ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

風鈴

2009年07月24日 | 歴史の革袋
廊下の風鈴が揺れて夏が来る。
そういえば、当方も「ぼっちゃん☆」と呼ばれたときのあった昔の夏祭り。
テキヤのオアニイさん連がメインストリートの所場割りも済み、家の前に金魚すくいの枠が組まれると、挨拶に来て電気のコードを引いていく。
「ぼっちゃん。ちょっと用事をしてくるから、店番しながら遊んでいて」数百匹の金魚をおしげもなく中学生の当方に預けると、ぷいと男は姿を消したのである。
よろしい。無口な当方は、祭りのゆかた姿の賑わう真昼の大町通りの片側で、見よう見まねのモナカの皮に金串を刺すと、金魚すくいというものを心行くまで追求した。
どんどんおかねを受け取って、とれない子にも金魚を渡して、ふと向かいの映画館の新しい看板を見上げると、裕次郎がマフラーをなびかせてこちらを見下ろして笑っていた夏祭り。

福島から花巻に帰る客人が立ち寄って、いまの建築が完工すれば、こんどは花のお江戸に行くかもしれないと。
アルテックのフルレンジを、吟味したコンパクトな球アンプで鳴らすモノラルの音が、旅先の酒の友にぴったりと申される。
芭蕉が、江戸深川の芭蕉庵で鳴らすタンノイを、それからしばらく考えている。
本居宣長はJBLかもしれないが、芭蕉はやはりタンノイではないのか。行李の中に仕舞えるタンノイ・コアキシャルを、弁当缶のようなシングルアンプで鳴らす、旅籠の夕涼み。
宮城の角田市に『エヴァンス』という喫茶店があって、良い音で鳴っているそうである。
そこで聴くソニー・クラークとチェインバースとJジョーンズ、トリオのI DIDONT KNOW WHAT TIME IT WASを涼しく想像してみた。







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