欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

ささいなことでもちいさなしあわせから

2012-11-30 | essay


たしかに筆が進まないときもあります。
プランはいろいろ出てくるのに、この先のときめく未来は描けていけるのに、作品ができていかない。

ただこの節目の時をむかえて、ひとつ思うことは・・、
できることからやっていこう。小さなものでも少しずつ刻んでいこう。
"ちいさなしあわせ"を。そう思う今日このごろなのです。

これからのキーワードは

2012-09-25 | essay



最近、ひとつ思うことがあるのです。
それはどう生きていけば素敵な生き方ができるのかということ。
いろんなプランが明確に、順序だてて目の前にあればいいのですが、そんなにはっきりしたプランがあって取り組めている人というのは少ないと思うのです。
グレーゾーンの多い時間の過ごし方。
そこをどういう立ち位置で、これからに向かい合っていけばいいのか。
人の意見はいろんな角度からいろんな表現で答えを出していきます。
しかし、そのどれもがまっすぐすんなりと自分の中に入ってくればいいのですが、そうとばかりはいかないことが多いのです。
そんなとき、わたしが目にしたもの・・。
楽しそうに作業をしているパティシエの姿でした。
まるで子供のような好奇心と作るものにワクワク感をもって躍動している。
そんなパティシエは言うのです。
人をしあわせにすること、そんなモノをつくり出すことにわたしは喜びと充実感を生み出しているのですと。

人をしあわせにするもの。
しあわせになる基準が人によって違うし、あまり明確ではないために、間違ったある種の自己満足に終わらないためには・・。
そのパティシエは言うのです。
子供の時に食べたあの味。自分はそれを口にした時とてもしあわせな気分になりました。
今でもその味ははっきりと思い出すことができます。味わいの中に感じる喜びとともに・・。

人をしあわせにするには、まず自分がどんな時にしあわせを感じていたか。
そこにヒントがかくされているよう感じがするのです。
人をしあわせにするもの。自分がしあわせに感じるもの。すべてが同じではないけれど、相容れるものがそこにあるような気がしてなりません。
しあわせな気分になっていたこと。
それを思い出して、深く探っていくことが素敵な生き方の道筋であると、そんなことを最近思うようになったのです。

こんな時代ですもの。多少は・・

2012-08-21 | essay
ケ・セラ・セラ  雪村いづみ.




なるようになるさって、ちょっと抜けたような顔をして笑えたら一番いいですよね。
どんなにつらいことがあっても、先の暗がりが気になっていたとしても、
こんなときこそ神さまにお任せして、今を明るく生きていこうって。
ある種のひらきなおりの気持ちがなにか大きな変化を呼ぶのかもしれませんね。
意外にあっけらかんと笑い飛ばせたら、その人のまわりには明るいものが集まってくるような気がします。
こういう生き方って意外と難しいんですよね。
でも、こんな時代ですから。多少はなるようになるさって生きていければ、素敵じゃないですか?

街には今日もたくさんの

2012-08-05 | essay




街には今日もたくさんの車が通り過ぎ、人々が思い思いの目的地へと足を運んでいます。
ふと立ち止まり、大時計を見上げる人。
大道芸人の演奏に耳を傾ける人。
小さな子供たちがメトロの行き過ぎた時の風が面白くて、鉄柵のあたりで飛び回っています。
鐘を鳴らしながら行き過ぎていく大きなバス。
この街には、今日もいろいろな物語が展開されています。
おもしろさも悲しみも含んだ奥深いシナリオが・・。
今日という日の演出でこうして繰り広げられているのです。

たくさんの舞台役者さん、今日という舞台はもう今かぎり。
せっかく与えられた晴れの舞台です。しっかり役になりきって動いてみようではありませんか。

心の奥にある水源

2012-08-01 | essay




その街にはまだヒカリが身近に存在していました。
傷つくことも苦しいことも日常に起こっていましたが、その根底に脈々と流れるやさしい水源のようなものを、わたしはたしかに感じたのです。
それはまだ日本ではあまり見かけられないものでした。
その水源こそが、わたしの力の源である事に気づいたのはそれからすぐのことです。
旅の日々のなか、わたしに響いてきた言葉。

この水源は世界のどこにいても存在しうるもの。
遠い異国に戻っても、心静かにこの水源を求めなさい。
やがて、心は水源とつながり、そこからあふれてくるものが不思議な物語を生むからと。

本当のところはよくわかりませんが、今のわたしにはその水源が心の指標となっているのです。
これからの日々、水源からあふれてくるものを丁寧に書きとめていこうと思っているのです。

ちょっと一息って感じで

2012-07-12 | essay





たしかに詩なんて今どきって感じかもしれないけど。
詩には詩の魅力ってものがあるんですよ。
星空を見上げて、いろんなことをお願いできるし。
そんな心も詩からも育っていくんです。

