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【スバル360】世界に最も影響を与えた侍集団スバル。

2016-11-07 21:20:39 | 自動車から見える日本と世界

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最近よく地元の幸福の科学信者読者さんから、「ばくちゃん、自動車の記事が最近多くないかぇ?」と言われます。(笑)はい、かなり記事数が、ここ最近増えてきております。(爆笑)

と申しますのも、「アクセス数が減ってくると、自動車記事を書いている」の法則がございまして・・・(爆笑)、はい、今このブログで、最もアクセス数の多いのは、恥ずかしながら自動車関連でございまして(大爆笑)、これもまぁ、代表管理人である私が悟っていないので、心の記事とか、宗教関連の記事に、布教を達成するだけの説得力がないということなんですけれども(苦笑)、アクセス数も視野にいれないといけない編集長と致しましては、「困ったときの自動車記事」という裏事情がございます。(大爆笑)

ただ自動車というのは、何度も言いますけれども、「そこから見える社会」というのは、もう百発百中、ごまかせないものがございますので、社会サンプルとしての自動車は、これは一級品のデータであると思います。

よく「日本車は、個性がない。」と言われますが、私はそうは思いません。むしろ、個性や独自技術の塊のように見えます。近年を見れば、欧米の自動車メーカーの方が、日本車に追随するパターンの方が、多いのではないでしょうか?

日本の自動車メーカーは、欧米メーカーと比べて、商品企画と演出の面を、どうも苦手としているだけだと思います。要するに、技術者集団が多いのですね。今回は、技術大国日本の、主要産業である自動車メーカーの中でも、技術に対するこだわりが、最も強いメーカーでございます。

それがスバル(富士重工)です。

スバルの自動車オーナーは、とにかく自動車に詳しい方が多いです。

スバルという会社は、消費者に分かりやすいアピールをしません。

はい、全くしません。(笑)もう、笑っちゃうくらい、このメーカーはしないんです。(爆笑)

この会社だけは、誰にも媚びません。資本を握る親会社はもちろん、お客様にもです。 

ひとことで言えば、”完全な理系企業”だと言えるでしょうか。

技術者集団なのは、マツダやホンダも同じなのでしょうが、ちょっと味わいが違います。

ホンダはいつも、大きな相手に、技術やアイデアで戦っている、挑戦者のイメージがあります。

マツダは、ひたすら技術を磨いている匠のイメージです。

スバルは・・・、なんと申しましょうか。スバルは典型的な、武家の商法なのかも知れませんね。

 商品カタログなんかは、他のメーカーですと、イメージ優先の写真が多いのですが、それがスバルだと、技術の説明ばかりになったりするんですね。(^^;

それもそのはずです。富士重工スバルの前身は、戦闘機 隼(はやぶさ)を作った、中島飛行機です。

(戦闘機隼 中島飛行機製作)

 ちなみに、零式戦闘機、ゼロ戦を作ったのは三菱です。 

陸軍航空隊の主力戦闘機が中島の隼で、海軍の戦闘機がゼロ戦でした。 

ちなみに、三菱の作品であるゼロ戦を、中島飛行機も2/3くらい製造していたようですね。 

そこらへんの、戦前の両者のライバル関係が、その後の日本や世界の自動車業界に与えた影響は計り知れないのですが、これを語り始めたら、文字数が足らなくなること必死ですので、また今度にでも。(笑) 

(零式戦闘機 通称ゼロ戦 三菱重工業製作)

そうスバルの前身は、飛行機メーカーだったのです。

軍事産業だった中島飛行機は、戦後GHQによって解体され、多くの小さな会社に分かれました。

その中には、日産と合併した、プリンス自動車もあります。

スバル、そしてプリンス自動車ら、旧中島系の自動車メーカーには、共通する特徴があります。

それは、技術を海外に頼らないことです。何でも、自分たちで作ってしまうんですね。

そしてプリンスもスウェーデンのサーブ社も飛行機メーカーですが、飛行機メーカー兼自動車メーカーは、理想主義的な作品を作る傾向があるかと思います。

スバル、そしてプリンス自動車は、戦後直後に既に、トヨタらでも、海外の製品のノックダウン生産をしていた時代にでも、独自の製品開発をやっておりました。

それはやはり、戦闘機メーカーとしての誇りではないでしょうか。プリンスもそうですが、両社とも社風が頑固なんですね。

自動車に話を戻すならば、スバルの自動車製品第1号は、1958年に販売開始となった、スバル360です。

(スバル360)

フォルクスワーゲン(VW)ビートルが、カブトムシの愛称で呼ばれていましたが、スバル360は「テントウムシ」という愛称がありましたし、一部では「デメキン」とも呼ばれていたとか。

 

VWビートルとポルシェ356

日野がノックダウン生産していたルノー4CVなど、当時はリアエンジンリアドライブ(RR)車も多く、スバル360もフォルクスワーゲンビートルらと同様、当時主流のRRでした。最近「昔の名前で出ています」的な復活を遂げた、フィアットの500(チンクチェント)も、先代は空冷RRでした。

フィアット500 (ルパン3世の愛車 笑)

当時の世界基準車はVWのビートルでしたから、スバル360がビートルの影響を受けていたのは間違いないし、空冷エンジンのRRというのは、当時の小型車のオーソドックスな形態だったわけですね。

