欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

信念はいっぽん

2006-11-30 | essay
私はいつも家の前の銭湯にいく。
銭湯といっても、とても小さい建物で、管理する人はいるが、番台もおらず、月いくらで入らせてもらっている。
夜、いつものように風呂にいくと、家のとなりのおいちゃんも入っていた。
最近どうかい?
そういう会話からはじまって、私の話題になった。
最近モノを書いているんかい?
そう・・、私はいろいろ忙しいこともあって、今は創作第一には行っていない。
なんにしてもな・・と、おいちゃんは語る。すこしお酒も入っている。
とにかく、がんばるにがんばるしかないでな・・。
そればかりを繰り返す。
いいかい、オレはモノを書くなんてことはわからんけどな、とにかく書いて書いて、プロでもないのに、筆を置くっていうのは、それは失礼になるんやないかな・・。とにかく書いて書いて書かんとな。
私が聞きながらうなづいていると、
とにかくな、がんばるにがんばらんといかんで。
オレみたいにな、もう歳をとったら、守りに入らなならんけどな、家族もおるしな。でも、あんたみたいに若いもんはとにかくがんばるにがんばらんといかんで。
いいかい、信念はいっぽんやからな。
信念は曲げちゃいかんよ。
やっぱり信念は曲げたあとが、へんなことになるからな。
信念はいっぽん。信念はいっぽんやからな。
おいちゃんのしゃべりはその後も止まらなかったが、だいたいこんな感じのことを言っていた。
最近、ちょっと忙しくて、なにを芯に生きてるのかわからなかった私だから。
言われてみれば・・と、なんとなくココロにしみた。

いいかい、がんばるにがんばらんといかんで。
やれる時にはなんでもやっとかんとな。
いいかい、信念はいっぽんやで。信念はいっぽん。
そんなおいちゃんのコトバが胸に残った。

現実は厳しいから、ココロにゆとりを。ココロに潤いを。なんて、私はいつも書いているけど、こんなおいちゃんのコトバも真実味がたっぷりである。
私に向けられたコトバですけどーー。

※年末のあわただしさが漂ってきました。
 こんな時にはみんながワサワサしているから、気持ちはゆっくりと、しっかりと。

こんにちは、わたし

2006-11-28 | poem
こんにちは、静かなわたし。
こんにちは、とてもおだやかで、やさしい目をしたわたし。

すがすがしい光の降りてくる泉のそばで、水をすくいながらほほ笑んでいるわたし。
鳥の声が聞こえる。風のそよぎが聞こえる。
泉の水面に波紋をひろげていくわたし。
落ちる水滴に無限の光を見るわたし。

自然はわたしとともにある。
すべてはつながっていて、すべては調和を求めている。

心の余裕

2006-11-25 | essay
心の余裕を失ってはいけませんよ。
心の余裕はあなたを良い方へ導いてくれる大切な力なのですから。
余裕のなくなった心は硬くなり、その活動範囲を狭く狭く単調にしていきます。
柔軟さを求められる日常の中で、それは悪循環を招いていきます。
ちょっとしたことに怒りをおぼえたり。
意固地に自分の考えを曲げられなかったり。
不安をムリに打ち崩そうとしたり、と。

日常に生きていたら、どうしても心の余裕がなくなったりはするけれど、それなりに自分で心のバランスを保っていかないと。
心の余裕。
それは考えの広がりであったり。
変化を受け入れられる状態であったり。
なにものにも代えられない自身の冷静さであったり。

ずっとそればかりを考えてはいられないけれど、たまには自分の心の状態はどうなのか。
心の余裕がないと明るくはなりませんよ、人生。
余裕なんてそんなことを考えるヒマはないよって思っている人。
そんな考えで毎日を送っていたら、いつまでたっても明るくなっていきませんよ、人生。
心の余裕と明るい未来はイコールであり、そこに行き着く流れでありますからね。

※たまにはモノトーンの写真を、いかがでしょうか。

しあわせのカタチ

2006-11-23 | poem
食卓に多くの食材が並んでいる。
自分の好きな物。フルーツやその他デザートにいたるまで。
そんなテーブルを囲んでの食事はとても楽しく優雅なものになる。
会話にも自然と花が咲いて、その空間は優しさとあたたかさに包まれる。

そんな生活の一コマ。
しあわせのカタチ。

部屋の中に多くの生き物がいる。
ペットもそう。観葉植物もそう。
もちろん家族も。
同じ空間のなかに、それぞれが個性を放っている。
ペットのいる部屋は活動的で元気が出てくる。
植物のある部屋はとてもおたやかに落ち着いた気持ちになれる。
家族のいる部屋はとても満たされ安心する。

そんな生活の空間。
しあわせのカタチ。

先の見えない考えよりも明るく。
不満よりこれからの展望を。
過去よりも未来。
明るい気持ち。その前向きさ。未来に願うこと。
そんな気持ち。自分が暗いとまわりにまでその暗さが伝わってしまうから。
それだけじゃないけど、君自身のために。

