幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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暗黒の「無神論科学万能時代」の解放者となろう!

2021-04-23 23:54:03 | 命の不思議

丹光とは?丹光が見える人の特徴や、スピリチュアルな意味について色 ...

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。
 
さて、私たちは、多くの生き物の中で暮らしております。
それは自然の大きなバランスの中で、生かしあって存在しています。
 
最も原始的であるとされているアメーバーたちでさえ、実際には、かなり高度な生き物であって、「勝手に出来た偶然の産物」として扱うことはできないです。
 
私は、多くの方々の協力を得ながら、このブログ記事を通して、生き物が創られた存在であることの証拠を提示することで、唯物的な科学に負けない、信仰心の一片でもお示しできたらなぁと考えてます。
 
さて、このブログらしく、さっそく話は変わりますが、たとえば、顕微鏡でコレラ菌を観察していて、その途中で彼(?)の寿命が来て、目の前で死んでしまったとしますね。
先程まで、尻尾をクルクルと回して動いていたコレラ菌と、死んで動かなくなったコレラ菌。

これはいったい、何がどう違うのでしょうか?
見た目は、ほとんど変わりませんよね。

解剖しても (できるかどうか知りませんけど・・・)、その違いはないはずです。
それなりの電気を与えれば、まだしばらくは動くはずですが、神経細胞が死んでしまえば、どうやっても動きません。

そう、生きていたコレラ菌と、死んだコレラ菌とは、見た目、つまり肉の眼で見る限り、違いは全くないんですね。
命が尽きただけなんです。

では、その「命」とはいったいなんなのでしょうか?
 
インターネットの光回線・光ファイバー | So-net

過去にも、単細胞生物が地球に現われたとき、この命が宿ったはずです。
そして寿命ある限り生き続け、連綿とそれを繋いで来たはずです。
 
実はこの、命の始まりの始まりが、生物学者には分りません。
また、驚かれるかも知れませんが、命そのものも、お医者さまにはわかりません。

驚くべきことに、この、高度な蛋白質の化合物が、自主的に動き始めた事実を、現代科学では説明できないのです。

結局、その命の本性が、生物学者や医学者をはじめ、現代科学では分っていないということです。 
なのになぜ、「科学万能の現代文明」と、大口を叩けるのでしょうか?
 
私には、現代人の多くが持っている、そのカッコつきの常識、そしてそういう価値観を持つ方の精神構造が、どうしても理解できないのです。
 

確かに、医師は、生きているか死んでいるかを、判定することができます。
生態反応を見る基準に、照らし合わせて判定しています。

しかしそれは、法律上の問題であり、生体モニター上の、ある意味での統計の問題です。
実際には、肝心の命そのものの正体は、彼らは知らないのです。
 
彼ら・・・というのは酷な話ですね。
現代人のすべてが、「命とは何か」がわからないのです。

これは、厳粛な事実です。

進化論信奉の生物学者たちは言うでしょう。
「私たちは、生物の歴史上の過程を研究しているのであって、命そのものは研究対象外だ」と・・・。

「だったら、大口叩くのはお止めなさい。」と、私は言いたいのです。
偉そうに何でも知っているが如く、振舞う態度を改めるべきだと思うのです。
 
真実の前に謙虚になことが、探求者としての姿勢です。
それこそ、科学者としてのあるべき姿だと思うのです。
 
その、大いなる創造神に対する謙虚さがなければ、人はただ、ちょっとだけずる賢い獣でしかないと思うのです。


私たち信仰者は、現代社会に対して、それを言わねばならない立場なのかも知れません。
少なくとも、私たちは心の中で、そういった強い思いを持っていないといけません。
 
それが、神仏を信ずる者の気概であり、誇りです。
信仰者は、命の探求者であり、神仏とつながっている「心」の探求者だからです。 
 
 
未来の人々は、現代社会のことを、『暗黒の科学の時代』と呼ぶでしょう。

私たち神様を信じる者は、人類にとっての、暗黒の科学からの解放者となろうではありませんか。
その誇りこそ、未来を切り開く鍵だと思うのです。
 
なぜならば、信仰者とは、神仏の手足だからです。
神仏が行きたいところに行き、神仏の願いをかなえていくのは、神仏を信ずる人々の力によるからです。

その誇りに、幸福の科学も、仏教も、日本神道も、キリスト教も、イスラム教も、違いはないはずです。
なぜならば、共に神仏を信じ、人間が神仏の子であることを信じているのですから。
 
信じるとは、理性を去ることではありません。
信じるとは、「命」の本質である「心」でつかみ取ることなのです。
 
本日は、幸福の科学の経典『愛無限』(大川隆法著 幸福の科学出版)抜粋をお届けいたします。

           (ばく)

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あなたはなぜ尊いのか 天使のモーニングコール1372回 (2018.1.13,14)

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=755

「あの世は存在する。そして、数多くの魂が、この地上に生命を持って生まれ変わってきている」ということを認めることができない人たちは、気の毒ではありますが、人生というものを「非常につまらないものだ」と思っているのではないかと私は思うのです。

自分自身の人生がつまらなく思えるだけではなく、おそらく他の人の人生もつまらなく見えることでしょう。

なぜならば、そうした人たちは、「人間は、何年か何十年かのちには、死んで土に還る存在、二酸化炭素と水に変わってしまう存在だ」と思っているからです。

二酸化炭素の成分は炭素と酸素です。炭素は炭と同じ要素でできていますが、それがそれほど尊いものでしょうか。

「そうではない」と私は言いたいのです。

唯物論的に「物質のみが存在する」と言い張るのは結構ですが、それは、自分自身に対しても、他の人に対しても、親切なことではありません。

なぜなら、その考え方には、「愛」という言葉の生まれてくる余地がどこにもないからです。

愛が生まれてくる原点には、生きているものの尊さに対する無限の信頼があります。

「生きているもののすべてが尊い」と思わずに、どうして愛の気持ちが湧き起こってくるでしょうか。

地球や、そこに生きている人間が、宇宙の塵にも等しい、つまらない存在であるならば、どうして愛が生まれてくるでしょうか。

人間が、そうしたつまらない存在であるならば、この二、三千年、あるいは、それ以上の長きにわたる、文明・文化という名の営み自体が、わずか数十年だけ地上に生きる人間の慰み事にしかすぎないことになってしまいます。

すべての宗教や道徳は、また、おそらくは哲学も、虚妄、世迷い言となってしまうでしょう。

みなさんは、自分自身や他人を、そして、生きているものすべてを卑しめる、そのような思想に、心の底から共鳴できるのでしょうか。私は、それを問いたいのです。

「いや、そうではありません。私は、人間の尊さ、生き物の尊さを信じます。その生命が無限なるものから分かれてきていることを信じます。人間は、一時の仮の世である、この世だけの存在ではなく、はるかなる世界に永遠のすみかを持つ存在であり、この地上に幾度も生まれ変わってきては、また去っていき、また来たる存在なのです。」

このように考えることができる人にとっては、他の人には苦悩に満ちた地上界が、きっとユートピアのごとく見え、まったく違った世界が展開していくでしょう。

そのときに初めて、人生というものは、虚しいものではなく、積極的なる意味を持ったものになると思うのです。

したがって、真実の人生を生きるためには、その出発点として、「霊的なる人生観」を打ち立てる必要があります。

これなくしては、いくら議論を積み重ねたとしても、すべてが虚しくなるのです。

それは、ちょうど、砂浜で子供が砂の城をつくるようなものです。

子供の目には、その砂の城は堅固な要塞のように見えるかもしれません。

しかし、やがて沖から波が寄せてきて、その上を通り過ぎたとき、砂の城は、はかなくも消え去ってしまうのです。
『愛無限(新装版)』(大川隆法著 幸福の科学出版)P14~17

 

エンタメール】高知あたご劇場(高知市愛宕町) 高知あたご劇場 ☆ 公式ページ ☆

 高知あたご劇場 ★ 公式ページ ★ (neconote.jp)

・映画『美しき誘惑ー現代の画皮―』あたご劇場映画上映期間

〇5/14(金)~6/11(金)

・上映時間

〇5/14(金)~ 5/28(金) 4回上映

①11時 ②13時20分 ③15時40分 ④18時30分

〇5/29(土)~ 6/11(金) 2回上映 

①14時 ②18時30分 


「メダカはメダカ、フナはフナ」白いオタマジャクシと、『偶然』という名の神(追記更新)

2021-03-17 23:19:22 | 命の不思議

ウーパールーパー(メキシコサラマンダーの幼形成熟体)

