※大変ご好評頂いている記事の更新です。
もう亡くなられてしまいましたが、私の暮らす町に、かつて有名大学の生物の教授をなさっていた方から教わったのですが、現代の生物学界は、進化論をベースに構築されているようです。
しかし現実の生物界は、メダカはメダカ、フナはフナであって、進化論とは逆の、メンデルの遺伝法則しか見えては参りません。
現実に即した観察をする限り、進化論はスカスカの仮説でしかありませんから、ポチっとどこかで突き崩れると、ガラガラと崩壊すると私は思っています。
看護師であり、現実主義者である私は、進化論については、昔から一定の疑問を持ってはいましたが、それが確信となったのは、20年ほど前に長男が生まれて以後です。
赤ちゃんの頃の長男は、夜泣きが凄くて育児が大変でして、それが発端なんです。
私も幼少のみぎり、泣き虫でしたので、長男は私に似ているのだろうし、私が親から受けたご恩を、そういう形でお返ししていたのかなと。
では、赤ちゃんは何故泣くんでしょうか?
それは、第1に、お腹がすくから。
赤ちゃんはお腹がすくと、お腹が痛いらしいのですね。
次の理由は、背中が痛いから。
抱っこして、泣き止んだ時はこれです。
3番目の理由は、ものすごく体調が悪いときです。
主にこの、3つの理由があります。
人間は、哺乳類の中では、最も頭部が大きいです。
哺乳類は、子供の頭部が、産道を通れる限界に達したとき出産するんですね。
ですから頭部の大きい人間は、どうしても、身体機能が不完全な形態で生まれます。
つまり哺乳類の中で、もっとも未熟な生態で生まれてくるのが人間で、馬やシカなどの草食動物のように、産後すぐに立ったりなんてできません。
人間の赤ちゃんは、骨格筋も未熟そのもので、腰も首も据わっていません。
骨格筋が未熟で、寝返りを打てないので、寝たきり患者さんのように、長時間同じ姿勢で寝ていると痛いんですね。
つまり赤ちゃんは、床ずれが出来ないために泣いてるんです。
よく、「産後50日100日過ぎると楽になる。」と育児で言われますが、たくさん乳が飲めるようになり、首も腰も据わって、寝返りが打てるようになると、よく寝れるようになるからです。
すると赤ちゃんも機嫌もよくなって、かわいくなるということですね。
「なぜ赤ん坊は泣くのか?」という原因と結果から導き出されることは、要するに、人間の赤ちゃんは、「生きていくために泣いている」わけです。
つまり人間の赤ちゃんにとって泣かないということは、育児をほっとかれて、死ぬかもしれないことを意味しているわけです。
つまり人間の赤ちゃんは、生きるために必死で泣いていて、人間の赤ちゃんにとって泣く行為は、親への育児要求のアピールなんですね。
私はダーウィンさんに質問したいのです。
「人間の赤ちゃんは、いつからあんなに大声で泣くようになったんですか?」と。
他の生物の子供で、人間の子のように大声でなくような者はいなくて、人間だけが、あんな大声で泣くんです。
なぜ、他の動物の赤ちゃんは泣かないか。
その答えは簡単です。
弱肉強食、生き馬の眼を抜くような、生存競争の激しい自然社会では、人の子のように、ギャースーギャースー大声で泣いていたら、天敵に見つかって、簡単に食べられてしまうからです。
鳥のヒナだって、親鳥がエサを運んできた一瞬しか鳴きません。
他の場面では、じっと静かに潜んでおります。
彼らはちゃーんと心得ているんですね。むやみに泣くと、食べられてしまうことを。
人間だけですよ、心得ていないのは。(笑)
ところ構わず、いつでもどこでも誰とでも泣きます。
また、戦争で逃げ惑う中、家族が敵に見つかって全滅しないように、親が赤子を殺さざるを得なかった悲劇は、歴史上いくらでもありますよね。
さあ、サルから進化し人間になったとして、大声で泣く子供を抱え、野生動物の中で最も非力で、足の遅い人間が、厳しい野生社会の生存競争に、生き残れる確率はいったいいくらになるのでしょうか?
