ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『ノーマン・ロックウェル』

2012年03月27日 | 徒然の記
五味康祐さんがタンノイに傾倒し渡英を画策していたそのころ、中学の当方の住む町では『コンバット』のテレビ放映が始まった。
メインストリートに初めてデパートが開店するというので日曜に行ってみると、最上階にはS画伯の個展が賑やかに開かれていた。
大勢の関係者が顔を揃える会場で目に付くのは、赤いフエルトをバックに銀色に横たわる大魚で、盛り上った絵具の眼がギラリとしていたが、同じように横たわる裸婦のオダリスクの前には友人たちが賑やかに輪を造り、ダブルの背広の雄弁な御仁が腰の曲線のタッチを褒め囃すと、みな満面の笑みでドッと沸いた。
上階から一階下にプラモデルの売場はあり、ショーケース前は学童達で賑わっていたが、『コンバット』というWWⅡドラマに直結している多くのアイテムが、当方を幸福にいざなうひとときであった。
なかでもアメリカ製のモノグラムというキットの箱の絵に『ノーマン・ロックウェル』という画家が筆を取った爆撃機などを見るにつけ、かの国の水準がしのばれて飽きなかった。
それに匹敵する日本の画家は『小松崎茂』が太平洋を挟んで対峙して優れていた記憶が有る。
子供の予算で遊びにもっぱらプラモデルを蒐集し、売場のコンテストがあると誘われて『M4シャーマン』を出品したことを笑う。
当事の水準で、国産ではマルサンが良く、いまモノグラムも変遷して両社は金型だけが残っているようだ。
中学の休み時間に学友から「金賞の札が付いている」と廊下で言われ、帰宅するなり展示コーナーに行って、まあ信じ難い気分を味わったが、模型制作はしばらく続いた。
時が過ぎて帰郷した当方が酒店の店番をしていたとき、ウイスキーを買う客に見覚えがあり、あのプラモデルコンテストから三十年ほど経っていたが、デパートの模型コーナーで采配を振るっていた売場主任のような気がする。
時間を30年短縮して商売をみるとき、マクロ経済学はプラモデルとウイスキーについて、地球上ではおよそ物々交換であった、と結果的にいっているのか。
ノーマン・ロックウェルは写真のようなイラストなど多方面に活躍していたが、あるとき作品管理施設が被災し作品の大部分が失われたため、オークションで17億の値の付いた絵も有った。
むかしローリングK・ウイスキーの景品絵皿に3枚のデザインが使われ、原画がメーカーに残っていれば奪い合いになること必定で、おそろしい。










コメント
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