幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

『病気の原因の発見』 『永遠の生命』『愛と忍耐』

2016-09-30 23:13:14 | オープニングメッセージ

月刊幸福の科学 オープニングメッセージ「心の指針」より。

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『病気の原因の発見』

人が病気をするには原因がある。

一番多いのは、自分が不幸であることを、
他人に同情してもらうための病気である。

仕事で失敗したサラリーマン。
借金が返せない家長。
子供の出来が悪い母親。
妻の感謝やサービスのなくなった夫。
夫の素行に不満な妻。

子供に捨てられた親。
親に見捨てられた子供。
プライドに能力が追いつかない人。
無理をして自滅したい人。
苦しい立場、板ばさみを口で表現できない人。

人が病気をする、二番目に多い原因は、生活習慣の悪さである。

動物性食品、高カロリー食品の食べすぎ。
酒の飲みすぎ。
タバコの吸いすぎ。
お茶、ジュース、水の飲みすぎ。


塩分と野菜、果物のとり方のバランスの悪さ。
有酸素運動の不足。
睡眠の不足。

いずれにせよ、マイナス感情をプラスに変え、
感謝・節制・拝み合いの生活をするとよい。

 

『永遠の生命』

永遠の生命を信ずる人には、 永遠の生命が与えられる。
人間らしい生命が、 仏の子としての生命が。

永遠の生命を信ずればこそ、 苦しみにも耐え、修行にも耐え、
愛を放ち、仏を愛する。

その結果、来世の幸福と、来来世の向上が約束されるのだ。

地獄での生存は、本来の姿ではない。
善因善果、悪因悪果を、 素直に信ずることが大切だ




『愛と忍耐』

あなたがたは、 互いに愛しあいなさい。

幸福になりたいのなら、 愛しあうことを学びなさい。

他の人の悪口が出るのは、 あなたが、かしこく、
相手より優れた点があるからだろう。

優れたあなたであるなら、
劣った人をなぐさめたり、 ほめたりすることは簡単なはずだ。


もし、そうできないなら、 本当は、
相手に劣等感や憎悪を感じているのだ。

素直な心で、 反省しよう。
相手の美点を認めよう。

人を愛し続けるためには、 忍耐も必要だ。
耐え忍ぶ心がなければ、 長く良好な人間関係は結べない。

愛とは忍耐であり、 相手に、相手自身のことを好きになってもらうこと。
この真理を学んでほしいのだ。

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大川隆法総裁 大講演会2016 「信仰と繁栄」(大阪城ホール)より


【諸行無常】時間を制するブッダの法

2016-09-29 23:12:16 | 大川隆法という偉大な光

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10月2日(日)の大川隆法総裁先生 ニューヨーク御巡錫「FREEDOM,JUSTICE,AND HAPPINESS」(自由、正義、そして幸福)に関する記事が、危機に立つ日本さんで投稿されておりました。http://blog.goo.ne.jp/eternal-h/e/a5690470f5a029536ea9923dbc9a42fe

大川隆法総裁の法(教え)は、日本と言う枠組みを超えて、国際的に通じるものです。

身体が解剖学・生理学・病理学で共通であるように、心も人類共通ですので、普遍性があれば、通じるものであるということです。 

昨日から私らしくない(笑)、宗教的な記事を書き始めていますが、私はモノビットで大雑把な頭脳ですから、緻密な宗教論議は苦手ですから、超大雑把な仏教の側面ですがご容赦を。支部には私より賢い方はたくさんおりますので、どうかそちらでどうか、いろいろご確認くださいませ。

さて、前回記事の続きですが、仏陀とは、すなわち法であります。そして仏陀の法を説く者が仏陀です。

仏陀以外に、仏陀の法を説ける方はいません。 仏陀を、行動面で指し示す行動基準はありません。仏陀の証明は、仏陀の法が説けるか否かだけです。ここは、極めて重要なファクターです。

仏陀を論ずるのに、個々人の主観や信仰観や美意識は全く無意味です。また仏陀や救世主であるならば、その方は公人中の公人です。そういう一般論的にも、個々人の主観や信仰観や美意識で、論じて良い対象ではないはずです。

医師免許を持ち、外科手術ができれば外科医です。

「タバコを吸うし、夜の酒場で夜な夜な酒を飲むなんて、外科医ではない。」と言われようが、医師免許を持っていて、手術ができれば外科医は外科医であり、外科医の仕事をする自由と権限を持ちます。

衆議院で、もっとも多くの衆議院議員の信任を得れば、その方は合法的に内閣総理大臣です。

その方が、たとえ人間的にどういう方であれ、衆議院で信任されれば、その方は内閣総理大臣であり、衆議院の解散権など、内閣総理大臣としての自由と権限を持ちます。これらは、法律が元になっている規約です。

たとえが貧弱で、大変申し訳ないのですが、同様に仏陀を示すのは、「仏陀の教えを説ける者」ということであり、それが覚者です。

 

ではその仏陀の本質である、仏陀の法とは、三法印(さんほういん・さんぽういん)ですが、三法印とは諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)・涅槃寂静(ねはんじゃくしょう)の3つです。

如来(仏陀)の教えには、この三法印が必ず含まれ、この三法印を含む教えを説く者が、すなわち如来(仏陀)なのです。

では、諸行無常とは何か。

「諸々の事柄は、すべて変化するものである。」ということであり、「変化しないものは存在しない。」ということですが、現代的に言うならば、要するに時間論だと思うのです。

仏陀の教えには、この 諸行無常=時間論 が、必ず含まれると。

なぜかと言うと、宇宙の始まりを知り、宇宙の終わりを見通せると、「今まで、おんなじ状態の時ってなかったし、これからもおんなじ状態って、絶対にありえないよ。」と言い切れるからです。

でなければ、「諸行は無常だ!」とは言い切れないと思うのです。

さて有名な、生・老・病・死を四苦と言いますよね。そして、

愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること。 

怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと。

求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)-人間の肉体と精神が、思うがままにならないこと。 

を合わせて四苦八苦と言い、決してこの世に生きる人として、逃れられない苦しみです。

これは、諸行無常の原則と、大いに関係すると思います。

この世もあの世も含めたこの世の中や、そこに生きる我々人間が、もし諸行無常の原則がないならば、努力したって無意味なわけですよ。

変化し、変転していく性質を、全ては内包しているからこそ、努力し、困難を克服していくことができるのですね。

諸行無常でなければ、努力したって変わりっこないのですから、努力したって無意味ですから、諸行無常は、心正しき努力家にとっては、これほどの希望の原理はないです。

諸行無常=時間論ならば、諸法無我はなんでしょうか?

す・・・すみません。

柄にもなく難しいことを書きすぎて、頭が煮えてきました。(爆笑)

あはは、続きはまた今度。。。。。

       (ばく)

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大川隆法総裁 サンパウロ講演会 『愛と天使の働き』より

Experiencing Retreat at Happy Science (in Japan)


仏陀には、〇〇〇がついてくる。(10・2ニューヨーク大川隆法総裁説法の前に)

2016-09-28 23:53:15 | 大川隆法という偉大な光

 

2011年フィリピン講演の様子。https://happy-science.jp/info/2011/1142/

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来月現地時間10月2日に、大川隆法総裁2回目のアメリカニューヨーク講演が行われるとか。

第1回目は、2008年の秋、確かその時もアメリカ大統領選の直前で、「オバマ氏が大統領になれば、アメリカは衰退し、アメリカは世界の警察ではなくなる」と説法しまして、世界で最初にオバマ氏を非難しましたが、その後8年の歩みは、アメリカが超大国から、だんだんと普通の大国になりつつある歩みでありました。

今回もまた、アメリカ大統領選直前、昨日クリントン候補とトランプ候補の討論会があり、アメリカではCNN以外はトランプ優勢とのことでしたが、日本ではクリントン優勢の報道しかなく、「あれれ?」と言う感じです。

ともあれ、大川隆法総裁が外国で説法されるのは、2012年以来久しぶりですが、日本だけでなく海外においても、真理は真理でございまして、普遍性のある教えは通用するということだと思います。

その普遍性は、神の子人間の魂の親である神に近き、救世主・仏陀が持つものだと思います。

救世主とは、その名のとおり、「その通りやれば、世界が救える者」でしょうか。

つまり、個人的な感情や好き嫌いなどの趣味性を超えて、もっと公的な、公人中の公人です。

さて、では仏陀とは、いったい何なのでしょうか?仏陀とは、いったい何を指して仏陀というのでしょうか?

