欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

夢で逢えたら

2007-01-31 | poem
あたたかな日ざしをあびて、草原に寝そべっていました。
目をつぶって、大の字になって。
あたりのやわらかな雰囲気に、ウトウトと眠りかけている時でした。
ふと、私の耳もとで声がしたのです。
"ねぇ、遊ぼう。ねぇ、遊ぼうよぅ。"
小さな幼子の声でした。
私は目をあけると、顔のまじかでこちらを見ているひとりの男の子がいたのです。
"ねぇ、遊ぼう。遊ぼうよぅ。"
男の子はおねだりするように、しきりにそう言って、私を見つめるのでした。
この男の子はいったいどこから来たのだろう。
足音もなにも聞こえなかったのに。
私がすこしウトウトしている間に、どこからかやってきたのだろうかと、私は半身を起こしました。
男の子は私が起き上がると、もう遊んでくれると思ったのか、うれしそうな顔をして私のまわりを走りはじめました。
"ねぇ、なにして遊ぶ。なにして遊ぶ。"
男の子は無邪気に私のまわりを駆けまわっています。
私はきょとんとして、そんな男の子の姿を眺めているだけでした。
すると、男の子は私の正面にきて、
"ねぇ、遊ぼうよぅ。遊んでくれないの。ねぇ、遊んでくれないの。"と、悲しそう表情を浮かべたのです。
私は男の子にほほ笑みかけて、"遊ぼうか。"と、言いました。
男の子はまた大きな声で、"遊ぼう。遊ぼう。なにして遊ぶ。"と、私のまわりをうれしそうに駆けまわるのでした。

私は起き上がって、男の子となにをして遊ぼうか考えていると、ふうっと意識が飛びました。
そして、次の瞬間、私はいつも部屋でいつものベッドで目が醒めたのです。

とても印象に残る不思議な夢でした。
夢から醒めても、男の子の顔や動きが克明に思い出せるのでした。
そして、"遊ぼう遊ぼう"とおねだりする男の子の表情と、"なにして遊ぼう、なにして遊ぼう"と喜んで私のまわりを駆けるその姿が、私の脳裏にはっきりと焼きついているのでした。

私はベッドから起きて、しばらく考えました。
なぜかその男の子をどこかで見たような気がしたのです。
しばらく男の子の顔や印象を思い浮かべていました。
そして、ようやく私は気づいたのです。
その男の子が私の幼い時の写真にそっくりなことを。
それに気づいた時、私の胸のなかですうっとなにかが落ちるような、楽になるような感じを受けたのです。
胸のつかえがとれたような、そんな爽快感がわき上がってきたのでした。
幼い頃の私は今の私になにを語りかけているのだろうか。
それからもしばらく私はベッドの上で考えていました。

うす曇りの朝でしたが、私の気持ちは澄んでいました。
今日は用事をやめて、わが子と遊んであげるかな。そんな気持ちになっていました。
私の心が自分にむかってなにかを語りかけている。そんな感じのするうす曇りの朝でした。

ゆとりとは強さなのです

2007-01-29 | message
最近、星空を見上げることはありますか。
道のはしの小さな花に目をとめることはありますか。
おいしいと心から思える食べ物を、最近食べたりしていますか。

私たちは日々を生きています。
そんな毎日が単調に流れていくように思えるのは、日常でのムダことを自分で判断し省いているから。その流れが自分自身でわかっているから。効率よく、必要最小限のリスクで毎日を乗り切っているのです。
そんな毎日を否定してはいけません。
むしろ無難に過ごしていることを、ほめてあげるべきなのです。

ですが、この無難な日々のなかに、なにか一つ忘れていることはありませんか。
あなたの気持ちは、なにかしらの欠乏感にさいなまれてはいませんか。

私たちは毎日を無難に生きています。
それはとても大切なことなのです。
でも、それだけでは生きていてあまりに空しい。
心はそれをよく心得ているのです。
そして、心は自分に訴えかけるのです。
ねぇ、このままでいいの?って。
なにかを忘れてはいない?って。

最近あなたの心に感動はありましたか。
なにかを見て、すごく感じ入ることは最近ありましたか。
心はそれを求めているのです。
そして、自分に向かって、そんなことがもうしばらくないよって、正直にそれを訴えかけているのです。

なにかを見てきれいだなぁと思う。
なにかを食べておいしいと思う。
なにかに触れてうれしいと思う。
そういった一つ一つの感動が、心の栄養源になるのです。
そして、心はいつもそういうものを求めているのです。

