欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

大切な日、いい天気

2006-02-28 | poem
もう用意はできたかぁい?
なにも忘れ物はないね。
んっ、こんなものまで持っていくの?
まぁ、いいか。
そうだね。クマさんもみんなと一緒に行きたいよね。
じゃあ、早く車に乗せてきなさい。
さぁ、ぼちぼち出るよぅ。
みんなもう準備はいいよ。準備の時間はおしまい。
ママももういいよ。
忘れ物があっても、またどこかで買えるから。
まだなにか持っていこうとしているの?
もうこれくらいにしとこうよ。
これ以上待っていると、家のものをぜんぶ持っていくって言われちゃいそうだからね。
もうこれぐらいにしよう。
さぁ、天気もいいし、今日は絶好のピクニック日和だ。
みんな出かけるよぅ。
みんなが楽しみにしてたのはわかるけど、それはこれからの話だよ。
もう出発するよぅ。
あんまり待たせたら、パパ、一人で出かけちゃうよぅ。

水面のむこうのあなたは

2006-02-28 | poem
水面のむこうのあなたは、こっちをじっと見つめている。
水面のむこうのあなたは、こっちをむいてほほ笑んでいるように見える。
あなたは誰?
なぜこっちをずっと見ているの?
なぜほほ笑んでいるの?

こんなに思い詰めている私なのに、水面のむこうのあなたはとてもおだやかに、やさしい感じがする。
今の私の気持ちように、ぎりぎりの感情なんてみじんも感じない。
あなたに私の気持ちがわかって?
このやり場のないつらい思いがわかって?

ねぇ、水面のむこうのあなた。
あなたはなぜじっとこっちを見つめているの?
あなたはなぜこっちを向いてほほ笑んでいるの?
私の気持ちがわかって?
あまりいい感じがしない、この感情がわかって?

ねぇ、水面のむこうのあなた。
ねぇ、答えてよ。

tea time  (しあわせの話)

2006-02-27 | essay
今日は幸せについての話をしましょう。
しあわせについて。
みんな幸せになりたいとは思っていますよね。
でも、実際に幸せってものがどんなものかということをわかっている人は少ないように思います。
しあわせ。
宝くじが当たったら、幸せになれるのでしょうか。
きれいな、カッコいい彼氏彼女がいれば、幸せになれるのでしょうか。
たくさんの時間と余裕があれば、幸せになれるのでしょうか。
今あげたことは、確かに幸せになれる手段ではあります。
でも、それだけがあっても、幸せになれる人はいったいどれくらいいるでしょうか。
そんなことがなくても、あまりお金持ちじゃなくても、あまり時間に余裕がなくても、幸せになっている人はたくさんいるのです。
では、その違いはどこにあるのでしょう。
私が思うに、幸せは気持ちの問題ではないでしょうか。
気持ちが幸せを感じていれば、その人は幸せなのです。
気持ちの豊かな人は、それだけ幸せに近づいていける人だと思います。
例えば、多くのお金を持った人がいたとします。
でも、その人はそれをさらに多くしようと、失わないようにしようと、躍起になっているとします。
多くのお金を持っていても、それをなくさないように、毎日あくせくと働くだけ。
たまの休みも身体を休めるだけ。あとはなにをしていいのかわからない。
そんな人をはたして幸せだと言えるでしょうか。
実際、その人はお金を持っていることが幸せだと思っているのですから、自分は幸せだって言うかもしれません。
でも、そんな人を私たちはうらやましく思わないでしょう。
もう一人。
その人はあまり稼ぎも多くなく、普通の人です。時間の余裕もそれほどありません。
でも、その人は少ない休みの日を利用して、友人たちとゴハンを食べにいくのが趣味です。
気の合った仲間とおいしいものを食べながら、話をするのが大好きです。
そして、毎週予定を入れては、安くておいしいお店を探して、そこで楽しい時間を過ごすのです。
部屋の模様替えもたまにします。
あまり高価ではないけど、シンプルな色調の家具を集めています。
小さいながらもベランダには色鮮やかな鉢植えを並べています。
そんな人を見て、どう思いますか。
幸せそうだなぁって思わないですか。
とても幸せそう、というよりは、それなりの、でも、工夫した幸せのある生活を送っている人だなぁって、そうは思わないですか。
幸せになる工夫。
これがキーポイントだと思うのです。
いやいや、毎日忙しすぎて、余暇に工夫をするほどの余裕も暇もないよって言う人がいます。
でも、よく考えてみて下さい。
だいたい人の人生というものは、みんな同じくらいだと思うのです。
そんな一日一日をどう過ごしていくか。どう楽しんでいくか。
働いても、楽しんでも、その人にとって、その時間はかけがえのない人生のうちの一日なのです。
そこに幸せってものも、潜んでいるのではないでしょうか。
そんな一日一日を、自分のために家族のために、有効に使える人は、幸せに近づいていける人なのです。
仕事が忙しくても、子供の面倒を見るのが大変でも、その一日はあなたにとって人生のうちの貴重な一日なのです。
しあわせ。
なんとなく幸せってもののカタチが見えてきませんか。
slow life って言う言葉も最近耳にします。
わかっている人はこれからも、今までそんなことを考えなかった人はこれから、自分の願う幸せにむかって工夫をしていきましょう。