辞書的に言うならば、仏陀とは悟りたる者、または覚者、すなわち目覚めたる者となります。

ではその、仏陀の本質を知るのに、私たちが最もよく知る仏陀、釈尊(お釈迦さま)の人生を振り返って見ましょう。

2500年前の釈尊は、仏陀と呼ばれていました。

なぜ釈尊は、仏陀と呼ばれていたのでしょうか?

驚くべきことは、お釈迦さまは、説法を聞いた人たちから、「仏陀が現れた」と、ほぼ即座に言われています。

これが意味するものは、「仏陀」と言う概念は、お釈迦さま在世前から存在した・・・という事実です。

私たち現代人は、仏陀の概念を、お釈迦さまになぞらえて発想しがちであるけれども、その概念は既にあり、その概念に基づく基軸によって、お釈迦さまは人々から、「この方は仏陀だ。」と呼ばれたわけです。

2500年前と言えば、歴史的には古代なんでしょうけれども、昔の人たちだからといって、馬鹿にしてはいけません。

釈尊をはじめ、孔子やソクラテスなど、この時期に超がつく偉人が世界中にいましたけれども、彼らを超えられる人は、そうそういないはずだし、「俺はもっとすごいぜ」と言う方がいらっしゃったら、どうかその証明をしていただきたい。

またこの大聖人の方々は、自ら執筆せず、その経典や言行録は弟子が聞き語りで書きましたけれども、これは、「彼らの話を聞いて、理解できる人たちが現実にいた。」という証拠ですから、その時代や文明を、ただ古いからと両断するのは問題があるんです。

おお、また話がそれて、文字数制限の恐怖が・・・(爆笑)

さて釈尊の大悟前の名前は、ゴータマ・シッタールダと言う名の、シャカ国の王子です。

ゴータマ・シッタールタは、妻子ある身でありながら、妻子を捨て出家しました。また、実質上の王でありながら、その地位を捨てました。

今で言うならば、安倍首相が国家と妻子を捨て、国外逃亡するようなものです。これは、昔も今も大事件です。 

これが、2500年前のインド地方では、実際に起こっております。

残された妻子や国民は、そりゃぁ途方にくれますよね。よくよく考えれば、ひどい話なわけです。 

また、仏陀と呼ばれるようになってからも、1000人を殺したと言われている、アングリマーラーという殺人鬼を、教団にかくまったり、マガタ国の国師をしていて、戦争を止めることができたのに、敢えて止めずに生誕国であるシャカ国を滅亡させてもいます。

これなども、現代に当てはめるならば、オウム事件の首謀者を教団にかくまうようなものですし、外国にいた大川総裁が、出身国である日本を、外国に攻めさせるようなことです。 

このように、見方によっては、とてもひどい人のようにも見える釈尊でありましたが、仏陀と呼ばれて、今でも尊敬の対象になっています。 

なぜでしょうか?

なぜ釈尊は、そんな家庭崩壊者であって、国を捨て滅ぼした宰相でありながら、2500年の風雪を耐えて、今なお聖人として尊敬されているのでしょうか? 

これらのなぞが、仏陀の本質を知ると、理解できるのです。 

仏陀釈尊の、個々の事例の判断や、それに込めた思惑は、僕のような凡人がいくら想像しても、とても計り知れない深いものがあるでしょう。

しかし仏陀の本質から言えば、それらは謎でもなんでもないのです。 

仏陀の本質の第1は、法・・・つまり、その教えにあるのです。 

仏陀の本質とは法(ダルマ)にあり、仏陀とは、すなわち法なのです。 

要するに、仏陀の法を説く者が仏陀 なのです。

その方の法が仏陀の法ならば、その方は何をなさろうが仏陀なのですね。

こういうと、神秘性が薄れるかも知れませんけれども、仏陀は「教え」の基準があるんですが、「行動」に関する基準はないんです。 

つまり、「妻や子を捨てた者が、仏陀のはずがない。」とか、「国を捨てた王子が、仏陀のはずがない。」とか、そういう議論とは無関係なのです。また、「殺人鬼をかくまう奴が、仏陀のはずがなかろう。」とか、「自国を、戦争から守れなかった奴が、仏陀のはずがない。」という議論など、無意味なのです。 

仏陀の基準とは、その方が説く法(おしえ)だからです。

たとえば、初期の仏教教団は、男性の出家者しか認めませんでしたから、「釈尊はホモセクシャルだ。」とか言われていたかも知れませんし(笑)、その後方針を変えて、女性出家者集団である比丘尼(びくに)を作りましたけれども、「方針を変えるなんざぁ、仏陀にあるまじき行為。」とか、言おうと思えば言えたと思います。 

また、女性出家者と男性主家者との教団内での交流はなく、釈尊のみが比丘尼集団に入れました。言わば江戸時代の大奥状態でしたので、「釈尊は教団をハーレムにしている。(爆笑)」と言うことも可能でしたし、実際に言われていたかも知れません。 

しかしそういうゴシップや、当時の個々人の好き嫌いや、美意識に関する中傷はあったとしても、それでもなお、釈尊が仏陀と言われていたのは、釈尊が語る法(おしえ)が、仏陀の法だったからなんです。 

要するに、仏陀の法は、仏陀しか語ることができないから、「仏陀」なんですね。

ですから、仏陀であるかどうかは、法(おしえ)を見れば、もう明らかなのです。

ではその、「仏陀の法」とは何か。

それは、三法印(さんほういん・さんぽういん)と呼ばれる教えを説く方が「仏陀」なんです。

釈尊の説法には、必ず三法印があり、だからこそ釈尊の話を聞いた人たちは、「仏陀が現れた」と言ったのです。

では三法印とはなにか。

諸行無常 (しょぎょうむじょう)・諸法無我 (しょほうむが)・涅槃寂静 (ねはんじゃくしょう)の3つです。

この3つの教えが、如来の三法印と呼ばれ、三法印を説けるのは如来(広義の仏陀)です。

仏陀でないと、三法印は説けないと言われています。

教えの中に三法印のある方こそ、仏陀です。

かつて幸福の科学大川隆法総裁は、テレビインタビューに答えた際、「あなたが、仏陀である証拠はありますか?」という記者の質問に、「私が仏陀であることは、教えの内容でしか、証明することはできません。」と答えました。

 

仏陀の法を説けるのは仏陀だけであり、法(教え)のみが仏陀の証明なのです。

これは幸福の科学だけの考えではなく、釈尊以前から存在する、 

如来(仏陀)の教えには、この三法印が必ず含まれ、この三法印を含む教えを説く者が、すなわち如来(仏陀)なのです。

三法印の現代的な表現があると思うし、また三法印がなぜ尊いかもお伝えしたいんですが、それはまた、いつぞやの機会に。

              (ばく)

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Ryuho Okawa in New York (The Way to Success) 3mins

大川隆法総裁 法話『仏国土ユートピアの実現』より


【野中兼山待望論】土佐の歴史ミステリーと未来展望。

2016-09-27 15:01:57 | 野中兼山待望論

 

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高知の私の暮らす地域では、二期作と呼ばれ、高知では年二回、米の栽培ができる地域があり、今年二度目のお米の刈り取りの準備が始まりました。

