欅並木をのぼった左手にあるお店

ちいさいけど心ほっこり、French!テイストなお店♪

生きる。しあわせ。謎解き?

2006-10-31 | essay
"一生懸命がんばっていれば・・。
正しいこと、良いこと。他人の喜ぶことをしていれば・・。
なにごとも根性がいるんだ。
勝つ気持ちが大事だ。"

いろんなコトバがある。人はいろんな信条をもっている。
上の言葉たち・・。そんなすべてを兼ね合わせても、はたしてしあわせはやってくるだろうか?

生きていくのは難しい。
それは言える。
生きていくのさえやっとなのに、そこにしあわせな人生を送るとなるとさらに難しい。
それも言える。

でも、どうだろう?
せっかく生きるんなら、せっかくしあわせってものが自分の選択肢としてあるんなら、ひとつしあわせになる生き方を目指してみては、どうだろう?

人生は難しい。まわりを見渡してみなよ。
いろんな人生がある。
でも、ああいう人生が送れたらなぁと思える人が、いったい何人いる?
人生は難しい。
でも、ここはひとつ、しあわせになる生き方ってやつを実践してみる価値はあると思うよ。
しあわせになれる生き方。

一生懸命がんばっていればって、その方向性が間違っていたら、得るものは少ないよ。
正しいこと、良いこと。他人の喜ぶことをしていればって、人生そんなに簡単なものじゃない。時に悪いことにも気づかないうちにしている。他人に悪く言われることもある。
なにごとも根性コンジョウって、たしかにある時には精いっぱいの踏ん張りがいるかもしれない。でも、根性コンジョウって、戦士にでもなるつもり?
勝つ気持ちが大事って、それもある時にだ。いつも闘争心ばかりを胸にして、はたしてしあわせな気分が長く続くだろうか?

じゃあ、どうすればいい?って。
答えなんかないよ。それが答え。
なにも馬鹿にしているわけじゃない。本当にそうなんだ。

しあわせへの生き方は人それぞれ違う。やり方も考え方も違う。
そう、人それぞれ。
じゃあ、どうすればいい?って。
人それぞれ。自分自分。それはココロに聞くしかない。それしか言えないんだ。
心の言うこと。それがあなたのしあわせへの最短距離。
それを忘れてはいけない。

さっき、答えはないと言った。
本当にそう。
でも、どんな人のしあわせも、ある意味で似通ってもいるのもまた事実。ある意味ね。
なんと言おうか。しあわせへの筋道とでも言おうか。
人それぞれ向かうところも違う。考え方も違う。
でも、しあわせへの生き方はなんらかの共通の部分が多い。
そんなものが存在するんだ。だから人生はある意味おもしろい。
それに気づいた人は、ほくそ笑みながら、ははあん、神様も考えたなと思うに違いない。

そんな概念的な生き方が苦手な人は、フィーリング的に、自分が良いと思う生き方の人をマネてみるのもいいだろう。
とことんマネてみる。
そうして今までの自分との変化に気をむけてみる。
それもまた一つの手だ。

最後になるが、謎解きのようなコトバを残して、これを終わろう。
しあわせに生きている人。
そんな人たちは生きる意味をも理解している人だ。
この二つは得てして同じだから。
これがなにかしらのヒントになれば・・。

さぁ、明日から考えながら生きていこう。
なにを言うこのワタシも、自分のしあわせへの道のまだ途中なのだから。

やさしい風が吹く

2006-10-28 | poem
私たちのからだをすり抜けていく、今の風はやさしい風だ。
からだをなでていくような、朝のすがすがしさに似た、そんな風。
やっと私たちにもそんな風が吹くようになったんだ。
やっと私たちにもそんな風が感じられる季節がやってきたんだね。

やさしい風の吹くなかで、目をつぶって。大きく呼吸をして。
胸いっぱいに明るいものをとり入れて。
そして、顔をいつもよりも上げてみようよ。

きっと見るものがすべて清々しく映って、とても心地いいに違いない。
からだは爽快で、なにか走り出したくなるような、そんなうきうきした気持ち。

やさしい風が私たちのからだをすり抜けていく。
やさしい風が私たちのからだを包むように流れていく。
やさしい風が吹く。やさしい風がどこからともなく吹いてくる。
やっと私たちもこんな風を受けられるようになったんだね。
やっと私たちにもこんな風を受けられる季節がやってきたんだね。

