欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

風を感じる時間

2006-09-27 | essay
すっかり秋になって、風がどこか心地よくも淋しさを漂わせています。
お昼を過ぎると、すぐに夕方のような日ざしに変わります。
秋になるともの淋しさを感じはじめるのはなぜでしょうか。

昔は秋や冬が好きだった。
でも、今は冬から春にかけての早春の時期が好きかな。
思えば昔は雨の日が好きだった。
でも、今は長雨なんて本当にうんざり。いつまででも晴れていてほしい気分です。
どこかココロも世間の見方も斜にかまえていたのかもしれません。
じゃあ今は素直になったということか・・な。
自分ではよくはわかりませんが、写真は秋の花を写したというよりも、おだやかに揺らいでいたので、その風を撮りたかった。
まだまだ写真の技量はあがりませんが、写した私はそんなことを思っていたのです。あしからず。

自分を解き放つ鍵

2006-09-27 | poem
ねぇ、君はなんでうつむいているの?
なんで長い髪でその表情をかくそうとしているの?
君は他の人にはない美しさがそなわっているというのに。
君にはピュアな魅力がその身体にあらわれているのに。
なんでそれを自分で覆いかくそうとするの?

もっと髪を明るい色にしてみたらどう?
長い髪を肩ぐらいまでにしてみたらどう?
もっと明るい色の服を着るべきだよ。
Tシャツにジーンズでもいいじゃない。でも、Tシャツは明るくてかわいいデザインのものを着るべきだね。

君の魅力は君にしかない財産だというのに。
残念だけど、君はその宝物を重荷のように迷惑そうに毎日を過ごしている。
心と身体が不調和をおこしているんだね。
それじゃあどんなに明るい服を着ても、どんなにさっぱりと髪を切っても、どんなに持ち前の笑顔を作ってみても、今の君じゃあ、もったいないけどその宝物は生かしきれないよ。
君の心がそれにともなっていないから。
今までだってそうやって失望ばかりを覚えてきたんじゃない?

君が本当の君の笑顔に会えるのはいつのことかな?
君が自分の魅力を自分自身で磨けるようになるのは、どれくらい後のことなのかな?
君が自分の中に調和を見出して、心も身体も美しくなっていける日は、果たしてくるのかな?

自分を解き放つ心の鍵を見つけることだね。
君の心の中に閉じ込めてしまったものを開ける鍵を探さなくちゃ。
その鍵を見つけるのは容易なことじゃない。
でも、そのヒントは君の心の中にあるんだ。
とにかく自分自身に問いかけることだね。
自分を解き放ってくれる、その鍵のありかをね。

そして、いつの日かその鍵を見つけ出した時、心を解き放つ重い扉を開け放った時、新しい君の人生がスタートするんだ。
君自身の魅力を君自身が磨いていく。
君はどんどん輝いていき、そして、君自身がそれを楽しめるようになる。
君自身がその鍵を見つけないといけないよ。
こればかりは誰に聞いてもわからない。
君自身が見つけて開け放てる、君だけの心の鍵だから。

救いを求めるその声は

2006-09-27 | poem
心から救いを求めている声ーー。
その声の正体はいったい誰なの?
切なくて、どこか幼いところがあって、常にあたたかさを求めている。
あなたはいったい誰なの?

悲壮なまでにあなたが求めているものは、私の胸の中にあるというの?
あなたが心から渇望するものは、この胸のどこに宿っているというの?
ねぇ、あなたはなぜそんなに切実に、なぜそんなに健気な姿で、人に乞い求められるの?

あなたは誰?
いったいどこからやってきたの?
私の胸の中にある、なにを渇望して、ここまでやってきたの?

悲しみは宝物

2006-09-27 | poem
悲しみは私の大事な宝物。
いつも私とともにあるのよ。
いつも私のそばに寄り添っている。
悲しみはいつも私にささやきかけてくるの。
"本当にこれでいいの?"って。そう肩をたたいてくるの。
悲しみに振り回されていた時期もあるけど、今は大事な友だちよ。

悲しみはなにも育たない枯れた世界へと私を誘うことがある。
悲しみは暗いなにもないところに私を閉じ込めることがある。
悲しみは時に私にこうささやきかけてくるわ。
"本当にこれでいいの? いっそおしまいにしてみたら?"って。
悲しみは時に私を崖のそばまで誘うことがあるけど、私はもうそこから先には行かないわ。
悲しみはたびたび私を裏切ろうとするけど、今は大事な仲間なのよ。