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

高知平野は全国でも田植えが早く、ここ数日で、田んぼに水が張られ始めました。

さっそく、春の訪れを告げるが如く、カエルが鳴き始めました。

今晩、食事をしながらテレビのチャンネルをいじっていて、たまたまNHKの手話ニュースを見ていると、「白いオタマジャクシが発見され、地元の小学校に寄進され子供たちによって育てられて、黄緑色のカエルに成長しました。」という放送がありました。

白いオタマジャクシを見つけた、地元の農家のオジサンや小学生も紹介されてて、私は、「微笑ましいなぁ。」となんとなく見ていたのですが、その後の白いオタマジャクシのことを番組で「突然変異」と紹介されていて、私はズッコケてしまいました。

そして私は、「おいおい、 ええ加減なこと言うんじゃぁないよ。」と、半ば呆れてしまいました。

と申しますのも、白い生物というのは、古来から日本でも「神の使い」と大切に扱われてきてて、それほど珍しい存在ではありませんからね。

 「白い蛇」の画像検索結果   

珍しく思われているのは、個体数がとても少ないからで、なぜ少ないかと言うと、目立つので、サギなどの天敵に見つかりやすく、人目に付く前段階で、自然界では食べられしまうからです。

ちなみに白サギや鶴、白鳥などは白い生き物ですが、これなどであっても、ヒナの段階、つまり他の生き物のエサになるような小さな段階では、茶色など、目立ちにくい色をしています。

そして、白いオタマジャクシというのは、遺伝子の突然変異ではなく、色素細胞が働かない「アルピノ」です。

アルピノは、色素をつくる遺伝子のない、いわゆる劣性”遺伝”と呼ばれるタイプで、突然変異とは真逆の性質です。

突然変異を前提に導かれている生物の学説が、いわゆる『ダーウィンの進化論』ですけれども、アルピノというのは、むしろ、優性遺伝や劣性遺伝を明らかにした、『メンデルの法則』の方が正しい説明となります。

『論』というのは、近代の学問においては、「仮説」と同じ扱いです。つまり、確定した証拠なり、理論なりが成立していない領域ですね。

一方、『法則』となると、証拠があったり、理論として確定している学問領域となります。

ですから、『ダーウィンの進化論』と『メンデルの法則』ですと、メンデルの法則の方が、学問で言えば、圧倒的に格が上となります。

この二つの学説は、同じ生物の歴史的経緯を説明するものとしては、はっきり言って対立する学説でして、世界で『ダーウィンの進化論』と『メンデルの法則』の両者を、同じ教科書に掲載しているのは、世界で日本だけだとも。

日本人の思考は、柔軟性に富んでいますが、両者は、学問的には、対立する学説ではあります。

   始祖鳥(復元想像図)

日本人の誰しも知らぬものなしの『ダーウィンの進化論』が、なにゆえに仮説領域を出ないかというと、やはりそれは、決定的な証拠はないから。

たとえば、進化論が正しいのであれば、”中間種”というものが存在しないといけません。

たとえば、人になりかけの猿とか、カエルになりかけの魚とか。

そういうのは、世界中どこを探しても出て来ないし、化石からも発見されておらず、”完成型”しか出てまいりません。

たとえば、”始祖鳥”というのが取の先祖と言われますけれども、これなどは、羽の構造は現代の鳥と同じですから、”クチバシに歯の生えた鳥”というのが正しい見方であって、始祖鳥は鳥の先祖ではなく、完全な鳥!なんですね。

このように、生物の化石というのは、完全な固有種しか出て来ないので、学校の教室で見たような、生き物の進化のつながりというのは、実は証明されているものではないのです。

 

他にもたとえば、生物の進化というものを、『環境への対応』に求めますけれども、それならば、川の魚というものは、川によって、全て固有の生き物に変化していないといけません。

なぜならば、川は他の川と連動していないですし、川の生き物は、他の川に行き来することができないからです。

つまり進化論が正しいのであれば、四万十川のフナと吉野川のフナは、別の生き物に変化していないといけないのですが、全国共通で、どこの川でもフナはフナだし、メダカはメダカです。

これは、環境への対応への偶然の変化を前提とした、ダーウィンの進化論的に言えば、あってはならないことなんです。

こういう『脱進化論』的な事例は無数にあって、これまたいつか、まとめて発表できればとは考えていますが、それはさて置くとして、要するに、私たちが日々目にしている風景や出来事は、偶然に出来上がったり起こったりしているものではないということなんです。

「そんなの偶然さ」という方も多いし、「科学的だ」と言われている学問の世界でも、たびたび「偶然に云々」というフレーズが使われますけれども、私にはそういう、一見科学的な風潮が、「偶然という神様」を信仰しているとしか思えないのですね。

私は神さまの存在を強く信じている者ですけれども、「偶然」というものは信じられないんです。神さまを信じるということは、様々なできごとを「何か意味がある」と、とらえるとも言えます。

何が言いたいかと言いますと・・・、あれ、何が言いたかったんだっけ?(爆笑)

あはは、また結論を忘れてしまいましたが、私の独り言なんぞは、世の中にそれほど必要ではありませんので、本日は、経典『新・心の探求』の抜粋をお届けいたします。

        (ばく)

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物事の本質を観よ ―大川隆法総裁 心の指針130―  

 

結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。

この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。

人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。

ところが、現在の進化論の主流というのは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。

これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。

人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。それは、目的性を持っているのです。

人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、これをもってしても説明とはなっていないのです。

なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。この情報とは、そもそも何なのか。

この分析ができていないのです。偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。

これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、その設計図を窓からひらりと落としたならば、隣にもまた同じようなどルが建ったということと同じようなことになります。

遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。

ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。

ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。そういうことだと思います。
『新・心の探究』(幸福の科学出版)P31~33

 映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』特報【2021年5月14日(金)ROADSHOW】

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/

#14.癒し動画 scene1~眠くなるようなゆったりした水槽の世界へ~ (Aquarium Relaxation Video)

 

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『命の不思議』 生命の源である『土』は、生き物がつくるんです。

2021-02-24 23:56:30 | 命の不思議

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて、3年前に全国上映された映画『宇宙の法・黎明編』の舞台の中心は、3億3千万年前の地球でした。

3億3千万年前というと、古生代ですが、古生代とかその前のカンブリア紀とか、化石だけが頼りの古生物学では、まだまだ未発見の領域が大きいです。

何せ、そのころの地表のほとんどは、地中深く、マントル対流の中にあるはずだからです。

学問は、まだまだ未熟な段階です。

今日本では、「科学的」と称して、無神論的唯物論的な学問が主流ですけれども、学問というのは、本来神学から始まっております。

そして自然科学も、また医学も、「神の創り給うたものを知ろう」というのが発端ですので、「神の領域がある」という基本姿勢こそ、本来の学問の在り方なのです。

「宇宙の法・黎明編」の画像検索結果 https://laws-of-universe.hspicturesstudio.jp/

さて、古生物学では、5億年前のカンブリア紀からが生物の出現とされています。

その前の時代、先カンブリア紀には、生き物化石が全く出現しないからで、となると、先カンブリア紀以前の地球は、完全な無菌の星だったことになりますね。

そう思うと、とても不思議な気持ちがして、私の偏屈カルマがうずき出します。(爆笑)

「カンブリア紀」の画像検索結果


このブログは高知の幸福の科学の信者による布教ブログですが、自然界の諸々の謎を、まるでボヤキ漫才のようにつぶやき(笑)、そして、話題のオチは、「全ては神が創られた。」という『創造論』に、無理やり導く企画がございます。

看護師でもある私の、偏見中の偏見を特集した、カテゴリー【命の不思議】でございます。(大爆笑)

そういうことで、今日のお題は、『土』です。
「土って、あなた、そこらへんにある、あの何のヘンテツもない、あの土?」って、皆様おっしゃると思います。

そうです。

あの、特に高知では日常中の日常でもある、あの何のヘンテツもない、あの『土』でございます。

実は土って、滅多やたらと出来上がるものではないんですよ。

普通に岩が水や風に晒されて細かく砕かれれば、その結果できあがるのは、『砂』なんですね。 

 

そう、通常の風化であれば、土にはならず、最終的には砂になるのです。 
実は土というのは、植物をはじめ、様々な生き物たちの営みによって、長い行程を経て、初めて出来上がるものなんです。

そうなんです。

『土』は、生き物がつくるのです。 

とても重要なことなので、もう一度言います。 

土をつくるのは、生き物なんですよ!

