ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ムー大陸とか、アトランティス大陸って、マンガやSF小説なんかでよく見るんだけど、本当にあったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の原理』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今から一万五千年あまりの昔です。現在の日本を真南に下ったところにジャカルタという島がありますが、このジャカルタという島は、実は今から一万五千年ほど昔に大きな大陸があった、その中心点であったのです。この大陸のことを「ムー大陸」と言います。そして、この大陸に栄えていた国のことを「ムー帝国」と言います。今から一万五千数百年前でしょうか、この大きな大陸が没していったわけであります。それは本書以外においても、神智学のような書物など、さまざまな文献を通して、そうした大陸があったということを、お聞きになった方がいらっしゃるはずです。
 この大陸に今から一万六千数百年前にラ・ムーという偉大な帝王が生まれました。(中略)
 その後、このラ・ムーの生命体は、今から一万二千数百年前、アトランティス帝国に生まれ変わりました。現在の大西洋、ヨーロッパと北米を結ぶ中間点にバミューダ海域というところがありますが、ここに、その当時偉大な帝国がありました。アトランティスというところはひじょうに科学文明の発達した国でありました。ある意味では、このアトランティス帝国の科学技術というのは現代の文明水準をも超えている部分があったのです。遅れている部分もありますが、超えている部分もあったのです。
 この当時、すでに飛行船が発明され空を飛んでおりました。『太陽の法』のなかにもサラッと書いてありますけれども、この飛行船は、長さが二十メートルから三十メートルぐらいの鯨型のものでありましたけれども、この飛行船の上に背ビレのように小型ピラミッドをつけていて、太陽エネルギーを変換して、それを動力として使い、後尾にプロペラを付けて、これをまわして飛んでいたのであります。(中略)
(70~72ページ)

ムー大陸やアトランティス大陸は、太古の昔(といっても1万数千年の昔です)、ほんとうに実在していた。
 
幸福の科学の信者にとっては、もはや常識になってる話ではあります。
 
映画『太陽の法』でも、実際にどんな世界だったかが、具体的に描かれていました。
 
その真実を、大川隆法先生は、淡々と語っておられたのだと、改めて私は思うのです。

 

『幸福の原理』

大川隆法著

 

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心が荒れていてどうしようもないって? どうすれば、安らいだ心を取り戻すことができるの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現代社会は非常に忙しい世の中になっていますが、そのなかで、心の安らぎを取り戻すことがとても大切です。
 その方法としては、たとえば、独り静かに仏法真理の書籍をひもといてみることです。あるいは、坐禅、瞑想などの経験を経て、自分自身と対面してみることです。あるいは、反省によって、自分の心に刺さったとげを一つひとつ抜いていき、インクつぼを引っくり返したように真っ黒になってしまった心の染み抜き作業を、丹念に行っていくことです。
 また、どうしても自力によって心の平和を保つことができず、反省も瞑想も、とてもできないような状態であるならば、もはや祈りに頼るしかありません。
 特に、強力な悪霊である「悪霊」に取り憑かれたり、悪魔に惑わされたりしているようなときは、なかなか心の平静を取り戻すことができないのです。
 それは、「心が揺れて、考え事がまとまらない。いつも同じところに考えが行ってしまい、心を柔らかくしようとしてもできない。執着から離れようとしても離れられない。さらに、本来の自分とは正反対の思想が、どんどん頭のなかに入り込んできて、考え方が逆になっていく」という状態です。
 このように、強力な悪魔などに憑かれているときは、残念ながら、反省や瞑想に入れる状態ではありません。その場合には、強い祈りに頼るしかないので、幸福の科学の支援霊団に対して祈ってみてください。
 祈れば必ず助けがやってきます。それは確実です。幸福の科学の信者の場合は、「主への祈り」や「エル・カンターレへの祈り」などで、私に対して祈れば、幸福の科学霊系団のだれかが必ず助けに来て、光を入れてくれます。そういう祈りに頼らなければいけないときもあるのです。
(256~257ページ)

幸福の科学の書籍をまず開いてみること。

瞑想。反省。そして、祈り、ということですね。

自分ではどうしようもない段階だなあと思った方は、幸福の科学の支部精舎にまず連絡してみたらいいのではと私は思うのです。
 


『大悟の法』

大川隆法著



なお、この『大悟の法』という本は、「悟り」というものについて、とてもやさしく、でもものすごく深遠に説かれてるんだけど、その内容のエッセンスを、オリジナルストーリーで、さらに分かりやすく理解させてくれるのが、マンガ『大悟の法』です。すごくよく考えられたストーリーは感動もの。アニメ映画で見たいものだと、ほんとうに思いました。
 


