欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

生きるってことは

2009-08-27 | message
"張ったゴムひもが切れやすいように。
あまり根をつめてみても良い状況は生まれないでしょう。
ジャンプするにはしゃがんで準備することが必要なように、ある程度のたゆみはいつも持っていた方がよさそうです。
なにかを目指していても、あまりそればかりにとらわれていると、大切ななにかを見過ごしていきます。
いつもある程度の遊びは必要ということです。
世間を渡って行く時にどこかに遊びがないと自分自身を保てません。
不思議に遊びと幸福感(明るい思い)がある時は、内容はどうであれ、ある程度はうまくいっているようです。
人生とは得てしてそんなもののようですね。
すこしの遊びは必要ということです。理屈をこねてばかりではいけないということです。
まったく生きるってことは難しいものですね。"

希望を失わない人に

2009-08-27 | poem
生きていく間に失ってはならないものがいくつかある。
生命に欠かせないもの。それはいろいろとある。
中でも希望は人の生き方を左右する大事なもの。
希望を軽んじないように。
心の中に巣食う悪い思い。現実感や失望、不遇な出来事。
そういうものが人の次なる歩みを曇らせていく。
希望を簡単に手放さないように。
意思を堅く、わたしというものを失わないように。

現実を生きていく時、かならず通る暗闇がある。
その中でおびえ、焦り、戸惑いの中で自らを失っていく者たち。
胸の中心に希望を据えられなかったから。
希望は単純な願いであっていいのです。ただ、軽んじなければいいのです。
信じ信じ抜いて、それでいいのです。
そうすればいつか闇は消え、希望の方向から明るい光が見えてくるでしょう。

このことはけっして忘れてはいけません。最後の最後で希望が人の生き方を左右するのです。
人は幸福を願い生きていきます。しかし、いつのまにかその幸福を手にできずに闇へと続く道のただなかで嘆いているのです。
そんな時でも心静かに。どんな誘惑や疑念があろうとも、自らの希望を疑ったり手放したりしてはいけません。
希望がなにであるのかを忘れてしまったのなら、まず希望をとり戻す努力をはじめなければなりません。
あなたの希望は胸のどこかにしまい込まれている。
それをふたたび見つけ出さなくてはなりません。
“あなたがこの世界でなにを行い、どうなっていきたいのか。”
本当の希望をたゆむことなく探さなければなりません。

そして、持ち得た希望を疑うことなく、自身を信頼し、ヒカリを見つけていくこと。
素直な心を失わず、現実がどのようにつらくあなたを諭そうとしても、けっして自身の希望を手放すことのないように。
希望を実現した先人たちは皆そうして明るみの場所へと出て行った。
希望を信じて、ヒカリの方へあなたも行きなさい。
そして、この世界で希望が大きな宝物であることを、無言のうちに示すことのできる、そんな人になって下さい。

純粋なる気持ち

2009-08-25 | poem
純粋なるその気持ちはだれの心にも素直な感情として伝わっていく。
気負いや体裁の心がないだけに、人の心に素直に響いていくのです。
守るべき砦がないと、あなたは純粋な気持ちを人の前に出せずにいる。
しかし、気持ちの守りは人の頭では考えきれない叡智が守ってくれている。
そう、あなたは自身の心が傷つくのを恐れているのです。
純粋なる気持ちは傷つくどころか、心に愛を運んでくれる。
頭で考えていてもわからない。
愛は愛を呼ぶというこの世の法則が働くから。
けっして無理にたもとを分かち合えと言っているのではありません。
いらぬ守りの力が日常起きなくていいすれ違いを増やしている。
素直な気持ちで話せるのなら、勇気をもってたもとを分かち合ってみる気積もりが欲しいものです。

目をつりあげた人の中にも枯渇した愛の悲鳴がふくまれている。
あびせる罵声のその奥に切ない悲痛さがにじんでいる。
それがたとえ他人に向けられたものでも。
その人は傷つける言葉を吐きながら、自らの心を暗く寂しいものにしている。そのことにまだ気づいていないだけ。
その人が求めているものは愛。罵声はその希求に他ならない。
それを理解していれば、すこしは世界の見方が変わっていくはずだが・・。

