欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

旅人が教えてくれた星空の話

2010-05-17 | story
 子供の頃、わたしが眠りにつけず、リビングのソファーに寝そべって、夜風に揺らされている葉の音を聞いていると、廊下を通りかかった旅人のお兄さんがわたしのいる部屋に入ってきて、笑みを浮かべてこう言った。
「どうしたんだね。もうこんな時間なのに。眠れないのかい?」
 わたしがうなずくと、旅人のお兄さんはわたしのとなりに座って。
「長い旅をしているとね、とても寂しくなるときや不安になる時がある。それは場所がそういう雰囲気をかもしだしている時もあれば、一日のどこかで心にひっかかっている事柄がある時もある。」
「そんなときはどうしてるの?」
「テントの外に出て、空を見上げるんだ。そこには多くの星たちが輝いている。それをじっと眺めていると、なにか不思議な感じが僕の胸にくるんだ。それはとてもあたたかい勇気に満ちたもの。そして、その空に思いの丈をあかし、素直な気持ちをとりもどすんだ。
 人はいろいろなことから心のどこかで強がっていたり、変わっているように思い込もうとしていることがある。そんな歪んだ心では本当のひっかかりが見つかりにくんだ。だから、夜静かな空を見上げて素直さをとりもどすんだ。こんなに多くの星が僕の頭上には広がっている。そんなおびただしい数を僕たちは理解することができない。だから、祈り、乞うんだよ。この大いなる空を司る大きな力に自らをゆだねてみるんだ。そうすると、とても心が満たされていくんだ。そして、今ある自分に勇気がわいてくる。この世界で疲れた気持ちをリフレッシュさせてくれるんだ。
 雨や曇りの日には星は望めないけど、そんな時はいつも見ている星たちを雲の向こうに感じるんだ。慣れてくればいつでも星たちに会えるようになる。大きな力をいつも感じられるようになるのさ。これは僕の旅で培った、最大の恩恵なのさ」
「僕にも星たちの力を感じられるようになるかな?」
「それは大丈夫さ。僕だって旅に出る前は知らなかったことだから。昼は騒々しさや働きで大いなる力を感じるのは難しいけど、夜更け静かな時間にはそれが直で感じられるんだ。自分は一人なんかじゃないって、子供の頃母親に見守られているような心強さを今も感じられることができる。そう、大いなる力はいつも僕たちとともにいるのさ」
そう言って、旅人のお兄さんは笑った。
 わたしもなんだか心が軽くなった気がした。このお兄さんはある年冬のあいだ家(うち)に泊まり、あたたかくなると北へ旅立っていった。
 わたしはこの旅人のお兄さんからいろんなことを教わった。その中でもこの星空の話は今でも心が萎えそうな夜に心に浮かぶ話なんだ。