悲しみはいつも私のそばにいる。
私はいつも悲しみを意識している。
でも、そんな悲しみのおかげで今の私があるのよ。
現実社会だけじゃない。感情の世界があることを教えてくれたのも、この悲しみだもの。
悲しみは時に私を奈落の底につき落としたりするけど、そこを抜け出た時の私は以前には考えられないくらいの大きな精神性を持っているのよ。
悲しみはこの現実社会を、時にかたくなに否定するけど、でも、それはもう私の考えの一部なの。
悲しみは今もこれからも、私の大事な宝物なのよ。

人の文章を見ると

2006-09-25 | essay
人の文章を見ると、その人の性格なり好みなりがなんとなくわかるから不思議。
メールなどを交換した時、そんな文章を見て、性格をいろいろ考えてみたりする。
私は文章も音楽的なところがあると思う。
独特の文章だったり、人それぞれ。クラシック調であったり、ロック調であったり、レゲエ調だったり。
自分のなかにあるリズムが自然と出てくるのだろう。
それは文章だけではないと思う。
絵を描いてもそう。なにかを作るにしてもそういう部分がある。
その人の性格なり好みなりが自然と出てくる。

私の文章はどうなのかな?
でも、私は自分の文章をけっこう気に入っています。
自画自賛ではないですけど、でも、自分の文章を好きになるのには、ちょっと時間がかかりました。
こんな文章になるまでは、けっこうマネなんかをしましたね。
自分の場合は川端康成氏の日本的な文章が好きだった。
ヘミングウェイ(これは翻訳されたものですが)の簡潔な文章も好きだった。
けっこうマネて書き続けた気がします。
そして、今の自分があるのかもしれません。

人が見ても好ましい文章。これは難しいですね。
でも、やっぱり自分の納得できる文章を書けるようになるのが、一番の早道かもしれません。
文章にかぎらず、何でもいいから自分のなにかに磨きをかけるということは、その行為によっていろんなことが学べます。
私も今まで文章を磨くことで、いろんなことを学びました。
「好きこそものの上手なれ」
好きだから長く続きます。
何でもいいのです。
自分が磨きをかけられるものをひとつ持っておくことは、人生を豊かにする良いの教材なのかもしれませんね。

半人前の天使たちが

2006-09-24 | poem
君がなにかの悩みをかかえて立ち止まろうとしていたとしても。
君がひとりぼっちでぼんやりと街をさまよい歩こうとしていたとしても。
心配しなくていいよ。

君はなにかを解決するために悩んでいる。
君はなにかを知るために淋しい思いをしている。
だから、心配しなくていいんだよ。

君が本当につらい時。
本当に淋しさで押しつぶされそうになった時には。
そんな時には、まわりを見回してごらんよ。
君の足もとや、まわりの建物のかげや、外灯の上なんかに。
見えないかい? 半人前の天使たちが、いつも君を見守っているんだよ。

ちょっと小さいから。本人たちなりに精いっぱいかくれてようとしているから、よくはわからないかもしれないけど。
でも、まだ半人前で、おっちょこちょいで、どこかうっかり者の天使たちだけど、君をずっと見守っているよ。
ほら、今でも頭隠して尻かくさずになっていないかい?

あの半人前の天使たちはまだ頼りないから。
君をうまくフォローはできないかもしれないけど。でも、あの天使たちは彼らなりに精いっぱい君を見守っているつもりみたいだよ。
本人たちは本人たちなりにがんばっているみたいだよ。
だから、大丈夫。君は心配しなくていいよ。
あんな半人前の天使たちだけど、君にピンチになった時には、かならずその力を発揮してくれるよ。
あんな半人前の天使たちだけど、もちろん本人たちもそのつもりでがんばっているみたいだよ。

あなたが待ち、受け取れるもの

2006-09-23 | poem
あなたが目をつぶりほほ笑んでいるのは、もうすぐ訪れるなにかを楽しみに待っているから?
両手をなにかもらえるように、子供のように天に差し出しているのは、これから受けとれるなにかを確信しているから?

あなたの顔はおだやかで、息もゆっくりと楽しそうになにかを待ちわびている。
その表情を見ているだけでも、この後なにがあるのかわかるから不思議。

あなたに待っているのは、しあわせなの?
あなたが受けとれるものは、やさしさ? 愛情? それとも、人肌のようなぬくもり?

あなたはなにも言わない。黙ったまま、ただ笑っている。
これからの未来をわかっているような、そんな表情。
あなたがなにを待ち、なにを受け取ろうとしているのか。
こうして見ているだけで、僕の心になんとなく伝わってくるのはなぜだろう?
こうして見ているだけで、あなたの気持ちや思い、そして、これからのことがなんとなくわかるのはなぜだろう?