雪からのメッセージ

2006-10-27 | poem
ほら、目をつぶってごらん。
あたりに降ってくる雪の精たちの姿を感じてごらん。
僕たちをとりかこむようにして舞い降りてくる雪の精たち。
目をつぶっていれば、そんな雪の精たちがなにかをささやいてくれているのか、わかるはずだよ。
しいんとしたこの感覚の中で、そっと雪の精たちの声に耳を澄ましてごらん。
きっと聞こえてくるはずさ。雪の精たちからのメッセージが。

僕たちをとりかこむようにして、舞い降りてくる雪の精たち。
僕たちはしあわせなんだね。
こうしてたくさんの雪の精たちに囲まれて、今同じときを過ごしている。
たくさんの雪の精たちが僕たちになにかささやいてくれる。
まぶたのむこうに、ひとつひとつ違ったたくさんの雪の精たちの姿が写るはずだよ。
このしいんと静まりかえった空気の中で、そんなひとつひとつの雪の精たちのささやきが耳に届いてくるだろう?
みんなが僕たちのことを祝福してくれているんだよ。みんなが僕たちをとりかこんでいる。

ほら、多くの雪の精たちからのメッセージを聞いてごらん。
雪の精たちからのメッセージを胸の中に受け入れてごらん。
みんなからの思いのこもった伝言(メッセージ)。
それは僕たちへの、立ち止まりそうになってすこし落ち込んでいる君への、心からのメッセージなんだよ。

澄んだ夜空に降る雪は

2006-10-27 | story
澄んだ夜空に降る雪は、みんなに希望を運んでくるよ。
一つ一つ希望のカタチは違うけど、降り続くその雪の一つ一つは、澄んだ夜空からみんなの住む街へと希望を運んでくれているよ。

ねぇ、見てみて。雪だよ。雪が降ってきた。
赤い毛糸の手袋をつけた女の子が、美しい照明の灯る街の中から、そう叫んだ。
女の子の声に、街を行く見知らぬ誰もが夜空を見上げる。
ゆっくりとゆっくりと、照明のある夜の街へと、雪が舞い降りてくる。
すごいね。雪だ、雪だよ。パパ、ほら、雪が手の上にのったよ。
赤い毛糸の手袋にのっている雪のかけら。
女の子は両手に雪を受け取りながら、とびっきりの笑顔をみせている。
そんな女の子が手にしているのは、まさに天からの贈り物である。

郊外の道をひた走る自動車。
助手席に仕事の書類をたくさんのせた女は、今家路につこうとしている。
この林を抜け、坂を上ったところに我が家はあるのである。
子供たちが待っている。パパも待っている。早く我が家に帰りたい・・。
んっ?
車のフロントガラスに、一つまた一つと白いものが降りてくる。
それは見る見るうちに増えてきて、あたりの景色を白く包み込む。
暗い林の道は一瞬にして白銀の世界へと変わっていくのだ。
ああ、雪だわ。
ようやく事態をのみこめた女は、家の子供たちに知らせてあげようかと考える。
しかし、パパがすぐに気がつくだろう。そして、子供たちを庭に出してあげるだろう。
自動車はようやく坂道へとさしかかる。
この坂道を上がったところに我が家はあるのだ。
早く帰って、みんなと一緒に雪を楽しみたい。
女はそう思いながら、ふと窓を開けてみる。
冷たい風が入ってきて、そこに雪が混ざっている。
自分の肩についた雪を女は頬で感じてみる。
女の頬にも冷たい感触の天からの贈り物が届いたのである。