珠玉の贈り物

2010-03-17 | story
朝早く家の近くにある森をおじいちゃんと一緒に歩きます。
これはおじいちゃんと僕の朝の日課なのです。
朝霧のなかを小鳥の声を聞きながら、わたしたちは森のむこうにある小高い丘まで歩いていきます。
歩いている途中いろいろなことがわたしたちを待ち受けています。
「ようく耳をすましてごらん。小鳥の話し声がきこえるから。」
そう言っておじいちゃんは立ち止まり、目を閉じます。
わたしもおじいちゃんを見習い、静かに目を閉じます。
すうっとひんやり流れる朝霧の香りや小鳥たちのコミニュケーションが僕の体に入ってきます。
「人もそうだし、すべてのことに言えるのだか・・。」
おじいちゃんは目を閉じたまま話します。
「朝は朝の顔がある。昼には昼の夜には夜の顔がある。いつもわたしは一人の生命であるのだが、時間によって違う面が出てくるとでも言おうか・・。その時その時で違う面が光にあてられるから、その都度その都度良かれと思う姿を自分なりに引き出していかねばならない。」
僕にはすこし難しい話であったが、それでも黙って聞いていた。
おじいちゃんの話はその時わからなくても、後であぁこのことだったのかとうなずくことが多いのです。
「こんな気持ちのいい朝。時間がたてばいずれ活動の昼がやってくる。朝はすがすがしくて純粋。」
おじいちゃんは目を開けて微笑む。
「ほら、目をあけてごらん。こんなさわやかな空気に触れられて、わたしたちの心にもピュアなものが残っていくのだよ。」
わたしたちはまたゆっくりと歩きはじめる。
森をぬけて、小高い丘を目指す時、朝の高い空を見上げて、おじいちゃんは言う。
「見なさい。日ざしがわたしたちを祝福してくれている。今日一日をがんばるのだよと。精一杯生きていくのだよと。彼方からの光はそう伝えている。」
僕には本当かどうかよくわからなかったが、それでも朝の透き通るような青い空になにかの不思議なものを感じていた。
「あの丘までの道のりはわたしにとって楽しいひととき。この道筋で得るものの何と多いことか。これは人生でも同じこと。一歩一歩を、また一日一日を通して珠玉の贈り物が贈られる。」
そう言って、おじいちゃんは笑顔でわたしの方を見て。
「お前とこうして毎朝楽しい散歩ができるのも、わたしにとって珠玉の贈り物なのだよ。」

丘の上にある愛

2009-08-16 | story
だれもが力ない歩みでその丘を目指していました。
空は暗く、ヒカリのない世界。人々はうつむいて疲れきった足どりで。
胸の中の希望は消えかけていました。顔色にもあらわれているとおり、心の中にも今の現実にあるようなヒカリのない情景が広がっていました。

列の中に少女が母親につれられて歩いていました。手にはくたびれた人形をぶらさげて。
少女の顔にはまだ明るみが残っていました。
暗い道を進むのは怖いことだけれど、こうして母や父と一緒にいると、そんなことなどあまり気になにませんでした。
「ねぇ、ママ。どこまで行くの?」
「あの丘の上までよ」母親は疲れた表情に笑みを浮かべます。
「どうしてあそこに行くの?」
「それはね・・」母親はすこし考えて、「あの丘の上にはヒカリがあるからよ」
少女にヒカリの意味はわかりませんでした。しかし、これ以上聞くのもなにかいけない気がして、母親に笑い返します。
人々の中に話をする者などいませんでした。
だれもが淡々と上り坂をあがっていくだけでした。

人々がちょうど丘の中腹までさしかかった時。
誰からともなく"おぉ"という歓声が上がりました。
人々が顔を上げると、うねるような厚い雲の間から明るみが見え隠れしていました。
今まで明るみを見られなかった人々には、その光景は希望以外のなにものでもありませんでした。
今まで以上に足どりが前へ進みます。皆丘の上を目指しているのです。そこにヒカリがあることを信じて。

空の明るみがしだいに広がってきました。
そして、雲の切れ間ができ、そこからヒカリが斜めにさし込みはじめたのです。
人々の中から喜びの声があがりました。
大地に一直線におりているヒカリの帯はしだいに大きくなっていきます。
今まで下を向いて歩いていた人々の顔に晴れやかな表情が戻ってきます。わずかながらでも気持ちにもヒカリが戻りつつありました。
丘の上には空からのヒカリがだんだん明るみを作っているようでした。
人々の顔にはじめて希望がしっかり植えつけられていました。信じるものが確かなカタチとして広がっていくのですから。
そして、これまでとは違う、新たな勇気という力が気持ちの中に養われつつありました。
「ママ、見てみて。白い鳥!」人形を傍らに抱いた少女がうれしそうに声を上げます。
「ようく見ているのですよ。あのヒカリあの鳥たちがわたしたちの希望なんですからね」
母親も表情をゆるませて、空を見上げます。