この階段をのぼって

2006-02-25 | poem
この階段をのぼって祈ろう。
心が疲れている時は、そこへ行き本来の心をとり戻すのだ。
心が病んでいる時も、そこへ行き、なにもかもすべて問いかけるのだ。

この階段をのぼって、今あるすべてをさらけ出して、そして、答えを乞う。
そうして得られた答えを導きにして、私は幸せの方へと歩んでいくんだ。

心が疲れている時は、心が病んでいる時も、人生の道は下り坂。
自分でも気づかないうちに、その道を下り続けている。
だから、早く自分の本来の姿をとり戻さないと。
大切な人生の道をゆっくりとでものぼっていかないと。

この階段をのぼって祈ろう。
そこで本来の自分をとり戻そう。
今あるすべての感情をさらけ出して、きれいなみずみずしい気持ちをとり戻して。
そして、本来の心で、本来の自分で、再び人生の道をゆっくりとのぼっていこう。

healing (森の神秘)

2006-02-25 | essay
自然の世界と調和をしていこう。
古代のケルト人たちはこう考えていた。
すべての創造物には霊が宿っていて、そんなすべてのものからはなにか学ぶべきものがあると。
ケルト人たちにとって木は大切な存在だった。
それは避難場所を与えてくれるものであり、energyことにinspirationを与えてくれるものであり、食べ物を授けてくれるものであり、薬のもとになるものであった。
人々と木とは密接に関わっていたのだ。
現代になっても人々と木との関わりになんら変化はない。
ただ、私たちは便利さを追求していくうちに、それほど必要でないものとまだ必要なものとに分けたまでのことである。
そして、その分けたことによって、多くの知恵と恩恵も失われてしまったのだ。

古代のケルト人たちが自然から授かっていた知恵と恩恵。
今の私たちに必要なものが、そこにはすべてつまっている。

人生なんて

2006-02-24 | poem
すこし力を抜いた方がうまくいくって。
そうはわかっていても、なかなか力を抜けない時がある。
そんな時はがむしゃらになにかに打ち込んでみて、それでどうこうあったっていいじゃない。
そんなにがむしゃらにがんばった結果があるからこそ、力を抜いた時にいい味が出てくるってものだよ。
生きるのにめんどうな時もあるよ。ため息ばかりで、どうしていいのかわからない時だってある。
でも、そんな時もあるさって、投げやりになる自分がいたからって、それはそれでいいじゃない?
なにをしたってなにかを学ぶことはあるよ。そう思って生きていかなきゃ続かないよ。
人生なんて力を抜いている方がうまくいったりするものなんだって。
人生なんて、そんなものなんだよ。

父の愛した曲

2006-02-24 | poem
そのピアノの音色は僕の心に響いていくよ。
ゆっくりとした、でも、親しみのある音色。
そんな曲が僕の心にとても響くんだ。
亡き父が好きだった曲。
この歳になって、その理由がわかってきたような気がするよ。
父もこの曲を聴きながら、こんな気分にひたっていたのかな。
この曲はそんな不思議な曲なんだ。
人の心に自然と染み入ってくる。
少し大人になってみないとわからない曲。
それが今になって、少しずつわかってきたような気がする。
そんな不思議な曲なんだ。
僕もこれから、あの父のように人生の深い味わいを味わっていくのかな・・。
そんなことを感じさせてくれる不思議なピアノの曲なんだ。

ふと、思うこと。

2006-02-23 | essay
女の人は花だと思う。
美しいからとか、そんなことからじゃなくて、言葉という栄養をあげないとしぼんでしまうんだなって。
男だって、誰かからほめられたり励まされたりした時にはうれしいけど、べつにそれがないからって普通にしていられる。
でも、女の人はどうもそうではないらしい。と最近思うのだ。
女の人は誰かからのあたたかい言葉を直に自分の栄養にかえられるらしい。
その言葉によって、思いもつかないような変化をみせたり、とても想像以上に元気になったり。
だから、女の人は花なんだなぁって。そう思うのだ。