まず、植物やその葉っぱが枯れて、地上に落ちますね。

そう、土の根源的な材料は、植物なんです。

植物だって、立派な生き物です。

それをキノコなどの菌類や、微生物たちが食べて、植物の繊維を細かくしたり、破壊したります。

これがいわゆる「枯れ葉」の状態です。

その細かくなった枯れ葉を、ダンゴ虫たちが食べて糞をします。


また、それをミミズなどが食べて糞をして、土の原型が出来上がります。

そうやって、かなりの生き物たちが生涯をかけて、そして、命の循環を繰り返して作り上げたものが、今、地上にありふれている土なのです。

現代の日本で、土と言えばありふれた、ごく当たり前のものですけど、全世界で見れば、そして地球の歴史的に見れば、土そのものが、貴重なレアアース(希土類)そのものなんですね。

「土」の画像検索結果

さて、この土が出来上がる行程を振り返ってみた時、何か不思議な感覚に陥りませんか?

そうです。

「この土というものは、一体どうやって、始めにこの地上に現われたのだろうか・・・?」という疑問です。

生き物の存在を、かなり基本的な部分で支えている土は、生き物自身が作るのですね。

生き物がいなければ、土にはならず、岩は風化すれば、砂になってしまいます。

では、この地上に最初に出現した土は、どうやってできたのでしょうか?

生き物が先か。はたまた土が初めに出来たのか。
私には、全くわかりません。(爆笑)

その長く複雑な土の生成過程を、進化論的な生物の学問は、全く説明できないはずです。

そこで、このシリーズ定番の決めセリフの登場です。

生き物がこの地球に現われた時、全ては、もう最初から揃っていた。
土も、生物も、一通り必要なものは、もう最初から出来上がっていた・・・。


という結論が、事実をつぶさに検証する限り、最も整合性のある説明になってしまうのですね。

そう、事実を積み重ねて考えていく限り、私たちが住んでいるこの世界は、神様の水槽だとしか表現できないのです。

本日は経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、地球生命創造に関する歴史的背景について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が書き下ろした一節をご紹介いたします。

それでは、またのお越しを。

   (ばく)

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太陽の法・天地創造。

「人はなぜ生きるのか?」疑問を感じているあなたへ

 

太陽の法 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=153&utm_source=IRHweb&utm_medium=POPLINK&utm_campaign=id153

三次元宇宙空間に星としての太陽が出現したのは、いまから約百億年前です。(中略)
この太陽系に最初の生命が誕生したのは、美しきヴィーナスの星、金星ができてからです。金星ができたのは六十億年前ですが、それからさらに五億年ほどたったころ、ですから、五十五億年ぐらい前になりますが、そのころにこの太陽系に九次元世界がつくられることになりました。

そして、十次元惑星意識よりさらに行動的で、今後、星に誕生すべき生命体を統治しやすい、最高度に発達した人格をもった大霊が創造されたのです。この金星の十次元意識が個性化した最初の九次元大霊のことを、エル・ミオーレといいます。金星の統治者です。

エル・ミオーレが三次元の金星の地表につくった最初の実験用生命体は、植物と動物をかねたものでした。(中略)次に、エル・ミオーレは、植物と動物とを分け、約二十億年それぞれを進化させました。(中略)

金星での生命実験及び文明の発達と並行して、四十五億年前に地球が誕生したとき、地球の十次元意識も、地上生命の誕生について考えていました。彼らは、先進地である金星での実験を参考にしながら、金星よりも生物の生存条件のよい地球では、よりダイナミックに進化ということに重点をおいた地球系生命霊団の構築を検討しました。

そこで、エル・ミオーレの意見をもとに、地球十次元の大日意識、月意識、地球意識の三大霊は、地球上での生命活動に、二本の柱を基本としてもうけることにしました。第一の柱とは、地上にあらわれた生命の発現レベルにかなりの上下の差、高低の差をもたせるということです。第二の柱とは、地上での生命活動は短期間とし、多次元世界との転生輪廻を法則とすることです。(中略)

 そして、いまから六億年ほど前になると、地球惑星大霊たちは、地球に、いよいよ高級生命を創造する時期がきたことを悟ります。そこで、地球にも九次元霊界をつくり、先進地金星からエル・ミオーレを招きました。この地球最初の人格大霊エル・ミオーレがまず担当したのは、かつて金星でつくった初期の霊的生命体を移動させて、地上に哺乳動物を中心とする高等生物の創造をすることでした。(中略)

このようにして、しだいに、地上に高級動物が栄え、転生輪廻も軌道にのりはじめていきます。そこで、エル・ミオーレは、十次元意識たちと話しあって、「いよいよ、地上に人類をつくるべきときが近づいている」と主張したのです。そして、いまから約四億年前、地上に人類を誕生させることとなりました。

かつて、金星の支配者であり、地球霊団の最初の九次元存在であったエル・ミオーレは、このころ、名前をエル・カンターレとかえました。「うるわしき光の国、地球」という意味です。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P49~55

 

大川隆法総裁 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/


進化論が正しいなら、なぜアメーバーは、いまだに存在するんでしょうか?(追記更新)

2021-02-17 23:31:52 | 命の不思議

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さて私、タレントの所ジョージさんが大好きでして、所さんがMCを勤める番組はほとんど見ています。

以前に、NHKの「所さん!大変ですよ」という番組を見ていたのですが、今世間では「ミジンコ」がブームなのだとか。

その背景には、「めだかブーム」というのがありまして、めだかの良質のエサとして、「ミジンコ」が売れまくっているらしいです。

番組では、最近瀬戸内海の水質改善進み、リンなどの栄養素が海中から減って、漁獲量が減っているとかの放送もあり、こういう生物の多様性を見ると、「進化論というのは、やはり怪しい」と思ってしまう代表管理人でございます。 

と申しますのも・・・

  

おおっと、その前に。(笑)

進化論って、一応生物学という自然科学の分野なんでしょうけど、これにどっぷりつかると、神様を信じられなくなるところがありますよね。 

私は幸福の科学の会員ですけど、これはどの宗教にとっても、困っていることなんじゃないかなぁと思っています。 

現実、聖書圏においては、進化論は自然科学と認知されてはおりません。
大学とかの学説だけが一人歩きしていて、世界の日常の現場では、あまり相手にされておりません。
進化論は、隙だらけの学説だからです。 

大学で生物を教える先生方が、何でそんな陳腐な学説を、信じることができるのか、私には理解できません。

学者さんは専門領域がありますので、視野が狭いのではないかと、最近は思っています。 

要するに、現代の生物学は、仮説の上に仮説を積み上げているんですね。

ですから、どこかが崩れれば、一気に崩壊してしまうと思います。

今日は進化論のその隙の中で、最大級のモノをご紹介します。


よく生物は、「アメーバーのような単純な生物から、人間のような高度な生物に進化した」って言われますよね。

そして、「進化できなかったものは、環境に適応できず、また生存競争に敗れて自然淘汰される」とも言われます。

それが進化論的生物の歴史です。

ではぁ、素朴な疑問なんですがぁ、

じゃあ何故今だに、アメーバーは、存在してるんでしょうかぁ?

もしアメーバーのまま、数億年間存在し続けることができるのなら、初めっから進化なんか、しなきゃいいじゃないですかぁ。(笑)

意味ないじゃないですかぁ。

ねぇ、そう思いませんか?

