オセンタルカの太陽帝国

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征服王朝の時代。

2008年09月19日 22時11分15秒 |   南北朝

以前に、井伊家の菩提寺である龍譚寺の宣伝マンの方から「宗良親王のオペラを現在制作中」だと聞いて、「すごい興味がありますから詳細が決まったら是非教えて下さい」というお願いをしたという話をしましたが。

数日前(9/13ぐらい)にそれが新聞等で発表されておるのを見ました。

~和歌と音楽で綴る歴史物語~ 和歌劇「宗良親王」
http://www.at-s.com/bin/musi/MUSI0020.asp?event_no_i=I305068749
静岡新聞
http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/saijiki.html

キーーーッ、教えてくれるって言ったじゃんっ。
って、こんな私だって日常会話の中で安易にした約束を律儀にすべて実行するとしたら、200人の女性と結婚しなくてはならなくなります。でも、1800円かぁ~。土曜日の午後7時半からかぁ~、仕事を早番にしてもらって6時に上がったとして仕事場から20分だから全然行けるな! と、ひとしきり悩んで龍譚寺のサイトを見ると、8月21日の時点で「前売りチケット完売!」となっていたのでした。がっくし。思うに、告知はかなり前からされてて新聞で私がその情報を目にするのが遅かったのね。ちくしょお~~。
ま、人気があったら再上演もきっとあるはずだと思う! …かな?

これを演じる歌手の歌枕直美さんのプロフィールを見て、ぐっと興味が増してきてしまいました。こういう題材ばかりで作品を次々と送り出せていけたら、人生楽しいし充実しているだろうなあ。「歌で歴史を語る」というのは他の誰もしていないがために素晴らしいのです。公式サイトもしくはブログに流れているような音楽のイメージで統一されているとしたら、なかなか私の好みであるかも知れないです。が、一度聞いてみないことには感想ができません。

「宗良親王の魅力をちゃんと語る」、「李花集・新葉和歌集について語る」と言っていたのに、全然果たせないでいて心苦しいです。本はたくさん読んでいるのにな。でもネットで検索していると、手に入る本がもっといっぱいあって、しかしそのどれもがとても高くて欲しくて欲しくて困ってしまいます。
「宗良親王はアル=ディーンに良く似ている」とだけは言ったことがありましたが、わたしが主張したいのは、「負けてばかりなのに人材が集まってくる」という点です。「北条時行が宗良の麾下にいた」というのが私の一番強調したい点ですが、それ以外にも新田諸族・脇田・桃井・諏訪・高坂・仁科・児島など。要するに、負けた奴らはみんな再起を図って宗良親王ももとにやってくるんですね。これが決して「親王には高いカリスマ性があった」というわけではなく、「最後の最後の吹き溜まり的な存在であった」という雰囲気が面白い。親王自身も、負けて負けて各地を転戦しています。
宗良親王が詠んだ歌については、私がわざわざ紹介しなくても各所でたくさん陳列されていますので、いいような気になってきました。こことか。ドナルド・キーンがした宗良親王の歌の評価も、おおむねこれで良いのだと思います。「大きな困難を経験した歌人も多かったはずである。そうした経験がまったく歌に反映されないとはとても考えられない……。しかしそのような読者の期待に『新葉集』はあまり応えてくれない」とか、「その生涯は波瀾万丈といってよく、詩の素材には事欠かなかったろうから、和歌のような制約の多い形式ではなく、別の詩形式を用いていたら、きっと強烈で多彩な感情にあふれた詩が書けたのではなかろうか」とか、「優美な歌である。しかし相手方に寝返れと誘われたら、杜甫ならどう反応しただろうか。それを考えると、宗良親王の上品な返歌はいかにも物足りない。おそらく、和歌の伝統的表現にしばられていると、いくら才能のある歌人でも(二条派の歌人ならなおさら)、切れば血のほとばしるような感情表現はできなかったのだろう」とかね。こう書いていながらドナルド・キーンは宗良親王を褒めているんだからおもしろいね。

 

以前に、まりおんさんが「ルーンクエストで南北朝時代をやる」という記事を書いておられましたが、私も似たような記事を書こうと試みていたことがあります。私が面白いと思っていたことは、後醍醐天皇の皇子たちはみんな神になってしまっていることで、そのあたりをゲーム的にできたらどうだろうか。北朝をルナー帝国、というか大胆にマルキオン(=一神教徒)的にしてしまって、山間部にこもる南朝方を小さな部族神・土地神を何人も抱えるオーランス人みたいに描いて局地戦をしてみたらどうか。もののけ姫みたいな雰囲気で遊べれば面白い。「歴戦の南朝の戦士達はもうすでにみんなバケモノみたいになっている」とかしてデータを作ってみたいんですが、なかなかその先が進まないでいます。

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2 コメント

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 西行~西行~ぁ楽しいなァ♪(ディズニー調に) (j.k)
2008-09-20 12:25:04
 全然時代が違いますが、「苦労」を「歌」にした一人としては崇徳院さんが上がるかと。
 たまたま石川淳(マンガ家ぢゃないよ)の『新釈雨月物語』を読み返してまして、西行法師と崇徳院の怨霊がやり取りする件を読んでいました。
 この崇徳院にしても、上方落語ではギャグのネタになってしまいます。
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug114.htm
 「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う」の下の句が地口オチに使われます。
 一度会っただけで互いに素性も知れぬまま恋の病に取りつかれて寝込み、明日をも知れない生命となったカップルのために相手を探しに奔走する男二人が、床屋でついにめぐり合います。
 「ウチに来い」「いやまず先にウチに」と争いになり、床屋の商売道具である壁の大きな鏡を割ってしまいます。
 「待った、待ったぁ、おい何をすんねんお前ら。今、話聞ぃてりゃ互いに尋ねる相手が知れてめでたいねやないかい、それを喧嘩せえでもえぇがな。うちの鏡、割ってしまいやがって、これどないしてくれんねん?」「心配すな、
崇徳院さんの下の句じゃ」「下の句とは?」

 「割れても末に、買わんとぞ思う」

 ・・・お後がよろしいようで。
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祟り神。 (麁鹿火)
2008-09-21 09:10:07
崇徳院は平家物語でも太平記でもすごく重要な祟り神ですからね。大好きです。雨月物語は凄いですよね。
落語の方は… ごにょごにょ。そんな道楽者の若旦那は○んでしまえばいいのに。大阪の人には魂消ます。

  我れでも素手には敵わんぞ
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