A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記274 「LOVERS LOVERS」

2009-06-17 22:11:05 | 書物
タイトル:大西伸明 LOVERS LOVERS
編集:今中規子、山田将也
デザイン:松山貴至、井本圭祐
シルクスクリーン:吉田亘
アートディレクション:林聡
翻訳:柳澤由香子
撮影:高倉英俊、豊浦英明、北村光隆、福永一夫
写真提供:北陸電力株式会社INAXギャラリー2アートコートギャラリー
編集・出版:ノマルエディション
印刷・製本:株式会社明文社
発行日:2009年3月12日第2版(2008年11月20日初版発行)
価格:1,600円
内容:
入善町 下山芸術の森 発電所美術館にて開催された<大西伸明展―LOVERS LOVERS>(2008年10月11日~12月14日)の展覧会カタログ。
CDサイズの作品図版冊子(56ページ)1冊とテキスト、作家略歴、作品図版が掲載された冊子(6ページ)1冊計2冊と、封入でシルクスクリーン1作品が付き、それらがバッグあるいはブックカバーになる封筒に封入されているアートブック的な展覧会カタログ。

テキスト「ひとつの存在を見つめる、ふたつの眼」長縄宣(発電所美術館学芸員)

購入日:2009年5月13日
購入店:中京大学 CURVet PLAZA LIVRE
購入理由:
中京大学アートギャラリーC・スクエアにて開催された<大西伸明:垂直集め>展(2009年4月13日~5月16日)を見た際、大学の生協で販売していたのを購入。

 今回の<大西伸明>展を見たとき、ほとんどの作品が2点並列されて展示されており、この複数性=双子性への造形志向が、興味深く思われた。それは、先日見た東京国立近代美術館での橋本平八の『牛』の展示を想起させたからかもしれない。『牛』は石と木という異なる素材で制作(見出された)された「牛」が2点並列されて展示されていた。だが、大西はFRPで同じ(と見える?)ものを2点制作し、並列して展示をしている。この複数性は同質と異質、虚と実の間を観者に突きつけ、同じ(と見える)ものが2点ここに存在することの神秘性を際立たせる。大西がどこまで橋本平八を意識していたか知るところではないが、石ころを制作した『ishikoro』(2008)を見る限り、これは橋本平八へのオマージュと見ていいのではないか。そのような石そのものに彫刻を見出してしまうまなざしは橋本平八の『石に就いて』を想起させるのだ(注:しかし、橋本平八は『牛』という作品を2点並列して展示することを想定していなかったかもしれない。あの当時の作家にそこまでコンセプチャルな意図を見ようとするのは、ポストモダンの発想であり注意が必要だ。『牛』は石に彫刻を見出したことの経験、感覚から発した作品であり、大西と橋本平八の作品は本質的には志向を別とする点が多い。)

 その複数性への志向はカタログにおいても徹底されている。メインとなるカタログの表紙は『mini kupa』(2008年、FRP、アクリル絵の具、ラッカー塗料、ウレタン塗料)が使われているが、2作品が表表紙、裏表紙に使われている。さらに、長縄宣氏によるテキストはテキストそれ自体が大西によって作品化されて、となりのページに掲載されているのだ(つまり、見開きで見ると同じテキストが2ページに渡って掲載されている)。この双子的、反復的、複数的なまなざしは、小さきもの、ありふれたものへの存在に光を見ようとするまなざしが感じられる。
もちろん大西が版画を学んでいたところから、マルチプルとしての複製・複数という見方もあるのだが、版画におけるマルチプルというほどの意味なら、なにも2点並列して展示する必要はないだろう。プライスリストにエディション数を明記しておけばいいだけのことだ。このあたりは今後の大西の展開を追って見てみたい。

 余談だが、大西の彫刻へのモチーフには須田悦弘系の写実彫刻的なるものと、富井大裕系の日常彫刻系(仮称)が適度にブレンドされたバランス感覚を感じ取ることができる。石ころ、スパナ、画鋲、ボルト、マジック、電球、曲がった釘、指サック、アルミホイル、枝、シャベルといった日常目にするモノたちを精巧に作り上げ、実はそれが虚の存在として在る様は、消耗品・複製品が美術として作られ、それが複数制作されるという奇妙な現象を作り出し興味深い。