意味のないことが、現実の自然の中で起きているのなら、そこには大自然の、大いなる意思を見出すべきだと私は思いますねぇ。

それを『創造主』とか『造物主』とか『神』と呼ぶんですよ。

とにかくも、進化できないものが、自然淘汰される運命にあるとすれば、最も原始的で、進化していないと言われる彼らは、とっくの昔に自然界から、いなくなっていないといけませんよね。

「いや~、彼らは彼らで進化してるんですよ~」なんて、もっともらしい、テキトーな説明を生物学者はなさるんでしょうが、そんな証拠はどこにもありません。

チャートなど、古代の微生物の堆積物が石化したものがありますが、微生物が進化している様子はなく、今とほとんど同じものが出てきます。

「アメーバーのような単純な生物から、人間のような高度な生物に進化した」という論説は、考古学的にも、はなっから仮説でしかないのです。

約5億年前のカンブリア紀には、現在存在する脊椎動物以外がすべて出そろい、それ以降、ほとんど姿を変えておりません。

生物の歴史は、常に、一気に完成形が現れるのみで、この現象を「進化論」では説明できないのです。

真理ならば、全てを説明できなければなりません。

真理は、いつ見ても、どこから見ても、誰が見ても正しいですから。

仮説から始まった論説は、経過説明も仮説、結論は全て推測でしかありません。

私から見て、「進化論」の説明は整合性が全く現ありません。
ここのブログ記事の方が、ずっと整合性があります。(笑)

実際に、アメーバーは現存しますから。

はい、そこらじゅうに、ウジャウジャいますから。(爆笑) 


この『神の大いなる意思』を探り、『神が創り賜うた法則』を解き明かすことこそ、科学の真なる使命なんじゃないかと私は思います。

それはアプローチが違うだけで、宗教と変わりはないのではとも。 

ニュートンやアインシュタイン、湯川博士のような超一流の科学者たちは、皆熱心な信仰者でしたけれど、科学界の巨人たちは、そういう視点で、生命や世界や宇宙を見ていたと思うのです。

本日は経典『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)の一部抜粋をお届けいたします。

では、「人間神の子」の思想が、あまねく世界に届きますように。

                 (ばく)

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太陽の法・天地創造。

 

 

悟りの極致とは何か 

何を信ずるか。言うまでもありません。いちばん簡単なことです。

「この世を創られ、私たちを見守っておられる大宇宙の神がいらっしゃる」ということ、「私たち人間は、神が創られた子供である」ということ、この単純な事実から出発いたします。(中略)

しかし、考えてもみてください。

人間が偶然にできあがり、そして偶然にできあがるのみならず、ちょうどゼンマイ仕掛けの人形か何かのように、魂なく動いているだけの存在であるという考えを前提とするならば、そこに、どうして愛が生まれてくるでしょうか。(中略)

愛だけではありません。もっと素晴らしい、人間的な多くの高貴な感情は、すべて魂の属性なのです。

美しきを見て感動する心、誠実さを見てよろこぶ心、素直さを見て尊いと思う心、そして自らの命をも厭わずに、神のために生きてゆく人たちを見たときのその感動は、唯物的なものの見方からは決して出てこないのです。(中略)

そうして、神が宇宙を創られ、人間たちを創られて、今もなお見ておられると信ずることが、私たちの生き方をどれほどまでに素晴らしいものへと変えてゆくでしょうか。

その神の目があるからこそ、大いなるものが見つづけていると考えるからこそ、熱いまなざしを送りつづけているという確かな手応えがあるからこそ、私たちは日々自らを律し、素晴らしき人間となってゆくために、自己改革に励むのではないでしょうか。(中略)

この事実を受け入れたところで、何ひとつ私たちが困ることはないのです。

その事実を受け入れて困る人間は、生きている間に、さんざん自分のやりたい放題のことをし、他の人びとに迷惑をかけている人びとだけであるはずです。

彼らは恐れるに足るでしょう。

死んで何もかもなくなると思えばこそ、そのような生き方ができるのでしょう。もし、死んで後に生命があるとするならば、たいへんなことであります。(中略)

けれども、人間としての存在が是とされ、また他の人びとにも、「こういう人といっしょに生きていてよかった」と言われるような人であるならば、この「信仰」ということを当然のことと受けとめて、何ら恥じることはないはずです。そして、それは素晴らしいことです。

今、自分がどのような姿として現われていたとしても、「本来神の子として創られた存在であるならば、無限の可能性があるのだ」「まだまだ自分は磨いてゆけば光ってゆくのだ」と思えるからこそ、個人としても素晴らしくなり、社会としても素晴らしくなってゆくのです。

これは、どうしても飛び越えねばならない最初の関門です。

神を信ずる者にとっては、すべては輝きに満ちて見えます。世界は宝の山に見えます。

しかし、神を信じない者にとっては、ああ、世界はどのように見えることでしょうか。

その、たったひとつの心境の違いだけで、見える世界までが違ってくるのです。

同じく数十年の人生を生きるのであるならば、損得で考えても、素晴らしい人生を生きるほうをとってゆくことが得であり、人間として当然の義務であると、私は思うのです。
『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)P77~82

映画『美しき誘惑-現代の「画皮」-』公式サイト

映画『美しき誘惑ー現代の画皮ー』公式サイト https://utsukushiki-yuwaku.jp/


【MIRAI】身体の奇跡の発電機と『心の挑戦』(加筆更新)

2020-10-23 00:04:25 | 命の不思議

 2014年発売開始 トヨタ MIRAI(みらい) 世界初 水素による燃料電池自動車

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本日も幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

拙ブログでは、時折ですけど、「命の不思議」というカテゴリーを設けて、脱進化論を展開しております。

可能な限り、身近な事例に着目したうえで、「生き物というのは、偶然できたのではなく、神様が創造したもの」ということをお伝えできればと願っております。

今回は、脱進化論の本丸に迫れるかも知れません。 

私は創造論者です。
今回は、創造論の決定版に、チャレンジに挑戦してみたいと思います。

 

タマネギの細胞。 細長いのが、分裂しようとしている細胞。

『進化論』に対峙する学説で、『創造論』があります。
進化論は、生物の発祥や進化の原因を、『偶然性』に求めます。

それに対して創造論は、それを大いなる意思による創造、つまり 『神によって創られた』とします。

さて、自動車はガソリンを爆発させて動きます。
では皆様、私たちの体は、何を動力源にして動いていると思いますか?

意外と思われるかも知れませんが、答えは電気です。

心電図は、心臓が動くときに流れる電気を、2次元的に図式化したものです。

筋電図や、脳波計もメカニズムは同じです。

 


このように身体は、そのほとんど全ては電気で動いているが故に、その時々の電気信号を変換することで、心電図や筋電図、脳波などの図式化が可能なんですね。

では、その電気はどこで作られているのでしょうか?
答えは細胞です。
 
すべての生物は、細胞一つ一つが、発電機なんですね。

詳しいメカニズムは、また後日改めてということにして、カリウムやナトリウムといったミネラルを利用した、燃料電池のシステムで発電しています。
 
細胞内では、カリウムとナトリウムの相性の悪さを使った、高度な燃料電池システムがあるわけですね。

これは人類が、21世紀になってやっと実用化したメカニズムです。
つい最近トヨタ自動車から、水素と酸素を利用した燃料電池による、電気自動車MIRAIが発売開始となりました。
 
ホンダも、燃料電池車を販売しました。
 
 
2016年3月発売開始 ホンダ クラリティ フューエル セル  
 
身体に話を戻すと、要は、身体は、細胞内と細胞外でのミネラルの濃さの違いによって、燃料電池と同じシステムで発電しているのです。

ですからミネラル不足や、バランスがくずれると、発電がうまく出来なくなるので、体がダルくなったり、場合によっては急性心不全といって、心臓が止まってしまい、死に至るケースもあります。

しかしこれは、高度に進化したと言われる人間に限ったことではなく、アメーバーと言われる単細胞生物まで、基本的なシステムは、全く変わらないのですね。

驚くべきことと思いませんか? 

ラットの神経細胞を、見やすく色付けした画像。 

つまり、アメーバーと言えども結構高等な生き物ですよ。」という事が、私は言いたいのです。

全ての生物は、高度な燃料電池システムで動き、なおかつ、DNAという高度な設計図を有しつつ、そして勝手に増えて行こうとする機能を持ちます。

そしてさらにスゴイことは、それらは、「ものすごく当たり前の姿だ。」ということです。
 
そう思いませんか?
 
これらは、ごく間近で見られる、ごくごく当たり前のことなのです。

「そんな奇跡のような出来事が、はたして偶然に起こり得るのでしょうか???」 という事です。
 
地球から、遥か遠方の宇宙の映像。前の画像と、見比べると、とてもよく似ています。


「たんぱく質が偶然できて、そのたんぱく質が勝手に融合して、この記事のような、とてもとても高度な構造が、ある日突然、、ポコッ!とできあがるのでしょうか?」という事です。

それを偶然の産物だと言える人は、こういった事実を知らないか、ある意味で、信仰深い人なのだろうと私には思えてしまうのです。

私には、こういう生物に組み込まれた高度な仕組みなどが、単に「偶然できた」っていうことが信じられないんですね。

生き物はとても高度ですので、「偶然」で片付けるのではなく、むしろ、「自分には理解しきれないけれども、何か強い力でもって、生物というものは、そして生命は、目的や意思を持って創られている」としか、私には思えないんですね。

また私は、『現実主義者』でもあります。
私は、現実にしか興味がないんです。

その現実主義者の私には、進化論などは全くの迷妄、現代の迷信にしか見えないんです。
 
人間の尊さは、神の生命が宿るからです。
 
神の子仏の子として、親である神仏の心が、理解できるからこそ尊いのです。
 
なぜ現代日本では、人間本来の尊さ、人間の根源的な尊さを、自らの手で捨ててしまうような、風潮となってしまっているのでしょうか?
 