マンガ『大悟の法』

幸福の科学出版



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なんで人は、病気になったりするんだろ? 仕事も家庭でも絶好調のときに限って、風邪ひいてダウンしちゃったり。あんないい人が、なぜ今、あんな重い病気になったりするの、ってこともあるよね。人間が仏さまや神さまに作られたのが本当なんだったら、そんなに不完全な作り方しなくってもいいじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人は、自分の思ったことがズバズバと的中し、道が拓けることをもって、よしと思うかもしれませんが、ほんとうは、いろいろな上がり下がりがあるなかにこそ、学ぶことは多いのです。
 たとえば健康面をとってみると、いつもパワフルで健康な方もいるでしょう。そうした方は、健康のことを考えるという時間がないかもしれません。ただ、この健康の反対である病気というものは単なる不幸かと考えたときに、「いや、そうでもない。そんな消極的なものではないのではないか」という感じがします。
 なぜ、あるときに人間は病気になるのでしょうか。病気になるには、その前段階が必ずあります。助走期間のようなものがあります。体のどこかが痛んだり、調子が悪くなったりして、通常どおりの働きができなくなってきます。これは、ある意味で、自然が人間に休養を命じているときでもあるのです。何ゆえに、自然が人間に休養を命じているかというと、健康を当然と思っている人たちは、ほんとうに、病気にでもならないかぎり、休むことを知らないということがあるからです。
 したがって、ある人がオーバーヒートしたときには、その人の寿命、あるいは天命をまっとうさせるために、自然はその人に一時的に病気を与えて休ませることがあります。その病気にかかることによって、実は寿命を長らえているのです。そうならない場合は、オーバーヒートして、どこかでそのままあの世に還ってしまうことになるのです。その前に何らかの体調の不全を起こして休ませ、強制的に休養期間をつくります。
(19~21ページ)

えー、そうだったんだあ、ですよね。

風邪だって、重い病気だって、意味があるのだ。

それを前向きに受け止めて、魂の糧にしていくこと──。

人生で成功していくための重要なヒントの一つを、今日はまた改めて学んだ気が私はするのです。

 

『常勝思考』

大川隆法著

 

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あの世って、マンガとか、ドラマとか、小説とかでよく出てくるけど、昔の時代のままで止まってるみたいに思えるんだけど、ほんとにそうなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あの世もまた、この世と同時に変化しています。現代の人が亡くなれば、その人が生きていたときと同じような生活様式があの世にも現れています。現代において、あの世の世界を見てきた人は、数百年前、あるいは千数百年前の臨死体験の報告にあるような、古代の世界を見たわけではありません。いまは、極めて現代的なあの世というものができています。天国も地獄も変わってきています。都会も現れています。
 この世にあるものはほとんどすべて、似たようなかたちで、想念の世界において現実化してきています。多くの人々が「それがあってほしい」と思うと、そのようなものが出てくるのです。それが、あの世の世界です。
 多くの人々が「乗り物が欲しい」と思えば、それがあるかのように現れてきます。電車も飛行機も現れてきます。あの世に現実に金属があるわけではないのですが、そのように現れてくるのです。「地上の楽園」のようなものを望めば、現代における最高のテーマパークのようなものや美しい公園のようなものが現れてきます。それは古代の様相ではありません。現代の地上にあるものと極めてよく似たものが出てきます。
 「臨死体験では、必ず古代返りをして、大昔の世界ばかりが出てくるから、あの世は信じられない」と言う人がいますが、そんなことはないのです。すでに、現代的なあの世が始まっています。時代はほとんどずれていません。
 古代のままで時間が止まっている人々の世界もありますが、現代の人々に対しては、現代の人々に分かるようなかたちで、あの世での指導が行われています。方便として、そういう現代的な生活も展開されているのです。
 あの世には学校も病院もあります。この世にあるように存在します。そういう所で仕事をしている人も数多くいます。その内容も日進月歩で、次々と変わっています。昔であれば、霊界の学校に外国人はいなかったでしょうが、いまの霊界の学校には、外国の人たちも数多く学びに来ています。
 そのように、あの世は地上と同じように変化しているのです。
(296~298ページ)

あの世も、この世と同時に変化していく──。

新鮮な話に感じた人もいるかなあ。

臨死体験の報告というのも、昔の書物を読むだけじゃなくて、いま現在の報告も知らなきゃいけないんだと私は思うのです。

 


『幸福の法』

大川隆法著

 

