らない「祖母」の写真を見ること。私の知らない江戸、明治の古写真を見ること。そして、私の知らない未来の「祖母」の写真を見ること。どちらも私の知らない時代の写真だ。だが、それら過去にかつて撮られ、古色を帯びながらも長い年月大切に保存されてきた江戸、明治の古写真と50年後の未来の「祖母」たちの自画像「マイ・グランドマザーズ」は、親密さをもって私たちに「私たちの知らない」時代へと生きることにあたたかなまなざしを送り返してくれる。




未読日記250 「やさしい現代詩」

2009-04-02 15:30:44 | 書物
タイトル:やさしい現代詩 自作朗読CD付き
編著者:小池昌代、林浩平、吉田文憲
表紙写真:土屋文護
本文組版・装丁:(有)オーポン、五味崇宏
発行:三省堂
発行日:2009年2月10日
定価:本体1600円+税
内容:
詠み味わう、発見する、息づかいを感じる、待望の自作朗読CD付き!
谷川俊太郎/平田俊子/田口犬男/小池昌代/伊藤比呂美
佐々木幹郎/岬多可子/新川和江/稲川方人/安藤元雄
林 浩平/高橋順子/ねじめ正一/吉田文憲/藤井貞和
白石かずこ/入沢康夫

その詩がその人のこころに届くかどうか、その人が感動したり、なにかしらいままで気付かなかったことに気付いたり、見えなかったものが見えたり、それまで感じなかったことを感じたり等々、詩の言葉との、あるいはそれを通しての「世界」とのそういう出会いがありうるかどうかということが、とりあえずは「やさしい現代詩」ということの要諦(大切なところ)であり、その言挙げの背後にはひそんでいる。(「まえがき」より)

購入日:2009年3月20日
購入店:LIBRO BOOKS 渋谷パルコ店
購入理由:
以前、毎日新聞の夕刊で松浦寿輝氏が本書を紹介されていて、興味をもったがしばらく忘れていて、たまたま書店で見て思い出して購入。ここのところ、落語を聴いているせいか、人の声の魅力にあらためておもしろさを感じている。人の声から発せられる「言葉」がこんなにも、変幻自在で言葉を、風景を、人間を描き出せるものなのかとつくづく「声」の力に圧倒されるのだ。残念ながら私の声はひどい声で、周囲の人からも公害だと言われるくらいなので、なるべく人前では話さないようにしている(もちろん嘘だが)。
なお、本書の企画はいままでありそうでなかった本だと言える。ポエトリーリーディングという文化がほとんどないこの国では、詩は読むものだと思われがちだが、もっとも原初的な声と言葉による芸術である詩を身体で感じる経験は見直されていい気がする。第2弾があるかわからないが、期待したい。

TOUCHING WORD 092

2009-04-02 15:25:45 | ことば
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
(『愛するということ 新訳版』エーリッヒ・フロム 鈴木晶訳、紀伊國屋書店1991.3、p.49)

もっと「気にかけること」が必要だと思う。

未読日記249 「人間的、あまりに人間的Ⅱ」

2009-04-02 15:15:24 | 書物
タイトル:ニーチェ全集6 人間的、あまりに人間的Ⅱ
著者:フリードリッヒ・ニーチェ 池尾健一訳
カバーデザイン:間村俊一
カバー写真:STUDIO S・T・E・P
発行:筑摩書房/ちくま学芸文庫
発行日:1999年4月10日第3刷(1994年2月7日第1刷)
内容:
ニーチェが後年「危機の記念碑」と呼んだ『人間的、あまりに人間的』(1978年)の続巻。同書の翌年にひきつづいて刊行された『さまざまな意見と箴言』と『漂泊者とその影』という二つのアフォリズム集の合本である。ヴァーグナーとの精神的訣別と自身の肉体的な病苦のうちに書き進められながらも、科学者の冷徹な懐疑の心をもって生成の必然的な相貌をとらえ、宗教的・形而上学的な虚装、因習的・道徳的な価値判断の彼岸に立とうと試みた転換の書。
解説 中島義生

購入日:2009年3月19日
購入店:古本遊戯流浪堂
購入理由:
探している本があって古本屋に入るのに、結局探している本は見つからず、前から欲しかった違う本が見つかる、という現象について考えてしまうことがある。いったいその確率や偶然とはなんなのだろう。お金もないのに本を買ってしまう習慣を改めねばとつくづく思う。
後日また流浪堂へ行くと、映画ジャンルの棚にゴダールの全評論集成Ⅰ・Ⅱが置いてあって、また例のように本病がおこってしまった。その時は、財布を取り出し、レジに行く身体を必死に押さえつけた。なぜなら1冊4000円もするのだから…。



未読日記248 「人間的、あまりに人間的Ⅰ」

2009-04-02 15:11:30 | 書物
タイトル:ニーチェ全集5 人間的、あまりに人間的Ⅰ
著者:フリードリッヒ・ニーチェ 池尾健一訳
カバーデザイン:間村俊一
カバー写真:STUDIO S・T・E・P
発行:筑摩書房/ちくま学芸文庫
発行日:2000年12月10日第5刷(1994年1月10日第1刷)
内容:
『ニーベルンゲンの指輪』の上演に失望を隠しきれないニーチェは、いよいよヴァーグナーとの決別を決意する。彼は、ますます昂進する持病の頭痛・胃痛・眼痛の療養もかねてイタリアへ避難し、友人との共同生活のなかで少しずつノートを書きためていった。それが、のちのちまでニーチェの文章形式を決定づけることになるアフォリズム集の第一作『人間的、あまりに人間的』であった。そこでは、形而上学・宗教・芸術(そして、ヴァーグナー)が徹底的に批判され、既成の偶像の暴露心理学的解体が試みられる。ニーチェ中期の思想の端緒。
解説 池尾健一