さて今日本では、田中角栄ブームが起きているようで、書店に行っても、故田中角栄企画の書物や雑誌が多く見られます。

それはそうでしょうねぇ。

やれ「アベノミクスだ。」やれ『金融緩和だ」と言っても、実質25年以上も不景気が続き、外交では、中国らにいいようにあしらわれ、何もかもが閉塞感がハンパないですし、日本の誇りが危ういです。

「何とかして欲しい」「現状を打開して欲しい」「優れたリーダーシップの政治家が出て欲しい」という日本国民の深層心理、田中角栄待望論の背景には、これが絶対にあると思います。

先の日曜日、25日夜9時から放送されていたNHKスペシャルでは、日本の人口減がテーマでした。

実は日本はこれまで、2度の人口停滞期を経験しているんですね。

一つは縄文時代、そしてもう一つは、江戸時代中期です。

高知市春野 あじさい街道

弥生時代に入り、日本は人口増に転じ、明治時代に入ってから、ここ最近まで、人口増だったんです。

そして今、また日本は人口減時代に入りました。

縄文から弥生への移行は、食文明の大きな転換でした。それまでの主食の栗から、米に変わったのが弥生時代です。

そしてその後日本は、米文明とも言える期間を長期間過ごしましたが、江戸時代中期に、米文明の限界を迎えたのだと思います。

そして明治に入り、富国強兵、そして戦後の経済復興があって、日本は人口増でしたので、結局大きな視野に立つと、文明力=人口という計算式が成り立つと思います。

つまり、いくら政治的に配慮しようが、より強い文明力を持たない限り、人口増には転じないという見通しが立つわけです。

つまり、現代日本が人口減に転じたのは、子供が増えればそれだけ貧乏になる文明だからです。

つまり、子供が増えても、十分に豊かに暮らしていける、より強力な文明力を持つことが出来れば、更なる人口増が期待できると、日本の歴史は示しているわけです。

 野中兼山像 本山町

このブログお決まりの、話がそれまくり現象ではありますが(笑)、日本全体の人口減問題に先駆けて、何でも1番が大好きな高知県では(爆笑)、もうずいぶんも前に、人口は自然減となっております。

つまり、「高知では、暮らしていけない」という現象は、もう随分昔から始まっていると。

高知は更なる文明力の獲得なしでは、もはや無人地域担ってしまうと。

それは高知では年一万人減時代となっている今、もう数十年後の未来予想なのです。

そこで今日本全体が、田中角栄待望論なわけですけれども、私は現代の高知において、野中兼山待望論を興していきたいと願っている一人です。

と申しますのも、今の高知は、県民所得全国最下位の常連ではありますけれども、昔っから、貧乏な地域であったかと言えば、「いんや、そうじゃぁないぜョ!」ということだからです。

いくら私が、土佐随一のへそ曲がり(爆笑)だからと言っても、高知がかつて一度も、豊かであったことのない地域であるならば、「まぁ地域性から言っても、貧乏なのは仕方ないかのぅ。」と諦めます。

しかししかし、事実はそうではないんです。

かつて江戸時代の土佐は、全国随一の豊かな藩だったのです。  

 手結港(ていこう)

 http://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3985

幕末の雄藩と言えば、薩長土肥です。

薩摩(鹿児島県)長州(山口県)土佐(高知県)肥前(佐賀県)です。

これら雄藩の共通点は何か。それは、財政が豊かな藩だった・・・ということです。

豊かな藩だからこそ、倒幕革命ができたのです。実に簡単な真理です。

そして土佐に至っては、時の藩主の父、山内容堂公が幕府に出した、大政奉還の建白書一枚で、時の将軍は、政権を朝廷に返しています。

これは、歴史のミステリーです。

今で言うならば、高知県知事が、内閣総理大臣に、「解散しなさいよ。」と言って、「はい、わかりました。」となったみたいなことです。

あり得ないです。しかし日本の歴史では、そのあり得ないことが起こっているんです。

どうしてでしょうか?

その、あり得ない歴史のキーマンになるのは、もちろん大革命家、坂本龍馬先生ですが、その水源に当たるのは、野中兼山だと思うのですね。

野中兼山の創った土佐の力を、坂本龍馬先生は、十分に知っていたからこそ、土佐山内家を、倒幕の最後の切り札にするべく、船中八策などの仕掛けをなさったのだと思うのです。

香南市三又水道

 土佐は偉人輩出県で、坂本龍馬先生をはじめ、自由民権運動の板垣退助、三菱創始者岩崎弥太郎など、数えだしたらきりがありません。

その中で野中兼山は、全国的には無名ですけれども、こと高知県内においては、抜群の知名度を誇ります。なぜならば、義務教育で習うからです。

その中では、「山田堰を造った」とか「手結港を造った」くらいにしか習わず、今一つその実績がわかりません。その効果が教えられてはいないからです。

元来土佐の藩主山内家は、今の静岡県の掛川に本拠を構えていた5万石の小大名でした。

それが関ケ原の合戦によって、20余万石と言われた土佐の国主となりました。

20余万石と言っても、つい直前に行われた太閤検地では、10万9千石とありますから、江戸初期の土佐の実質取れ高は、せいぜい11万石といったところでしょうか。

しかし、野中兼山が土佐藩家老に就任して後、実質取れ高50万石以上の地域に変貌しております。

しかも幕末の幕府への対応などを見る限り、実質的に「連立与党かもしくは、対等同盟関係にあったのでは?」と思えるくらいの位置関係にあります。

田舎の小藩から、江戸時代の強藩への変貌の元には、私は野中兼山がいると見て取れます。 

でなければ、歴史の謎が解けないのです。

大月町柏島漁港

長年県民所得で最下位争いが常連化し、日本で最速の人口自然減の地域となって久しい高知県。

今こそ、江戸時代初期の土佐藩家老であり、稀代の天才政治家野中兼山の偉業を見直し、「今、野中兼山が生まれていれば、高知に何をするか」を考える時が来ているのではないでしょうか?

小国ながら、徳川幕府に対等に渡り合えた土佐の国人、その秘密を解き明かすとき、世界の中で混迷する現代日本においても、必ずや目指すべき指針が見いだせると私は思うのです。

未来の高知と日本の繁栄のために、今後少しづつではありますが、記事投稿の合間に、「野中兼山待望論」を書き綴ってみたいと考えております。

本日は、Wikipediaにあった、野中兼山についての記述をご紹介いたします。

                  (ばく)

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野中兼山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

野中 兼山(のなか けんざん、元和元年(1615年) - 寛文3年12月20日1664年1月18日))は、江戸時代初期の土佐藩家老。多くの改革で藩を助けたが、過酷な労働を強いたことから領民の不興を買い失脚、一族が絶えるまで家族全員幽閉された。

は良継(よしつぐ)、一名は止、尚字を良継とする史料もある。通称は初め伝右衛門、主計、伯耆と改め、最後に伝右衛門に復した。幼名は左八郎、兼山は号で、後に高山と改め、致仕して明夷軒と号した。

南学儒者でもあり、灌漑、築港、社会・風教改革、各種産業の奨励など活動は多岐にわたる。

来歴[編集]

元和元年(1615年)、播州姫路に生まれる。

祖父・野中良平の妻は山内一豊の妹合(ごう)で、父・良明は5000石を領していた。藩主・一豊は、良明に対して幡多郡中村2万9千石を与えると約束していたが、一豊の死後に反故にされたために浪人となっていた。兼山の母は大阪の商家の娘で、父の死後、兼山は母とともに土佐に帰った。