"まだ丘の上につかない人々の中に息づきはじめる希望。
まだわずかながらの明るみを抱き、人は足を前に出していく。
一歩また一歩と上る道を行き、やがて、空をうかがえるような高みへと。
そこへ行くあいだに胸に養われていくもの。
生きるために必要な大きな愛と希望が、人々の中に確かに息づきはじめている。
親の愛を受ける、幼子の胸にも確かに響く愛という美しいカタチ。"

天駆ける馬

2008-11-04 | story
雪の降る夜、白い馬が山から空にむかって駆けていくのをわたしは見たのです。
凍える馬車の中で厚い織物の毛布にくるまって見ていたのです。
わたしはその時不思議には思いませんでした。
身を切るような寒さの中、沼に車輪をとられて、わたしたち家族の馬車が立ち往生していた時のことです。
後ろの荷車には母と妹が乗っていました。
しかし、馬の姿を見たのはわたしひとりでした。
澄みきった冬の空を駆けあがっていく馬の姿をわたしはずっと見つめていました。
その時不思議な感覚に満たされていて、そのまま声も出せずにじっとしていました。
白い馬は月の方へとむかっていくようでした。
馬の頭が確かに冴え冴えとした月にむいているようでした。
なんの音もしない冬の夜です。
わたしがずっと馬の姿を見つめていたからでしょうか。雪の降る夜がやけに明るかったように思えるのです。
父がわたしの肩に手をおくまで、わたしはまわりのことに無関心でした。
ぬかるみから車輪を出し終えた父が心配そうにわたしを見ていました。
わたしは父に気づいて顔を見ましたが、なにも言いませんでした。
"もう大丈夫だ、うしろで休め"
父の言葉にわたしはうなずいて、馭者台からおりました。
おりた時、もう一度空を見上げてみましたが、馬の姿はもうどこにもありませんでした。
荷車に行くと、母と妹がよりそうように眠っていました。
母がわたしが入ってきたのに気づき、顔をあげました。
わたしは母に抱きつき、厚い織物の毛布にくるまりました。
わたしたちの住む新しい町はもうそこにありました。
馬車が動き始めて、わたしは目をつぶりました。
そして、さっきまで見ていた馬の姿をまぶたの奥に思い出そうとしました。
しかし、なかなか馬はあらわれず、その後すぐに眠りに落ちてしまいました。
次に起きた時にはもう新しい家の前まで馬車はついていました。
だいぶ後になって、天駆ける馬を見たものは幸運が訪れるという町の言い伝えを、わたしは新しい友達から知ることになるのです。

月が照らす道

2008-02-06 | story
"ぼうや、足が痛くなったの? しばらく休みましょう。
その道の端でしばらく休みましょう。"
私と女の人は岸の端にもたれるようにして、しばらく休むことにした。
私はとても悲しかった。月が出ていることも。とても強い光を発していることもわからないくらいに。
"足は大丈夫? これからしばらくあるけれど・・。"
女の人は私の足を気遣ってくれる。足をさすってもくれたが、私はすこししてもういいよと断った。
女の人はそれ以上なにもしなかった。
私はとても悲しくて、女の人がどういう表情を浮かべていたか、見る余裕もなかった。
"大丈夫? もうすこしだから。がんばれる?"
私は深くうなずいた。そして、また歩きはじめた。
道は岸に添って続き、だんだんと上っていた。
そのむこうで道は左に折れ、月と海が広がっている。
波も立たない、本当に静かな夜だ。
私は歩き続けた。女の人は私のそばを離れなかった。
それから二人、なにも言わずに夜の道を歩き続けた。
"もうすこしだからね。がんばりましょう。これからも仲良く、なんでも話せるようになりましょうね。"
私はなにも言わずに歩いた。
こわばった表情を浮かべるでもなく、ただ月の明るいのだけを気にしていた。
女の人は私のそばを離れなかった。
母親をなくし、ひとり孤独になった私を家から連れ出してくれた、やさしい女の人なのに。
その時の私は、月の明るいことしか気にすることができなかった。