社会の中で生きていくのはとても孤独であり忍耐のいること。
そんな状況の中で愛を見失わないでいられる人に。
その人のそばにはいつも愛がよりそっている。
寂しさや悲しさの体験の中にも愛の匂いが消えない人に。
あなたはそんな人として生きていって下さい。
昼の空には見えない多くの星があなたのすぐそばによりそっているという真実を。夜に感じることができるのなら、昼間にも。
愛とともに生きられる人として、星の守りをいつも感じながら、純粋なる気持ちをこれからも開いていけるように。
今日をこれからを愛とともに生きていかれる決意をもって。今新たな歩みをはじめて下さい。

消えかけている愛の灯を

2009-08-23 | poem
すぐに吹き消されるような愛なら、最初から灯さない方がいい。
そんな生命の灯ではこの世界は生きていけない。
ただ、誰もが愛され生まれてきた。弱々しい火など最初からあるはずはない。
では、どこからくい違ってきたのか。人々の灯が弱々しく翳りはじめている。
すぐに吹き消されそうな輝きがあちらこちらに見うけられる。
これはどうしたことか・・。
あれほど愛の輝きが生まれた時の息吹は強いものなのに。今でも生命の息吹は響いているはずなのに。
こうして出会う灯は今にも消えそうな青みを帯びた火ばかり。

時代性と言えばそれまでか・・。人々が愛を強く求めている。
求めているという言葉では言いきれない、希求しているとでも言うのか。
青い火は人の弱まりを示している。こんな弱々しい灯でこの世界を渡っていこうとは・・。
先にある悲劇がすぐに予見できようものだが・・。
それでも毎日は続いている。耳に聞こえてくるのは、青い火の弊害ばかり。
行きようのない失望感とたえず襲いかかる閉塞感にさいなまれて。
こんなに灯りが弱いから先の見通しもきかない。
こんな時は大きな輝きが望まれる。そして、見せかけだけの強い輝きが人々の灯をさらに弱らせていく。

人々よ、気づきなさい。あなたが愛をほとばしらせていた時のことを。
今のあなたとなにが違うのか?
思考は狭い暗闇の堂々巡り。それなら、目をつぶればいい。
そして、自らの感覚を信じ、明るい方へ行きなさい。
研ぎすまされた感覚の夜に祭壇の前に立ち。膝まづき、明るい方へ祈りを捧げなさい。
自らの輝きをもう一度思い出すために。自身の灯をふたたび深く愛せるようになるために。

今のあなたに必要なのは遠い愛の記憶。これは目や耳に届くものではない。とても繊細なもの。
純粋で輝かしい愛を感覚を通してよみがえらせることができる。
夜空に多くの星が広がるように、そんな広大な感覚があなたの胸にも訪れるのです。
それまでは神聖な祭壇の前で愛を乞い祈りなさい。
一度は見失いかけた自身の心をふたたびそこに見出せるまで。
そして、自分がいかに愛によって生きてきたか。いかに愛によりそい生きていく存在かを、もう一度知るために。

ヒカリの祭壇を前に真摯に祈りなさい。自らの灯を純粋に輝かせていくために。
そして、知っていく過程で良いものと悪しきものの区別を。
今までの視覚とは異なる見方ができてくるはずだから。
愛の灯をともし生きていく存在であることを。
遠く夜空の彼方からこの世界へ訪れた時の感覚を、もう一度自身の中に思い出すために。

心が枯渇すると

2009-08-23 | message
"心が枯渇すると、頭にめぐるあらゆるものが悪い夢のようにあなたを追いつめていくでしょう。
疲れていてもそうなのです。いろんな思いが交錯したり、イヤなものにとりつかれたように思い苦しむ時も。
この悪い周回をどう良いものに変えていけるか。
静かな祈りはその周回を変えることができます。
愛ある出来事にぶつかれば良い方向へと心をいざなえます。
目をつぶり、すべてを捨て去る勇気とともに、自由を感じることも有効です。
やがて、悪い周回は消えていき、白くてあたたかなものがあなたを包むでしょう。
そこからはあなたの行きたい思考へとうつっていけるはずです。
大切なのは悪い周回に気づくこと。
そこで改め、自らを浄化すれば、また良いあなたへと戻っていけるのです。"

思い出について

2009-08-16 | message
思い出とは自分本位なものなのか。
今は亡き人の印象を良いものに感じることができるのは、自らが作り出した幻なのか。
いいえ、そうではないと今はかたく信じることができる。

心は人の印象を鮮明におぼえている。
その人の雰囲気のようなものを。心の色やカタチをはっきりと刻みつけることができるから。
いろんな印象をわたしたちは自らの中に引き出すことができる。

心のカタチとして、今は亡き人たちと交流を持つことがわたしたちにはできる。
これは生きている人に与えられた神からの恩恵?
この世界を生きていくための励みとなりうるヒカリの力?