13歳のとき、土佐藩の小倉少介に見込まれて、父の従兄弟で奉行職の野中直継の娘・市の入婿となった。15歳で元服し、良継と名乗った。

寛永13年(1636年)、養父の直継が病死すると野中家を継いで奉行になった。藩主・忠義は、兼山に藩政改革を命じることになる。まず兼山は、堤防の建設、平野部の開拓で米の増産を進め、森林資源の有効活用を行い藩の財源に充てる。また、乱伐を避けるために輪伐制なども導入していた。築港も推し進め、藩内製品の諸国での販売を広める。また、身分にとらわれず郷士などを藩政改革にあてた。藩外からも植物、魚類などを輸入し藩内での育成につとめるなどした。また、捕鯨陶器養蜂などの技術者の移入も進め殖産興業を進め専売制の強化なども行った。これらの結果、藩財政は好転を進めていくことになる。

一方で過酷な年貢の取り立てや華美贅沢の禁止などで領民に不満は溜り、逃亡する領民も出てきた。また、郷士の役職への取り立てなどは上士の反発を買い対立を深めていった。

明暦2年(1656年)、藩主忠義が隠居し、3代藩主に忠豊が付く。寛文3年(1663年)、兼山の施政に不満を持つ孕石元政生駒木工などが家老深尾出羽を通じて忠豊に弾劾状を提出。兼山は失脚し、宿毛に幽閉され、その年に死去した。なお、報復は過酷で男系が絶えるまで一族の幽閉は続き、解かれたのは兼山死去の40年後であった。

エピソード[編集]

  • 垂加神道山崎闇斎の先輩であり、放逐された闇斎を保護した。
  • 母の死に際し、儒葬(儒教による葬儀)を行って切支丹の嫌疑を受けた。
  • 兼山の死後、民衆は密かに小祠を建てて神と崇めた。後に江戸幕府の許可を得て「春野明神」と公称し、明治初年の神仏分離によって「春野神社」となった。
  • 念仏講」という組織を作り、積立金による丁重な葬儀を行わせた。四国は中世からハンセン氏病患者などの巡礼地であり、それらの遺体は粗略に扱われていたが、兼山はこれをも厚く葬らせた。天然痘患者の置棄(おきす)ても禁じ、儒教の精神により火葬を廃し、「棺郭の制」を定めて「厚板契締(あついたちぎりじめ)」の丁寧な棺箱に納めて土葬にさせた。
  • 「春兎通ったあとが百貫目」とは、ある人夫が仕事場を兎が一匹走り抜けたが仲間には黙っていて、休み時間にその話をしたところ仲間は仕事をやめて捕まえたのにと残念がった。その話を聞いた兼山がそのことを仲間にいえば大騒ぎになり仕事も遅れたことだろうと感心をし、その人夫に褒美として山石百貫目の使役料を与えたことによるものである。

土木事業[編集]

 
手結港(内港)
 
高知県香南市夜須町手結
  • 兼山の功績は土木事業に多く、特に山田堰、柏島港、手結港等の優れた技術は高く評価されている。
    • 手結港は、日本最初の掘込み港湾として慶安3年(1650年)に着手し明暦元年(1655年)完工している。漂砂による港湾埋設を防ぐため内港まで細長い航路で結び、南側に長い突堤を設けた。当時の規模は、南北60間、東西27間、干潮時一丈。
    • 山田堰は、湾曲斜め堰として有名であったが昭和48年(1973年)に上流に新たな堰ができ用済みとなり昭和57年(1982年)に一部を除き撤去された。工事は寛永16年(1639年)に着手し25年後の寛文4年(1664年)に完成している。堰は、全長180間(324m)、幅6間(10.6m)、高さ5尺(1.5m)とあり築造には松材42800本、大石1100坪を用いたと言われている。
    • 津呂港は、岩礁の中の僅かな窪地を掘り上げる難工事の末に築いた避難港で、航海の難所である室戸岬を航行する船の海難を防ぎ、多くの人命を救ったとされる。
  • 土木事業の功績を伝えるため、手結内港に平成9年6月地元有志により兼山の頌徳碑が建てられている。

『世界を照らす光』 『時間を活かせ』 『愛と人間』

2016-09-26 23:50:30 | オープニングメッセージ

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月刊幸福の科学オープニングメッセージ「心の指針」より

『過去の記憶を修正せよ』

あなたを苦しめている原因の大部分は、 過去の記憶であるはずだ。
あなたは、 セピア色の写真集でも眺めるように、
過去の点景を見つめている。

本当は無尽蔵に、
記憶の写真館には、 いろんなシーンの写真がある。

喜びのシーンも、 悲しみのシーンも、
たくさんある中で、 あなたは幾枚かの写真を選び出して、
それを何年も、何十年も、 見つめ続けているのだ。


実は、 あなたの記憶は、 縁起の理法とは逆であることが多い。
あなた自身は、過去の失敗や、人に害されたことが原因で、
現在の自分が不幸であることを証明しようとする。



しかし、真実は、 現在あなたが不幸だから、
過去の不幸写真を見つめているだけだ。


現在ただ今、自分は幸福であると宣言せよ。

さすれば、記憶の写真館からは、
幸福なシーンの写真ばかり出てくるだろう。

過去の記憶は修正することができるのだ。

 

『世界を照らす光』

未来を暗いものだと思うと、 暗い未来がやってくる。
未来が明るいものだと思うと、 明るい未来がやってくる。
実は、自分の心が、 未来の事物や現象を引き寄せているのだ。


心とは、言ってみれば磁石のようなものだ。
常に発射される想念が、 どこに向かうべきかを決めるのだ。


常に暗いことばかり言う人に用心しなさい。

その人は、失敗した時、
「それ、私の言った通りじゃないか。」
と言って、責任を逃れ、 保身できたことに満足するのだ。

ある意味でのエゴイストなのだ。
頭の良い人で、 仕事のできない人は、このタイプが多い。

暗い想念を浴びたら、 明るい言葉を読み、 明るい表情をつくり、
「毎日が素晴らしい。毎日が新生だ。 毎日が希望に満ちている。」
と繰り返してとなえよう。

あなたこそ、世界を照らす光となるだろう。

『時間を活かせ』

現代社会では、時間こそ、最も貴重な資源だ。
時間を活かしきる達人こそ、最高の成功者といえる。

だが、 時間の達人とは、
いつも忙しそうにしている人のことではない。

自分が何をしているのか。
あるいは、これから、何をしようとしているのか。

そのために、どれだけの時間をかけようとしているのか。
その仕事が、会社にどれだけ貢献するのか。
明確に、その、目的と意義を知っていることだ。

仕事の重要度を自覚し、 優先順位を決め、
着々とやり遂げていくことが大事だ。

無駄を省き、 考える余裕をつくれ。
本業の中にこそ、無駄は多いのだ。

エネルギーを集中し、 重要問題を各個撃破せよ。

時間を活かすことの大切さを、 体得した者こそ、
現代の智者といえるのだ。

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大川隆法 御説法『愛と人間』


子供たちに、伝えたい未来があるんだ。【ハピママしあわせ相談室 Vol.7】

2016-09-25 21:36:39 | 子育て支援

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昨日、幸福の科学高知支部で、幸福の科学城本部長による親子セミナーが開催されました。

私はスケジュールの都合で参加できなかったのですが、四国の在家信者から信任のあつい城本部長のセミナーは、とてもわかりやすかったと参加者の方からお声をいただきました。

幸福の科学における親子観というのは、いくつかの体系だった指針があります。

指針があるからといって、万事すべてうまくいくほど人生は甘くはないのです。なぜならば、人生修行というのが、同じ人がいないからです。

そう、全く同じ病気がないのと同じですね。

しかし、指針があるとないとでは、心構えも、対応の早さも違ってきます。

それはそう、解剖図鑑があるのとないのとか、医療書があるのとないのとでは、治療や治癒は全く違ってくるみたいな感じでしょうかね。

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153

幸福の科学における親子観は、霊的人生観を基盤にしています。

霊的人生観とは、「人は神から分かれてきた永遠の生命を持ち、この世とあの世を転生輪廻しながら魂の修行をし、この世を天上界にあるユートピアに近づけていくことを使命としている。」というものです

