ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

テアトロ・レアルの咳

2007年04月14日 | レコードのお話
期待に違わぬピアノのメロディが美しく揺蕩うタンノイの風景。
張りつめて音を追いかけていると「ゴホン!」と聴こえた。
ライブ録音における聴衆の咳払いにびっくりした最初の記憶は『ヴァン・クライバーン』のレコードである。
若かったので「なんてこった」と驚いた。それではじめてライブ録音の意味を知る。
レコード針がそこにさしかかると必ず聴こえる咳、1回。
その部分を、ノミで削れるものなら必ずそうしたであろう違和感。
これがジャズ・ライブとなると、手拍子、足拍子、口笛、コップの音、笑い声、電車の音、赤ん坊の泣き声まで聴こえるライブもある。暗騒音がかえって雰囲気を盛り上げて、問題なくすばらしい。
同じ音楽なのだが、そういうものなのか。
ゴホン、ゴホンの「最長の咳こみ」と認めるものは、1974年のパコ・デ・ルシアによるマドリード王立劇場ライブ演奏に聴かれるが、さすがにこれは...と、腕組みするほど延々とせき込んで長かった。
一定の方角からゴホン、ゴホンが間断なく続けば、さすがにパコ・デ・ルシアも調子を落とし加減になるのがわかるほどだ。が、立ち直ってよかった。
この咳の実存哲学だが、ヌシはそれほどまでして会場にいなければならなかったのか。
解説文を読んで気が付いた。
パコ・デ・ルシアのジプシー音楽が、歴史と格式の王立劇場に演奏を認められたこの日は、民族の誇りを発露する記念すべきお祭りで、地方から参集した熱烈な同胞で立ち見が出るほどの盛況であったと。
なんとしても顔を出したかった人の咳こみには、演奏にひけを取らない情熱がある。これはセッションなのだ。
「ああ、あれは楽器」と誰かに言われても、当方には咳にしか聞こえないので『咳』としておこう。
来日のおり、ライブをエアチェックして驚いた『ガルシアロルカ賛歌』の演奏が、スタジオ演奏とまったく様変わりのリズミカルなスイングに、人間、音楽も一様ではないと思った。
よく考えてみると、当方が気に入って聴くサウンドは『サビカス』というアメリカに渡った奏者の演奏の方である。
カルロス・モントーヤは立派すぎて、銀の手プラタは強すぎるのかもしれない。


☆タンノイでジャズを聴くROYCE。その合間に、モーツァルトのK299を鳴らしたら、思いがけなく二人の女性から拍手が起こった。やはり、タンノイの出自は争えないのか。前夜『S・ワタナベ』のライブを楽しまれたこの人々は渋谷から来られたアーティスト・プロデューサーで、もう一方のかたは「自分を何と紹介したものでしょう、主婦ですが」

コメント
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