新たな世界へのつながり口 2013-07-06 | prayer 『 薬草を作る魔女のかたわらにいて、こういう言葉を聞いたことはありませんか? "純粋さは尊いものさ。ただ、それだけじゃいけない。 この世はとても複雑なのさ。それに付随するもので美しくもそうでなくもなっちまう。 だから、面白みが増すって考えられもするがね。 いいかい、これだけは心に刻んでおくんだ。 この世に太陽の刻もあれば月の刻もある、それはなぜか?ってことね。 ふふ、いまのお前にはまだ難しいだろうがね。" 』 http://sm7072.blog.fc2.com/
この世にある美しい輝きを見られる人は・・ 2012-10-14 | prayer "とても深い悲しみの中にこそ輝くような強いヒカリは働くのです。 そう、漆黒の夜がピュアな朝の光を呼び込むように・・。 だから、悲しみの中に自らがあることを不幸に思うことはないのです。 なぜなら本当の愛を知る機会を用意して下さった方が確かにいらっしゃるのですから。" そのような考えにはなかなか行き着くことが難しいものです。 でも、確かに輝く人生の物語には悲しみの要素が欠かせないのもの。 言い方は変わっていますが、暗闇の中にこそ本当の明かりは確かめられるものなのです。 だから、これからも進んでみて下さい。色あせたようにみえる毎日でも。 本当の輝きを見ることが許されるのは、心に強く望むものがある人のみのことなのですから。
見失った悲しい気持ちは・・ 2011-11-27 | prayer 夜になると心は澄み切っていきます。 一日の喧噪を凪のように鎮めていくのです。 眠りについているあいだも心は動き続けています。 気持ちはいつも澄み切ったものへと寄り添っていくのです。 悲しみは気持ちを澄ます大きな波です。 これにより自分の本当の感情としっかり向き合えるようになるのです。 いくら現実の世界で偽りの感情で生きていようと、いつかは本当の自分と向き合わなくてはならないのです。 違えた道を正されるように。 しかし、これは祝福であります。 なぜならあなたの本来の目的へと導いてくれているのですから。 どんな変化を望もうと、またどんな幻想を抱こうと、いつかは自らの敷いた道筋へと戻っていくのです。 ですから、夜空を前に素直な気持ちでそうです、そうですとささやいてみましょう。 素直な気持ちでこれからのあなたを描いていくために。 夜の教会でひとり祈りを捧げているところを想像してみましょう。 もしかしたら本当の自分をそこではっきりと見つけることができるかもしれません。 夜空の世界には多くの星々が輝いています。 そのひとつがあなたの生命であることを理解できるようになるでしょう。 人は希望を持って生きていくのです。これからの実りをおぼえて歩んでいくのが人生です。 見失ったものを見つけ出せるように・・。悲しい気持ちをおぼえるすべての人たちに捧げる、これは天からの愛の言葉なのです。
幻想への入口 2011-11-14 | prayer 幻想の中へ人は時として逃げたくなることがあります。 かならずその幻想から帰ってくると誓ってはいても、その人の旅路を他人は不安がるものです。 もしかすると帰ってこないんじゃないか。 迷いの森からもし抜け出せなくなったら・・。 そんなことを考えてしまうから、人は幻想という言葉に一目置くようになるのです。 幻想の中へ。そんなことが可能なのでしょうか。 しかし、幻想への入口は意外と身近にひらかれているのです。 人が必要としていないだけで、その入口は意識のすぐそばにあるのです。 大きな扉のそばに屈強な男が立っているのです。 見た目とはうらはらにその男は真摯な口調で、人をそれぞれの入口へと誘ってくれる。 しかし、気をつけなければなりません。幻想に入っていけるのはかぎられた人であることを。 それ以外の人は幻想とはかけ離れた病的な世界へと送り込まれてしまうから・・。 わたしたちはその見極めをしっかりとつけていかねばなりません。 それを怠って、病的な世界へと足を踏み入れていった人々・・。その数のなんと多いことか・・。 気をつけなければなりません。 しかし、幻想の世界が魅力的な桃源郷となりうることもまた事実であります。 あなたの見極めがとても大切。 大事なのは、この世界を愛という尺度で見ていたかどうか・・。 そんな視野の広さにかかっているのです。
長い旅路のひとかけらとして 2011-05-31 | prayer 人の良い面と悪い面。 どちらがどうと言えることはできませんが、良い面と付き合おうとすることはできると思います。 悪い面と向かい合うこともあるでしょう。しかし、自分の持ちうるもので良い面と向かい続ける努力はできるはずです。 悲観して毎日を過ごしていくことも、希望に胸をふくらませて生きていくことも、とどのつまりは自分の心持ち次第だと思うのです。 まわりを見ていて、気遣いが根本からできず苦い道を歩き続けている人もいます。 良い助言でなんとかなるのならいいのですが、そんなやさしい対応では根本の解決にはつながらない場合も・・。 よく"星のもと"という表現を使いますが、その人にとってそれを気づく長い旅路であるとはたから見ていて思うのです。 わたしにもその旅の内容がこの心や体に秘められているのでしょう。 そして、なにもできないながらも、その人に恵みが訪れるよう祈ることはできるのです。 なにか気休めのようですが、それが自分にできるベストなことだと今のわたしには思えるのです。そして、まわりを把握しての気遣いももちろん・・。 人と人の中で生きている毎日です。今日という時の中で知りえたこと・・。 また明日にもなにかがわたしの目の前でくり広げられるのでしょう。わたしのもとに訪れるものもあるのです。長い旅路のひとかけらとして・・。