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住んでるのが田舎だからかな、まわりには手本になりそうな立派な人なんて、誰もいないんだよね。都会に出れば、素晴らしい人がたくさんいるのかな。環境変えなきゃダメなのかな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『運命の発見 説法自由自在②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は光ってくると、人は放っておかないという事実があるのです。その人の人格に光沢が出てきたときに、3年以上埋もれているということは少ないことです。現実に、あなたがそういうすばらしい人と出会いたければ、あなた自身がそういう人たちをひきつけるような人にならないといけないということです。そうでなければ、そういうすばらしい人はあなたの前を素通りしていくでしょう。あなた自身が光を出さなければいけません。(中略)
 成功者は成功者を呼び寄せるのであって、失敗者や、成功したいけれど自分は現在失敗しているという人とは肌が合わないのです。そういう人が寄って来ると、遠ざかるのです。なにか貧乏神が来たような気がして、逃げていくのですね。
 雰囲気が人を寄せる、というのはこういうことをいいます。成功している人は、その成功の雰囲気が出ています。ですから、その人の近くに行くと成功しそうな気がするわけです。そういうところに来るのは、精神的に貧乏な人ではなくて、やはり成功をめざしていて、成功しそうな人です。これは、その人の波長が呼び寄せるからです。
 自分には何もないけれど、成功者のところに行けば、自分も成功者になれるのではないか、すばらしい人のところに行けば、自分もすばらしくなれるのではないかと思っても、じつはそうではないのです。その前に、自分がそこに至るまでの修行をしなければいけません。あなたのなかにキラリと光る何かがなければ、そういう人がもし立ち現われたとしても、あなたに何も残さずに立ち去るかもしれない。自分とは違う世界の人だと、一見して思えば、通り過ぎてしまうかもしれません。(中略)
 ですから、あなたは自分のまわりが未熟な人ばかりで自分も未熟だと思い、だれか立派な人といっしょに仕事をしてみたいと思うかもしれないけれども、まず、みずからが光ることです。光っていると、どこかで必ず人をひきつけるのです。必ずあなたが求めているような人が現われて来て、自然にそうなるでしょう。(中略)
 まず、現在の環境のなかで学びうる最大のことを学んでみる、実践してみる。その環境には、そういう未熟な人ばかりいるかもしれない。しかし、ちょうど霊界と同様で、魂の境涯が上がって光が強まれば、次の階に浮き上がっていくように、その現在の環境のなかに、あなたがいられないような雰囲気になったときに、この世でも同じように次の段階に移ってゆくのです。
(187~192ページ)

光っている人を、人は放っておかない。

すばらしい人と出会いたければ、あなた自身がそういう人たちをひきつけるような人にならないといけない。

だからまず、現在の環境のなかで学びうる最大のことを学び、実践し、みずからが光ることである──。

もちろん、どうしても環境を変えた方がよい場合はあるでしょう。

でも、まずは現在の環境の中で、自らが光り輝くように最大限の努力をすること。

光り輝く人を引きつけることができる自分になること。

そう決意し、実行してみるのが成功するための出発点だ、ということなんだと思います。

地味だけれども、少し時間がかかるかもしれないけれども、その結果として今の環境の中で光り輝いてきたとき、自然と次の段階がやってくるって。

ほんとに、勇気が出てくるお教えだと私は思うのです。 

 

『運命の発見 説法自由自在②』

 大川隆法著

 

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彼とは結婚を前提に付き合ってたはずなのに、別の彼女ができちゃったなんて言うんだ。どうしたらいいの? なーんて人、いませんか。いわゆる三角関係ってやつですね。

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 残念ながら、「自分はこの人」と思っていた人に新しい恋人ができる、新しい愛人ができるということは、切ないことではありますが、あなたが完全な女性ではないということを意味しています。
 いや少なくとも、彼の目から見てあなたが完全ではないということを意味しています。あなたは、この冷厳な事実と対決しなくてはなりません。百点満点ではないことを教えられてしまったのです。その事実を知ったときには、おそらく頭の上に落雷でもあったかのようなショックをお受けになったでしょう。しかし、これが人生の冷厳な現実でもあるのです。
 この現実と、あなたは闘わねばなりません。そのなかで、あなた自身の考え、人間観、あるいは価値観、趣味というものを、もう一度ふり返ってみなければいけないのです。いや、それを固めなければならないのです。
 あなたは、いったい彼のどういうところに魅かれましたか。それをよく自分自身に問うてみてください。(中略)
 あなたは彼のどこが好きだったのか、もう一度点検して、そういう彼ではあるけれども、それでもまだやっていけるのかどうかを決意しなければなりません。
 その結論は、時の流れがかならず出してくれることになるでしょう。新しい彼女ができて、そしてその新しい彼女と彼がいっしょになるのか、それともあなたのところへ戻ってくるのか。その結論は、おそらくはあなたがその事実を知ったときから半年以内には出ます。
 半年以内に結論が出なかった場合には、すなわち、彼が言葉を濁して、「いや、君も好きなんだよ。しかし相手の人とも別れられないんだ」ということで、ズルズルとその状態が続くようであったならば、あなたはやはり半年以内にはその結論を出すべく、心を決めなければなりません。彼に「私をとるのか、もうひとりの人をとるのか、結論を出してほしい」ということを、やはり半年以内には迫らなければなりません。(中略)
 そして、そのあいだで結論を出せないような男であるならば、あなたは潔くその男のもとを去るべきであると、私は思います。
 その半年間、十分に苦しみなさい。そして、自分自身というものをもう一度見つめ直しなさい。
 しかし、結論が出た場合には、運命には潔く従いなさい。
 世の中は、捨てる神あれば拾う神ありです。そのときには自分にとって失敗だと思えたことでも、あとになってみれば、さらによい人生が開けるための前ぶれであったということはあります。
 最後には、神様というものを信じていることです。
(38~45ページ)