そしてその尊さは、同時に、本質的な人間の聖なる義務でもありつつも、根源的な権利でもあるというのに。
 
本日は、2月3日(土)開催される大川隆法幸福の科学グループ総裁の宮崎講演会のお知らせに続き、経『心の挑戦』(幸福の科学出版)の一節をご紹介いたします。
 
仏教の真髄である「因果の理法」の部分ですが、これを知ると、「宗教と科学は、本来一つのもの」と思えます。
 
それでは、またのお越しを。
 
        (ばく)
 
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縁起というのは、「すべてのものには原因と結果がある。その原因と結果の連鎖によって世界が展開している」という、ものの考え方なわけです。

たとえば、水素の分子と酸素の分子とが、熱を加えられることによって、そこに化学反応を起こし、小さな水滴が出る。その水滴が多量に集まったときに、水ができる。

そして、水が大量に集まると、池ができ、川ができ、海ができる。

そしてまた、そのなかに海の生物が育ち、生きていくことが可能になってくる。

海の生物がそこへ棲むようになってくると、それをまた生命の糧とした生命活動が可能となってくる。

あるものとあるものが結び付き合うという原因行為があって、新たな結果が出てくる。

その結果がまた次の原因となって、また新たな結果が出てくる。

このように、この世界を空間的に見たときに、この世の中というものは、原因と結果の連鎖によって、すべてができあがっているのです。

水素と酸素から水ができるという話をしましたけれども、たとえば人間に関しても同様で、父親と母親があって子供ができます。

その子供がまた他所の家の子供と結婚することによって、新たな子供ができます。

そのように家系が連綿と続いて、人類は、現在に到るまで何十万年、何百万年、何千万年、それ以上の歴史をくり返してきているわけです。

こういう原因行為と結果がなければ、人類自体はいま存在しません。

また、二千五百数十年前の釈迦の思想も、人類がいまだに連綿として続いているからこそ伝わっているのであって、人類が釈迦の時代で死に絶えていたら、伝わっていないわけです。

すべてのものがそのようになっているわけです。

こうしてみると、ここで面白いことに気がつかれるだろうと思うのです。

「世界の成り立ちは、原因・結果の法則、縁起の法則によって成り立っている。また一方、人間というものも、この世でのさまざまな諸条件のなかで、自らが魂修行として何を選び取っていくかにより、より優れたものへと登っていくことができる。そしてそこに仏への道がつながっている」

こういうことになりますと、縁起という思想は、いわゆる「大宇宙の理法」というものとまったく同じことである、ということに気がついてくると思います。

大宇宙の理法と一緒のことなのです。

要するに、宇宙は、そういう理法、ひとつの法則のもとに、運営、運行がなされているのです。

その理法のもとにすべてが展開している。

この地球も他の星も、そして、星が集まってできた太陽系や星雲も、ひとつの法則のもとにある。

そういう空間的な縁起の法則のもとに、すベてが成り立っているということです。(中略)

空間も時間も、すべて原因・結果というこの連鎖によって起きている。

そして、原因・結果の連鎖が単独で起きるのではなくて、お互いに複合的にいろいろなかたちで絡み合って、この世界に時間と空間を在らしめている。

これが「世界は縁起によって創られている」ということの意味であるわけです。(中略)

そうしてみると、縁起というのは「宇宙の理法」という意味なのです。
『心の挑戦』(幸福の科学出版)P26~31

映画『夜明けを信じて。』予告編 - YouTube

映画 「夜明けを信じて」公式サイト https://yoake-shinjite.jp/

 

あたご劇場ホームページ  http://neconote.jp/atago/  

あたご劇場「夜明けを信じて」上映時間は以下の通りです。

【10/16(金)~10/29(木)】4回上映
①11:00 ②13:25 ③15:50 ④18:30

【10/30(金)~11/13(金)】3回上映
①11:00 ②13:25 ③18:30


*火曜日休館。

*契約駐車場:パーキング24追手筋店(平日無料、日曜2時間無料)

大川隆法総裁 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

 


生命の創られた痕跡と、『奇跡のガン克服法』(追記更新)

2020-09-29 23:47:34 | 命の不思議

 

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

私は看護師ですので、一応、科学者のハシクレです。
(ハシクレの科学者かも知れませんが・・・笑)

科学者の使命は、真理の探究と普及です。
もし進化論が真理なら、あらゆる事象についての説明が可能なはずです。

「川に暮らすフナは、なぜ全国共通でフナなのか?」とか、「なぜ世界のどこにも、人間になりかけの猿はいないのか?」とか、他にも多々ありますが、それがカテゴリー「命の不思議」のテーマです。

そう「命の不思議」は、進化論撲滅日記でもあります。


1%の真理、50%の真理など存在しません。真理は100%真実でなければ真理ではありません。

私は、事実、現実に基づいて、真実を明らかにする手法を使っているつもりです。

私は、自他共に認めるへそ曲がりですが、事実を先入観なく見、真実を考察し、今後の予測を立てているだけのつもりです。
 
ただそれが、世間で言われている常識と違っていることは、アハハ、とってもよくあることです。(笑)
 

私は長年、生まれて来て幾数十年、そういう生き方しかしてきませんでしたから、自分の考えが、常識とずれていたとしても、もう気にならなくなりました。(笑)
 
しかしそんな私も、さすがにネタが尽きて参りました。(笑)
 
ですが最近、読者の方々からコメントやメッセージの形で、数多くの貴重なご意見をいただけ、感謝の想いで一杯です。

今日はその中から、Sさんのメッセージを参考にエントリー致します。
 


生物学者は、宇宙人の存在を信じない人が多いそうです。

彼らが言うには、
 
「いくら銀河に星が沢山あるからと言って、生物に適した環境(水、空気、音頭)の整った星はそんなに多くなく、その中でこんなに高度な生物が発生する確率は極めて低い。」のだと・・・。

しかも、
 
「銀河系全体でも、数えるほどしか存在しない高等生物が、何万光年離れた星まで飛来できるほど、文明が進化している保証も無い。」

「だから宇宙人がいたとしても、出会える可能性はほとんど無い。」という言い分らしいです。

偶然に発生する確率は、「極めて低い」じゃなくて、ゼロなんですけどね。(笑)

また、自分がこの宇宙の中で、一番賢いが如き発言ですね。

しかもこの言葉は、「自分がわからないものは、世の中に存在するはずがない、否、してほしくない。」と、私には聞こえますね。
 
そして、「井の中の蛙が、その正体がバレないように、一生懸命嘘を塗り固めている。」彼らのことは、私には、エセ科学者に見えますね。
 
 

そして、Sさんは、こんな楽しい小噺もコメントして下さいました。
ご紹介します。

ある唯物論者(唯)が、信心深い知人(信)の家を訪ねた時の話です。

知人の家には、実に精巧にできた模型が飾ってありました。

唯: 「素晴らしい!どうやってこれをつくり上げたんだい?」

信仰者は言いいました。


信:「知らない。偶然できたんだ。」

唯: 「冗談だろ。一体どうやってつくったのか教えてくれよ。」

信: 「本当さ。偶然できたんだよ。」

唯: 「そんな事が信じられる訳ないだろっ!」
   「こんなに精巧なものが偶然できたなんて、馬鹿げたことを言うなっ!」

信: 「信じられないだって…?」
   「でも君たちは、この模型よりはるかに精巧で、複雑な人間を、偶然の産物だと信じているじゃないか・・・。」
 
新進気鋭!!田中達也さん “ミニチュアライフ展” 浦添市美術館にて開催!! | 琉球焼肉 NAKAMA

Sさん、貴重な情報と、素敵な見解をありがとうございました。
心より感謝申し上げます。 m(_)m
 
人間は、「神が御自身に似せて創った存在」なのです。
だからこそ、尊いのです。
 
「人間は、そしてすべての生命には、神仏の息吹きが宿るからこそ、尊い。」
これが、すべての善き宗教が言っていることなのです。
 
本日は、経典『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。
 
            (ばく)

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聖地エルカンターレ生誕館 http://shoja.jp/seitankan/

※ 重要 10/4(日)「聖地エル・カンターレ生誕館 立宗記念御法話」開催決定!

ご演題「降魔の本道」

【日 時】 2020104(日)11開演

【本会場】 聖地エル・カンターレ生誕館

【衛星中継会場】 高知支部 他 全国衛星

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【祝】10/4(日)大川隆法総裁 生誕館ご法話決定!