この霊的人生観から来る親子の関係で重要なことは、

1.親子には深い霊的な縁があり、天上界で親子になる約束をしている。

2.生まれる前に、子供の霊から、「親になってください。」とお願いしている。

3.親子でも、個性も違えば、使命も違う。

これ以上詳しく知りたい方は、上の画像の太陽の法をご参照いただきたくか、最寄りの幸福の科学の支部や精舎でお聞きくださいませ。はい、私では、ちよっと荷が重いですから。。。(苦笑)

私がこのことを知って、とても親への感謝が深まったと共に、ある意味で、とても気軽になった感がありました。

また、自分に子供が生まれた際にも、「ああ、俺を親に選んでくれたんだな。」という感じ、「せっかくだから、この子が、使命を果たせるように、できるだけのことはしてやりたいな。」という感じがありましたね。

まぁ、能力的なこともあり、躾とかは、賢い嫁さんにおまかせでして、私的には、子供の遊び相手・・・というか、おもちゃのような父親でございましたが。(爆笑)

まぁ、これ以上私がこの手の話を書いても、文字数と時間の無駄でございましょうから(大笑)、本日は、幸福の科学の子育て支援サイト、ハピママの動画のご紹介です。

http://hshermes.jimdo.com/

このブログ、代表編集長の独断と偏見で記事を更新していて、これまで子育てとか健康の記事とか、あんまりなかったのを深く反省しております。(笑)

子供たちに伝えたい素敵な未来、私たちは、その志で満ち満ちております。

                (ばく)

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子どもの個性を伸ばすには【ハピママしあわせ相談室 Vol.7】

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奇跡を呼ぶ心【CM動画】


日産マーチと日本女性最強伝説

2016-09-24 22:31:22 | 自動車から見える日本と世界

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このブログで時折触れる自動車ネタ、これが結構評判が良くって、自動車大好きヲタクな私は、大変嬉しゅう存じます。

ただこのブログ、幸福の科学&幸福実現党の布教広報ブログでございまして、「えっ、そうだったの?」「ばくちゃんの、言いたい放題ブログじゃぁないの?」という声も、あることはあるんですが(爆笑)、まぁ、大好きな自動車ネタを、いかに宗教的に、また社会啓蒙的な記事にしていけるか、かなり難しいテーマではございます。

ただ、私が自動車大好き人間だということをご存じな方からは、「ばくちゃん、おまん(お前の土佐弁)がブログで自動車関連を言い始めると、なかまのぶろぐが、自動車ブログ化しそうで、ヒヤヒヤするがぜョ。」と心配されております。(大爆笑)

さてここ最近、自動車大好きな方とお話していて、共通の話題になるのが、「どうも最近の日本車が、面白くない。」というものがございます。それは私も同感です。

海外とかの、結構おしゃれな自動車などが、雑誌なんかで紹介されるのですが、日本車はどうも元気がない。少なくとも、自動車雑誌からイメージ的には受け取れますね。

ただ、トヨタ自動車なんかは、生産台数世界一を奪取したり、企業としてはがんばっているのだけれども、どうも商品に魅力が乏しいように感じられて、自動車ファンとしては、なんとも寂しい限りなんです。

自動車雑誌を見ても、昔懐かしのスーパーカーものや、旧車などを取り上げた企画が多くて、現代ものは、外車に占拠されている気がしますね。 

なぜなのでしょうか?

日本車が面白くなくなった・・・というのは、自動車好き人間にとって面白くなくなった・・・ということですけど、その原因は、何があるのでしょうか?

日本国内で、販売実績をあげている自動車というのは、まぁ大体の大雑把な比率で言いますと、半分が軽自動車、その半分の半分がミニバンという感じでしょうかね。 

まぁ移動のための、実用車しか売れていない現状でして、自動車好きの好むスポーツカーは、カタログとして載っているだけでも、トヨタ86・日産GTRとフェアレディーZ・マツダロードスター・スバルBRZ(トヨタ86と同系車)・ダイハツコペン・ホンダ660ぐらいですね。おおっとホンダがNSXを販売しましたので、種類としては結構あるですが、販売数などは、まぁ、風前の灯という感じでございます。 

 

日本では事実上スポーツカーは、事実上の広告塔替わりでして、まぁ販売的には絶滅危惧種と言って良いでしょうね。

では、この時の流れを導いた要因は何か?

それはここ2~30年の間に、急激に日本女性が、自動車の運転をするようになり、自動車購入への、意見を述べるようになってきたから・・・だと、私は個人的に推測しております。 

それ以前、時代で言えば、バブル景気以前の日本では、女性はあまり車の運転をしませんでした。

ですから、バブル前の日本の自動車市場というのは、男性の嗜好が強く働いていたわけですね。 

ですから、スポーツカーだとか、2ドアのクーペであるとか、おしゃれなハイソカーだとかが売れたわけです。

今では、もう考えられない価値観ですけれども、要するに、女性にもてるためには、かっこいい車が必須アイテムだったのですね。(笑)

自動車というものをヨーロッパ人は、馬の現代版ととらえます。

アメリカ人は、移動の道具ととらえます。

かつての日本人は、ステイタス・・・ととらえていたと思うんですね。

ですから、見た目が良くて、かっこいい車、いかにも早そうな車が、人気を持ち、売れていたわけです。

そして結婚後は、まぁ、これは日本特有の台所事情としまして、旦那さんはたいてい、小遣い制度でございまして、小遣いの範囲を超える大きな金額の買い物は、財布の紐を握る主婦の意見というのが、かなり強く反映されるという、日本独特の経済システムがあります。

これは世界では、日本しか存在しない経済システムでございまして、日本の主婦は、GDP500兆円の、そのまた60%が占める消費の分野で、お金の行き先を決める、世界最強の存在でもあるんですね。(^^;

ですから、結婚後の自動車購入の基準は、「運転は旦那さんがするから、まぁ旦那さんの美意識が優先するのは致し方ないにしても、一応、家族のことも考えてよね・・・。」という、夫婦の美意識の妥協点のような車が、かつては売れていたのです。

その代表がセダンタイプだった・・・とも言えますね。

ところが近年のバブル景気以降、女性の社会進出なども手伝いまして、若い女性らを中心に、自動車を運転するのは当たり前になりました。

それが!その日本の女性たちの、自動車への美意識が、世界の自動車の歴史を変えたんですよ。

多くの日本女性が、自動車の運転をするようになって、変わったことは、世界の自動車が、日本女性の好むものになったことなんです。

すごいですねぇ。日本の女性、恐るべし・・・でございますねぇ。(笑)

日本の女性は、世界の経済を激変させる力を有しているのです。

実は、これは今でも変わりありません。

なんせ、GDP500兆円の鍵を握っているのは、日本女性なんですから。

パワーイズマネー(金は力)の原則ならば、世界で一番お金の使え、影響力の強い民族は、実は日本の主婦なんです。

さて、女性は車が壊れるのは、嫌ですよね。ですから当然、自動車の整備なんて、嫌ですよね。(笑)

だから、車がメンテナンスフリー(整備不要)となりました。

また、ハンドルは軽い方が良いですよね。だから、ハンドル操作をアシストするパワーステアリングは、当たり前に装着されるようになりました。

今や、フェラーリもランボルギーニもポルシェなどの、純粋なスポーツカーも、パワーステアリング付きです。

F1などの、究極のレーシングカーだって、パワーステアリングなんですよ。

また変速機は、ほぼオートマになりましたよね。

クラッチ踏んで、変速ギアをガチャガチャすることはなくなりましたし、マニュアルミッションやエンストなんて、免許の教習所だけで使われる死語になりつつあります。これは日本だけでなくて、全世界でそうなんですね。