詩人は議事堂へと上る長い階段をひたすら上がっていく。
一人、黒いコートの襟をたてて、手にはペンとノートを携えて、長い階段を上っていく。
今夜はとても空気が澄んでいる。夜空はかぎりなく澄み切っているし、こんな夜にはなにかあるに違いないと、確信をもって詩人は議事堂へと上っていく。
階段を上りきると、自分たちの住む街全体が望める、その高台から夜の空、夜の街を詩人は眺めるのである。
今夜はかぎりなく空気が澄んでいる。きっとこんな夜にはなにかがあるに違いない。
詩人は議事堂の前につくと、振り返り、そこから夜の空、夜の街を眺める。
ただじっと眺め続ける。
すると、大きな流れ星がひとつ、夜の空を横切った。
そして、間もなく、ぼんやりとあらわれた白い雪の群れが、夜の街に向けて舞い降りてきたのだ。
まるで巨大な白いカーテンが下りてくるように、ゆっくりと夜の街にむけて雪が舞い降りてくる。
詩人の胸ははちきれんばかりである。
しかし、わき上がってくる興奮を必死に押さえながら、目の前の情景をただ見つめ続ける。
ゆっくりとゆっくりと雪は夜の街へと降りてくる。
あたりがぼんやりと白銀の世界へ変わっていく。
詩人の身体もそのカーテンの中に包まれていく。
詩人はじっと夜の空、夜の街を眺め続けている。
そして、おもむろに持っていたノートを開くと、ペンを走らせはじめる。
しばらくして、手を止めると、詩人はノートを閉じ、また夜の空、夜の街を眺めはじめる。
ずっと、ただじっと詩人は目の前の情景を眺め続けている。

『澄んだ夜空に降る雪は、みんなに希望を運んでくれる。
一つ一つ、希望のカタチは違うけど、そんな一つ一つの雪は澄んだ夜空からみんなの住む街へと降り続いていくよ。
一つ一つ。雪はみんなに希望を運んでくるよ。
一つ一つ。それは天からの贈り物。
一つ一つ。みんなの身体に。みんなの心に。みんなの胸に希望を灯すために。
一つ一つ。雪はこうして大きな白いカーテンのように。雪はみんなの胸に希望を運んでくれているよ。』

歩くことはいいですよ

2006-10-25 | essay
最近はすこしひんやりしてきたけれど、とても散歩にはいい気候ですね。
どこか遠くにドライブに行って、散策してみるのも楽しみのひとつ。
私は最近つとめてウォーキングをするようにしています。
それは創作という精神を疲れさせる作業をしているのもそうなのですが、やっぱり健康のためかもしれませんね。
歩くことはとても良いですよ。気持ちは晴れていくし、なにより食べ物がおいしくなる。身体もスリムになりますしね。
誰かと一緒に歩くのもいいですし。ひとりの時間を楽しむのもいいことです。

良い思考は心と身体が良いハーモニーを生み出してからのこと。
脳ばかりを使っていてはいつかマイナス思考に飲み込まれてしまいますからね。
健全な気持ちは健康な身体と結びついている。
そういう意味でも、すこしの時間でも歩くことはとても良い効果を生み出しますよ。
その恩恵につくづく感謝している毎日です。

※食べ物がおいしいから、最近はチーズにはまってます。いろんなチーズ、でも値段が高いです。

勇気

2006-10-25 | poem
僕らはこの地になにかをしにやってきた。
僕らはここになにかを残すためにやってきた。
それがたとえ小さなことだったとしても、誰も笑えはしない。

常識が現実が平均が。
そんなこと、僕らには関係ない。
僕らはこの地になにかをしにやってきたんだ。
そのなにかは人それぞれ違う。大きさもカタチも目的も。

だから、君も生きよう。
君の本来持っているもので、なにかを行うために。
君が本来持ってきたもので、ここになにかを刻み込むために。
たとえそれがどんなに小さなことだったとしても、誰も笑えはしない。

今日も日ざしは輝いている。
心地よい風が吹いていて、町のにぎやかな音も聞こえる。

そう、僕らはこの地になにかをしにやってきた。
僕らはここになにかを刻むためにやってきた。
なにをするかは人それぞれだけど、誰も僕らを笑えはしない。

こころに泉のような場所を

2006-10-22 | message
心の中に泉のような場所を持ちましょう。
あなたの心の中の、ほんの片隅にでも、そんな静かに安らげる場所をもうけましょう。
夜、眠る前のちょっとしたひとときでも、慣れてくれば、昼間の人と人とのあわただしい場所ででも、そんな泉のような場所があれば、心渇いた時、心苦しい時に、そこに戻っていける。

