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筆者の給与は年俸制のため、夏冬のボーナス支給は無い。かつて、20代から30代にかけては、毎年今頃になると、ボーナスが出た。それもあちこちからもらえたので、この間給料をもらったばかりなのに、又くれるのか?、そんな感じだった。学生時代は、「暇はあるが金がない」だったが、働くようになってからは「金はあるが暇がない」状態で、「金ばかりもらっても使う暇がないよ」と、贅沢な悩みを零していたのを思い出す。
今年はアベノミクス効果とやらで、御多聞にもれず、筆者の勤める会社の業績も好調なため、昨日、幹部職員に臨時一時金として、金20万円也が支給された。一部の同僚は契約上年俸制ではないため、通常のボーナスに更に上乗せされて支給された。社長が「ほんのタバコ銭だが御笑納下さい。その一部は自分磨きに使って下さい」と言いながら手渡してくれた。幾つになっても、臨時金がもらえるのはうれしい!たったの20万で、こんなものすぐに使っちゃうに決まっているが、でもうれしい。
このごろ、「急思」と言って、物凄く若かった頃の恥ずかしい思い出を急に思い出し赤面する事がある。「よく、あんな事をやったなあ~、できたなあ~、周りに迷惑をかけちゃったなあ~」と自責の念に駆られながらの反省思い出しである。「昔を懐かしむようになると年を取った証拠だ」、と良く言われるが、「急思」現象は年齢に関係なく発生する。過去の失敗事例を教訓とし、より良く生きるために、常に反省と勉強は必要であろう。太宰治の小説「斜陽」に以下のような下りがある。「スープを口にした母親が「あ」と声を上げた。異物が入っていたのではない。何か恥ずかしい記憶が不意に蘇り思わず発した声だった」。かように、人間と言う者は、過去の悔いの種や赤面の実を撒き散らしながら毎日を生きている(これは読売新聞編集手帳の表現から借用させて頂いた)。
いつもに似合わず説教めいた事を書いたが、参議院選挙が公示されてから早1週間が経過した。ネット選挙が解禁され、様々な問題が炙り出されているが、自公での過半数は揺らがないようで、早くも投票率の低下が懸念されている。筆者は、先の都議会議員選挙は棄権したが、来る21日の投票日には行こうと思っている。ツイートする暇があれば、フェイスブックに書き込む暇があれば、一人でも多くの有権者と握手した方がいいと思うが、何せ初めての試みである、各候補共手探り状態が続いているようだ。
話は変わるが、ブログとは端的に言えば「日記風ホームページ」の事である。日記とは本来、自分だけの秘密!他人は勿論、家族にすら言えないような事だって書く事もある。だから見られないようにと鍵付きの日記すら売っている。そんな秘密満載の日記を不特定多数の人々に公開するのがブログである!秘密を知った者は、それを他人に話したがるのが人間心理だ。女性が「ここだけの話だけど」と秘密めかして断りながらしゃべる話題は既に全員に知れ渡っている事ばかり。世の中には自分の秘密をしゃべりたくてしょうがない人はいっぱいいる。従って、そうしたブログを公開するブロガーの心理を一言で言うならば、それは筆者が過去繰り返し述べてきた事なのだが、「公開したくてうずうずしている、自身が体験して来た事のひけらかし癖、自慢癖、及び、自身の主張、主観、印象に共感してくれる人々とのコメント欄を通じての交流欲求」であろう。島内ブログなどは、幾ら匿名性を装っても、狭い島の事だ、氏素性などは当の昔にばれている。だから自慢癖が過ぎると、必ず足を引っ張る輩が出てくるもので、ブログ人気が上昇すればするほど、特に閉鎖的な佐渡が島ではその傾向が顕著に成る。それは筆者が嫌というほど経験してきた。
昨今は、小学生でも容易にパソコンを操作出来る。親の留守中に、フイルタリングのかからない親のパソコンを盗み見る事などはお茶の子さいさいで、ブックマークしたブログを閲覧し、「ママあ~、うちの先生ね~、女のくせにお酒飲みなんだって、そんで、変な食器買ってきちゃあ~さあ~、その写真を載せてるんだよ」みたいな事を言われたら、「可愛い子ねえ~」と笑って済まされるだろうか?子供の教育上に不適切なネタなど軽々しく書けはしないので、相当神経を使わざるを得まい。そして更に悩ましいのがコメントである。最近の朝日新聞に、「声」と言う投書欄に投稿された投書内容に批判的な輩が、投書者の住所氏名電話番号まで調べ上げ、それらを、投稿内容に間連した記事を掲載する様々なブログのコメント欄に無断で投稿していた事例が、今年の春ころから急増しているとの報道があった。コメント掲載に当たっては、嫌がらせコメントは勿論の事、著作権法違反やプライバシー侵害に繋がりかねないような物まで全て慎重に取捨選択してから承認しないと、思わぬところから警告文が届く羽目になりかねない。筆者は、そうした事にエネルギーを使いたくないがために、コメント欄を閉鎖しているのだ。「私は、当たり障りの無い事しか書かないから、私には関係ない話よ。翼君の言う事は大袈裟過ぎるし、心配し過ぎ!」と、たかを括る女性ブロガー達が佐渡には多いようだが、「この程度なら安全」と自分では思っていても、妬み嫉む輩の逆恨みまでは見抜けずに落とし穴に嵌る事はよくある話なのだ。「幾ら何でもその程度の事」を、うるさく言うのが佐渡、嫌、世間様だ。筆者の警告をを馬耳東風と聞き流す前に、「本当に、自分のブログに問題はないだろうか?」と自問自答してみた方がいい。危機管理の要諦とは「まさか幾ら何でもそんな事はあるまい」と思っている時に、その対策を立てておく事なのである。現に、食器自慢にしても、自分では自慢綽々かもしれないが、ブログを盗み見した子供のような感想を抱く人だっているからだ。佐渡島とは、たった一日だけ、佐渡なびのブログランキングのトップに立っただけで、やっかみコメントを書き込むような輩が出現する島である。自身のブログが島の読み手にどのように思われているのか、自らが知る術はなかろうから、傍目八目で、他人からの助言は真摯に受け取った方が賢明であろう。
手造り工房パンの北海道産コーンパン
昨日の浅草寺のほおずき市の模様。7月10日に参拝すると、「四万六千日間毎日お参りしたのと同様の功徳を得られる」と言われ、毎年多くの人でにぎわう。境内には約120軒のほおずきの露店が軒を連ねる。
雷門前のほおずき市。上記の2枚は2007年7月に撮影した写真です。