サッカールーの何でもござれ

サッカーとオーストラリアに関するサッカールーのエッセイです

チベット暴動

2008-03-17 14:26:27 | Weblog
筆者はその昔、バックパックを背負ってインドとネパールを旅したことがある。1982年と83年の2回も行った。インドはその当時と比べれば飛躍的な経済成長を遂げたが、ネパールは内戦がありまだ混乱状態にある。多分今のネパールではバックパック旅行など危険だろう。

さてインドの中国との国境に近い地域とネパールの西部地区にチベット難民が多く住んでいる。1950年代後半のチベット動乱にチベットから逃げてきた人々とその子供の世代である。若い世代はインド、ネパール生まれが多くなっただろう。

ネパールの西部にポカラという町がある。首都のカトマンズからバスで8時間くらいかかる。飛行機でも行けるがバックパッカーは普通はバスで移動するので飛行機には乗れない。多分今でもそうだろう。

このポカラにチベット難民が多く住んでいて、自主運営している学校もある。生徒は貧しいチベット人の子供たちである。今も貧しいかどうかは知らないが、当時はレンガ造り、藁葺きの寺子屋のような教室を使っていたし、子供は満足に文房具も使っていなかったので、教育に金をかける余裕は親にはなかったと思う。

1982年に旅行した際にその学校で先生をしていたチベット人と親しくなり、日本から文房具を贈る約束をした。今から考えれば安請け合いをしたものだが、まあ若いころは誰でも純真なのだ。

知り合いの某大新聞の文化部の記者に頼んで、全国版の文化面に紹介記事を書いてもらって寄付を募ったところ、結局1年間に200万円くらい集まった。ちゃんと東京都に団体届けを出して許可ももらったので、偽団体ではない。ちゃんと筆者の趣旨に賛同してくれた仲間も4-5人いたので、団体にもなった。

その当時はまだまだ世の中捨てたもんでもなく、毎月1万円を定期的に寄付してくれる方もいて新聞記事の世間に与える影響が絶大であることを認識した。

1983年にはこの200万円を持ってネパールを訪問してポカラの学校に手渡してきた。学校の事務局の人の家に泊めてもらったが、強烈な地酒を飲まされて夜中にもがき苦しんだことを覚えている。

同年筆者は就職して海外赴任になったため、この活動を他の仲間に託し、自分の役割を終えた。しかし寄付金を持参したときに痛感したことは、文房具は当然のごとく消耗品であるため、長期間継続して贈る必要があり、単なる思い付きでは役に立たないということだった。

最初のチベット動乱から半世紀以上経過して、インド、ネパールに住んでいるチベット人が難民と呼べるのかどうか曖昧になっているが、今回のチベットでの暴動を聞き、何も変わっていないのだと思った。

この暴動が引き金となり、中国に対する国際的な非難が高まり、中国が最も恐れるオリンピックボイコットまでつながるかどうかは疑問だが、中国の少数民族政策の結果として、文房具の費用を寄付してくれた人がたくさん日本にいたことを中国政府には知ってもらいたい。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (福島レンジャースSC)
2008-03-26 23:59:39
中国はそれを知っても鼻で笑うでしょう

この行動はきっと中国を変えるでしょう
中国では悪政は50年経った試しがないですよ!!
オンカホウは地獄に落ちるよ
返信する

コメントを投稿