泉のふち

2008-02-01 | story
ひとりの旅人が泉のふちを通りかかりました。
旅人は泉を見て、ふと足を止めました。
そして、泉のふちのある石に腰かけて、しばらく泉を眺めていました。
旅人の旅は厳しいものでした。
自分にふりかかってくるつらいものの連続でした。
でも、この泉を見ていると、そんな苦しみを忘れることができるのです。
静かな水面を見いているだけで、不思議と安らいでくるのです。
旅人はしばらく泉の方を眺めていました。
この間だけは旅のいろいろなことを忘れようと。
旅人はしばらく安らぎ、また旅立っていきました。

しばらくして、またひとりの旅人がその泉のふちを通りかかりました。
その旅人も泉の方を見て、足を止めました。
そして、ふちの石に腰かけ安らいでいきました。
その次の旅人も。またその次の旅人も安らいでいきました。

泉の水は澄んでいる。
空を映す鏡のように。
静かに、波立たず。いつまでもそのままに。
いつまでも純粋なありのままに。

昼が過ぎ、夜がやってきて、また朝が訪れます。
泉のふちには旅人がやってきては、そこで安らいでいきます。
静かに。動じず。純粋な姿のままの泉に。
まるで自らの心を顧みるように。
自らの心もこうなるようにと。

ロウソク越しの感情

2007-10-26 | story
"おぉ、これはどうしたことか。
ここはいかなる場所なのか。
私はいつからこんなまやかしの場所へときてしまったのだ。"
そう言って、あたまを抱える年老いた男。
ロウソクの先に見えるものは、まだ年のいかない幼い子供の姿。
"お前はどこからやってきた?
私を笑いにでもやってきたのか?"
幼い子供はロウソクの明かりのむこうから、老人をじっと見つめている。
老人だけの淋しい住処。
ロウソクの明かりだけの部屋に、子供の姿が。
"お前はなにをしにやってきたのか?
まさか私をむかえにでもやってきたのか?"
子供はおだやかな表情を浮かべて、老人をじっと見ている。
そのあどけないやさしい顔に、老人の心もしだいになごんでくる。
"不思議なことだ。お前を見ている私の心は、しだいに明るくなっていく。
お前はどこからきたのかも教えてくれない。
ここになにをしにやってきたのかも。
しかし、これが幻想でないことは確かなようだ。
いいや、たとえこれが夢だとしても、私は今の記憶を一生とどめておくだろう。
実に不思議なことだ。生命を感じられた、これは貴重な瞬間なのだから。"
老人の口もとに笑みが浮かんだ。
"実に不思議なことだ。
お前の顔を見ている私は、とても気持ちが豊かになる。
なんともいえないあたたかい気持ちが胸の中にわいてくる。
私はいつまでもこの感情を憶えていよう。
そして、人間というものをもうすこし踏み込んで考えてみよう。"
幼い子供はやさしいまなざしでじっと老人を見ている。
ロウソク越しに通う感情。
"不思議なものだ。
息子たちの孫のようなお前が、今ここにいることは。
しかし、私はこのことをこの気持ちを忘れないようにしよう。
胸の奥に刻まれたものを。このあたたかな感情をいつまでもなくさないようにしよう。"

青年と月

2007-10-18 | story
暗闇の森を青年はひた走る。
弓を背中に背負い、木から木のあいだを。
眠りにつこうとしていた森の動物たちも、青年の動きの早さに鳴きも出来ず、動かれもせず、ただきょとんとその場で見守るのみである。
大きな月が照る夜。満月が晃々と森を照らし出している真夜中のことである。