蚊取り線香に蚊が近寄りたがらないように、反省をしている人に悪霊は近寄りたがらない。

心の指針「病よ治れ」天使のモーニングコール 1275回(2016年3月5日)

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医学者や生物学者などは心を頭脳の働きと考えやすいのですが、実際には、心は頭脳の働きとは違います。

頭脳はコンピュータ的な役割を果たしていると思われます。
ただ、コンピュータは人間に近づいてきつつありますが、コンピュータと人間は、あくまでも一定以上は近づくことができない関係になっています。

なぜかというと、コンピュータには「つくり主」がいるからです。

コンピュータをつくっているのは人間です。「コンピュータを、どのように機能させるか」というプログラムをつくった人が必ずいるのです。(中略)

では、人間にとって、コンピュータの「つくり主」に当たるものは何でしょうか。それが、宗教において、神や仏、大宇宙の叡智と言われるものです。

いろいろな言われ方をしていますが、「この世を超えた、はるかなる世界にある、偉大なる力」が人間を創ったのです。

つまり、「人間がコンピュータをつくったように、人間に対して、大きな力が働いており、目的を持った人生を生きられるように仕向けている」と考えてよいのです。

さらに、コンピュータと心の違いは何でしょうか。

人間の心は創造性を持っています。それは、創り出す能力です。新しいものを創り出す能力、新しいものを考え出す能力です。(中略)

また、人間の心は、「創り出す」という力だけではなく、もう一つ別の想像性、すなわち、イマジネーションの能力も、もちろん持っています。

コンピュータと心とでは、これが根本的に違うわけです。(中略)

人間の心は、インプットされたものに反応しているだけではありません。インプットされたものをもとにして、新しいものを創り出していく力を持っているのです。

この意味において、「人間は神の子である」「人間は神に似せて創られた」と言われています。

人間は、何かを新しく創り出す力、考え出す力を持っています。

そういう偉大な存在だからこそ、人間は、「神の子」とも言われ、また、「神そのものの一部が自分のなかに宿っている」とも言われるのです。

心について、もっと正確に表現すると、みなさんの肉体に宿っているのは、肉体と同じぐらいの大きさの霊体であり、その中枢部分、他をコントロールしている部分のことを、心と称しています。これは、主として意志や感情を司っている部分です。

そして、その心の部分が、実は、天上界にいる神や仏、高級霊などから、霊流という一種の光のエネルギーを引いています。

それが、彼らとつながっているものの正体なのです。(中略)

実を言うと、人間は、霊天上界の高級霊界から下りているエネルギーの末端の塊です。これが人間の本質なのです。

その意味において、「人間は、非常に尊い存在である」と言ってよいでしょう。

人間は、神仏と同じような要素を、その一部に持っているのです。
『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)P26~30

映画「夜明けを信じて。」がマドリード国際映画祭にて「最優秀作品賞」を受賞! | Are You  Happy?/月刊女性誌「アー・ユー・ハッピー?」公式サイト


睡眠から見える、神の創造の秘密と『宗教の挑戦』

2020-06-25 23:40:31 | 命の不思議

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

私はある意味で、とても疑い深い人間でして、ダーウィンの進化論を信じておりません。

私は看護師ですが、人間をはじめ生物の仕組みを見る限り、生物は創られた存在であると確信しております。

このようなすばらしき機能を持ったものが、疑い深き私には、勝手にできるとは到底思えないのです。 

さて、年甲斐もなく恥ずかしいのですが、「もっと寝ていたいなぁ。」と、いくつになっても思ってしまいます。

ということで本日は、睡眠のメカニズムに着目して見たいと思います。

私は、進化論を唱えた生物学者ダーウィンさんは、「もしかして、睡眠を取らなかった?」と思ってしまいます。(爆笑)

人間の睡眠のメカニズムをつぶさに追って行くと、「元来人間は、最低限の文明で生きることを前提としている。」としか、考えられないのです。

そもそも、人間は完全な昼行性です。

夜行性人間なる言葉もありますが、人間が夜に行動できるのは、何らかの光があるからです。

人間は、夜目は利きません。

つまり真っ暗闇では、人間は視力を失ってしまいます。

そう、人間ほど、闇夜に対応できていない生物はおりません。

鳥だって、夜目は利くのです。

鳥目という言葉がありますが、鳥目なのはニワトリだけです。

ニワトリ以外の鳥は、夜目が利くのですね。

渡り鳥などは、わずかな星明りや月明かりで、目的地まで飛んで行きます。

驚くべきことに、渡り鳥の多くは、寝ずに飛ぶことができます。

脳の左右半分づつ、交互に寝ることで、昼夜を問わず飛び続けることができるのです。

これらから、渡り鳥などは、夜にも行動ができるようになっているということがわかります。

生物の中で、夜になると行動ができないのは、人間だけなんですね。

人間の睡眠の最低必要時間は、一日4時間と言われていて、理想的睡眠時間は7時間です。

7時間以上でもそれ以下でも、寿命が縮まると言われています。

睡眠時間が最低4時間なのは、起きていたときの毒素を解毒するのにかかる時間が4時間だからです。

睡眠時間が4時間以下だと、毒素が蓄積されるわけですね。

そして7時間で、ほぼ完全に、毒素の解毒ができると言われています。

ウトウトした時のビクッ!睡眠中の痙攣現象「ジャーキング」 | 眠りの ...

7時間以上寝てしまうと、体内に毒素がない状態の時間が長くなるわけで、一見すると良いことのように思えるのですが、体が毒素のない状態に慣れてしまって、今度は免疫力が落ちてしまうらしいのです。

免疫力が落ちますと、インフルエンザなどの感染症にかかりやすくなるだけでなく、実は日々発生しているガン細胞を駆逐する機能も落ちますので、ガンにもなりやすくなるわけです。

ということは、「人間は生命体として、7時間の睡眠時間」というものが設定されているということです。

睡眠時間が7時間も必要な生物は、人間しかおりません。

他の生物の睡眠時間は、野生だと、ほ乳類でも、数分というのが大部分です。

また、夜の0時を超えて寝ると、身体の修復機能を持つ、成長ホルモンが分泌されません。

これから言えることは、「生物としての人間は、本来、夜の夜中に行動することをは、前提とされていない。」ということです。

つまり人間の身体を見る限り、「早く寝ろ!」と、創造主(神さま)からプログラミングされているということです。(爆笑)

またこの事実から導き出されることは、人間には体内時計があるということです。

人間の体内時計には、2つあります。

ひとつは、睡眠中は、セロトニンという物質が脳内のサビ抜きをしておりますが、これは日中に、太陽の光を浴びないと分泌されません。

これなども人間が、完全な昼行性の生き物だということですね。

もうひとつは、決まった時間に寝たり起きたりしないと、時差ぼけをおこしてしまうのが人間です。

これは、「就寝時間と起床時間」が基軸となっていて、「いつも就寝する時間と起床する時間、前後3時間以内なら修正対応可能」なのだとか。

たとえば、夜0時に寝て朝7時に起きる人は、その前後3時間以内に、寝たり起きたりしないと、時差ぼけを起こすのです。

たとえば、朝7時に起きる人が、寝坊したとして、午前10時を超えて寝てしまったら、体が重くなるのですね。

飛行機で海外に行ったり帰ってきたりすると、時差ぼけが起きますけれども、これは体内時計の狂いから起こるのです。

しかしこれは、日本にいたとしても、寝る時間や起床時間を、たった3時間以上ずらせば、同じことが起きるのですね。

これなども人間が、睡眠というものを機軸とした、厳密な体内時計を持っている証で、生物界で唯一の完全な昼行性の証でもあります。

総括すると、生物としての人間にとって、夜は寝るためだけに存在しているわけです。

7時間の睡眠時間が必要で、しかも夜は寝るためだけに使われる、唯一の生物である人間。

こういう生物が、もしも完全な野生の中に置かれたら、一発で肉食獣の餌食になり、絶滅するしかありません。

ダーウィンの進化論的な、まったりとした歴史を人類が歩んでいたなら、人類はとっくに他の生物の餌食です。

ですから、人間の睡眠から見える真理は、「人間は当初から、共同体として集団で仲間たちを守るという、最低限の文明の中で生きることを、前提として創られている。」という結論に達してしまうのです。

人間は、健康や美貌には、良質な睡眠が欠かせません。

そしてそれはとりもなおさず、「人間が一定の理念をもとに、何ものかによって恣意的に創られた存在である」という、厳密な証でもあるのです。

その「人間を創り賜うた何ものか」こそが、『神』なのです。

ということで本日は、経典『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

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Can you handle the Truth?

