欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

place of memory

2006-04-30 | poem
君がかけてくる、そんな姿が今にも見えてきそうだ。
君は元気よく活発で、スカートの裾をはね上げて、笑顔でこっちへやってくる。そんな姿が今でも目に浮かんでくる。
あの頃よく二人で過ごした場所。日が暮れるまで話し合ったね。
そんな花ざかりの場所に、僕はまた戻ってきたよ。
君も僕も大人になって、この街を後にしたけど、僕の胸にはいつもあの頃の情景が残っている。
自然はあの頃と同じように毎年あざやかな花々を咲かしてくれる。
このあたたかな空気。遠くに消えていく鐘の音。あの頃の気持ち。
あの木々のむこうから今にも君があらわれてきそうな、そんな君との思い出の地。甘い記憶。

自分らしさって

2006-04-29 | poem
自分らしく生きろっていうけど、自分らしさってどうやって見つけるんだろう?
これが自分らしさなんだって、自分では思っていても、それが本当の自分らしさかどうかなんて、どうやって判断をつけるんだろう?
結局難しいんだよね。自分らしさって。
でも、それを手に入れることができれば、とても魅力的な人間なんだろうなぁ。
いいや、魅力的な人間になる早道が自分らしさの追求なんだって。そんな気もして。
どっちにしろ、自分らしさを持っている人は、やっぱりいい生き方をしている人なんだろう。
自分はこうなんだって、そう思ってはいても、それが実は自分の本当の適正をジャマしていたりする。
自分らしさ。歳を重ねるごとに、それは明らかになっていくのかな?
自分らしさ。でも、いつまでたっても自分らしさを見つけられない人もいる。
いいや、そういう自分らしさを見つけている人の方が、実はとても少ないんじゃないかな。
自分らしさ。自分に照らしてみたらどうだろう?
自分らしさ。本当の自分らしさっていつ手に入るんだろう?
でも、こんな文章を書いている自分は、これが本当の自分らしさなのかな?
それとも、いいように気の利いた冗談を言っている、そんな時の自分が本当の自分らしさなのかな?
自分らしく魅力的な自分でって。そんなことばかり考えてはいられないけど、でも、たまにちょっと気になったりする。
自分らしさ。魅力的な自分。
見つけにくいんだろうけど、見つかったらいい生き方ができるんだろうなぁ。

女の子のくれたビスケット

2006-04-29 | poem
僕がうつむいて座っていると、女の子がどこからかそばにやってきて、僕にビスケットを一つくれた。
女の子はすぐどこかへ行ってしまったけれど、僕はそのビスケットを握ったまま、しばらく動けないでいた。
ビスケットを食べると、なんだか甘くてなつかしい味がした。涙が自然に出てきた。
ミルクと塩のきいた昔ながらの丸いビスケット。
一つだったけど、僕の心にはぐっときた。

ビスケットをくれた女の子はどこへ行ったのだろう?
僕はここでなにをしているんだろう? 僕はこれからどうしていけばいいんだろう?
迷いの僕に、女の子がくれたビスケットは心にぐっときた。
甘くてなつかしい、あのビスケットの味が僕の気持ちを軽くしてくれた。
長く忘れていた故郷に急に帰ってきたような、そんななつかしいほろ苦い味がした。

to lose

2006-04-28 | poem
あなたはドアを開けたまま出ていった。
ピアノだけをおいて。自分のものはいっさい残さずに。
開いたままのドアのむこうは真昼の明るさで、緑がみずみずしくあざやかに輝いて見える。
それとは逆に部屋の中はひんやりとしていて、私はあなたが出ていったドアのむこうをいつまでも見つめている。
あなたは私のもとから去っていった。
自分のものはいっさい残さずに。二人の思い出とピアノだけを残して。