わたしたちは日本人

2006-09-22 | essay
世界という視野に立つと、私たちは日本人という民族の一人であるということを突きつけられる。
日本人。
あなたは日本という国をどう思っていますか。
どれくらい愛国心というものを持っていますか。
愛国心というと、どこか軍事的な臭いがまだするのは、歴史的に仕方のないことかもしれません。
でも、時代は進んでいるのです。
私たちはどこかでもう一度日本というものを、愛国心というものをしっかりと意思表示する時がくるでしょう。
今はまだ日本という国に、日本人という民族性に、どこかシコリのようなものを抱えていますけど、いつかはしっかりと自分の意見というものを求められるはずです。

あなたにとって日本のいいところはどこですか。
あなたにとって日本人という民族性にどれほどの連帯感をおぼえられますか。

サクラ。散る桜の花びらにまだあの出来事を思い出してしまうけど。
それを乗り越えられた時に、私たち日本人はそこからどこへ向かうのでしょうか。
identity。
海外に出た私たちが世界の人々を前にまず戸惑うのがこの部分ではないでしょうか。

for my life

2006-09-22 | poem
私たちは戦っている。
生きるということは、ある意味戦い。
私たちは何と戦っているのか。
いろんなことが考えられるだろう。
でも、その一番は、自分自身なのかも。

自分と戦う?
そう思うだろう。
仕事をして疲れて、また家に帰って、子供の面倒をみたりして。
そんな毎日を送っているのに、自分と戦う?
そう思うだろう。
でも、その仕事を選んだのも、子供を授かり家族とともに生きていくことを決めたのも、自分自身。
自分の選んだ結果が、今なのだ。

戦いはいつまで続くのだろうか。
私たちはずっと戦っていかなければならないのか。
それも違う。
戦うこと(生きること)は大切なこと。
でも、休むこと(楽しむこと)も、また大切。
戦う姿勢を作ることも容易なことではない。
生きていくのは本当に大変なこと。
でも、戦う姿勢だけでは、自分が硬くなって、日々の変化に対応できなくなる。
受けなくてもいい災難に遭遇してしまう。
人間は硬いことも大事。でも、やわらかいこともまた大事。
戦う姿勢を解いて、楽に憩うことも大事なのだ。
笑うこと。楽しむこと。気分が明るくなること。
人間は硬い時もやわらかい時も大事。
変化するにはそれに対応するだけの自分の力がいる。
これはけっこうつらい。
でも、その両方がバランスを保ってこそ、本当の良い自分なのだ。

私たちは戦っている。
でも、戦いながらも、憩うことも大事。
それが意外に難しい。

不安がある時、悩み事がある時は、自分自身と戦う。
苦しい時や疲れた時には、自分自身を休ませる。
人生は晴れの日もある。雨の日もある。
たまには嵐もやってくる。
そんな人生の道を歩いていくこと。
どうせ歩いていくなら、いい自分で。
しあわせ。これを携えて、人生の道へ。
しあわせーー。
それは自分が心地よくて、素直でいれて、今の状態に感謝できる状態。
しあわせ。これを携えて、人生の道へ。

共生と調和

2006-09-21 | essay
偉大な詩人を父にもつオックスフォード大学教授マックス・ミュラー氏(1823-1900)は、「人生の夕べに」という本でこう記しています。

お互いに理解することを学ぶこと。
これは大いなる生きる術です。

そして、こうも記しています。

「お互いに異なっていることを受け入れる」こと。

このマックス・ミュラー氏は比較宗教学など、宗教を客観的・科学的に比較し検証した結果、上の言葉にたどり着いたのだと思われます。
これは宗教ということだけでなく、私たちの身近にも言えることではないでしょうか。
この言葉を目にして、私が最初に思ったのは、あぁ、やっぱり死ぬまで人間関係は続くのか、ということでした。
単純に考えてみればそういうことなのですが、この本を目にした時に感じた素直な気持ちは、そういうことでした。
私たちは生まれてきて、子供の頃も大人になってからも人間関係というものが断たれたことはありません。
そういう意味ではこれからも続くということなのです。
私たちはなぜか未来のこととなると、どこか現実離れした考え方になってしまうのか、こうした人間関係がどこかでいいように変わっていくのではないか、と考えてしまいがちです。ですが、こうした言わば当たり前のことを前にすると、どうも素直に受け入れられない時があるようです。
でも、この本を読んで、やっぱり人間関係なのか・・と、そう思いました。

しかし、ここからが大切なのです。
どうしても断たれることのない人間関係だからこそ、上の言葉、お互いにわかり合うこと。いや、わかり合おうとする気持ちを持つことで、人生が変わっていくのではないか。と、そう考えてみてはどうでしょうか。
この「人生の夕べに」という本は氏が亡くなってから、家族の方が書簡などを中心に編纂されたものなのだそうです。
だからこそ、この言葉には大きな重みがあるのでしょう。

私はこの本を読んで、共生と調和が人に与える大きな恩恵を思うのであります。