要するに、人間はゆとりがないと満たされた生活は送れないということです。
私たちの気持ちのなかには、このゆとりに対する罪悪感みたいなものを知らず知らずのうちに持ってしまっています。
だから、心にはなにも与えないで、いつもかんばろうとする。そこには大きな落とし穴が生まれるのです。

心はとても正直です。
その訴えを無視していれば、またどこかの部分に支障をきたしていくことは間違いないことです。
これも一種の調和なのです。
ゆとりのある生活を送ること。ゆっくりと過ごすこと。
それはとても大切なことなのです。

ゆとりを持つということは強くなくてはできません。
自分のペースというものを自覚してないとできないからです。
まわりとの妥協も必要になるからです。
日常のいろんなことに振り回されていては、なにも感じ入れないのです。

ゆとりを持ちましょう。
それを持つ強さを備えましょう。
あなた自身のために。
そのゆとりから生まれるものは、自分にとって絶大なる力(パワー)になること間違いなしです。

これからの私は・・

2007-01-28 | essay
これからの私は一種のセラピーとして、詩をメッセージを書き続けたいと思っています。
そこには宗教的な癒しも含めてです。日々に感じること、普段の生活で思ったことなどをたくさん盛り込んで。
これからの私はそういったものを真のカタチにできるように、また、本屋さんにおいてもらえるような純粋で芸術的なものになるように、創作していこうと思っています。

現代社会は便利になり、スピードが増して、そして、人の倫理や精神性が問われる時代になってきています。
私たちはそんな心的な荒波を乗り越えながら生きていかねばならないのです。
日々のめまぐるしさとハードルの高さに自分を見失いそうになることもあります。
感情が複雑に入り組んで、自分でも解決という言葉が浮かんでこない時もあります。

だからというわけではないですが、私はこんな時代に見合った詩やメッセージを作り続けていこうと思っているのです。
誰もが幸せな気分になれるように・・、自分自身をとり戻していけるように・・、それはとても難しいことですが、喜びも悲しみもすべてを含めて、私は詩をメッセージを創作していきたいと思っているのです。

※この時、かもめは一心に海を見つめていました。
かもめはいつこの街を飛び立っていくのでしょうか。
新たな地を求めて、翼を広げて旅立つ日は、明日でしょうか。あさってでしょうか。

このわたしを、大切に

2007-01-27 | message
わたしはわたしでいます。と、なぜ言えないのでしょうか。
わたしはいつまでもこのままのわたしでいます。と、なぜみんなの前ででも、それをはっきりと言うことができないのでしょうか。
みんなの集まったその雰囲気に、なぜいつも流されてしまうのでしょうか。

でも、こういう考え方もあるのです。
人が集まった時の雰囲気というものは、いわばごちゃごちゃに混ざり合ったコラボレーションみたいなものだから、そんな時には自分一人の雰囲気なんてやっぱり出にくい。
そこに集まった人たちで作られたハーモニーが奏でられるのですから、自分がそこに染まってしまっても、それはしかたのないことなのです。
多くの人が集まったら、その雰囲気にすぐ染まってしまう人。雰囲気の中にいつも飲み込まれてばかりいる人。そうかと思えば、そんな雰囲気をもり立てていく人もいる。
人さまざまです。
でも、そこに個性だの何だのと言ったところで、何もはじまらないのです。

多くの人のなかにいると、自分が消えてしまうと思っている人。
それはそれでいいじゃないですか。
その雰囲気をあくまで壊すことなく、ハーモニーの一部になっていたとしても、けっして悪いことではありませんよ。
その場その場に作られるハーモニーを、その時その時で楽しめるようになっていけばいいんじゃないですか。

でも、すべてが染まってはいけませんよ。
あくまでわたしはわたし。
はっきりと、わたしはやっぱりこれからもわたしなのです。と言えるくらいの、それをしっかりと心に刻んでおけるくらいのわたしになっていきましょう。

どんなわたしでも良いわたしになっていける。
いいえ、わたしはいつまでたってもあまり魅力的でないわたしだと思い込んでいる人。
それならなおさらいい自分を見つけていきましょう。わたしの魅力というものを。
そして、それを見つけたらどんどんと磨いていきましょう。