あれはまだ私が幼かった頃、演奏会の練習をしていた時に、私のピアノのもとにあなたはやってきた。
あなたは笑顔で話しかけてきたわね。それがすべてのはじまりだった。
それから何十年、もうどれくらいたつのかしら。
私はあなたと出会わなかったら得られないものをたくさん得られることができた。
ものやお金だけじゃない。感動や心の豊かさも。
あらゆるものが私たちのものになっていくにつれて、二人の中になにかしら欠乏感みたいなものが広がっていったのね。
二人がかわし合い得たものが多くなる一方で、二人のあいだをジャマするものもだんだんと多くなっていったのね。
それが徐々に重要感をおびてきて。
そして、二人が思っていた通り、それが現実のものになってしまった。

ドアのむこうは5月の明るみ。
とてもすがすがしく、静かな雰囲気。
私のいる部屋の中は冷たい空気と空虚感ばかり。
でも、これからは一人でやっていくわ。
もう一人ででも歩いていけるから。
あなたはあのドアを開けはなしで出ていったけれど、そのむこうには明るい日ざしと緑が輝いている。
その明るさは今の私の唯一の心の明るみになっているのよ。

森のある街に

2006-04-27 | poem
僕の住んでいる街からは、ちょっと離れているけど、あの森のある街を僕は好き。
森とともに生きる街。その閑静なたたずまい。
人と自然が共存しているその街に、僕はなにかあるたびに訪れる。
僕の住んでいる街は、人がいいようにカタチを変えてしまった街。
でも、森のある街は違う。自然の大切さを忘れていない街。
人がなにを必要として生きているかを知っている街なのだ。
その静かな雰囲気。心の余裕。
僕はそこを訪れるたびに、そこの住人になったところを夢見る。
後々ここに住むんだと、かたく誓う。
その街には人が生きていくために必要なものがすべてそろっている。
スーパーやガソリンスタンド、病院。その他生活に便利な店だけが立ち並ぶ僕たちの街とは違う。
その街には今の人が忘れかけている、人が見失ってはいけない大切なものたちがすべてそろっている。
森の中の街。そこに住みたいという僕の気持ち。
僕はそこに行くたびに、そこに住んだ時のことを夢見る。
後々、僕はここに住むんだということを、その街を訪れるたびにかたく誓うのだ。

希望がカタチになった日

2006-04-27 | poem
一本の草も生えていないこの大地に、種を蒔き続けた君。
どんなに水を与えてもただ吸いとるだけで、灼熱色にしかならないこの大地にそれでも種を蒔き続けた君。
その努力が何になるって、あの時僕は言った。
そんな行為にどんな意味があるって、あの時僕は笑った。
でも、僕はまちがっていたんだ。
君の願いは今こうしてカタチになった。
君の希望は今こうして現実のものとなってあらわれた。
見てごらんよ。この灼熱の大地に姿をあらわした希望の生命を。
見てごらんよ。君の信じて疑わない思いが、カタチになってあらわれたこの証しを。
君の不動の情熱がこうして実を結んだんだ。
あの時、僕が言ったことはまちがっていたんだね。
いつもの変化にしか目がむけなくなっていた僕。
僕はいつのまにか希望というものを勘違いしていたんだ。

心のドアを叩くのは、だあれ?

2006-04-26 | poem
心のドアを叩くのは、だあれ?
私の気持ちに関心を寄せているのは、だあれ?
あなたはどこの子? あなたは私になにを言いたいの?

あなたと私はどういうつながりなの?
あなたは私に、なにを感じているの?
こんな広くはてしなく人がいるのに、その中でなんで私なの?
あなたは私になにを求めているの?

あなたはだあれ?
あなたはどこの子?
なにを言いたいの?
あなたは私の心に、なにを問いかけているの?