【睡眠用・瞑想用BGM】水澤有一 RIVER OF MERCY (許しの川)

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=184

これは結局において、造物主、創造主というものと、地球系霊団の人格神とを分けて考える以外に道はないし、そう考えることが、世界の宗教が一つになるための早道だと思います。

人格を持って地上に出てくる、あるいは霊天上界において人格を持って地上の人を指導する神というのは、この大宇宙を創った神と考えるには、スケールにおいて若干小さく見えることは否めません。

大宇宙の神自体が、人間になったり、人間を直接指導したりするというのは、やはり考えにくいことでしょう。

根源神、あるいは根本神、根本仏と言ってもよいけれども、人格を持たない巨大な創造エネルギー、根源的なる力があるということは、やはり認めるべきです。

これをいわゆる神という言葉で呼ぶかどうかは別として、根源神、根本仏、宇宙の根源、光の根源自体はある。

これを認めることが、東洋と西洋の宗教をまとめるためには、どうしても必要な考え方だと思います。

それを認めたうえで、この地球系ということに限った霊団のなかに、人格を持った偉大な神霊がいることを知るべきです。

この偉大な神霊も、九次元というところには、私が説いているとおり、十体の神霊がおります(中略)。

そして、この下になりますと、如来界というところでは、様々な宗教で神あるいは大天使と言われるような方が何百人もいらっしゃるわけです。

さらにその下の菩薩界へ行けば、万の単位の方が活躍しておられます。

そうしますと、「本来、一神教か多神教か」と言われるわけですが、それは論の立て方にもともと問題があるのです。

「一神」と言われる場合と、「多神」と言われる場合の 「神」の概念が同じではないからです。

「天使」を「神」と呼びかえると、多数の天使が実際にはいるわけですから、多神となります。

また、もし「造物主」という意味であれば、本来は一体しか存在しませんので、世界の宗教は一神にまとまるでしょう。

しかし「人格を持った神」ということになるならば、同じ一神の場合でも、これは選択の問題が発生することになります。

その民族、あるいはその地域、その宗教を特別に守護している九次元神霊を唯一と捉えるならば、これがその一神になります。

しかし、残念ながら、それでは世界を包括できていないのが、人類の歴史を見るかぎり明らかです。

砂漠の神様は、唯一の神と称されても、残念ながら全世界を統合することはできないでおります。

それはなぜかというと、結局、世界には二つの思想が流れているからです。

調和の面が強い思想と、進歩の面が強い思想が出ていて、この二つの思想は、それぞれ矛盾しながら両立しているのが現実なのです。

『宗教の挑戦』(大川隆法著 幸福の科学出版)P216~219

2020年御生誕祭 大川隆法総裁御法話

演題 『信仰からの創造』

開催日  7月12日(日)

本会場  総本山正心館

衛星中継 全国の支部・精舎・布教所

大川隆法総裁 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,150回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,650書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年8月公開予定)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。


神の子の証明 (無限の愛と、感動する心)

2020-04-16 00:15:46 | 命の不思議

心霊喫茶「エクストラ」の秘密 The Real Exorcist : 作品情報 - 映画.com

5月15日より全国上映予定映画「心霊喫茶『エクストラ』の秘密ーThe Real Exorcist-主役 千眼美子

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

今回は、以前私が徳島県の聖地四国正心館で、公案研修を受けてきたときの話をさせていただきたく存じます

その際に、初めて精舎研修をお受けになる方と、一緒に行ったんですね。

その方は、80代の男性で、ピアノの調律のお仕事を現役でなさっている、Yさんという方です。

この方の幸福の科学への入信のきっかけに、私は大変感動いたしました。

Yさんは常々、「人間はなぜ感動するんだろう。」ということを、お若い頃から考えていらっしゃったそうです。

そして30年ほど前に、ピカソ霊示集をお読みになり、この経典から溢れるバイブレーションに、心が共鳴したことを、はっきりと自覚なさったそうです。




そしてYさん曰く、

「感動とは、自らの心が持つバイブレーションと、受けるバイブレーションが共鳴し、増幅されることで起こっている。」

「人は神の子だから、本来の神、親なる神のバイブレーションに、心が共鳴するようにできている。」

「これが、感動なんだ。」

と、教えてくださいました。

Yさんの人生を賭けた、貴重な学びを賜り、私は感動いたしました。

       聖地四国正心館礼拝堂 徳島県鳴門市

 そして、あることに気付きました。それは、「もし人間が、進化論者の言うが如き、勝手に出来上がったものだとすれば、人が感動するということを、説明できない。」ということです。

脳科学者は言うでしょう。
「感動している時に、人の脳のこの部分が活性化し、ドーパミンが出ることによって感動するのだ。」と。

ああ、そうでしょうとも。(笑)
CTとか、そういう計測機械を使えば、血流とかがわかりますし、脳波形でも、そういう活性化の有無はわかるでしょう。

それは身体的には、そういう現象が起こっているでしょう。

しかしこれは、そういう問題ではないんですね。 

そうなんです、”意味”の問題なんですね。

「なぜ人は、感動するのか?」という問いは、即ち、「なぜ、感動する必要があるのか?」という問いかけでもあるのです。 

この問いかけに、生物学者も、脳科学者も、誰も答えることができないのです。

大川咲也加「The Real Exorcist」(English ver.) MV ショートver ...

 

全ての生物が、アメーバーから生まれ、生き残るためだけが目的であるならば、なぜ人は、「感動する」という心の作用を得るに至ったのか。

なぜ感動できる生物である人間が、万物の霊長として、生物界に君臨できるまでになったのか。

「この説明が、唯物論科学でできるのか?」です。

むしろ、生き残るためであったなら、感動しない方が生き易いはずです。
大自然の掟は弱肉強食、つまり、生き残りとは無慈悲なものだからです。

しかし、「美」というものは、人は教わらずとも知っているように思います。
「理想」というものも、人は教わらずとも理解できるように思います。

「美しさ」とか、「理想」というものを、人が本質的に知っていることは、これは進化論的生物観では、説明できないのです。

脳科学者はそれでも、「脳のこの部分が活性化され云々・・・。」と答えるでしょうが(笑)、それは彼らが、問題の本質を理解できない脳構造であるからだと、私は思いますね。(爆笑)

人はなぜ感動するのか?

これは、人間がダーウィンが言うが如き、勝手に出来上がった存在ではないという明らかな証拠であり、神の子人間、つまり、「人は神が創り賜うた、尊き創造物」ということの、本質を突いた問いかけだと、私は考えるのです。

そう、人間は、神様が創ったものです。

なぜならば、「感動する心があるから」です。

これが、真理です。

 

Yさんの御精進に、心より感動いたしました。
同行させていただき、本当に喜びでいっぱいです。

主なる神、エル・カンターレのお計らいに、心より感謝いたします。

これからも、長生きしていただいて、末永くお導きいただけたらと存じます。

本日は経典『無限の愛とは何か』(大川龍豪著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

私はこの経典から、「根源的な信仰とは、こういうことを言うのではないか?」と思い、とても感動した言葉でもあります。

                (ばく)

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大川咲也加「The Real Exorcist」(English ver.) MV Short ver.|映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』主題歌

ナイジェリア最大のエコ国際映画祭にて最高賞を含む2冠達成!映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』

神という存在への思いなくして生きているということは、子供たちが、自らの親が誰であるかということを考えることなく、人生を過ごしてゆくことと同じなのです。

子供は、生まれ落ちるとすぐに、自分の母親が誰なのか、父親が誰なのか知ろうとするでしょう。

それだけではなく、知ってさらに、求めようとするでしょう。

抱きしめてほしいと願うでしょう。

一歩でも二歩でも、親に向かって進んでくるでしょう。

それがほんとうの姿なのです。

それなのに、親子の関係で言えば子にあたる人間が、親なる神を見向きもせず、求めもせず、己れひとりでこの世に生まれてきたかのごとく振る舞っている現在の姿は、まことに恥ずべき状態であると言わざるを得ません。(中略)

信仰と言われているものを一言でわかりやすく言い換えるとするならば、この「神を愛する」ということに尽きるのです。

神を愛するがゆえに、親なる神の持っておられるすばらしい思いを、性格を、性質を、受け継ごうとするわけです。

それは単なる惑わかしや思い込みといったようなものではありません。

厳然たる事実のもとに、行なわれて当然のことを行なうという、ごくごく合理的と言ってもよい考え方のもとにある行為が、この信仰なのです。

この世界の成り立ち、人間の生命の成り立ち、こうしたことを知ろうとし、知ったうえで、その本来の成り立ちに基づいた生き方をしようとすること。

これはまことに筋の通った生き方なのです。

これは、このうえなく合理的な生き方でもあるのです。
『無限の愛とは何か』(大川隆法著 幸福の科学出版)P160~164
 

- 虹色の願い -

 


「赤ちゃんは、なぜ泣くのか?」から見えてくる、超意外な真実。。。(追記更新)

2020-04-03 00:24:58 | 命の不思議

赤ちゃんの定義って? 何歳何ヶ月までが赤ちゃん? 赤ちゃんの後は何て ...