そういう考えを持っておくといいですね。
すばらしい人生を歩む上で欠かせない大きな要素ですからね。

午後の庭にて

2007-01-26 | poem
昼も過ぎようという、太陽が頭上高く輝いているあたたかい日でした。
いつものように、広大な庭の泉のほとりでは、楽器を手にした若い男が演奏を続けていました。
そのまわりにはうら若き乙女たちが集まっていました。
乙女たちは演奏の合間にある楽しい会話にも花咲かせるのでした。
男の奏でる楽曲は、男の創作による詞も入れられていました。
男は演奏の途中で、そんな詞を乙女たちに聞かせてあげるのでした。

あたりの草々はみずみずしく、時折蝶々が舞い降りてきます。
泉の水は澄んでいて、強い日ざしがそこらここらに輝いていました。
男の奏でる楽曲は、そんな雰囲気の中、ほどよく調和していました。

ハープのような楽器をたくみに操り演奏する男。
その楽曲をくつろいだ姿勢で聞い入っている乙女たち。
男の発する演奏や詞は、まるで神の詩(うた)のように明るくあたたかく、聞いている者にやすらぎを与えているのでした。

男はふと演奏の手を止め、乙女たちとの会話に花を咲かせます。
乙女たちはこれからの未来について楽しく語りはじめます。
楽しい会話が続き、すこしの沈黙がやってくると、また男は楽器を手にして、演奏を続けるのでした。
そして、自作の詞をその中に盛り込むのでした。

"心の杯が満たされない人たちに。
愛を欲してもなお心渇いているたち人に。
狭き暗がりに包まれ、さ迷い続ける人たちに。
途方もないむなしい希望に振り回されている人たちに、この詩(うた)を。

私の心の杯は満ちあふれている。
私を取り巻く、この人たちの心の杯も満ちあふれている。
なぜなら、やさしさを与えれば、それがかならず返ってくることを知っているから。
喜びを分かち合うことが、どんなに大切なことか、それを昔よりよく心得ているから。
私たちはやさしさに包まれている。
それは私たちの使う言葉が、人を励まし、力づけるものばかりだから。
お互いの壁をつくらず、調和という魔法をいつも使い続けているから。
だから、ここには明るみとあたたかさしか存在しない。
そして、これからも永遠に。

心の杯が満たされない人はここに集うがいい。
そして、ともに分かち合おう。
あたたかい言葉を。あたたかい気持ちを。
さぁ、ここに来て、心の杯が満たされていくのを、身をもって感じるといい。
与え合う喜びを、そのかけがえのなさを、本当の意味で理解するといい。"

朝の鐘

2007-01-24 | poem
鐘が鳴っています。
私の耳の奥まで響いてくるその鐘の音。
私は目をさまし、そのまま動くことなく、その音を聞いているのです。

朝の鐘。
その音は私の心に心地よく、まるでこれからの一日を祝福しているようです。
私はその場を動くことなく、じっと鐘の音を聞き入っています。

とても静かな朝なのです。
小鳥のさえずりも聞こえない、晴れになりそうな朝なのです。
白いレースのカーテンが徐々に明るんでいきます。
寒くもなく暑くもない、本当におだやかな朝なのです。

鐘が鳴っています。
私はそのまま動くことなく、その音を聞き入っています。
その後もしばらく鐘の音は鳴り続けていました。
まるでこれからの一日を祝福しているように。
そんな明るくておだやかな高台からの響きだったのです。

私の願い

2007-01-23 | poem
すべての感情がなくなってしまったかのような、空しい表情で遠くを見つめいるあなた。
その顔から表情がなくなって、もう久しい。
悲しみすら感じなくなったような味気ない顔つき。
でも、あなたの顔には笑いがあったのです。
その頃のことを私はまだ憶えているから。あなたにはこれから笑ってほしいのです。

あなたの心がまだ完全に凍りついていないことが、私にはわかっているから。
あなたの中にも無限に湧き出てくる感情の泉がまだ残っていることを、私は確信しているから。
それはあなたにもわかっているはずだから。
あなたには笑顔をとり戻してほしいのです。
その顔に、その身体に、豊かな感情が通っていることを、あらわしていってほしいのです。

今、あなたの心は凍りついたように冷たい。
でも、それがあなたの本来の姿ではないことを、私はわかっているから。
あなたにもそれはわかっているはずだから。

だから、こうして私はあなたに寄り添っているのです。
あたたかい思いに触れられれば、あなたにも以前のような豊かな感情が、やわらかい笑顔が、ふたたび戻ってくることを、私は願っているから。
だから、あなたの心をあなた自身が見つめ返してほしいのです。
こんなに寒い心の世界で、まるですべてが凍りついて動けなくなったかのような自分の世界を、ふたたび見つめ返してほしいのです。

