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タイトル:マルレーネ・デュマス ブロークン・ホワイト
監修:東京都現代美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
ブックデザイン:折原滋
出版社:淡交社
発行日:2007年5月1日
内容:
マルレーネ・デュマスは、1953年に南アフリカ共和国のケープタウンに生まれ、現在アムステルダムを拠点に活動する女性画家。マス・メディアに流通する写真や映像を題材に、生命のきらめきを繊細かつ鮮烈なタッチで描いた人物像で知られる。その透明感あふれる独特の描写と、社会的テーマで絵画の新境地を提示し、インスタレーションや映像が台頭する現代美術シーンにあって、今もっとも熱い視線を浴びている。
日本で初めての大規模な個展「マルレーネ・デュマス:ブロークン・ホワイト」の公式カタログとして刊行された本書は、初期作品から、代表的なドローイング・シリーズをふくむ主要作品、最新作の≪ブロークン・ホワイト≫まで、約80点の絵画を収録。自作に寄せた詩やテキスト、インタビューなど、珠玉の言葉とともに、デュマス芸術の全貌を伝える。(本書カバー見返し解説より)
購入日:2007年6月23日
購入店:東京都現代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
昨年行われた<アフリカ・リミックス展>(森美術館)、<エッセンシャル・ペインティング展>(国立国際美術館)への出品など、近年見る機会の多かったデュマスの待望の大規模個展。ポップ(マイクロポップ?)な日本の現代絵画シーンに較べると、そのダークでエロスとタナトスが同居するデュマスの絵画は稀有な存在だ。
展覧会場に入ったとき、すぐに荒木経惟の写真を思い浮かべた。それは、新作≪ブロークン・ホワイト≫において、荒木経惟の写真作品からのインスパイア、引用であることからも、その影響がうかがえる。ポップなものとしてではなく、孤独で刹那的なエロス。
ヴァイオレンス。暴力の存在。身体に受ける暴力だけでなく、不穏な空気としての暴力。視線の暴力。あるいは「怒り」だろうか。どのように形容したら彼女の作品から受ける「暴力」を言語化できるのかまだわからないのだが、その作品からは「暴力」という名の「力」が充満している。その日の夜、たまたま久しくなかった怒りに直面する「暴力」を経験をしたのだが、その時感じた震えにデュマスの作品は似ている。
この先何度この「怒り」を感じればいいのだろうか。
行き場のない「怒り」は、まだ消化していない。しかし、この「怒り」「暴力」はなくならない。
「エロス」であり「死」であり「暴力」「怒り」という言葉を並べると、その作品はひどくネガティブなものに感じられるが、そうではない。それは、描かれた人物の眼を見ればわかる。
そこには、「恐れ」という優しさ、弱さが感じられるからだ。
なお、特筆すべき点として展示空間のすばらしさを加えておきたい。
このような絵画の展示空間に自分がいるということが、こんなにも心地よい緊張を与えてくれるとは。
監修:東京都現代美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
ブックデザイン:折原滋
出版社:淡交社
発行日:2007年5月1日
内容:
マルレーネ・デュマスは、1953年に南アフリカ共和国のケープタウンに生まれ、現在アムステルダムを拠点に活動する女性画家。マス・メディアに流通する写真や映像を題材に、生命のきらめきを繊細かつ鮮烈なタッチで描いた人物像で知られる。その透明感あふれる独特の描写と、社会的テーマで絵画の新境地を提示し、インスタレーションや映像が台頭する現代美術シーンにあって、今もっとも熱い視線を浴びている。
日本で初めての大規模な個展「マルレーネ・デュマス:ブロークン・ホワイト」の公式カタログとして刊行された本書は、初期作品から、代表的なドローイング・シリーズをふくむ主要作品、最新作の≪ブロークン・ホワイト≫まで、約80点の絵画を収録。自作に寄せた詩やテキスト、インタビューなど、珠玉の言葉とともに、デュマス芸術の全貌を伝える。(本書カバー見返し解説より)
購入日:2007年6月23日
購入店:東京都現代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
昨年行われた<アフリカ・リミックス展>(森美術館)、<エッセンシャル・ペインティング展>(国立国際美術館)への出品など、近年見る機会の多かったデュマスの待望の大規模個展。ポップ(マイクロポップ?)な日本の現代絵画シーンに較べると、そのダークでエロスとタナトスが同居するデュマスの絵画は稀有な存在だ。
展覧会場に入ったとき、すぐに荒木経惟の写真を思い浮かべた。それは、新作≪ブロークン・ホワイト≫において、荒木経惟の写真作品からのインスパイア、引用であることからも、その影響がうかがえる。ポップなものとしてではなく、孤独で刹那的なエロス。
ヴァイオレンス。暴力の存在。身体に受ける暴力だけでなく、不穏な空気としての暴力。視線の暴力。あるいは「怒り」だろうか。どのように形容したら彼女の作品から受ける「暴力」を言語化できるのかまだわからないのだが、その作品からは「暴力」という名の「力」が充満している。その日の夜、たまたま久しくなかった怒りに直面する「暴力」を経験をしたのだが、その時感じた震えにデュマスの作品は似ている。
この先何度この「怒り」を感じればいいのだろうか。
行き場のない「怒り」は、まだ消化していない。しかし、この「怒り」「暴力」はなくならない。
「エロス」であり「死」であり「暴力」「怒り」という言葉を並べると、その作品はひどくネガティブなものに感じられるが、そうではない。それは、描かれた人物の眼を見ればわかる。
そこには、「恐れ」という優しさ、弱さが感じられるからだ。
なお、特筆すべき点として展示空間のすばらしさを加えておきたい。
このような絵画の展示空間に自分がいるということが、こんなにも心地よい緊張を与えてくれるとは。
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