また、荷物とかがたくさん積めて、お買い物に便利な方が良いですよね。それでそれまでは商業車だったライトバンがミニバンとなって、軽自動車も背が高くなりました。 

2ドアなんて不便でしかありませんから、4ドアプラス後部が大きく開く、5ドアが主流になりました。

それ以前は、後部ドアが大きく開くタイプは、商業車に見える・・・という理由で、売れなかったのです。

これはかつての自動車が、ステイタスであった証拠ですね。

ちなみに、自動車を現代版の馬・・・と考えるヨーロッパでは、今でも2ドア車が売れます。なぜなら、ドアが少なく小さな方が、ボディーが軽くて強いからです。

こういう視点で見れば、ヨーロッパ人というのは、今でも結構、わかりやすい価値観で生きていると言えますね。(爆笑)

そういった日本の、自動車社会の流れを決定的にしたのが、2代目日産マーチだと言われております。

イタリアのカーデザイナー、ジョルジョット・ジウジアーロ作と言われている、かわいい小型車です。

これです。

2代目日産マーチは、苦境にあえぐ日産自動車にあって、女性を中心にメガヒットを続け、ついに、トヨタカローラの国内年間販売数を、何年も越えるというヒット商品になりました。 

つまり世界経済の鍵を握る、世界最強民族の日本女性に、「私、この車に乗りたい」と強く思わせたのが、日産マーチ(2代目)だったわけです。

本日は、日本女性の美意識と強さが、世界経済の流れを変えたという、歴史秘話でございました 

                (ばく)

日産 2代目マーチ CM集

テレビ放送決定! 幸福の科学・大川隆法総裁の大講演会「地球を救う光」


格差是正にこだわると、貧乏の平等社会ができあがる。

2016-09-23 23:52:22 | ばくちゃんの独り言

                   平等院鳳凰堂

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先日、19日(月)の夜のNHK特集で、「健康格差問題」を取り上げておりました。

「年収が200万円以下とか、非正規雇用の方には、糖尿病などの既往が多く、低所得者の健康を、社会問題ととらえるか否か」がテーマでした。

一昔前だと、糖尿病は富裕層の病というイメージでしたが、現代では低所得者ほど、炭水化物摂取量が多く、かえって糖尿病になりやすいのは事実です。

それは国際的にも同様で会って、日本は諸外国から比べると、糖尿病罹患率が低い国でもあります。

確かに、低所得者の健康問題は、由々しき問題であります。私はこれを、社会問題化することに、個人的には異存ございません。

しかしながら、その問題解決を、ただ単に所得の格差是正、つまり、高所得者の税率を上げたり、相続税を高くしたりして、低所得者に分配することには反対です。

なぜならば、それでは、結果的に貧乏の平等社会ができてしまうだけだからです。

「所得格差がなくなれば、みんなで豊かに暮らせる」というのは、はっきり申し上げて、幻想でしかありません。

格差をなくすには、すべての人民が貧乏にならなければ無理だからです。

別の言い方をすれば、格差是正が行き過ぎた社会は、絶対に金持ちになれない社会なのです。

そして、取った税金を分配する為政者に権限が集中し、必ず特権階級が生まれ、この一部のエリートたちが、国家の富を独占する社会になります。

旧ソ連や北朝鮮、中華人民共和国など、社会主義国や共産主義国でよく見られる構造です。

そして国外逃亡する富すらなくなった国民は、スローガンとは裏腹の社会の中で、自由と才能の発露を失った人生を歩むようになります。

しかし現代において、マルキシズムの亡霊・・・いや、理論的復活とも言える経済学者が、世界的に注目されています。

トマ・ピケティー博士です。

著書『21世紀の資本』で、格差是正こそが正義と述べています。

難しくて、立ち読みくらいではよくわからないのですが、要するに、「人類の富の創造は、絶対に人口の増加に追い付かない」と言うものだと思います。だからまぁ、人類が幸福に生きていくには、富を分配するしかないと・・・。

しかしそれはやはり、強引だと思うし、ピケティー博士、案外視野がお狭いのではないかと思うし、歴史的経緯とか、様々な地域の経済とか、あまり考察に入っていないのではないかと疑ってしまうのですね。

そしてやはり、マルクス経済学の欠点と同様、「富が増えない」という前提が強過ぎるのではないかとも。

マルクス経済と言うのは、無神論経済学ですけど、富が増えないという前提なので、全員でパイの取り合いですから、最終的には、非人間的な弱肉強食になります。

2000年前とか3000年前とか、人類の総人口は数億だったはずですが、今は70億人以上となっています。

それは、富が増えた・・・ということです。極めて単純な事実です。しかも、膨大な富が増えています。

近い歴史で言うならば、戦後の日本は、極めて短時間で発展し、日本は豊かになりましたけど、日本が豊かになったことで、どこかの国が破産したりしたんでしょうか?

日本が繁栄したことで、どこにも迷惑は掛かっていないと思います。これも、戦後日本が、純粋に、富を創造したと考えるのが正しい見方だと思います。

ピケティー博士、さて、それらは考察に入っているのでしょうか?

ともあれ、みんなが平等に貧乏で、豊かになる自由のないな平等社会より、豊かな人が、たくさん輩出される社会がいい。

なぜならたとえ一時期貧しい環境であっても、皆が平等に、頑張れば金持ちになれるからです。

才能や技能や、努力や人と人とのつながりによって、未来を切り開いて行けるからです。

結果の平等は、必ず貧乏と不自由を創出します。結果の平等より、機会の平等です。

機会の完全なる平等の保証こそ、自由からの繁栄が可能なのです。

富は、いくらでも創造できます。神の創られた大宇宙は、富で溢れているからです。「神」は、豊かなのです。

世界の人工が、70億人を超えてもなお、地上の人たちが、現に生きていける事実こそ、この真理の証明です。

本日は、幸福の科学の大川隆法総裁最新刊『現代の貧困をどう解決すべきか トマ・ピケティの守護霊を直撃する』(幸福の科学出版)のあとがきをご紹介します。

         (ばく)

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https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1704



 経営者として成功したことのない人の経済理論は、あまり信用しないほうがよい。資料や数値を多用して、一定のドグマを押しつけようとする学者の見解には用心したほうがよかろう。
 今回の霊言によって、ピケティ教授が、二〇〇八年のリーマンショック(大不況)によってもとどめを刺せなかった資本主義に、引導を渡そうとしているのがよくわかる。
 本書のもう一つの特色は、宗教思想と経済思想の近接性である。この裏側のカラクリが、ここまで見事に説き明かされたことはなかったのではないか。この点、非常に勉強になる。
 本書をもって、二〇一〇年二月以降再開した公開霊言シリーズの発刊点数(書店売り)が、四百書となる。道のりは、まだまだ遠いが、新しいジャンルを開拓してきた者として、かすかな喜びを感じている。
(190~191ページ)

現代の貧困をどう解決すべきか―トマ・ピケティの守護霊を直撃する―【CM動画】
 


【自由からの繁栄】「政策の幸福」の象徴、江夏正敏と高知。

2016-09-21 23:35:38 | 里村英一 ザ・ファクト(幸福実現党)

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昨日9月20日(火)に、幸福実現党本部から、江夏正敏政調会長が来高し、ご講話賜りました。

政調会長というのは、政策の立案と普及が仕事。

段々とそのDNAが知られ始めた幸福実現党のDNA、そう、「政策は幸福」というの代名詞的な人物こそ、江夏正敏政調会長です。

江夏政調会長は、先の参院選では、膨大な幸福実現党を123にまでまとめ、東京都知事選では、わずか数時間で、七海ひろこ候補らと、東京都政策をまとめました。

先の参院選では、前回2013年参院から、得票数が倍増しましたけれども、その第一人者こそ、江夏会長ではないかと。

「政策では票は取れない」と言われますが、「政策が強い」ということは、長い目で見たら、昨日より今日、今日より明日と、着実に強くなっていきます。これは絶対にそうなります。

幸福実現党 江夏正敏政調会長

幸福の科学随一と言われる演説名人であり、黙っていたら強面ではあるが、とっても面白く御仁で、愛すべきキャラクターです。幹部をこんな風に紹介すると、怒られるかも知れませんけれども(笑)、これが自由創設を何より大事にする、幸福実現党のDNAでもあるんです。

実は私も、高知県の政調会メンバーでして、講話を終わり、茶話会においても、会話が終わりませんでした。

江夏会長と、土佐の偏屈信者は、さあ一体、何を話したか・・・?