そして、ふたたび豊かな感情が通っていけることを。
以前のようにあたたかい心がとり戻していけることを、あなた自身に確信してほしいのです。
それが今の私の願いなのです。

自分への勇気

2007-01-23 | poem
あなたはなにをそんなに悩んでいるのでしょう。
自分で作った幻想の暗がりに、いつまで縮こまって生きているのでしょう。
あなたは今まで、あなたにとってベストな選択をしてきたのです。
それを否定していたって、いったいあなたにとって何の得があるのでしょう。

いろんなことを考えても、そこからはなにも生まれません。
あなたの選択は今まであなたにとってベストな選択だったのです。
それにしたがって生きてきたことを、自分自身に責めたところでいったいあなたに何の得があるのでしょう。

あなたにはあなたを理解してくれる人がかならずいます。
そして、その人なら今の私と同じことを言ってくれるでしょう。
あなたの顔をみて、おだやかな口調で、あなたに共感しそう助言してくれるでしょう。
あなたの選択は、今のあなたにとってベストの選択だったと。
それを否定したところで、あなたにとって何の得があるのだろうと。

自分を受け入れる勇気を持つことです。
人生、晴れの日があれば雨の日もある。それは誰の人生でもあることなのです。
そして、最後まで自分のことを信じてあげること。一番の理解者になってあげること。
これを勇気をもって行っていけばいいのです。

それをし続けたとき、あなたにも自分を大切にできた分、外側にもなにかしらの変化が起きていることに気がつくでしょう。

少年は高台にのぼって

2007-01-22 | poem
少年は高台にのぼって、夕暮れの街並を見下ろしながら、なにを考えていたのでしょう。
夜をむかえる、夕のいそいそした雰囲気の住み慣れた街並を見下ろして、少年はなにを思っていたのでしょうか。

少年の胸にはいろんな思いがありました。
お父さんのこと。お母さんのこと。近所の人のこと。学校のこと。好きなお菓子のことなど。
たくさんの思いでいっぱいだったのです。

少年はこの高台に一人でのぼってきました。
自転車を押して、誰をともなうことなく一人で。
少年にも気持ちの変化がでてきたのです。
すこしずつ大人になる準備として変化が。

少年は高台から夕暮れの街並を見下ろしながら、ひとつの思いにたどりついたのでした。
夜を迎えつつある、夕暮れのあわただしい雰囲気の街並をじっと見つめながら、少年はひとつの思いに心踊らせるようになっていました。
僕は○○になるんだ。
大人になる、夢のはじまりの第一歩目でした。
それは少年の胸に生まれた、かたく強い思いでした。

街も花咲けば

2007-01-21 | essay
以前美輪明宏さんが言っていたのですが、日本人の心が病んでいくのはあながち精神の問題だけじゃない。
街を見回してごらんみなさい。
灰色のアスファルトや色あせた建物、そこには芸術もなければ何の感慨も湧いてこない。
その点、ヨーロッパなどは違う。
そこには視覚からの感慨があると。
こんな無機質のような視界が広がっていれば、心もしだいに健やかさを失っていくのだと。

確かに私の住んでいる街もどちらかと言えば味気ない建物ばかり。
自然は都会に比べるとある方に思えるが、どうなんだろう。やっぱり視覚からの感慨なんて生まれないかも。

建物にも人がそれぞれ工夫できる余裕ができてくるといいのに・・、そう思えればいいけど。
余裕は自分で作っていかないといけないんだよね。
いつかは余裕を・・なんてなことを思っているうちはいつまでたっても余裕なんか生まれない。
どうも日本人の考え方には余裕というと、楽しているとか怠けているみたいな罪悪感に近いものを持ちあわせているようだけど、外国に旅した人ならわかるはず。
日本人ほどこんなに狭々しく顔をうかがいながら生きている民族もいないということを。
悪い面ばかりじゃないけど、そこらへんはやっぱり変えていくべきかな。

余裕を持っていると良い部分がたくさんあることに最近気づいた私。
まぁ、あまり余裕顔っていうのもかえって目立ってしまうから、プチ余裕みたいなものはいつも持ちあわせていたいと思っている毎日ですね。

※ここは日本のナポリ。なんて言われていた私の街。
たくさんの良い建物が、これからいっぱい造られるといいのですね。