購入日:2009年3月19日
購入店:流浪堂
購入理由:
アフォリズム形式好きとしては、ニーチェは避けては通れない。たまたま入った古本屋で見つけ、ニーチェのことを思い出し、「いま、ニーチェが必要だ」と決意し購入。約500ページもある…。買った後に気づいたが、先日購入した芥川龍之介の『文芸的、あまりに文芸的』はニーチェの『人間的、あまりに人間的』のもじりだということに気づく。買った本が、別の本を呼び寄せているのかもしれない。


未読日記247 「まばゆさの在処」

2009-04-02 15:01:47 | 書物
タイトル:伊庭靖子展―まばゆさの在処―
編集・発行:神奈川県立近代美術館
製作:求龍堂
デザイン:U.Shima

内容:
「ものみな光に浸されて―伊庭靖子展に際して」山梨俊夫(神奈川県立近代美術館館長)
「まばゆさの在処―伊庭靖子の現在」水沢勉(神奈川県立近代美術館企画課長)
「伊庭靖子インタビュー」聞き手:是枝開
「具体的な物象との距離―インタビューを終えて」是枝開(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
図版
略歴・個展・主なグループ展
Biography/Solo Exhibitions/Group Exhibitions
主要関連文献
作品目録
“Light Intruding on Everything” Toshio Yamanashi
“Whereness of Brilliance” Tsutomu Mizusawa

購入日:2009年3月19日
購入店:神奈川県立近代美術館オランジュ・ブルー
購入理由:
伊庭靖子氏の作品は東京で開催される展覧会があれば、よく見に行っていた。だが、今回の個展で15年ほどの軌跡を辿ってみると、単なるリアリズムを超えてものの表面にあたる光のプリズムの美しさに魅了された。とくに青磁の器を描いた作品がすばらしい。見えるものを通して、見えない空気や光を画面に定着させ、しばし立ち止まらせてしまう。ここには静止した時間が流れ、鎌倉の春の空気と交じり合い、暖かな空気を放出させていた。こんな光を見たい。そして、最新作である草花の模様が入ったシーツやベッドカバーを描いた新作では、装飾を絵画空間に取り込み、その襞や屈折を画面内に取り入れ、「絵画」の問題へと展開してきた。今後の展開がなお楽しみだ。なお、ほとんどの作品が個人蔵のため、おそらく美術館での個展もそうないと思われ、迷った末カタログを購入した。
このカタログだが、伊庭氏の制作プロセスを考えると、いろいろ考えさせられる。それは、写真をもとに「もの」を精密に描きだした絵画を、今度はそれを写真に撮りカタログとして図版になる、というのはなんとも奇妙な循環ではないか。
写真はなにを写しているのだろう、絵画は何を描いているのだろう。

未読日記246 「宮沢賢治」

2009-04-02 14:46:44 | 書物
タイトル:宮沢賢治
著者:吉本隆明
カバーデザイン:中山銀士
カバー写真:武内理能
発行:筑摩書房/ちくま学芸文庫
発行日:1996年7月15日第2刷(1996年6月10日第1刷)
内容:
宮沢賢治の作品は不思議な魅力にあふれている。現実と夢と死後の世界を越境してしまう登場人物たち、かたちや動きがあざやかに浮かび上がる擬音や造語、ちりばめられた暗喩のかずかず。故郷の岩手を飛び出し上京した青年期の手紙の分析から『銀河鉄道の夜』の丹念な読み込みの作業をとおして、生涯を決定した法華経信仰の理念が独特の自然把握や無償の資質と融合する地点に賢治像の基礎を確定する。作品世界における言葉と視線をたぐりよせる傑作詩人論。

購入日:2009年3月15日
購入店:古本屋さんかく 吉祥寺
購入理由:
吉祥寺のギャラリーA-thingsに行った後、向かいにある古本屋にぶらりと入る。吉本隆明の本で探していた本はなかったのだが、同じ著者によるこちらの本を購入。何気なく手に取りパラパラと読んでいると、引用されている賢治の手紙が瑞々しくてすばらしい風が吹き抜けていく。例えば、この文章。

 「拝啓 昨日帝大前のある小さな印刷所に校正係としてはいりました。仕事は大学の講義のノートを謄写版で刷って出すことであります。どうか御安心くださるようお願いします。末筆ながら御健勝を祈り上げます。(大正十(1921)年1月28日 保阪嘉内あて 原文は候文)」(p.8)

なんてことのない仕事が決まったという報告なのだが、心がこもっていて暖かくなる。本当は吉本隆明の『最後の親鸞』を読みたかったのだが、その前に本書を読んでみることにしよう。

余談だが、この古本屋の文庫本のラインナップはすばらしい。ウェブを見ると、オーナーは「ひらた」さんという方のようだ。名前が同性のためか親しみを覚えます。

TOUCHING WORD 091

2009-04-02 14:21:47 | ことば
 このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのだ。与えるということは、他人をも与える者にするということであり、たがいに相手のなかに芽ばえさせたものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。とくに愛に限っていえば、こういうことになる―愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。
(『愛するということ 新訳版』エーリッヒ・フロム 鈴木晶訳、紀伊國屋書店1991.3、p.46)

 自分の生命を与えるとは「自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与える」(本書p.46)ということである。
 とくに「芸術」というのは、与える/与えられるという関係が強いのではないか。別に芸術家たちは私のために作品を作っているわけではない。だが、それが何かのギフトとして私たち人類の前に姿を現す時、私はその与えられた生命に感謝し、その経験から思考が広がりだすのだ。その思考がたとえ作品とはどれほど関係ないように見えようとも、芽ばえてしまった考えや思いというのは真実なのだ。それを私は試みに「批評」と名づけたい。