心の中に泉のような場所を持ちましょう。
眠る前のちょっとしたひとときにでも、そこを一日一回は訪れるようにしましょう。
泉の岸で、ゆっくりとたたずんで水面を眺めているような、そんな時間を一日のうちすこしでも作っていきましょう。
最初はうまくイメージできないかもしれない。
でも、眠る前の気持ちが落ち着いている時間からはじめてみましょう。
やがて、その場所が自分でもはっきりしたイメージになれば、そこをイメージするだけで、心は潤いをとり戻していく。
どんな喧噪にいても、緊張をともなうようなそんな場所にいたとしても、心の中の泉のような場所へと戻っていくことができる。

一日のうち一回はそんな泉のような場所に足を向けましょう。
一日のうちのすこしの時間でも心安らぐ時間を作りましょう。
そんな泉のような場所がだんだんと心の中に作られていき、やがてはどんな時間でも、どんな場所にいても、そこに戻っていくことができる。
現実のとても苦しい状況におかれている時にでも、そんな泉のような場所にちょっと戻って、心の潤いをとり戻すことができる。
静けさ、潤い、安らぎ。そんなものが得られる場所にーー。

心の中に泉のような場所を持ちましょう。
そして、眠る前のちょっとしたひとときにでも、一日に一回はそこを訪れるようにしていきましょう。

月あかり、湖畔の道を

2006-10-20 | poem
みずうみのうえを吹き抜けていく風。
月あかり。漆黒の山々。
真夜中の静けさ。
そこにひっそりとたたずむ山荘。

わたしは湖畔をさまよい歩く。
静かな散策。ひっそりと楽しいひととき。
月あかりに浮かぶ湖畔の道を。
まぼろしのような花、あやしく誘う草々に見送られて。

わたしはなにものかにいざなわれるように、なだらかな道を歩いていく。
無音のシンフォニー。月はわたしの上で異様に輝く。

静謐なる夜の空気。
湖面を渡った風がわたしの身体をすり抜けていく。
眠りのように黒くとどまる山。
わたしは湖畔のなだらかな道を、なにものかにいざなわれるように歩いていく。

やがて、月あかりのたまる草原のような岸辺へと出る。
今までとは違う開放感のある明るい場所。
水辺にうずくまったままの白鳥やアヒルの群れ。
静かに夜のひとときをやり過ごしている。

わたしはそんな生き物たちをジャマしないように歩いていく。
わたしに気づかない生き物たち。
普段は見られない生き物たちの情景を、わたしは目に焼きつける。

道はまた木々に囲まれた暗がりのなかへ。
わずかにさし込む月あかりを頼りにして、わたしは道の奥へと。
なにものかにいざなわれるように。
真夜中の静かな散策。ひっそりと楽しい夜のひととき。

道はやがてわたしの住処へと。
湖畔にあるわたしの山荘へと、夢の終わりのようにつながっていく。

明るく考えること・明るいものをとり入れること

2006-10-18 | message
私たちは毎日毎日、いやその一瞬一瞬でもなにかを考え続けています。
生まれてから死ぬまで、片時もこの考えるということを止めることはありません。
たえずなにかを考えている。それが私たちなのです。
私たちは日々なにかを見、なにかを聞き、なにかを感じています。
考えるということのなかには、そんな五感を通しての影響も受けているのです。
私たちはこうしてたえずなにかを考え、なにかを取り入れているのです。

だからこそ、私たちは自分が今なにを考えているのか注意を払わないといけません。
考えること自体を放っておくと、また多くの人がそうなのですが、思考を野放しにしておくと、思考はどこにでもいってしまうからです。
そして、よくあるマイナスの螺旋階段をかけ降りていくような結果が生まれてしまうのです。
私たちは考えを止めることはできません。
だからこそ、いわゆるマイナス思考に陥ると、とどまることなく果てしない闇の世界へと降りていってしまうのです。