青年はひた走っていく。
木から木へと。颯爽と。

月はじっくり大きな森をまぶしいほどの明るさで照らし出す。
生命力をたぎらすような、静かな威厳を森に与えている。
何の変化もみられないような静かな森。しかし、この寝静まった森に一筋の輝くような動きがあることを、月はもう感づいている。

青年は颯爽と走りながら、背中の弓をつかみなおす。
そして、走りながら矢を手に、弦をからませていく。
青年の走りはすばやさを増していく。
暗い森の中を。颯爽と、一筋の光のように。

月は大きな輝きをもって、その森を照らし続ける。
広大で、ぼんやりしたような金色で、森の深い緑をいぶりだす。

颯爽と走っていた青年が、ある場所で、木を駆け上がりはじめる。
そして、断崖のようなゴツゴツとした岩の間をのぼりだしたのだ。
すると、しだいに、ごうっとという地の底から響いてくるような音が。
青年が岩を駆け上がると、そこは広大な滝があらわれる。
大きく弓なりに広がる滝に、大河のような水がなだれ落ちているのだ。
青年の顔や身体に、白い蒸気のような水しぶきがかかっていく。
下の方からこみあげてくる風。
青年は水でぬれた顔を天にむけると、そばにあるような広大な月をにらみつける。

金色に輝く満月。
それが今、青年のすぐそばまでせまってきているような威圧感である。
あらためてその大きさ、威厳に、青年は息をのむ。
しかし、それに臆することなく、手にした弓の弦を引きはじめる。
矢は月へむけて。
片目をつぶり、青年は照準をさだめていく。
青年と月。
静かな緊張の時が流れ、滝のしぶきに目をとられることなく、青年は月に向かって弓を引いた。

"この村に古くから伝わる逸話である。
もし、なにか切実な願いがあれば、満月の夜、天に一番近いところで、天に向かって弓を引け。
その矢が月に届けば、月の色が赤く染まりはじめる。そうすれば、どんな願いもかなうのだ。
しかし、その月は古くから神の化身に例えられる、偉大なもの。
そこに矢をむける勇気と気づもりがあればのことだ。
もし、矢の届かぬ場合は、月を射ろうとした過ちを自ら背負うことになるだろう。
それでもなお、切実な願いごとがある時のみ、この話を行動にうつすがいい。"

アヴェ・マリア

2007-10-14 | story
私は部屋の隅で凍えていました。
頼りの兄も両親とともに出て行ったまま、今ここにいるのは、私とまだなにもわからない幼い妹だけでした。
私はとても不安だったのです。
そんななか、この手に抱いている妹の毛布ごしの体温だけが私のなぐさめになっていました。

夜が近くなると、部屋はひっそりと暗くなり、不安がさらに増していきました。
私は今にも泣き出しそうな声で、何度も何度も兄や両親のことを呼んでいました。
しかし、あまり大きな声を出すと、今眠っている妹までも怖がらせてしまう。
そう思って、必死でひとり不安と戦っていました。
そんな私の気持ちを、暗闇がさらに不安や恐怖をあおっていくのでした。
私たちはこれからどうなってしまうのだろう。
奈落の底にでもいざなわれていくのではないか、そんな不安が私の胸を支配していきました。

そんな時だったのです。
窓の外から、とてもあたたかな声が聞こえてきたのは。
私は恐怖から解放されるように、いや、そこから顔をそむけられるうれしさを感じるように、その声を懸命に聞こうとしました。
その声は近くの教会からの声だったのです。しかし、それがわかったのは、かなり後のことでした。
それよりも、やさしい歌声の持つあたたかみやなにか不思議な力のようなものをこの胸のとり入れようと、そのことに必死だったのです。
その歌声は私に多くの安らぎを与えてくれました。
身体にふうっと力が湧いてくるような、そんな感覚を今でも憶えているのです。
それまで私の心を支配していた不安や恐怖が、さぁっと取り払われて行くのを感じていました。
その声はたぶんクリスマスを前にした"アヴェ・マリア"の練習をする声だったのでしょうか。
やさしい歌声が不思議と私から不安や恐怖を取り除いてくれたのです。
そして、この恐怖の終わりへ私たちを導いてくれたのです。
暗闇の中に一筋の光がさしこんできたように、あぁ私たちは大丈夫なんだと、そう思えた瞬間でした。
そして、現実もその通りになっていったのです。