しあわせの考え方。
これもしあわせのカタチ。

人生は山あり谷ありだけど

2006-11-20 | essay
人生はよく言われるように、山あり谷ありだけど、いつも山や谷があるからって、悲しみや苦しみに備えているような、眉間にシワを寄せてかまえているような毎日は送りたくない。
すべてがしあわせで、喜びや楽しみに満たされるわけにはいかないけど、たまの楽しい時間、ちょっとした喜びでも、その時には笑顔でいたいし、心から喜びを感じたい。
日本人は知らず知らずのうちに仏教が根底に流れているから、楽しみや喜びはつかのまのもの、そのかわり悲しみや苦しみもつかのまのもの、的なものに傾倒しがちで、無情というたぶん本質ではないヘンな納得で無感動になったりしているけど、私はやっぱりいつもしあわせの状態を望んでいたいし、喜びがある時にはそれを心から楽しみたい。そんな強さを持っていたい。
これも気持ちの余裕というものなのだろうか。
"楽天的"という言葉を日本人はあまり良い風にはとらえていないけど、私はこの"楽天的"になるのもまた一つの手だと思っている。
確かに悲しみや苦しみがなくなるわけではないし、そんなことに目をそらすつもりもない。
だからって、悲しみや苦しみが怖いから、楽しいとき喜ばしい時にまで、その影響は受けたくない。

人生は自分の気持ちしだいで明るくなっていく。
苦労も大事かしれないけど、そんなことばかりじゃ、この人生がとても味気ないものになってしまうから。
"楽天的"
日本人にはこれが意外と難しいのかもしれないけど、やっぱりコレも大事。
それがすべてだとは言わないけど、心の余裕につながるそんな心得は大切だから。
しあわせや喜びも、なに気ない楽しさも、心から味わっていくために。
なにかしらの勇気や強さが必要なんだよ。

明るい場所へ

2006-11-19 | essay
自分を明るくしてくれる場所がある。
自分が自然に笑える場所がある。
そんな場所に行くことは、自分にとって大切なことだから。
自分という一人の人間も、よく言われるけど水ものだから。
きれいな日があったり、すこしよどんだ日があったり。
だから、いつも魅力ある自分を心がけたいなら、良い循環の生まれる場所へ。
そこは自分が楽になれる場所。
自分が一番自然にいられる場所。

ただ一つ、この思いを

2006-11-19 | poem
あなたのことを愛しています。
あなたのすべてを愛しています。
あなたの良いところも、あなたが悪いと思っているところも、すべて。
私はあなたのすべてを受け入れます。

だからどうか、いつまでも私のそばにいてください。
いつまでも、私とともに。
ともに笑いましょう。ともに悲しんでいきましょう。いつも一緒に話しましょう。

私はあなたに何一つ隠すことなく生きていきます。
そして、あなたのすべてを受け入れます。
あなたがあなたでいる日まで。
私はあなたを愛します。

日々の流れは人をいろんなカタチに変えていくけど。
でも、ともに喜びあえる日もある。たまにすれ違う日もある。
人生はいろんな側面に光を当てていくけど、私はあなたとともに生きていくことを決めたから。
私はあなたの良いところを見つめていきます。
いつまでもともにいたいから、この思いを大切にします。
いつまでもいつまでも、この思いを信じていきます。

冬の空の下を

2006-11-18 | poem
冬の空はうすく白く、はてしなくこの大地の上に。
霧のようにうすいこの空は、冬の独特のよそおい。
この空の下で、私たちは愛を奏ではじめる。

愛は私たちの喜び。しあわせの一部。そして、生きる糧。
この冬の空の下、あなたと愛を奏でて。
ここからはじまるしあわせへの道筋を、ともにたどって。

白い霧のような冬の空の下で、私たちは静かに愛を奏ではじめる。
こんな空模様だから、私たちはしっかりとあたたかく。そして、そこからはじまる明るみへの道筋へと、ともにたどって。
この空の下、静かな大地にしっかりと踏みとどまって。私たちは愛を奏で続ける。
二人、はるかな明るみへの道筋へと。ともに、この冬の空の下を。

甘いやすらぎ

2006-11-18 | poem
こちらへ来て。
私の胸の中へ。私のあたたかさの中へ。
私があなたの身体を包んであげる。
ムダな力を抜いて、目を閉じて。
あなたは甘いやすらぎに満たされていく。
自然に笑みがこぼれてきて、目はおだやかに澄んでくる。
吐く息もゆっくりと、ゆっくりと。
あなたは私の胸の中でやすらぎに満ちていく。

私の胸のなかで、あなたはやすらいでいく。
どうか力を抜いて、目を閉じて。
その髪をやさしくなでてあげる。
吐く息もゆっくりと、ゆっくりと。やがて、目も澄んでくる。
あなたは私の中でほほ笑みをとり戻し、本来の自分へと、喜びの中の自分へと戻っていくことができる。

心癒される人

2006-11-17 | essay
どんなに自分の好きな本を読んでも、どんなに自分の好きな音楽を聴いても、とてもじゃないけど気持ちがニュートラルに戻らない時がある。人はそれをストレスのたまった状態とでも言うのだろうか。
とてもじゃないけど、標準な思考回路ではなくなっている。つまり創作活動もまるではかどらない。
そういう時にはやっぱり心安らぐ人とともにいるのが一番。
話をして、たわいなく時間を過ごしているだけでも、心は不思議なほど回復していく。
人である以上、やっぱり人によって癒されるということだろうか。
同じことを言って同じ返答が返ってきても、心にしっくりくる人とそうでない人がいるように、うわべの条件だけではどうにもならない、そんなものが人間にはあるようだ。
今日は久しぶりにゆっくりと休日を過ごした。
私はいつもここに心癒す文章を書いているつもりでいたが、やっぱりこんな程度じゃ癒されないものがある。悲しいけどそれを味わった一日だった。
まわりの人のありがたみを改めて感じた一日。

※ちなみにこの羊、冬を前に毛を刈られてなんだかショんぼり・・。