それはまぁ、今は、ひ・・・み・・・つ・・・です。(爆笑)

中長期的に強い政策を構築しての戦いが、さらに強くなるための、ひ・・・み・・・つ・・・ですので、あはは、さすがに言えんです。(^^)

それでだと、読者のみなさんがお怒りになるでしょうから、江夏正敏政調会長のブログサイトから、超わかりやすい経済、マイナス金利の話をお届けいたします。

                (ばく)

 

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江夏正敏 自由からの繁栄 

“マイナス金利”は政府倒産への道

6月12日に、幸福実現党の大川隆法総裁が名古屋にて「未来へのイノベーション」という演題で講演を行いました。その中で、マイナス金利に対して鋭い指摘がありましたのでご紹介させていただきます。
政府の経済政策がダッチロールし、マイナス金利で危険水域に達しています。この危険性を多くの国民の皆様に知っていただきたいと思います。

以下、「未来へのイノベーション」よりの抜粋です。全編を幸福の科学の支部にて聞くことができますので、お勧めいたします。

●“マイナス金利”でお金を使わせようとしている政府
政府は「ゼロ金利の時代にお金を借りる人のほうが賢くて、お金を使わないというのは賢くない」ということを流行らそうとしているように見えます。ただ、民間の動きは非常に鈍いです。これが現政権の悩みの一つではあります。

●安倍首相は“マイナス金利”の意味を知らないのでは
しかし、言っておきたいことがあります。このぐらい低い金利だと、いろんな事業がいくらでもできそうに思えますが、現実に、国民が動かないでいるのは、そのような思惑通りにならないことを知っているからでしょう。
ある新聞で「安倍さんは『ゼロ金利の時代です。しっかりお金を借りて、設備投資をして発展させてください』と演説していますが、安倍さんはマイナス金利の時代に入っているのを知らないのではないか」という記事がありました。その通りです。

●“マイナス金利”で国債を買ったら財産が減る
日銀は公式にマイナス金利と言っておりますし、現実に日本国債の金利はマイナスです。それは自分がお金を出して日本国債を買って、長期間、保有していたら財産が減るということを意味します。これで国債を買う人が本当にいるでしょうか。「財産が減るのが確実に分かっていて、自分が貯めたお金を国債に換える人が本当にいるだろうか」という素朴な疑問はあります。デフレから景気回復して発展すると思っているアベノミクスは、実に危険なところ来ているのでないかと思います。単純な話、一億円で、五年もの十年ものの国債を買ったとします。五年たったら、そこから何百万かは確実に減るといのであれば、皆さんは国債を買い続けるでしょうか。国民は、当然、国債からお金を引き揚げて、自宅の金庫にお金隠すか、畳の下に隠すかをやり始めるでしょう。もし他の銀行もマイナスになってきたら、もう預けられませんから。

●“マイナス金利”はお金を持っている人に罰金をかけるようなもの
要するに、ハッキリ言えば、お金を持っている人に罰金かけようとしているのと同じなのです。すなわち「お金を持っていたら罰金かけるので、それを消費に使いなさい」と政府が強制しているわけです。「お金を持って(国債などに)投資するような人は悪人だから、こいつに罰金かけないといけない。今すぐ使え!即使うのだ!」ということを政府がやっているわけです。この「罰金金利」とも言えるマイナス金利をかけたら、みんな使うに違いないと思って、それで「景気がよくなる」と言っているのです。少し甘いのではないかと思います。

●リスやアリでもリスク回避をする
リスやアリでも、やはり将来のために蓄えをします。お金が目減りしていくのなら、何か別のことを考えるわけです。リスだって、クルミを溜めてもいいけど、それが一定の割合でクルミが腐っていくのが分かっていれば、その分を余分に計算しなければならなくなるわけです。アリだって、砂糖を運んできても、その砂糖が傷んでくるのがどの程度かが分かっていれば、その分を計算して、生き残るためにはどのぐらい要るかを考えます。人間だって一緒です。預けて運用したら絶対損をすることが分かっているのに、買い続ける国民がどれだけいるかということを考えると、これ非常に危険です

●安倍首相は日本発の世界恐慌を潜在的に恐れている
安倍首相は、一千兆円以上の財政赤字で、日本発の世界恐慌が起きるのではないかと、本当は怖くてしょうがないのではないでしょうか。だから、G7で「リーマン・ショック級の混乱がまた起きるかもしれないから、各国が足並み揃えて、財政出動しようじゃないか」と提案しましたが、他国の首脳は全然乗ってきませんでした。実は、日本が財政赤字でぶっ潰れたらどうなるかということを、本能的に何か怖がっているのではないかと思われるのです。

●国債を買う人がいなくなれば政府は倒産
マイナス金利で国債に投資したら、罰金を取られて損をしていくのだったら、この日本の国債は危ないです。皆様、ずうっと買い続けますか。何か売り払われそうです。そしたらどうなるでしょう。それは、政府は借金しないと運営ができないようになっているのに、その借金を貸してくれるところがなくなるということを意味します。これが意味することは政府の倒産です。本当に来ようとしています。ですから、今、選挙のスローガンで「アベノミクスをさらに加速させるか。それとも、後退させるか。これが争点だ」と安倍首相は言っていますが、どっちも怖いのです。とにかく何もしないで、健全な判断ができる方にしていただきたいというのが私の本音です。

●消費税増税で失敗したアベノミクス
日銀でマイナス金利を始めましたが、安倍首相は「本当は意味が分かっていないのではないか」と思える節があるのです。「他の人が言っているから、そうなのだろう」と思っているのでしょう。もともとのアベノミクスの姿勢は合っていたのです。金融緩和、財政出動、成長戦略。この三つで日本経済を発展させられるというのは、「幸福実現党」が提言していた政策で、安倍さんが首相になってからご採用になった政策なのです。その中で「消費税上げしたら駄目になる」ということも、はっきりと繰り返し繰り返し言っていました。「異なる方向にあるものを同時にやったらこれ潰れます」「この作戦は潰れて失敗する」と申し上げていたのに消費税を増税してしまって、私が言っていることが「全く外れない」ということを証明してくださいました

●投資をすると損をするシステムが出来上がろうとしている
要するにお金を持っている人が、それをもっと大きくしようとして投資すると損するようなシステムを、今つくろうとしています。デフレの時代は、お金を持っている方が有利なのです。先行き物が安くなっていくので、「今年、一千万の高級車買おうか」と思っても、「来年はこの一千万の高級車が九百五十万になる」と思ったら買いません。そういうことで物が売れない。これがデフレの時代なのです。だから、経済観念のある人ほど、お金を使わなくなるのです。このような人に消費させようとしているわけですから、実に難しいです。

●政府ではなく、普通の経済センスを持った人を信じよう
ことわざに「馬を川まで引っ張ってくることはできるけども、強制的に水を飲ますことはできない」というものがありますが、まさしくその通りです。
これから、お上である政府が、あまり信用できなくなるので、やはり真っ当な経済的観念を持った人間のセンスや本能を大事にしてください。こちらのほうを信じたほうがいいでしょう。

 

ポスター(まじめ系2番)HRP1010A 0912

幸福実現党比例九州ブロック(江夏正敏_2014.12.02福岡県内にて第一声)


脱原発は、宗教紛争を加速させる。

2016-09-18 20:49:16 | エネルギー問題

  