わが家の庭、心地いいひととき

2006-04-25 | poem
朝霧ただようわが家の庭。
白いブランコに乗って、楽しそうに笑っている女の子。
ブランコに乗っているわが子を見つめる妻と私。
妻はわが子の背中から、ブランコをやさしく揺らしている。
私はブランコの柱を持って、わが子の笑顔を見つめている。
まだ街も目覚めていない朝の静けさ。
しだいに消えていく朝霧。
曇った空はぼんやりと白く明るみはじめている。
朝ゴハンはパンにしようかゴハンにしようか。
家族で朝の空気を吸いに出てきた庭のブランコ。
わが子の笑い声が響く庭。遠くでさえずる小鳥たち。
妻と目が合い、首をすくめる私。
わが家の庭。心地いいひととき。

心揺れるあなたに

2006-04-25 | poem
心が波立っているあなたに、私の気持ちをあげる。
動揺して、なにかにすがろうと躍起になっているあなたに、私が心からのささやきをあげる。
あなたは私の胸の中でやすらいでいける。
あなたは私の中で心からの落ち着きをとり戻すことができる。
やがてあなたの心は波立つことのない泉のような澄んだ静かさで。
落ち着きのある心をとり戻し、冷静に物事を見つめ、この困難を乗り越えていくことができる。

心揺れているあなたに、私があたたかさをあげる。
迷いの中でどうしていいかわからず、なにかにすがろうとしてそれでも何にもすがりつけないあなたに、私が心からのやすらぎをあげる。
あなたは私の中で落ち着きをとり戻し、あなたは私の中でやすらいでいける。
そして、澄みきった泉のような静かな心で、どんな困難にも冷静に立ち向かい、そして、乗り越えることができる。

人の気持ちは

2006-04-24 | essay
いつもおだやかでいたいけど、でも、日常に生きていたらそういうわけにもいかない。
それにマイペースに生きていきたいけど、子供がいたり、仕事が続いたり、家のことがあったりと、その時その時で自分の気持ちを考えているヒマなんてない。
疲れた時は心が狭くなるし、悪いことばかりが頭に浮かんで、いろいろと考えること自体が暗いことばかりになる。
なんとなく時間があいた時に、なにをしていいのかわからず、ささいなことで大切な時間を費やしてしまうこともある。
そんな毎日だから、幸せについて考えるなんて、今の自分について考えてみるなんて、ささいな意味のないような気持ちになってしまう。
でも、だれでも同じような毎日を送っているわけで。
けっこう環境はどこに住んでいても、条件は同じよう。
お金がないから余裕がないって言っている人もいれば、同じような収入の人が、その限られた範囲の中でけっこう工夫した余裕のある生き方をしていたりして。
みんな思い思いに毎日を送っているけど、どうなんだろう。
しあわせと不幸せ。この二つを分ける大きくて唯一のものが、自分の気持ちだったりする。
なんでも自分の気持ちしだい。
たぶん、そういうことなんだろう。
余裕のある人は余裕のある環境にいるから余裕のある人でいるわけではない。
そんな人はどんな環境にいても余裕を大切にできる人だから。
せかせかしている人はそうしていること自体が安心である場合が多いし、そういうのがゆっくりしているよりも好きでいる人もいる。
みんな人それぞれ。
でも、今の生活にどこか不満や心のひっかかりみたいなものがある人は、すこし考えてみてはどうだろう?
今までの考え方を、ちょっと違う方向に導いてみては・・。
今までとは違う考え方、思い方をしてみては・・。
一日二日じゃなにもならないけど、そんな小さな変化も一年二年で大きな変化に変わる。
どうせなら自分をしあわせの方に導いてあげれるような、考え方を探ってみては?
今はいろんな情報を手にできるから、自分の求めている情報がどこからでも得られる。
君のそのちょっとした変化は、日を追うごとに大きな変化に変わっていく。
自分をしあわせの方へ導いてあげられるよう、ちょっと自分のために時間を作ってみては、どうだろうか?
ちょっとした小さな変化は、やがて自分でも驚くような大きな変化へと変わっていくと思うよ。