最も苦しい時期というのは、半年以上は続かない」というのは、別のところでも教えていただいたと思います。

ここでも、節目の期間は半年、ということですね。

女性のための「幸福のつかみ方」。

じっくりと味わい、人生をよりよく生きるための参考にしたいものです。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著



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神さまや仏さまがいるんだったら、なんで生きてて、悩みだらけなんだろう。神仏は、人間の悩みをすぐになくして下さればいいのに。宗教に入って、神仏にすがれば救われるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学原論①』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 とくに、宗教的真理を求めている人たちは、何かにすがれば救われるという考えを持ちやすいのです。いまだにそういう人があとを断たないわけですが、しかし考えてみるならば、何のためにこの世に生まれてきたのか、どうして生きているのかと考えてみると、救われるために生きているわけではないのです。ここを考え違いしがちです。
 現在の苦しさから逃れたい一心で、救われるということのために生きているような錯覚に陥ることがありますが、そうではなくて、この世に生まれてくるということは、もっと積極的な意味があるのではないかと思われます。ひとつには己れの魂修行という目的であり、もうひとつはもっと大きなユートピアづくり、幸福感の増幅のために生きているのではないかということです。
 このような観点から考えてみると、単に救われたいということだけで生きているということは、人間としては情けないことではないのか。自分の人生の悩みは何のためにあるのかよく考えてみよ。人それぞれ、その人に合った問題集が与えられているのではないかということです。
 そういわれてみるとたしかにそのとおりで、その人にぴったりの問題集なのです。神様であるなら、本当はもう全部幸福にしてくれて、悩みもみんなとってくれるはずなのに、こんなに苦しいのはおかしいと考えがちですが、よくよく考えてみると、各人に固有の問題集があり、各人に悩みがあるということは、現にその人がどのような修行の課題を持っているかを明確に表わしているのです。その修行を卒業した人には、そういう問題集は与えられないわけですが、その間題をまだ卒業していない人には与えられます。
 ですから、最大の悩みこそ最大のカルマであるといえます。「何でこんな不幸のなかにいるのだ」と思うかもしれませんが、そこにこそ、まさしく今世の意味もあるということです。今世、肉体を持った意味はまさしくそこにあり、そこに何らかの勉強の糧があるのだ、材料があるのだと教えられているのです。
(46~48ページ)

大川隆法先生が、「人生は一冊の問題集である」という大切な言葉の解説をされた部分を、今日は改めて、ご紹介してみました。

友だちの人生相談などに乗ったりしてみると、ああ、ほんとに各人の問題集は違うんだなあって思うことがあります。

だからこそ、人生の悩みには、前向きに立ち向かっていかなきゃって、勇気と希望がわいてくる。

そう私は思ったりするんですが、みなさんはどう思われますか?

 

幸福の科学原論〈1〉 『幸福の科学原論①』

 大川隆法著

 

