A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

TOUCHING WORD 072

2008-12-13 00:38:55 | ことば
「才能は自分の中になく、社会の中にある」
「才能は自分の中になく、他者の中にある」


(中略)

自分の中にもともと個性はない。
自分の中にもともと才能はない、としてみる。
自分の個性は、人に出会って、関わって、自分の価値を認めた相手の中にあると考えてみる。

(p.114 山田ズーニー『おとなの小論文教室。』 河出書房新社 2006年1月)

目から鱗の言葉だ。「才能」や「個性」という自分の中に備わるものという通念がある言葉の意味を覆す発想だと思う。いま手元に明確な資料がないので曖昧だが、野口体操の創始者である野口三千三氏も「私」というものは「私」のなかにあるのではなく、他者の中に「私」はあるというようなことを言っていたが、その思考と近親性を感じる。「私」や「個性」「才能」という概念を社会や他者の中にあると仮定することで、「私」を作り上げるのは「私」ではなく、社会や他者であるとすること。「私」や「個」から離れることで、誤解を理解として引き受け、多様な「私」として他者の思考をゆるやかに引き入れること。それが「私」というものだとこの「私」は思っていて、「私」性を引き剥がすこの言葉は、それゆえ印象的だった。この言葉の前では「自分探し」などという言葉は空虚に響く。確定しえない「私」を不確定な「私」として捉えることで、「才能」や「個性」などという空虚な言葉を無効化できるだろう。