私は、限りなく0%だと思います。
私なら守れないです。
人間の子供は、生まれた直後から大声で泣きます。
あの赤ちゃん第1声、「産声」は、肺呼吸を開始するサインです。
「産後直後に泣かない赤ちゃんは死ぬ。」これは古来より言われていることですが、ある意味で本当です。
あの第1声で、心肺の血流の回路が、肺呼吸に切り替わるからです。
この画像が、成人の心臓。
動脈血と静脈血は、心臓の壁と弁とで区切られています。
次の画像は、お腹の中の赤ちゃん(胎児)の心臓です。
生まれる前の胎児は、肺呼吸をせず、お母さんの血液を臍帯(さいたい)からもらっているので、そのため、肺に血液が行かないように、心臓の壁に卵円孔という穴があいていたり、肺動脈と肺静脈がつながっています。
この臍帯(さいたい・へそ)からの血流回路から、肺呼吸に切り替わった後、赤ちゃんの肺に溜まっている水分を排出するためには、人間の場合、どうしても大声で泣く必要があるのですね。
そうです。
もしも人間が、進化論者の言う通りの歴史を歩んでいたなら、とっくの昔に自然淘汰されているはずです。
人間は、野生の中では最も弱いからです。
私は、人間ははじめから、社会を形成して天敵から身を守るための、最低限の文明の中で生きていくことを想定して、創られた存在であると断言します。
泣く子がいたら、社会をつくらないと守れないからです。
お子様がいらっしゃる方でしたら、この記事は、実感として理解していただけると信じます。
つまり、人間がサルから進化したならば、赤ちゃんが大声で泣くわけがないということです。
はなっから、人間は人間として、地球の歴史に登場しているはずですし、いまある生物の生態系は、最初からほぼそろっていたと考えています。
その証拠は、過去の化石からも、また今の生物界にもたくさん存在するのですが、その話はまたいつか。
本日は、幸福の科学の経典『神秘の法』(幸福の科学出版)より、人生の目的と使命について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語られた一節をご紹介いたします。
(ばく)
モナコ国際映画祭・最優秀作品賞!千眼美子、涙を滲ませる/映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密−The Real Exorcist−』特別映像
キミが0歳だった頃
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=137
立場を逆にして、霊界からこの世を見てみると、「この世は非常によい教訓の場なのだ」ということが分かります。
霊界は自由な世界ですが、その霊的な自由が、霊界に住んでいては、なかなか分かりません。この世に生まれてみて初めて、霊的な自由の持つ意味が分かるようになります。
そのため、苦しいけれども、何度も何度も、この世に生まれてくるのです。
苦しいけれどもマラソンの好きな人がいるように、あるいは、苦しいけれども水泳の好きな人がいるように、「苦しいけれども、一定のルールのなかで自分を試してみたい」と思うわけです。
マラソンで四二・一九五キロを走るのも、水泳をするのも、柔道場で柔道をするのも、どれも苦しいことですが、みな、やめようとはしません。なぜでしょうか。
自分の力、能力の限界を試してみたいからです。「ハンディ(不利な条件)のあるなかで、それを打ち破って生きてみたい。尊敬されてみたい。立派な自分になりたい」と思うからです。
そういう理由で、この世という特別な世界のなかに生まれてくるのです。
不思議といえば不思議ですが、それが仏や神の意地悪でないことは、この世に生きている者の寿命が限られていることで分かります。
「霊界という自由な世界があるにもかかわらず、この世で永遠に生きなければならない」ということならば、それは意地悪でしょうが、この世での寿命は限られています。
人間で百年ぐらいであり、動物はもっと短いのです。昆虫はさらに短くて、一年以下が多く、非常に短い命です。
したがって、「限られた寿命のあいだであるから、完全には分からなくても、やむをえない。分からないからこそ努力するのだ。目隠しをされて目が見えないような状態で、いろいろ苦労をして、別の意味での経験を積み、力をつけているのだ。それは、ちょうど、山登りをしているようなものである。そういう苦労をみずからに課して、魂を鍛えているのだ」と考えればよいのです。
『神秘の法』(幸福の科学出版)P244~246
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「メダカはメダカ、フナはフナ」白いオタマジャクシと、『偶然』という名の神(追記更新)
赤ちゃんはなぜ泣くか、子育て中のお母さん方にも読んで欲しい内容でした(o^^o)
お褒めいただき恐縮です。
はい、私、いつも周りの方々からは、「変なことばかり思いつく。」と言われています。(爆笑)
でも折角ですので(笑)、この特技(?)を生かして、末法の世を切り裂いてみたいと思っています。
もう少しお勉強なさったほうがよいと思います。
信者向けの情報だけでなく一般的な情報にもちゃんと触れないと偏りますよ。
お言葉ですが、私は生物学は素人ですけれども、医療の世界では、お金を頂く立場です。
ですので、医療従事者としての見識を、言論の自由の範囲で記事にしました。
ダーウィンの進化論は、医学的な立場だと真っ向から対立します。
医学は、メンデルの法則の領域になるからです。
Unknownさんがダーウィンの進化論にお詳しいなら、ぜひともお教えいただければありがたいです。
確かに、他の動物は産まれてすぐあんなに泣きませんね。
「抱っこしたら泣き止むのは、床ずれ状態になって痛いから。」というのも納得です。
「哺乳類の中で、もっとも未熟な生態で生まれてくるのが人間。人間がサルから進化したならば、赤ちゃんが大声で泣くわけがない。」
さすが看護師さん、非常に説得力がありますね
Unknownさん、コメントありがとうございます。
ちまたには、ダーウィンの進化論が入る余地はありません。
メダカはメダカ、フナはフナです。
トンボは出現以来、3億年経ってもトンボのままです。
両生類のカエルが、エラを捨て、肺呼吸のみになる、合目的な理由はありません。
人になりかけのサルもいなければ、カエルのなりかけのムツゴロウもいません。
そして、生き延びるために進化するはずなのに、なぜいまだにアメーバーは存在するのでしょうか?
進化論はおかしなことだらけです。
たとえ同じ種で多少の変化はあっても、「種」を超えて変化することなど、絶対にないのです。
こればっかりは、目に見え、そして目の前にある姿こそ、真理なのです。