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人生って、厳しいことが多いんだから、人に対してはやっぱし厳しく接しなきゃね。なーんて人、いたりしますけど、ほんとにそうなんでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私の願いはいつも同じです。「人に対して常に優しくありたい。優しい人でありたい」と思っています。
 ときに勇気ある言葉を吐き、ときに勇気ある行動をし、ときに力強い決断をしなければならないこともあります。それもこれも、その底には優しさというものが流れています。より多くの人々に幸福になっていただくために、より多くの人々に幸せになっていただくために、そうした強い言葉も、勇気の言葉も、力強い行動も起きてきます。優しき人とならんとしているがゆえに、そうした気持ちもわいてきます。
 ただ、私はみなさんに、そう難しいことをお願いしようとは思いません。私がみなさんに、かくあってほしいと思うことは、「常に優しき人となれ」ということです。仕事のなかに埋没しているときにも、家庭のなかで苦しんでいるときにも、私はみなさんに、この言葉を思い起こしてほしいのです。「常に優しき人となれ」という言葉を──。
 人間は、ともすれば、当然という気持ちで、自分だけが豊かな暮らしをしたり、自分だけが人々にほめられたり、そうした自分だけが満足のいくような人生に、あぐらをかきがちです。しかし、その途中において、倣慢になったり、他人に対して厳しくなりすぎたりしている自分というものがあるのではないでしょうか。(中略)
 人間がいちばんうれしい瞬間は、人から優しくされた瞬間ではないでしょうか。優しくしてもらった瞬間ではないでしょうか。
 さすれば、自分もまた、常に優しき人となろうではありませんか。自分が人にそうされたいが如く、自分もまた人に接しようではありませんか。常に優しき人として、生きていこうではありませんか。
(209~213ページ)

「愛」の一側面を、やさしい言葉で説いてくださった一節ですね。

そういえば、明日は、ホワイトデー。

1ヶ月前には、「義理チョコ」なんて言葉が飛び交ったのかもしれません。

だけども、人間関係の潤滑油としてのちょっとした心遣い、優しさも、やっぱり「愛」なんですよ、ね! 

 

『愛の原点』

大川隆法著



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幸福の科学って、1990年代の前半には、大々的に終末予言の本を出してたと思うんだけど、いまはどうして、そういう本は出さなくなったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一九九〇年や九一年ごろ、私は、霊界の霊人たちの、いろいろな意見を、わりと広く聞き入れていました。当時は、イスラム教にかかわりのある霊人たちの意見もかなり聴いていましたし、また、どちらかというと霊界の裏側の存在になりますが、予言者系統の霊人たちの意見も聴いていたのです。
 しかし、その後、一九九四年から、私は、仏教系の教えを中心に、幸福の科学の教義をまとめ直し、それと合わないものは整理しはじめました。
 したがって、現在の私自身の考えには、一九九〇年、九一年前後とは少し変わってきている部分があります。
 全体的に見て、予言者系統の霊人は「崇り神」的な傾向を持っているように思います。一人や二人ではなく、いろいろな人を見て、そのように感じるのです。また、裏側の人ほど、予言的なことを言いたがるようです。(中略)
 予言者系統の霊人たちの予言には、やはり、不幸の予言のほうが多いのです。
 予言は、当たることもあれば、当たらないこともあります。当たらないことがあるのは、不幸の予言が当たらないように努力している人たちもいるからです。
 しかし、不幸の予言をすると、予言をした人自身が、その不幸を望んでいるように思われてしまいます。
 そこで、私は、「あまり、そういうことを言わないほうがよい」と考えて、一九九〇年代の終わりごろから、そういう予言は撤回して、いまは言わなくなっています。
 天上界には、いろいろな意見がありますが、幸福の科学としては、採用した意見についての責任が生じるので、責任が取れる意見にまとめていくほうがよいのです。
(147~150ページ)

ここで大川隆法先生が、「不幸の予言が当たらないように努力している人たち」とさりげなく言っておられるのが、まさに幸福の科学だったと思います。

ですから、1990年代の幸福の科学の活動は、不幸の予言をあたらないようにする活動でもあったのだろうと思います。

そして、こういう理由があったために、アラーとかノストラダムスとかの予言書が、今は出されてないってこと、なんですね! 
 

感化力

大川隆法著

 

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「運命」って、そもそもあるのかなあ。そして、自分の運命が不幸そのものなときって、その運命を超えて、幸福な運命に変えていくなんて、できたりしないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、長年、宗教家として経験を積んできた者として、「人生に運命があるかどうか」と訊かれたら、「あるでしょう」と答えます。
 ただ、その「あるでしょう」という答えは、「決まった筋書きがある」という意味ではありません。「人には、それぞれの魂の傾向性というものがあるので、その傾向性を見れば、その人の人生は、だいたい予想がつく」ということです。その意味において、やはり、「運命はある」と言わざるをえないのです。
 その人の魂の傾向性を見れば、「この人は、今後、どういうことで成功し、どういうことで失敗するか」ということは、ある程度、予想がつきます。五年後、十年後、二十年後、あるいは晩年に起きることであっても、魂の傾向性を見れば、「たぶん、こうなるだろう」という予想がつくのです。そういう意味で、運命はあります。
 しかし、その運命を超える方法もあります。すなわち、研究心を持って、自分を観察し、他人を観察し、その魂の癖や傾向性、長所・短所を緻密に分析しながら、「自分を変えていこう。いまの自分を脱ぎ捨てていこう」と思っている人は、運命が変わっていくのです。
 自分の運命が、もし、呪われた運命であり、悪しき運命、避けたい運命であるならば、そこから逃れる方法は一つです。それは、自分の魂の傾向性をはっきりとつかむことです。それをつかめば、運命の先が見えます。先が見えれば、どうしたらよいかが分かります。「この先、自分はこのようになる」ということが分かるので、それを避けていけばよいのです。
 そのように、危ないところは避けていき、さらに、自分が持っていない能力を開発することです。自分の欠点のなかから長所を開発し、長所のなかから次の失敗の種を発見することです。それによって、長く続く成功をつくり出していく必要があります。
 運命はあるけれども、それを発見し、改善することも、また可能なのです。
(64~66ページ)