夢見ることも大切。こんな時代には特にね。
しあわせの方に気持ちが向くように。
そんな詩がたくさんできると、もっと人も詩を大切に思ってくれると思うしね。

僕はどうでしょう。たくさんの言葉があるけど、やっぱり美しい響きの言葉が好きかな。
フランス的な詩が生まれたら素敵ってもの。
かっこつける訳じゃないけど、シャレてる方が今の時代に合ってる気がするから。
だから、書き継いでいこうと思うのかもしれない。いろいろな煩悶、不安もあるけれど、それはそれで誰もが経験するものだから。

こうして言葉を紡ぐことができる。
使わないともったいないし。
ゴールは遠いかもしれないけど、今日を踏み出して、笑みを浮かべてって感じでね。

人らしい美しい輝き

2012-06-12 | essay
Melody Gardot ~ Impossible love



心の深い深いところに。
普段はみられない美しい輝きが潜んでいるという。
人は刹那、一筋のきらめきをあたりに響かせる。
心から心に。真摯な響きは受ける心の奥底に眠るものと共鳴して・・。
そんな美しい物語を聴かせてあげましょう。
心に眠るすばらしい輝きは今もあなたの中にあるということを。
ふたたび放たれるのを今か今かと待っているということを、ここに伝えておきたいのです。

すこしレースをはずれたところに

2012-05-18 | essay


人はどうしてもがんばり過ぎてしまうのです。
体調を崩し、それでも病院や薬のお世話になって、また社会のレースに戻っていく。
どこに自分のしあわせがあるのか、自分が今なにをしているのか、はっきりとわかることなく・・。

駆け抜けることがしあわせへの第一ではないということをみんな知っているのです。
心が願うこと。わだかまりを解消すること。笑顔でいること。
知識としてはみんな理解しているのです。
それでもいつのまにかペースを崩して、気がついたら走り続けているのです。苦痛に顔をゆがめながら・・。

"自分はポンコツ車。それでもまわりの人は良いと言ってくれるの。
そんなわたしになってから、したいことはひとつひとつ見えてきたし、毎日をゆっくりと送っているけど、今はとてもしあわせよ。"
ジャズを奏でる彼女は言います。

人は意識をむける場所を見間違えているのでしょうか。
流れの速い世間のペースからはずれながらも、彼女は少しずつしあわせを享受しようとしています。
今の生き方というのは、そんなものなのかもしれないですね。
すこしレースをはずれたところに、輝くなにかを発見できるのかもしれない。
レースからはずれてしまうのが一番の恐怖なのに・・。
もちろん、走っている自分が充実しているなら、それは別の話なのですがね。

深い霧が街を包みこみ

2012-05-13 | essay


目の前にあるのはとてもdryな世界。
生きていくための賃金を、確実な未来を、危ない出来事からの安全を・・。
そんな世界に生きているから、心も自然と疲れたものに渇いたものに・・。
そんな毎日を送っていると、心はしだいに色あせはじめ、やがて、この世界すら嫌いなものに映ってきます。
けっしてdryなだけの世界ではないのに・・。多くの人々が思い描いている義務のような生き方だけではないのに・・。

dryに見える世界にゆっくりと霧が包んでいき、白い世界の中で人々が見たものは。
うさぎの行進であったり、大道芸人の踊りであったり、不思議な花の首飾りであったり。
白い木のベンチに腰かけていると、むこうから白馬がやってきて、どこかへ誘ってくれるような目をしている。
そこからの世界が確かにあることを。
dryに思われるこんな毎日だからこそ、深い霧の世界をとり戻す必要があるということを、わたしは語っていきたいのです。
多くの創作家(Creator)たちが同じように希望をもって作り続けています。
わたしもおよばずながらその一員として、素敵な物語を創っていきたいのです。

ちょっと飛躍がすぎるかもしれませんが。
そういう思いに最近はとてもかられているのです。

もう半分は魔法を信じて

2012-05-11 | essay


ある映画で、彼女はこう言うのです。
"世の中の半分はにらむような顔をして現実を生きている。
でも、もう半分は魔法を信じて生きている。"

あなたはどちらでしょうか。
どちらの自分も本当のような気がしませんか。
でも、魔法を信じて生きていきたいですよね。
夜、目をつぶる時、明日はどんな素敵な出来事があるんだろうって。
これは夢物語なんかじゃなくて、世界は童話のような舞台なんだよって。
心がどこかでそう言っているような気がしませんか。

確かに現実を生きていると表情はこわばった、にらむ?ような顔になるけど、
魔法を信じて生きてみると、表情がやわらかくやさしくなれるような気がします。
この先の街角から素敵な楽器隊があわられたり、ふいに鳥が肩にとまって何かをささやしたりしてね。
人には魔法が必要なんですよ。幻想のようなひとときが・・。
だから昔から多くの芸術家が星空を見上げて、いろんな物語を描いてきたんです。
そんな魔法に胸躍らせながらみんな生きてきたんですよ。思いもよらない奇跡を信じて、ね。