窓のむこうに明かりが見えたのは、それからすぐのことでした。
話し声が聞こえてきて、私の名前や妹の名前を呼ぶ父や母の声。
それを耳にした時には、不意に力が抜けていきました。
普段であれば、一気に泣きわめいてしまう私でしたが、その時にはもう安心が胸にありましたので、とても冷静でいられたのです。
両親や兄は、私がひとりで妹を守ってくれていたことを、何度もほめてくれました。
私も一人の人間として認められるようになったことを、後々まで喜ぶことができたのです。
でも、今になってみても、あの歌声がなかったら、私はどうなっていたかわかりません。
あの歌声が聞こえた瞬間、とても安らいでいられたこと。
そして、なにかの大きな力が私のそばにきて、私とともにいてくれたことを、不思議に今でも憶えているのです。
この感覚は、いつまでも私の胸に残ることとなりました。
その時、妹はどう思っていたのでしょうか。
今になって、妹にあの頃のことを聞いてみるのですが、残念なことに妹はそのことを記憶にとどめていないのです。

あれから十数年の時が流れました。
あれ以来、私はそんな歌声を聞く機会を逃してきましたけれど、あの時に感じたこと。その不思議な力を、今も糧に生きているのです。
そう、私の耳には今でもあの歌声が聞こえてくるのです。
これは嘘ではない、私の本当のことなのです。

男の子の兄弟

2007-10-03 | story
ある晴れた日のことです。
私は壊れたイスをどこかへ運んでいました。
子供二人をつれて。その子たちは私の子供ではないのです。
どこの子かもわからない。でも、二人は兄弟のようです。

私が重そうに運んでいるのを、二人は手伝ってみたり、追いかけっこをはじめてみたり。
私はしだいにイライラしはじめました。
そして、男の子たちにこう言ってしまったのです。
「もう手伝うのはよしてくれ。そんなことをしても、なにもあげるものなんかないんだよ。
どこか遊びにいってくれないか。なんならどこかで、このイスを直す板なんかを見つけてくれたらいいんだが。
でも、そんな都合のいいもの、そこらへんにあるとは思えないけどね。」
私はそう言って、イスを運び続けたのです。
いつしか私は一人になっていました。
二人の男の子たちはどこかへ行ってしまったのです。

私は狭い工房へとイスを運びました。
そして、入口にイスを置くと、そのそばに三、四枚のクズ板が乱雑に置かれていました。
その時私は気づかずに、イスを中へと入れるのに必死でした。
そして、中に入って、イスを直す算段をしていた時に、ふと思い出したのです。
もしかすると入口にあったクズ板は、あの男の子たちが持ってきたものなんじゃないかということを。

私はそのクズ板のところへ行きました。
三、四枚重ねてあるクズ板。それを見ていると、なんだか切なくなってきたのです。
自分があの子たちにどんなことを言ってしまったのか。
その時、とても胸が締めつけられたのです。

もう男の子たちの姿はどこにもありませんでした。
どこかに遊びに行ったのかもしれません。
あの子たちに悪いことを言ってしまったな。私は心からそう思ったのです。
自分の気持ちとは裏腹に、あの子たちはここへクズ板を精いっぱい運んできたのです。
それを思うと、さらに胸がしめつけられる思いでした。

そこでふと思い出したのです。
私にも兄弟がいたことを。
そして、しばらくその兄弟と連絡をとっていなかったということを。
ぽかりと空いた胸の中に、昔私と弟がなかよく遊んでいた頃のことがぼんやりと思い出されてきたのです。