星のもと、ふたたびめぐり逢う奇跡 2011-05-14 | prayer ひとときの別れを悲しみとともにむかえるのは自然なことです。 ですが、悲しみの中にいつまでもひたっているのは自身のためでも世界ためでもありません。 人もこの大きな天空に流れるひとつのヒカリです。 星々の出会い別れ、それを繰り返しながら自身の定めを負う旅です。 ひとときの別れがきても、再び逢う機会は用意されています。星と星との流れの中で自身の必要な時に・・。 天空を動かす大きな意思がわたしたちを常に見守っています。時に悲しみや受難を用意し、そこをのり越えることでなにかをささやきます。 今は意味がわからなくても、やがてすうっと理解できる時がやってくるでしょう。 どんな時にも"そうです、そうです"と言いましょう。大きな天空の動きによってわたしたちはひとつひとつの定めを負い生きていく旅・・。 ヒカリがあるかぎり、それは親の愛のような明るさでわたしたちを育み生きていくことを可能にしてくれるでしょう。 ヒカリと闇、そこに広がる世界の中でわたしたちが体験していくこと・・。 大きな流転する世界、その中で自身はひとつのヒカリとして輝いていかなければならないのです。 別れもまた必然の出来事、ですが、そこにあざむきや仕打ちのような力が働いているわけではないことを心に刻んでおく必要があります。 大きな世界を動かす、その力は父や母のような愛でこの世界を形作っているのですから。 輝きが深みを増すため闇の力も借りつつも・・。 大きな信頼とともに、何事にも"そうです、そうです"と、ひたむきに自身の旅を続けていきましょう。 あらゆる惑わしや疑念の届かぬ力がいつも自身のそばには働いているのですから。 自分の頭ではまだ理解できなくても、この世界の啓示がやがてすこしずつ見えてくるはず。 その時まで、喜びすらともなう旅路を・・。 暗闇におびえることなく、ひとときの別れや悲しみにふさぎ込むことなく・・。 自身の星のもとを、ふたたびめぐり逢う奇跡を信じて旅を続けましょう。 今日もその足で。"そうです、そうです"と素直な祈りを口づさみながら・・。
黒光りする輝きを 2011-05-10 | prayer 胸の中にあらわれる黒いヒカリをあらわすことを、どうかお許し下さい。 人はヒカリとともに影の魅力をとり入れ力に変えていけます。 人の惑わしとならぬように・・。悲しみにとどまる物語とならぬように・・。心に祈りをあわせ創っていきますから。 影のヒカリがその人の深みになり、やがて、ひとつの丸い輝きとなれるように・・。わたしは願いとともに創っていきますから・・。 ヒカリは闇の度合いが深いほどに輝きを増していきます。 悲しみが深いほどに救いが多くあらわれます。 一時の戯れに終わらぬように。つかの間の惑わしとならぬように・・。真摯に綴っていきますから。 黒光りする輝きを表していくことを。彼方におられるお方・・、どうかお許し下さい。
階段の意味 2010-07-17 | prayer ひとつひとつ上っていくその階段には確かな意味があります。 日常の中で感じること、思うこと。心の変化。それらすべてがあなたの中に刻まれ、なにかを生み出そうとしています。 その過程を充実ととらえ歩んでいける人は幸いです。そこから多くの恩恵がもたらされるのですから。 しかし、その過程をただの日々ととらえ、怠惰や不均衡な感情のままで過ごしていくのは悲しいことです。 それは多くの恩恵を前に、うつむいてヒカリに気づけない哀れな迷い人のようなもの。 どこまでいっても迷いは消えず、手ごたえもなく、行く道の果てしなさばかりを嘆いている異邦人。 そんな人になりたいわけではないでしょう? 祈りましょう。そして、ヒカリに向ける感情、心を受け継ぎ、今ある階段の意味をひとつひとつ理解していくのです。
挫折感 2010-07-02 | prayer 苦しみを越えたところにあなたの求めているものはあります。 頭の中の理屈や常識が遠く及ばないところ。そこにこそ本当のものがあるのです。 悲しみや絶望はその領域に入ることはできません。言ってみれば至福の状態。 しあわせに満たされて、人は本当の意味を知るのです。 そして、その体験が希望となって、その人のこれからは始まっていくのです。 影に頭が支配されている人は、実は危険を冒そうとしないまやかしの旅人。 真実を知れないままにさまよい続ける悲しい旅人なのかもしれません。 生きるとは本当に意味深いことです。それを身をもって体感するには己の信じる道を偽りなく歩いていくこと。 その道のりにこそ、本当の祝福が待っているのですから。 意味深い人生の彩りがあなたのこの先にはかならず隠されているのです。
ペルソナ 2010-05-06 | prayer 気負う必要なんてどこにもない。悲しい時はそのまま悲しみの沼にひたっていてもいい。 それでもあなたの自我がいつか明るみへと引き上げてくれるから。 どんな時もやさしさを失わずにいる、そんな強い人にあこがれ追い続けてきたけど。 そんなペルソナに憧れなくても、自然なあなたの振る舞いが光を発していくから。 そう、追い求めていかなくても、光はその胸にいつも留まっているから。