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私は元来、「世界から戦争をなくしたい。」と願って宗教を勉強し始めた変わり種でございますので、宗教ブログらしくない見地の記事をお届けすることが多いと思いますが、本日はその変わり種の極地と言える内容かも知れません。(笑)

文明をエネルギーの観点から分類するならば、産業革命以降、イギリスが勃興した時代を石炭文明、その後アメリカが覇権国家になった時代を、石油文明と名付けることができるのではないかと思います。

その点で言うならば、現代は、電気文明社会に移行しようとしている分岐点ではないかと。

電気自動車を始め、オール電化住宅など、様々なものが、電気で対応できるようになってきています。

日本においては、生活レベルで言うならば、ほぼ全ての分野において、電化が可能となっており、現代日本は、「世界で、最も電気文明が進んでいる社会」という見方も出来ると思います。

電気は、人の手によって作り出すことのできる、今のところ唯一のエネルギー資源です。

石油や石炭や天然ガスは天然資源ですから、そうは行きません。ということは、発電方法を工夫することで、これまで資源に恵まれなかった国や地域でも、根源のエネルギーを作り出すことが可能だ・・・ということですね。

石油は、産油地が限定されています。

また、急激な産油量の増加が望めない資源です。そして、あまり深いところのある油田ですと、採取にコストがかかりすぎるので、石油ビジネスというのは、一種の博打でもあり、急激な増産は見込めません。

私は、「今世界で問題になっているイスラム国(IS)などが絡む宗教紛争の要因の大半は、実は石油利権問題ではないか?」と個人的には考えております。

と申しますのも、宗教紛争の当事者を分類すると、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、砂漠地帯発祥の一神教ですが、これらは聖書を基盤とした宗教という分類の他に、石油・・・というキーワードで、厳密に結びついている間柄だからです。

かなり大ざっぱな、ざっとした世界の石油の体系ですが、産油国=アラブ社会=イスラム教、石油業者=ユダヤ系企業=ユダヤ教、消費国=アメリカなど=キリスト教社会、という見方ができます。

石油は限られた資源ですし、それほどの増産はできませんから、消費が拡大するにつれ、戦略商品としての価値は上がる一方です。

中国やインドなど、巨大な人口を持ちながら、石油が産出しない国々が、今後どんどん経済発展するに連れ、その戦略的商品価値は、放っておけばどんどん上がります。

また、産油国のアラブ社会では、サウジアラビア以外の国では、石油精製プラントがなく、ガソリンなどの石油商品は、実は輸入している現状があります。

つまり、原材料を輸入して、製品を輸出するのが、旧来の植民地経営の基本ですが、未だにアラブ社会では、この構造は続いているわけですね。

ですから、石油利権に伴う恨みは、この三宗教の人たちは、日本人が想像する以上のものがあると思うんです。

世界で宗教紛争と言ってはいるが、実はその本質は石油問題・・・。

「おいおい、気が触れたか?」と言わないでくださいね。(爆笑)

でもどうでしょうか?石炭が原因で戦争ができますでしょうか?薪を巡って戦争をして、得られるものがありますでしょうか?

石炭や薪は、戦略的商品価値は、もうほとんどありませんので、これらを巡って争うことは不可能です。戦うコストに対して、得られるリターンが小さすぎるからです。

しかし、石油には、争う価値があるんですね。

その証拠に、純粋な宗教紛争ならば、戦前の石炭文明時代にだって、キリスト教社会とイスラム社会の紛争がなければなりません。

1948年に、イスラエルが今のパレスチナ地域に国家を作ったことも、大きな要因ではありますが、当時はアラブから石油は産出されておらず、ややこしい紛争の火種はなかったのです。

宗教紛争は、アラブに石油油田が発見されてから起こっているんです。それまではなかったんです。

元来イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教を、預言者たちが述べた先輩宗教として尊崇の念を持っていたので、紛争にならないはずなんです。事実、アラブ社会は、戦前までイギリスなどヨーロッパ国家の統治下、つまり植民地でした。

また純粋に宗教戦争ならば、起こっては止まり、止まっては起こる、政治バランスによる戦争の集結などあり得ないです。

もっと徹底的なものになるはずです。なぜならば、「悪魔」と戦うのですから、存在そのものが許されないからです。しかし現実には、この地域における紛争は、全て歴史的に政治のバランスによる解決しかしておらず、結局、資源の利権で争いが起こり、宗教問題はただ、問題をややこしくしているだけのはずです。

現実、石油精製プラントを持ち、石油製品を輸入する必要のないサウジアラビアでは、ユダヤ・キリスト・イスラム教による、宗教紛争は存在しません。結局サウジは、ユダヤやアメリカの意向に関係なく、利益を得られているわけで、争う必要がないわけです。

思想的バックボーンの違いがあり、歴史的領土的諍いがあるのは事実ですが、思想的バックボーンの違いや歴史問題を口実に戦闘行為をするだけの、魅力ある利益が石油にあるからこそ、宗教戦争が絶えないのです。

石油プラントを持たないサウジ以外の地域は、ユダヤやアメリカに、良いようにあしらわれている感覚があるはずで、産油国に石油精製プラントを設けるだけで、宗教戦争は軽減するはずです。

つまり中東紛争は神様を、ユダヤ・キリスト・イスラム社会による、石油をめぐる駆け引きに利用しているわけで、別の観点で言うと、石油資源の文明依存度が下がり、石油の戦略的商品としての価値が下がる、つまり石油が今の石炭や薪のような商品になれば、宗教紛争は亡くなる可能性が高いわけです。

 

また、石油文明社会を魅力的でない、かつての石炭文明のようにしてしまえば、石油を巡っての争いがなくなると言えます。戦闘行為など、アホらしくて、やってられなくなるからです。

 今の文明下で、石炭を巡って戦闘行為などしていたら、「アホですか?」と言われます。(笑)

薪を巡って争いをしていたら、「お前ら、原始人か?」と笑われます。(爆笑) 

つまり世界から争いをなくして行くには、石油を、石炭や薪のレベルの商品にしてしまえば良いのです。

つまり、安全な大規模エネルギーの創出と普及には、文明を変える力があるだけでなく、それによって、現実的に争いをなくしていく力があるわけです。

それが、電気文明社会、日本の使命ではないでしょうか?電気は、人の力によって、生み出すことができるエネルギーだからです。

石炭も石油も、人の力では、生み出すことはできません。石油が人力では作ることができず、また短期間で産出量が増えることがない資源だからこそ、戦争をするだけの価値が出てしまうのなら、人為的に生み出せるエネルギーこそ、世界から争いをなくしていくのではないでしょうか?

石油を生産する藻・・・というものもあるそうですね。私はとても期待しています。 

それも踏まえて、大規模な電気エネルギー政策へと、日本はシフトするべきです。そして日本は、電気文明の覇者となるべきです。

それが出来るのは、原子力発電の更なる促進だと思います。

原発で問題となるのは放射能ですが、放射能は光ですので、遮光することが可能です。つまり、山の中や地下など、分厚い土のある中に造れば、放射能は漏れてもブロックされますので、「事故が起これば捨てれば良い」という判断が可能です。

小型化し冷却を容易にして、地下水で冷却できるようにするだけで、それはすぐ実用化できるものです。

日本国内で原発稼働を止め、火力発電オンリーにしただけで、石油輸入に伴う費用は、年間3兆円も増えました。

日本程の大国が、原子力発電による電力供給を、もっと盛んに行えば、またその方法論を確立し、今後経済発展していくだろう諸国に普及に努めれば、石油を石炭レベルの商品価値にさせることは十分可能だと思います。

「安全性を高めて原発推進」の、幸福実現党をご支援賜りたく存じます。

それは、現実的に世界を平和にしていく、尊いご決断でもあります。

現実の永遠の憎しみの世界から、どうか、希望の光を見いだしていただきたいのです。

                    (ばく)

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