幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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「メダカはメダカ、フナはフナ」白いオタマジャクシと、『偶然』という名の神(追記更新)

2021-03-17 23:19:22 | 命の不思議

ウーパールーパー(メキシコサラマンダーの幼形成熟体)

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

高知平野は全国でも田植えが早く、ここ数日で、田んぼに水が張られ始めました。

さっそく、春の訪れを告げるが如く、カエルが鳴き始めました。

今晩、食事をしながらテレビのチャンネルをいじっていて、たまたまNHKの手話ニュースを見ていると、「白いオタマジャクシが発見され、地元の小学校に寄進され子供たちによって育てられて、黄緑色のカエルに成長しました。」という放送がありました。

白いオタマジャクシを見つけた、地元の農家のオジサンや小学生も紹介されてて、私は、「微笑ましいなぁ。」となんとなく見ていたのですが、その後の白いオタマジャクシのことを番組で「突然変異」と紹介されていて、私はズッコケてしまいました。

そして私は、「おいおい、 ええ加減なこと言うんじゃぁないよ。」と、半ば呆れてしまいました。

と申しますのも、白い生物というのは、古来から日本でも「神の使い」と大切に扱われてきてて、それほど珍しい存在ではありませんからね。

 「白い蛇」の画像検索結果   

珍しく思われているのは、個体数がとても少ないからで、なぜ少ないかと言うと、目立つので、サギなどの天敵に見つかりやすく、人目に付く前段階で、自然界では食べられしまうからです。

ちなみに白サギや鶴、白鳥などは白い生き物ですが、これなどであっても、ヒナの段階、つまり他の生き物のエサになるような小さな段階では、茶色など、目立ちにくい色をしています。

そして、白いオタマジャクシというのは、遺伝子の突然変異ではなく、色素細胞が働かない「アルピノ」です。

アルピノは、色素をつくる遺伝子のない、いわゆる劣性”遺伝”と呼ばれるタイプで、突然変異とは真逆の性質です。

突然変異を前提に導かれている生物の学説が、いわゆる『ダーウィンの進化論』ですけれども、アルピノというのは、むしろ、優性遺伝や劣性遺伝を明らかにした、『メンデルの法則』の方が正しい説明となります。

『論』というのは、近代の学問においては、「仮説」と同じ扱いです。つまり、確定した証拠なり、理論なりが成立していない領域ですね。

一方、『法則』となると、証拠があったり、理論として確定している学問領域となります。

ですから、『ダーウィンの進化論』と『メンデルの法則』ですと、メンデルの法則の方が、学問で言えば、圧倒的に格が上となります。

この二つの学説は、同じ生物の歴史的経緯を説明するものとしては、はっきり言って対立する学説でして、世界で『ダーウィンの進化論』と『メンデルの法則』の両者を、同じ教科書に掲載しているのは、世界で日本だけだとも。

日本人の思考は、柔軟性に富んでいますが、両者は、学問的には、対立する学説ではあります。

   始祖鳥(復元想像図)

日本人の誰しも知らぬものなしの『ダーウィンの進化論』が、なにゆえに仮説領域を出ないかというと、やはりそれは、決定的な証拠はないから。

たとえば、進化論が正しいのであれば、”中間種”というものが存在しないといけません。

たとえば、人になりかけの猿とか、カエルになりかけの魚とか。

そういうのは、世界中どこを探しても出て来ないし、化石からも発見されておらず、”完成型”しか出てまいりません。

たとえば、”始祖鳥”というのが取の先祖と言われますけれども、これなどは、羽の構造は現代の鳥と同じですから、”クチバシに歯の生えた鳥”というのが正しい見方であって、始祖鳥は鳥の先祖ではなく、完全な鳥!なんですね。

このように、生物の化石というのは、完全な固有種しか出て来ないので、学校の教室で見たような、生き物の進化のつながりというのは、実は証明されているものではないのです。

 

他にもたとえば、生物の進化というものを、『環境への対応』に求めますけれども、それならば、川の魚というものは、川によって、全て固有の生き物に変化していないといけません。

なぜならば、川は他の川と連動していないですし、川の生き物は、他の川に行き来することができないからです。

つまり進化論が正しいのであれば、四万十川のフナと吉野川のフナは、別の生き物に変化していないといけないのですが、全国共通で、どこの川でもフナはフナだし、メダカはメダカです。

これは、環境への対応への偶然の変化を前提とした、ダーウィンの進化論的に言えば、あってはならないことなんです。

こういう『脱進化論』的な事例は無数にあって、これまたいつか、まとめて発表できればとは考えていますが、それはさて置くとして、要するに、私たちが日々目にしている風景や出来事は、偶然に出来上がったり起こったりしているものではないということなんです。

「そんなの偶然さ」という方も多いし、「科学的だ」と言われている学問の世界でも、たびたび「偶然に云々」というフレーズが使われますけれども、私にはそういう、一見科学的な風潮が、「偶然という神様」を信仰しているとしか思えないのですね。

私は神さまの存在を強く信じている者ですけれども、「偶然」というものは信じられないんです。神さまを信じるということは、様々なできごとを「何か意味がある」と、とらえるとも言えます。

何が言いたいかと言いますと・・・、あれ、何が言いたかったんだっけ?(爆笑)

あはは、また結論を忘れてしまいましたが、私の独り言なんぞは、世の中にそれほど必要ではありませんので、本日は、経典『新・心の探求』の抜粋をお届けいたします。

        (ばく)

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物事の本質を観よ ―大川隆法総裁 心の指針130―  

 

結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。

この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。

人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。

ところが、現在の進化論の主流というのは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。

これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。

人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。それは、目的性を持っているのです。

人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、これをもってしても説明とはなっていないのです。

なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。この情報とは、そもそも何なのか。

この分析ができていないのです。偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。

これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、その設計図を窓からひらりと落としたならば、隣にもまた同じようなどルが建ったということと同じようなことになります。

遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。

ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。

ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。そういうことだと思います。
『新・心の探究』(幸福の科学出版)P31~33

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2 コメント

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Unknown (デーグー)
2017-06-23 22:07:29
この本、有りますわ、もう一回読んでみようかなぁ・・
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新・心の探究 (ばく)
2017-06-25 22:03:23
デーグーさん、コメントありがとうございます。
この書籍、古くならないですね。

この本で一気に現代科学が、古典の領域に閉じ込められたような気がします。
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