A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記214 「小説の誕生」

2008-12-15 23:38:03 | 書物
タイトル:小説の誕生
著者:保坂和志
カバー写真:藤部明子
装幀:新潮社装幀室
発行:新潮社
発行日:2006年10月20日2刷
内容:
小説について、もっともっと考えたい人のために

世界を絶望せずに生きるための小説を求めて。

小説にしか、できないことがある。
小説について、行き着く先もわからないまま考えつづけるうち、
「小説論」はどんどん「小説」へと変容していった。
「小説論」とは思考の本質において、評論ではなく、「小説」なのだ。

大好評『小説の自由』につづく、待望の第二弾!
(本書帯より)

小説的思考とは何か?小説が生成する瞬間とはどういうものか?小説的に世界を考えるとどうなるのか?ということを、書いたのがこの『小説の誕生』だ。とりわけ後半は、書きながら自分でも、もう本当にどこに行ってしまうのかわからなかったが、その状態を引き受けることができたのだから、これは評論でなく小説なんだろうと思う。(まえがきより)
(本書カバー裏より)

購入日:2008年12月7日
購入店:丸善 日本橋店
購入理由:
静岡からの帰り、持ってきていた読みかけの本2冊を読み終わり、駅で買った東海新聞、静岡新聞(最近、私は旅先で売っているローカル紙を必ず買うようにしている)もほとんど読み終わり、途中駅でなにも読むものがなくなってしまったので、まだ読んでいない保坂和志の著作を購入した。
「小説論」と書かれているが、これは美術など他の芸術形式にも充分当てはまる奥の深い著作である。例えば、「小説にはなぜ風景が書かれるのか?」という問いは、美術においてもいまだ有効な問いだと思うのだ。この日、たまたま「風景」をテーマとした展覧会を見たせいもあるが、小説において風景を記述することと絵画や写真で風景を描く、撮影することは、表現された形式は違うが風景を見る、思考することにおいては同じである。私たちの前に選択するすべもなく現われた風景に対して、その環境、空間を受け入れ、思考や言語や道具や機械を使って風景を表現・考察すること。その意味は深く広大だ。私たちはありきたりな思考・言葉に縛られて、自身の言葉で風景を「取り替えが不可能な」リアリティのある風景として表出することに困難を感じてしまうのだ。
保坂氏の著作ではいつも問いがすばらしく、その波紋が私の内で広がり続ける。広がり続ける波紋に揺すぶられて、私の思考が揺らめきだす。このような著作を読むと、1篇の小説に似たような読後を感じ、心のうちに生成するいまだ経験したことのない感情を感じるのだ。