今日ご紹介したところは、「運命」についてのエッセンスが説かれたお教えの一つだと思います。

自分の運命は、自分の努力で、力で、変えていくことができる。

この事実ひとつを知っているだけで、この人生を歩んでいく勇気が出てきます。

大川隆法先生の説かれる仏法真理の凄みを、今日は、改めて知った気が私はしているのです。

 

『幸福の法』

大川隆法著



 

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私はこんなに彼氏を愛してるのに、夫を愛してるのに。なんで、彼氏は、夫は、私を同じように愛してくれないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか。人を愛するって、ほんとは、どういうことなんでしょう。

幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たとえば、あなたが結婚している女性だとしましょう。あなたは「私は夫を愛している。一生懸命に愛を注いできた」と思っているでしょうが、その愛は、私が語っている愛と一致しているかを考えてみると、違うところもあるのではないでしょうか。
 あなたは「これだけ夫に尽くしたならば、当然、それだけの見返りが来るはずだ」と考えてはいませんでしたか。
 あるいは、「与える愛」だと思いつつ、相手を縛ってはいませんでしたか。愛という名の言葉で、相手の行動や思いに枠をかけていただけではありませんか。
 この二つの観点から見たとき、あなたの愛に問題はないでしょうか。これは、言われてみないと分からないことなのです。(中略)
 「もっと純粋に相手のことを考えて、愛を発揮したことがあるだろうか」と考えていくと、「愛を与える」という、幸福の科学の原点となる考え方であっても、きわめて難しいことが分かると思います。実際、それは難しいことなのです。そう簡単なことではありません。(中略)
 「見返りを求めたときに愛は死ぬ」という言葉は、詩的な言葉というか、言葉自体の響きのために語られているものではありません。これは真実なのです。何かよいことをしたとしても、同じだけの結果、あるいは、それ以上の結果を期待してなされたときには、その行為は必ず帳消しになるのです。
 そして、なぜ「見返りを求めるな」と言っているかといえば、与えた愛はその人のものになるからです。これが人間の心を貫く偉大な法則です。生きているうちに、このことだけでも知っておくことが大事です。「与えた愛は、与えた人のものになる」──これが目に見えない世界の法則なのです。
(34~39ページ)

愛って、むずかしいですよね、ほんとに。

どうしても、相手に求めてしまう。でも、それはほんとの愛じゃない。

「純粋に相手のことを考えて、愛を発揮」するって、大多数の人にとって(もちろん私にとってもですけど)、けっこう大きな課題ですよね。

今日の学びで、明日からは、見返りに何かをもらおうとか思わずに、ほんとに純粋な思いで、愛してあげれるかな。

相手に求めずとも、その愛は必ず、私たちのものになるんだって、知ったんですから。 

 

『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』

 大川隆法著

 

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いま、ほんにつらいなあって思ってる人? 受験がダメだった。失恋しちゃった。会社が倒産して、リストラにあっちゃった・・・。いま、どうやって乗り切っていけばいいのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 時というものは、努力する者に有利に働いていきます。努力する者にとって、よい道を開いていってくれます。
 時の流れのなかで忍耐するならば、忍耐の時期を設定することも大事です。
 ほんとうに不幸のどん底にいる人にとっては、「とりあえず、きょう一日を生きてみる」ということも、一つの目標設定でしょう。それほどではない人にとっては、「まず、今週いっぱい頑張ってみる」ということも、目標になるでしょう。「さらに、一カ月、頑張ってみる。三カ月、頑張ってみる。六カ月、頑張ってみる。一年、頑張ってみる」ということが、やがて人生の陸路を切り抜けていくための方法になると思うのです。
 私自身の経験からするならば、その苦しい時期は、一年以上は続かないと言ってよいでしょう。そして、最も苦しい時期というのは、半年以上は続かないものです。
 やがて、苦しみは薄らぎ、新たな光が射してきます。「自分を害するもののみが自分の前に現れている」と考えていたかもしれませんが、「自分を救うもの、自分に優しい光を投げかけてくれるものも、また現れてくる」という事実があるのです。
 それを信じて努力していくことが大事なのではないでしょうか。
(72~73ページ)

まずは今日一日。

それから1カ月、3カ月、そして半年と、がんばってみること。

そうしていけば、必ずや道は開けてくるってこと、なんですよね!