いいえ、心はその人をカタチとして認識している。
心の性質がそうであるから。
わたしたちの中にある心というものは、いかに不思議で、また愛あるものなのか。

わたしたちは心のカタチとして、今は亡き人たちにふたたび会えることができる。
静かな時間にふとあらわれるいにしえの人。その情景。
そんなカタチに触れて、心はわたしたちになにを伝えようとしているのか?

いいえ、そんなことを考えなくても、いにしえの人を間近で感じ、印象として触れられるのは単純にしあわせなこと。
ふと、いにしえの人と交流をはかり、心の中になつかしいさやあたたかさを感じる。
何の代償もないこれは祝福。

そして、わたしたちは感慨にひたり、喜び、時に涙する。
そして気がつくのだ。わたしたちにはまだ与えられし道のりがあるということを。
その道のりをともに歩み、隔たった世界で今はお互いがいようとも、こうして通じ合いながらひとときの感慨にひたることができる。

思い出はこうして、わたしたちに確実ななにかを残してくれる。
思い出にひたった後に、涙し拭いて、こう宣言しよう。
"今は道を隔てても、いずれともにいられる愛する人よ。
わたしはここで。あなたは彼方で。今をこれからを大切に生きていこうと。"

大きな愛のカタチ

2009-08-16 | poem
無垢な心で生きていけるのなら、これほどいいものはない。
しかし、現実は厳しく、どれだけ心を守ろうとしても、すべてを守りきれるものではない。
人にはやさしく、愛ある行動をと。素直な心に襲いかかる冷たい刺の矢。それは確実に心に突き刺さり、心を弱らせ、自らの輝きを奪いとっていく。

だからといって、かたくなに心を閉ざしてみても、窓をしめ厚いカーテンをかけたような部屋に、ヒカリはさし込んでこない。
それでは心が疲弊していき、やがて、暗闇の中でいびつな輝きを宿すだけである。
窓を開く時を待って。カーテンを少しずつ開き、そっと外の様子をうかがっている。
そんな者たちが今の時代多くいる。
ヒカリは外からやってくるからと。内なる輝きと調和させるために。ヒカリを取り入れる準備をして。
がまんしながら、時を待っている者たちが多くいる。

生きていく術を学んでいくこと。多くを持ちすぎてもいらぬ闇を増やしてしまうだけと。
身を軽くしすぎても、長い冬は越せないから。
生きるための術を学び、心の輝きを守っていかないと。
本当の笑顔は、喜びにわく気持ちは、この厳しい現代社会を生きていく術を心得た者たちにもたらされていくもの。
知る機会は今も用意されている。心に願い、祈りを捧げるのもいい。
ひそかに思い、目の前にもたらされる時期を待っているのもいい。
機会を得て、学ぶ姿勢があれば、いつかは身につくものだから。

生きていくのことは素直に難しいことをまず認識し、それを乗り越えようと挑むのような気持ちを失わずに。
自らの心が求めている方向へ進めるように。心の声に従い、むかう先の意義を知ること。
誰もがもっている目的とそれに値する祝福を受け取れるように。
傷つき萎える心を彼方のヒカリはやさしく包んでくれる。
心の調和をはかり、彼方との交信を密にとれるように働きかけなさい。
傷はそれ自体がやさしさと強さに変わっていけるから。
輝きは深く、アジのある色あいへと変化していける。
生きていくことを暗い意味に止めず、明るみへと進む決意と自信を持って。
向かう先ははるか彼方にある言い表せないような輝き。大きな愛のカタチを自分がこの世界で宿せていけるように。

丘の上にある愛

2009-08-16 | story
だれもが力ない歩みでその丘を目指していました。
空は暗く、ヒカリのない世界。人々はうつむいて疲れきった足どりで。
胸の中の希望は消えかけていました。顔色にもあらわれているとおり、心の中にも今の現実にあるようなヒカリのない情景が広がっていました。