自分の職場は女の人が多いから、そう考えてみると、たいへんだ。
みんなに言葉という栄養をあげなければならないのか。そういう義務はないが、職場が心地よいものになるには、そういうことなのだ。
しかし、自分もそんなにたくさんの言葉をあげられるわけではない。
そんなことばかり考えている余裕もないのだ。
でも、多少はそう心がけてみようか。
きっと思ってもみないような変化が起きるんじゃないかな。
でも、みんな誰かから十分に言葉の栄養をもらっているのかな。
どうも私のまわりは、そういうことの食いつきが違うような気がする。


真夜中のカフェで

2006-02-23 | poem
君のそういうところが好きなんだ。
落ち込んでいても、前向きになれない時でも、ユーモアを忘れないところ。
君のそういうところが好きさ。
自分じゃよくわかってないようだけどね。君のしぐさや声にもそれはあらわれているよ。
そんな君の一番の魅力を、君自身はまるでわかっていないようだね。
でも、僕にとってはそれが癒しになるんだよ。

大丈夫だよ。これからも君は喜んで生きていける。笑っていられるよ。
僕もそうできるようにがんばっていくからね。
疲れた時にはそばでゆっくりと休むといい。
話がしたかったら、僕がいつでも聞いてあげる。
たまに余裕がない時もあるけど、そんな時はいつもの気持ちに戻ったら聞いてあげるからね。
なんでも一緒にやっていこう。これからも仲良くしよう。
今にはじまったことじゃないけど、これからも二人でやっていこう。

さぁ、これからどうしようか?
今日は君が決めていいよ。
でも、今度僕が落ち込んだ時には、僕に決めさせてよね。
ほら、飲み物が冷めてしまうよ。
それを飲んだら、そろそろここを出よう。
さぁ、次はどうしよう?
今日は君が決めていいんだよ。
今夜は僕の方が君よりも大人でいられそうだからね。
今夜は君よりもおもしろいことが言えそうだからね。

君への詩

2006-02-22 | poem
疲れ果てて、もう動くこともできず、砂漠の真ん中で立ちすくむ青年。
汗も出ないほどの灼熱の暑さの中で、もう息も絶え絶えになっている。
幻覚すら見えている、身体の感覚すらない状態の君。
そんな君に私はあえて言う。
立ち上がりなさい。さぁ、立ち上がるのです。
四方を見渡しても、砂の山しか見えない状況。
しかし、私は君にあえて言う。
さぁ、立ちなさい。そこから立ち上がるのです。
山のむこうには生命のオアシスがある。
そう確信にみちた声で、私は君にあえて言う。
さぁ、立ちなさい。その身体にむち打ってでも、立って、行きなさい。

地震が起こり、あたり一面廃墟のような街の中で、泣きわめいている男の子。
親も兄弟も今の瞬間にすべてを失い、ただ呆然となにもすることもできず、ただ感情のやり場を嗚咽へと向かわしている男の子。
気持ちをあらわす、なんてことすら言えないような壮絶な心の乾き。今まで生きてきた中で味わったことのないような灰色の不安を、男の子はその小さな胸に抱えている。
そんな男の子に、私はあえて言う。
さぁ、歩きなさい。そこの道をただ歩いていきなさい。
感情の行き場を失った小さな男の子に、私はその顔を道に向けてでも、あえて言う。
さぁ、歩きなさい。ここから続く道のむこうへ。
今に希望はない。でも、この道の先に君の希望は待っている。
さぁ、歩いていきなさい。ただ足を前に出すだけでもいい。この道を歩いていきなさい。
ただただ泣いている男の子に、私はあえて言う。

暗い部屋で一人、死を考えながら、ただ自分の心も信頼できずに、心の中をさまよっている女。
乾いた灰色の心の中で、彼女はなにを求めたらいいのか、なにを大切にしなければいけないのか、そんなことすら迷うような思考の中で、ただぼうぜんと死の向こうにあるものを考えている。
普通のような顔をしてはいるものの、その心の中は荒れ果て、どんな緑も育たないような心を、女はどこに捨てようか迷っている。
そんな女に、私はあえて言う。
動きなさい。どんなことでもいい。ただ思うこととは別のことで、身体を動かしなさい。
どんなことでもいい。他の生命と接触をして、生命の交わりを感じなさい。そこに発生する火花のような力を感じなさい。
すべてはつながっています。そんな心と心の交わりを、そして、そこから生まれる新たな力を感じてみなさい。
どんな希望も描いていない、そんな遠くを見つめてままの女に、私はあえて言う。
動きなさい。そして、生命の交わるそんな力を感じなさい。
ぼうぜんとしている女に、私はあえて言う。

どんな状況でも、どんな場面でも、けっして希望は消えない。
生きているうちは、なにかをつかみとることができる。
どんなに道が閉ざされたと思っていても、その先には必ず希望がある。明るみがある。
大丈夫だなんて、なまやさしいことは言わない。
ただただ歩き、動き、進んでいきなさい。
その向こうにある希望に向かって。
私はそう、君にあえて言う。