スバル360は、私には珍しく、ちょっとノスタルジックな感情を抱いてしまします。

と申しますのも、私の幼少のみぎり、我が不肖の父の愛車がスバル360でして、周りの家の車より”ど”エライ小さいサイズで(笑)、♫バタバタ♫と、2サイクルエンジン独特の音を立て、白い排気ガスを出しながら走っていたのを微かに憶えています。

スバル360は、軽自動車規格で最初の作品ですから、サイズとしては、全長×全幅×全高(m)=3m×1,3m×2m足らずですから、まっこと小さくて、今実物を見れば、「ようこんなちっこいものに、家族で乗れたものよ。」と感心するサイズでございます。(笑)

この軽自動車規格、これは日本の政治が、「道路が生み出す富を理解していない」という証拠だと思うんですね。

「小さな自動車を推進する」ということでしょうけど、要するに、「日本の道は狭いから、邪魔にならんようなものを作れ!税制で優遇するから。」ということですが、裏を返せば「立派な道を作るのに、お金を出すのはもったいない。」ということですよね。

日本人は、「制約の中で最善を尽くす」民族ですから、ケチケチ政治の軽自動車規格が、まぁ善でも悪でもないところまで国民は頑張ったのは間違いないし、事実軽自動車は、紆余曲折を経て、今や日本の国民車と呼べるまで立派な商品となりました。

今軽自動車を輸出商品に規制緩和したら、世界の超小型車のシェアは、日本勢がほぼ独占できると思います。

しかしまぁ、新幹線や地方空港の充実など、”重”な交通インフラでは、早い時期から大胆な構想を提示できるのに、高速道路なども、世界で唯一有料ですし、「こと、道路行政はけち臭いなぁ」と思います。

自動車社会がこれほど進むとは、何十年も昔には思いも寄らなかったとは思いますが、政治的にもっと、先見性や構想力などが、日本の道路行政にあれば、もっともっと国富を増やせたことは間違いないと、私は残念に思っています。

こんなことを言っていると、文字数制限が・・・。(爆笑)

スバル360は、当時としては大変珍しい、モノコックボディーでした。

現代では主流のモノコックボディーは、卵の殻のように、ボディーの外殻全体で強度を保つ方法です。

これは軽く、強度も強いのですが、製造精度が難しく、VWビートルですら、背骨のようなフレームに、ボディーを固定させていました。

飛行機はモノコックボディーですので、世界でも早い時期でのモノコックボディー採用は、元戦闘機メーカーの技術の蓄積があったはずですね。

 

スバル360がVWビートルに似た、愛らしいスタイルですので、「優れたデザイナーによるものだ。」と思いたいのですけれども、スバル的に言えば、どうやら「この形が最も強く、最も軽いから。」のようでございます。(笑)

ともあれ、軽自動車史上初めて、4人が快適に乗れ、十分な速度で走れる作品が、このスバル360でした。

価格を抑えた軽自動車、スバル360のお陰で、日本はマイカー時代の幕開けができたのですね。 

スバル360は、4輪独立サスペンションという、とても贅沢な足回りをしていました。

 

(固定式サスペンション)

 

(独立式サスペンション)

それはコスト高なのですが、運動性能面で、特にリヤタイヤの動きにシビアなRRでは、仕方ない選択だったのでしょう。世界のRR車は、ポルシェをはじめ全ての製品が、リアタイヤをつるすサスペンションが独立方式です。しかしこの、当時としては極めて贅沢な、4輪独立サスペンションがもたらす乗り心地は素晴らしく、スバルクッションと呼ばれるようになりました。

スバル360から生まれた、サンバーという軽バンは、「最も乗り心地の良い商業車」の異名を持ちます。

スバルサンバー(初代)

今でも、スバル車の乗り心地は、ハイレベルなのですね。

またスバルの会社のある群馬の、当時は未舗装の山道で鍛えられたコーナーリング性能も、以前の日本車ではめずらしく、高度な潜在能力を持っていました。

スバル360は軽自動車ですから、残念ながら国内専用企画車です。

しかし、その実力は侮りがたし。

海外では、たった360ccの自動車なんてありませんから、比較のしようがありませんが、当時の商品として、世界的にも結構なレベルにまで達していたはずです。

後方の重いRRですが、山岳路の多い日本では、後輪に駆動荷重のしっかりかかるRRは、商品価値としては有利でした。

しかし名作スバル360を作ったスバルは、実際にこの商品をつくったことで、空冷RR車の限界を見切ったのです。

それはVWよりも、あのポルシェよりも、ずっと早い決断でした。

その後スバルは、この業界では無謀とも思える果敢な決断をして、日本自動車史上、最高傑作と言われる作品を作ってしまいます。

それが10年、否それ以上のその後の歴史において、世界に多大な影響を与えるとは、当のスバルも考えてはいなかったと思います。

と申しますのも、ここは良くも悪くもマイペースですので。(爆笑)

 

あらら、本編に入る前に、もう随分と長い記事になっていて、文字数制限がマジヤバイです。(大爆笑)

それで多くの記事が消えましたので、私はビビっています。(大笑)

とまぁ、ここ(スバル)は、一筋縄では行かないところですね。なんせ親会社だったGMも、今親会社のトヨタも、閉口させる理系技術者集団ですから。(爆笑)

スバルだけは、どうやら、何回かに分けなきゃ、語り尽くせないようでございますね。(^^;

ということで、次にお届けするのも、スバルになると思います。

アクセス数がピンチになったら、また書かせていただきます。(爆笑)

                  (ばく)

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