私たちはたえずなにかに影響を受けています。
そして、今の世の中のあらゆるものを観察しても、苦しみや悲しみ、不安、そして、みじめな出来事などがあふれかえっています。
心を明るくするような、言葉や映像、音楽などはほとんど皆無といっていいでしょう。
そういうものは努めて目をこらさないと見えないところに追いやられてしまっています。
だからこそ、そんな環境のなかで、何の注意も払わずに生きている人々の多くがいわゆるマイナス思考にはまってしまうわけなのです。
しかし、そこに自分なりにでも気づけた人は、そこを抜け出るためのカギを手に入れたも同然です。
今ここで、そうなのかなっと感じた人も、それはそれで大きな気づきになるのです。
私たちは影響を受けているものにも注意を払わないといけないのです。
面倒と思われても、健康ブームというのが最近流行しているように、今度は心の健康を育むには・・、ということを考える時代が来るでしょう。いや、もうその時期は来ているのかもしれません。

明るく考えること。明るいものをとり入れていくこと。
これは自分のしあわせにとって、必要不可欠な努力です。
現代の人々が知らず知らずのうちにマイナスの螺旋階段をかけ降りていることに、自らが気づくことからはじめてみてはどうでしょうか。
そして、新たに良い循環を、自分の中に生み出しはじめてみてはどうでしょうか。


※はじめての"メッセージ"を作成しました。
 なんかどこかの神父さんのコトバのようですが、まぁ徐々にうまくなっていきます。
 あしからず・・。

Christian Dior という人

2006-10-17 | essay
「もっとも優れたエレガンスの象徴」
「女性に着飾る喜びを与えた美の王様」
「モード界の革命児」

クリスチャン・ディオールに捧げられる賛辞をあげればきりがないが、彼の人生をひも解くとひとつのキーワードが見えてくる。
"女性は美しいもの"ということである。
彼が生きていた時代は2度の世界大戦などがあり、失業者は後をたたず、物資も不足し、不安と混乱が社会に渦巻いていた。
彼はいわゆるブルジョアの出身である。
彼が幼い頃、母親や妹と過ごす生活のなかで自然と美というものが培われていったに違いない。
彼は自分がデザインした洋服のイラストをみんなに見せてまわるのが喜びだったようである。
彼がずっと裕福でいたかというとそうではない。
ディオール家の繁栄はそう長くは続かなかったのだ。
彼は画廊などを開いたが、結局店も閉めることとなった。
そんな折、その日のパンにも困るような生活が続いた。
しかし、行き先の見えない、まさにそんな時に彼の脳裏に浮かんだのは、幼い時母や妹に書いては見せたあの洋服のデザインだったのである。
たくさんの色あざやかな洋服をデザインすることに喜びを感じていた、あの頃。

やがて、彼は服飾の仕事に就くことになる。
時代は戦争に振り回されながらも、自由と美を待ちわびている民衆の時代。
そんな折、彼はこう語っている。
「自分の名のつくメゾンを作り、そのアトリエでクチュールの優れた技術をいかして、丁寧に一点一点作品を作り上げていきたいのです。女性を最大限に美しくさせるようなエレガントな服を作らなければならないのです。そして、それこそ世界の女性たちが今待ち望んでいることなのです」

こうして、クリスチャン・ディオールの華麗なる成功ははじまったのである。
彼の作り出す作品は繊細で優美で、まるで魔法がかかったような洋服(ドレス)であった。
「ウェストは折れるように細く、そこから胸にむかうラインは撫でるように繊細で、バストは強調され、パットをいれたヒップは豊かであった」

彼の洋服に対する情熱もさることながら、"女性は美しくもの"という、女性の美に対する追求をお手伝いしていくのだという、そんな彼の一貫した姿勢に、私はひどく惹かれるのである。

彼は終生スズランを愛していたという。
スズランの花。
その不思議な魅力も相まって、私はクリスチャン・ディオールという人の生き方に多くの共感をおぼえるのである。