 

『成功の法』

大川隆法著


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反省なんて、なんで必要なんだろ。大人に反省なんて必要なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の発見 説法自由自在①』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 天国にいれば反省はいらないのです。しかしこの世にでたら、それぞれの人間がおたがいの心が読めないので、相手が頭をなぐってほしいと思っているのではないかと誤解して、頭をなぐったりするわけです。これは極端な例ですが、そういうことが起きうるのです。それで、間違ったときにはどうしたらよいかといえば、心の針を戻さなければいけません。これが反省です。
 この三次元の地上世界というのは、ひじょうに間違いを起こしやすいのです。間違いを起こしやすい理由は、肉体があり、物質があり、霊的なことを忘れやすい環境だからです。盲目であるから、手探りでやっているから、人の足をつかんでみたり、思わず叩いてみたりしてしまう。どうしてもそういう目に見えない世界である以上、そうしたことをした場合に、その補償作用として、なんとかしてもとへ戻す作用が必要でしょう。そのために反省というのが与えられているのです。
 ですから反省というのは、地上でそれぞれの自由と自由の相克を調整するために与えられた神仏の慈悲なのです。地上の人間は自由にやってよいが、そのかわり反省ということを忘れないようにしなさい、ハンドルを切りそこねたら戻しなさい、と言っているわけです。
(13~14ページ)

天国にいれば反省はいらないが、この地上世界というのは、たがいの心が読めないので、ひじょうに間違いを起こしやすい。

そのとき、心の針を戻すために、「反省」が与えられている。

つまり、「反省」というのは、地上でそれぞれの自由と自由の相克を調整するために与えられた神仏の慈悲である──。

これは、幸福の科学が立宗された直後である1987年(もう30年前です)の最初期の講演会の質疑応答が、活字に起こされ発刊された書籍の一部です。

大川隆法先生が、分かりやすい例えを使って、なぜ「反省」が必要かについて解説して下さった部分ですね。

反省は、子どもだけがすればいいというようなものではない。大人であっても、いや大人であるからこそ、毎日する必要がある、とっても大切なものなのだと大川隆法先生は教えて下さっています。

反省の大切さって、何度教えられても、なかなか実践できるようにならないんですけど、今日の学びをきっかけにして、今晩から寝る前にちょっとだけ反省の時間をとってみようと、密かに私は決意しているのです。

 

人生の発見 説法自由自在①

 大川隆法著


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「霊障(れいしょう)」って、雑誌とかテレビとかで見たり聞いたりすることがあるんだけど、なんのことなの。なんで、そんなことが起きるんだろ。怖いなあ、なんて、不思議に思ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 霊的感覚を持っておらず、悟りを持っていない人で、この世で不慮の死を遂げた人が、あの世に旅立つのは、やはり、そう簡単ではありません。
 病気で死ぬ場合は、多少、自覚はあるかもしれませんが、交通事故などで、突如、死んだ場合には、本人も、まだまだ、十年、二十年と、生きる気満々でいますし、仕事が残っていたり、奥さんや子どもがいたりすると、「この世に執着するな」と言われても無理な感じがあります。
 「子供は、まだ小学生だ。どうしたらよいのだ」などという思いもあれば、奥さんのことや、「家業をどうする」という問題などもあるでしょう。「悩みを持つな」と言われても無理で、やはり悩みを持ちます。
 そういう人の心は、それらの問題のところにとどまっているので、どうしても、自分の家に戻ってきます。そして、ほとんどの場合、死者の霊は、家のなかで、奥さんのところにいたり、子供のところにいたりします。
 本人には、「とにかく、これをどうにかしなければいけない」ということ以外の認識は何もないのです。そのため、「自分がいることで、家族に対し、悪いことをしている」という認識を持っていない人がたくさんいます。
 本人は、子供や奥さん、あるいは孫のことを心配しているつもりでいるのですが、実は、お墓にいるわけにもいかないし、あの世で還る所も分からず、ほかに行く所がないので、この世に執着し、生きている家族に取り憑いているのです。
 そういう成仏していない霊が憑いていると、憑かれているほうの人は、体が重くなり、調子が悪くなってきます。それから、悩みも増幅されます。いつも同じことばかりが気になってしかたなく、明るい気持ちになれないのです。
 成仏していない霊は、悪いことをしないつもりでいても、生きている家族の周りにいて、結果的には悪さをすることがあるわけです。
 また、そのときに、まだ自分が死んだことを自覚していない霊は、「自分が家に帰ってきているのに、家族が自分のことにまったく気づいてくれない。話しかけても、子供も答えてくれないし、妻も答えてくれない」というような状況だと、どうしても、何かしたくなります。やはり、何かしないではいられないのです。
 それが、いわゆる「霊の障り」というものです。霊が何か悪いことを起こし、“悪いニュース”をつくるのです。
(137~139ページ)

