A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記278 「ヴィデオを待ちながら」

2009-06-21 22:43:10 | 書物
タイトル:ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ
編集:三輪健仁、蔵屋美香(東京国立近代美術館)
編集補助:齊藤菜生子、冨山由紀子
翻訳:石岡良治、小川紀久子、木下哲夫、山本仁志、三輪健仁
編集協力:上崎千、小船井健一郎
デザイン:森大志郎+松本直樹
印刷:八紘美術
発行:東京国立近代美術館
発行日:2009年
価格:1,400円
内容:
東京国立近代美術館において開催された<ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ>展(2009年3月31日~6月7日)の展覧会カタログ。

序論
「不純なる媒体 1970年前後の映像について」三輪健仁
PART Ⅰ 図版
CHAPTER 01 鏡と反映
CHAPTER 02 芸術の非物質化
CHAPTER 03 身体/物体/媒体
CHAPTER 04 フレームの拡張
CHAPTER 05 サイト
PART Ⅱ 文献再録
解題
「ヴィデオ:ナルシシズムの美学」ロザリンド・クラウス
「リチャード・セラの作品におけるプロセス彫刻とフィルムについて」ベンジャミン・H.D.ブクロー
「ヴィデオ・プロジェクション:スクリーンの間の空間」リズ・コッツ
PART Ⅲ リファレンス
文献
作家略歴
出品リスト
Introduction
Impure Medium : Film and Video of Around 1970 Miwa Kenjin
(本書目次より)

購入日:2009年5月16日
購入店:東京国立近代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
 おそらく本年度開催された展覧会の中で、もっともマニアックかつ意欲的な企画展のひとつだろう。これほどの規模でヴィデオアートを検証する展覧会は今後、数年数十年はないかもしれない。映画、映像の批評、評論、研究書というのがどれほどあるか知らないが、映画・映像というのはどれほど文章によって記述されようとも、見ることが叶わなければ批判や検証、再考の余地がなく、伝説として神話化されていくだけである。アンディ・ウォーホールによる映像作品などその一例で、エンパイアステートビルを8時間撮影した映像作品など本の中で語られているだけで、現在それを見たことがある人の方が少ない気がするくらいである(もっとも実際に見られるとしても体力的、時間的に叶いそうもないが)。
 さきの一例は極端だとしても、本展には見ることが叶った稀有な作品が多く、その功績は計り知れない。例えば、展示室最初に見ることになるアンディ・ウォーホールによる『Outer and Inner Space』(1965)をフィルムによる2面プロジェクションで上映するあたり、鑑賞者に何か覚悟をせまるような気迫さえ感じさせる。その後のヴィト・アコンチ、村岡三郎+河口龍夫+植松奎二、デニス・オッペンハイム、ブルース・ナウマン、ダグラス・ゴードン、リチャード・セラ、ジョアン・ジョナス、ダン・グレアム、ビル・ヴィオラ、ロバート・スミッソン・・上げていけばキリがないのでやめるが錚々たる出品作家である。これらの作家たちの作品を手際のよいVJならぬ展示構成で捌いていく手腕は映像文化に慣れた若手の企画者だからだろうか。強いて言えば、泉太郎作品は収まりが悪いし、フランシス・アリスによる2作品などは弛緩した内容で、他の作品に比べれば見劣りがするのも否めない。だが、映像の放射空間に身を投げ出された鑑賞者は、さ迷いながらも飛んで火に入る我のごとく好きな映像の蜜を吸えばいい。その光の放射に恍惚となりながら。
 今日的な問題点を指摘するならば、散々言われていることだが、ペーター・フィッシュリ+ダヴィッド・ヴァイスの『事の次第』(1986-87)はNHKのピタゴラスイッチへと転成され、ダラ・バーンバウムの『テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン』(1978-79)、ポール・ファイファーの『磔刑図の断片(フランシス・ベーコンによる)』(1999)などはYouTube的な映像を示しているだろう。これら2作品など、アーティストの発想の速さに驚かされもし、人間の考えることはかくも編集と笑いなのかと思わせもする。
 また、ヴィデオアート初期の作品の方が技術的には質がよくないにも関わらず、映像の強度が強いことがことのほか印象に残った。技術的に編集ができないという制約が、結果的に質へと還元されているあたり、不自由が傑作を生むということだろうか。例えば、ナンシー・ホルト+ロバート・スミッソンの『湿地』(1971)におけるホラーなカメラの動きはなんだろうか。そこに刻まれた不穏な気配は今見ても先を見続けたい誘惑に駆られる。また、ヴィト・アコンチの『センターズ』(1971)の単純なコンセプトでありながら、画面に対峙せざるを得ないこのまなざしと指さしに、私は何かを突き付けられているような気にさせられる。
 余談だが、ミニマリズム、コンセプチュアル・アート系の映像作品が意外にも笑えたのは私だけだろうか。まじめなコンセプトも見方を変えれば、結局くだらないことをしており、そのまじめさが今見ると淡々としたボケた味を醸し出しており興味深い。

 カタログは貴重な再録文献を含んで約300ページでこのボリューム、価格は評価できるだろう。個人的には何名か知っている方の名前が記載されていたこともあり、懐かしさと今後のご活躍を祈り購入した。ただし、デザインが凝っているのはいいのだが、背の部分の糊付きが悪く気持ちスカスカして、剥がれそうなのが気になる。このような実用性を忘れたデザインの暴走は、ひどく持ちにくく使いにくい会場マップにも表れていて、マップとして使う気にもなれず、自己満足でしかないだろう。むしろ本展はさ迷うように会場をブラブラする方が向いている気がするが、会場マップは奇抜でなくていいので展覧会場内での観客の見やすさを考慮してほしいものだと思う。