列の中に少女が母親につれられて歩いていました。手にはくたびれた人形をぶらさげて。
少女の顔にはまだ明るみが残っていました。
暗い道を進むのは怖いことだけれど、こうして母や父と一緒にいると、そんなことなどあまり気になにませんでした。
「ねぇ、ママ。どこまで行くの?」
「あの丘の上までよ」母親は疲れた表情に笑みを浮かべます。
「どうしてあそこに行くの?」
「それはね・・」母親はすこし考えて、「あの丘の上にはヒカリがあるからよ」
少女にヒカリの意味はわかりませんでした。しかし、これ以上聞くのもなにかいけない気がして、母親に笑い返します。
人々の中に話をする者などいませんでした。
だれもが淡々と上り坂をあがっていくだけでした。

人々がちょうど丘の中腹までさしかかった時。
誰からともなく"おぉ"という歓声が上がりました。
人々が顔を上げると、うねるような厚い雲の間から明るみが見え隠れしていました。
今まで明るみを見られなかった人々には、その光景は希望以外のなにものでもありませんでした。
今まで以上に足どりが前へ進みます。皆丘の上を目指しているのです。そこにヒカリがあることを信じて。

空の明るみがしだいに広がってきました。
そして、雲の切れ間ができ、そこからヒカリが斜めにさし込みはじめたのです。
人々の中から喜びの声があがりました。
大地に一直線におりているヒカリの帯はしだいに大きくなっていきます。
今まで下を向いて歩いていた人々の顔に晴れやかな表情が戻ってきます。わずかながらでも気持ちにもヒカリが戻りつつありました。
丘の上には空からのヒカリがだんだん明るみを作っているようでした。
人々の顔にはじめて希望がしっかり植えつけられていました。信じるものが確かなカタチとして広がっていくのですから。
そして、これまでとは違う、新たな勇気という力が気持ちの中に養われつつありました。
「ママ、見てみて。白い鳥!」人形を傍らに抱いた少女がうれしそうに声を上げます。
「ようく見ているのですよ。あのヒカリあの鳥たちがわたしたちの希望なんですからね」
母親も表情をゆるませて、空を見上げます。

"まだ丘の上につかない人々の中に息づきはじめる希望。
まだわずかながらの明るみを抱き、人は足を前に出していく。
一歩また一歩と上る道を行き、やがて、空をうかがえるような高みへと。
そこへ行くあいだに胸に養われていくもの。
生きるために必要な大きな愛と希望が、人々の中に確かに息づきはじめている。
親の愛を受ける、幼子の胸にも確かに響く愛という美しいカタチ。"

感覚から見た人生

2009-08-16 | essay
デジタルなものに頼ろうとしても、そこには不足に似た感覚から、行き詰まりを感じます。
アナログ的なものにすがろうとしても、どこかで時代錯誤的な違和感が残ります。
愛にすべてをゆだねようとしても、ひとときが過ぎると違和感というか一種の嫌悪感みたいなものが残り、しばらくたたないとそれは消えません。
けっして愛を受けいれないわけではないのです。でも、生理的なもので、ある一定の循環みたいなものがあって、それにそって生きていると思うのです。その循環に添って生きることそこ真の健全なのではないかと最近は思うのです。
いろんな要素が人それぞれに絶妙な配合で整っています。それを感じることができれば至福感として受け入れられる。
その要素のどれが足りなくても、不足感や時に劣等感・嫌悪感として気持ちの中にとどまるのです。
気持ちとは難しいもの。複雑でありながら、ときに単純性を誇示してきます。
そんな気持ちがいつもわたしたちのたもとにいつもある。
いろいろなことが起こっても実は不思議ではない状況にあるのです。
そこにさらに他人の要素が加わる。社会としてのハーモニーがあるのです。
ひとりひとりの魂は大切ですが、常にまわりの影響も受けざるを終えないという状況。
そんな毎日の中で、なにが大切かと言えば、良い感覚を受け入れられること。
それが幸福感に通じるものだと思います。
良い感覚とは? その時その時によって違うのです。また人のよってもまちまちなのです。
ある時見つからないこともあります。むこうからやってくるような状況の時もあります。
そんな毎日です。感覚から見た人生とはそんなものではないでしょうか。

わたしの街

2009-08-15 | essay
"静かに暮れていくこの街に。
愛着のある思いを抱いても、それはおかしなことではないでしょう。
いつも生きているこの街で、夜の静けさが今まさに訪れようとしています。
人はみな家路へと急ぎ、昼間の喧騒が嘘のよう。
明日またいつもと変わらず人がきて、この街をカタチづくっていくのです。
それまでのつかのまの休息。
街のネオンが静かに吐く寝息のようにゆっくりと灯り続けています。"