霊的感覚もなく悟っておらず、不慮の死を遂げた人が、あの世に旅立つのは、そう簡単ではなく、やはり執着がある。

そういう人は、悪いことという認識なしに、家に戻ってきて家族に取り憑く。憑かれている人は、体が重くなり調子が悪くなる。悩みも増幅され、明るい気持ちになれない。

また、まだ死を自覚していない霊は、家族が自分にまったく気づいてくれないことで、何か悪いことを起こし“悪いニュース”をつくったりする──。

大川隆法先生は、このように、いわゆる「霊の障(さわ)り」 、つまり「霊障」がなぜ起こるのかを、誰もがわかるように教えて下さいます。

こういったことを起こすのが、「悪霊(あくれい)」と呼ばれる霊であるわけですけども、それは何も特殊なケースではないことが分かります。

つまり、「霊界」があって、「霊」があるんだという真実を知らないまま、死んでしまったときには、誰もが悪霊になってしまう可能性がある、ということになりそうです。

私たちは、仏(仏陀)が再誕されて、霊と霊界の真実を、これだけ事細かにわかりやすく、現代日本語で教えて下さっている時代に生まれ合わせているのに、家族や親しい友だちに、そんな情けないことには絶対になってほしくないですよね。

だからこそ、この真実を知ってしまった以上、一人でも多くの人びとにこの真実を知ってほしいと私は心から願っているのです。
 

 

『神秘の法』

大川隆法著

 


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青春時代って、忙しいよね。勉強もしなきゃだけど、いろいろ遊びたいし、恋もしたいし、友だちとゆっくり話もしたい。限られた時間を賢くすごすための心得みたいなのって、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春に贈る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生に対する態度を持っておくことが大事だと思います。深いものまではいかなくとも、一定のアティテュード(姿勢)というものを、学生時代に身につけておいたほうがよいのです。
 一つには、幸福の科学で何度もくり返して教えている「セルフ・ヘルプの精神」、つまり「自助努力の精神」が非常に大事です。
 自助努力とは、西洋的にいえばセルフ・ヘルプですが、東洋的にいえば、まさしくこれは仏教の「縁起の理法」そのものなのです。なぜならば、「どのような種を播(ま)き、どのように育てるかによって、それぞれの人が手にする結果は異なってくる」というのが縁起の理法だからです。
 これは、人生の成功・不成功に関して、個人の努力の余地というものを明確に肯定する思想です。単なる運命論や宿命論、環境論などに縛られることなく、みずからの自助努力によって開けていく運命を肯定する思想が、縁起の思想なのです。(中略)
 確かに、魂の立場からいっても、みなさんはそれぞれ、過去・現在・未来という時間を生き抜いている個人であり、過去の何回もの転生が今世にも影響していることは事実ですから、それをまったく否定することはできません。
 しかし、それは、生れてきた時点で終わっていることです。要は、生れてからあと、自分がどのように自己形成してきたかということが、非常に大事なことなのです。(中略)
 「変わる」ということを前提にして、志を持ちつづけることが、非常に大事なことなのです。「自分というものは、変えていくことができるのだ。人生というものは、切り開いていくことができるのだ」と思って、十年、二十年、三十年と、志を持ちつづけることが大事です。
(26~37ページ)

人生に対する一定のアティテュード(姿勢)として身につけるべきは、「セルフ・ヘルプ(自助努力)の精神」である。

これは仏教の「縁起の理法」そのものである。

「変わる」ということを前提にして、十年、二十年、三十年と、志を持ちつづけることが非常に大事なことである──。

お恥ずかしいことに、青春のまっただなかにいたときには、「自助努力」という言葉を教えられても、うーん、と思ってました。

でも、そのころから時間がたてばたつほどに、人生の経験を積めば積むほどに、この教えの凄さが、身に沁みてきています。

まさに、「人生成功の秘訣」はここにあり。

そう確信をもってみなさんにお伝えできると私は感じているのです。

 

『青春に贈る』

 大川隆法著

 

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