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※大変ご好評頂いている記事の更新です。

もう亡くなられてしまいましたが、私の暮らす町に、かつて有名大学の生物の教授をなさっていた方から教わったのですが、現代の生物学界は、進化論をベースに構築されているようです。

しかし現実の生物界は、メダカはメダカ、フナはフナであって、進化論とは逆の、メンデルの遺伝法則しか見えては参りません。

現実に即した観察をする限り、進化論はスカスカの仮説でしかありませんから、ポチっとどこかで突き崩れると、ガラガラと崩壊すると私は思っています。

看護師であり、現実主義者である私は、進化論については、昔から一定の疑問を持ってはいましたが、それが確信となったのは、20年ほど前に長男が生まれて以後です。

赤ちゃんの頃の長男は、夜泣きが凄くて育児が大変でして、それが発端なんです。

私も幼少のみぎり、泣き虫でしたので、長男は私に似ているのだろうし、私が親から受けたご恩を、そういう形でお返ししていたのかなと。

では、赤ちゃんは何故泣くんでしょうか?

それは、第1に、お腹がすくから。

赤ちゃんはお腹がすくと、お腹が痛いらしいのですね。

次の理由は、背中が痛いから。

抱っこして、泣き止んだ時はこれです。

3番目の理由は、ものすごく体調が悪いときです。

主にこの、3つの理由があります。

人間は、哺乳類の中では、最も頭部が大きいです。
哺乳類は、子供の頭部が、産道を通れる限界に達したとき出産するんですね。
ですから頭部の大きい人間は、どうしても、身体機能が不完全な形態で生まれます。

つまり哺乳類の中で、もっとも未熟な生態で生まれてくるのが人間で、馬やシカなどの草食動物のように、産後すぐに立ったりなんてできません。

「鹿の子ども」の画像検索結果

人間の赤ちゃんは、骨格筋も未熟そのもので、腰も首も据わっていません。

骨格筋が未熟で、寝返りを打てないので、寝たきり患者さんのように、長時間同じ姿勢で寝ていると痛いんですね。

つまり赤ちゃんは、床ずれが出来ないために泣いてるんです。

よく、「産後50日100日過ぎると楽になる。」と育児で言われますが、たくさん乳が飲めるようになり、首も腰も据わって、寝返りが打てるようになると、よく寝れるようになるからです。

すると赤ちゃんも機嫌もよくなって、かわいくなるということですね。 

「なぜ赤ん坊は泣くのか?」という原因と結果から導き出されることは、要するに、人間の赤ちゃんは、「生きていくために泣いている」わけです。 

つまり人間の赤ちゃんにとって泣かないということは、育児をほっとかれて、死ぬかもしれないことを意味しているわけです。

つまり人間の赤ちゃんは、生きるために必死で泣いていて、人間の赤ちゃんにとって泣く行為は、親への育児要求のアピールなんですね。 

私はダーウィンさんに質問したいのです。 

「人間の赤ちゃんは、いつからあんなに大声で泣くようになったんですか?」と。

他の生物の子供で、人間の子のように大声でなくような者はいなくて、人間だけが、あんな大声で泣くんです。 

なぜ、他の動物の赤ちゃんは泣かないか。

その答えは簡単です。

弱肉強食、生き馬の眼を抜くような、生存競争の激しい自然社会では、人の子のように、ギャースーギャースー大声で泣いていたら、天敵に見つかって、簡単に食べられてしまうからです。 

鳥のヒナだって、親鳥がエサを運んできた一瞬しか鳴きません。
他の場面では、じっと静かに潜んでおります。

彼らはちゃーんと心得ているんですね。むやみに泣くと、食べられてしまうことを。 

人間だけですよ、心得ていないのは。(笑)
ところ構わず、いつでもどこでも誰とでも泣きます。 

また、戦争で逃げ惑う中、家族が敵に見つかって全滅しないように、親が赤子を殺さざるを得なかった悲劇は、歴史上いくらでもありますよね。 

さあ、サルから進化し人間になったとして、大声で泣く子供を抱え、野生動物の中で最も非力で、足の遅い人間が、厳しい野生社会の生存競争に、生き残れる確率はいったいいくらになるのでしょうか? 

私は、限りなく0%だと思います。

私なら守れないです。

人間の子供は、生まれた直後から大声で泣きます。

あの赤ちゃん第1声、「産声」は、肺呼吸を開始するサインです。 

「産後直後に泣かない赤ちゃんは死ぬ。」これは古来より言われていることですが、ある意味で本当です。 

あの第1声で、心肺の血流の回路が、肺呼吸に切り替わるからです。 

この画像が、成人の心臓。

動脈血と静脈血は、心臓の壁と弁とで区切られています。 

次の画像は、お腹の中の赤ちゃん(胎児)の心臓です。

「胎児の心臓」の画像検索結果


生まれる前の胎児は、肺呼吸をせず、お母さんの血液を臍帯(さいたい)からもらっているので、そのため、肺に血液が行かないように、心臓の壁に卵円孔という穴があいていたり、肺動脈と肺静脈がつながっています。 

この臍帯(さいたい・へそ)からの血流回路から、肺呼吸に切り替わった後、赤ちゃんの肺に溜まっている水分を排出するためには、人間の場合、どうしても大声で泣く必要があるのですね。 

そうです。

もしも人間が、進化論者の言う通りの歴史を歩んでいたなら、とっくの昔に自然淘汰されているはずです。
人間は、野生の中では最も弱いからです。

私は、人間ははじめから、社会を形成して天敵から身を守るための、最低限の文明の中で生きていくことを想定して、創られた存在であると断言します。

泣く子がいたら、社会をつくらないと守れないからです。 

お子様がいらっしゃる方でしたら、この記事は、実感として理解していただけると信じます。 

つまり、人間がサルから進化したならば、赤ちゃんが大声で泣くわけがないということです。

はなっから、人間は人間として、地球の歴史に登場しているはずですし、いまある生物の生態系は、最初からほぼそろっていたと考えています。

その証拠は、過去の化石からも、また今の生物界にもたくさん存在するのですが、その話はまたいつか。

本日は、幸福の科学の経典『神秘の法』(幸福の科学出版)より、人生の目的と使命について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語られた一節をご紹介いたします。

             (ばく)

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モナコ国際映画祭・最優秀作品賞!千眼美子、涙を滲ませる/映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密−The Real Exorcist−』特別映像

キミが0歳だった頃

  https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=137 

立場を逆にして、霊界からこの世を見てみると、「この世は非常によい教訓の場なのだ」ということが分かります。

霊界は自由な世界ですが、その霊的な自由が、霊界に住んでいては、なかなか分かりません。この世に生まれてみて初めて、霊的な自由の持つ意味が分かるようになります。

そのため、苦しいけれども、何度も何度も、この世に生まれてくるのです。

苦しいけれどもマラソンの好きな人がいるように、あるいは、苦しいけれども水泳の好きな人がいるように、「苦しいけれども、一定のルールのなかで自分を試してみたい」と思うわけです。

マラソンで四二・一九五キロを走るのも、水泳をするのも、柔道場で柔道をするのも、どれも苦しいことですが、みな、やめようとはしません。なぜでしょうか。

自分の力、能力の限界を試してみたいからです。「ハンディ(不利な条件)のあるなかで、それを打ち破って生きてみたい。尊敬されてみたい。立派な自分になりたい」と思うからです。

そういう理由で、この世という特別な世界のなかに生まれてくるのです。

不思議といえば不思議ですが、それが仏や神の意地悪でないことは、この世に生きている者の寿命が限られていることで分かります。

「霊界という自由な世界があるにもかかわらず、この世で永遠に生きなければならない」ということならば、それは意地悪でしょうが、この世での寿命は限られています。

人間で百年ぐらいであり、動物はもっと短いのです。昆虫はさらに短くて、一年以下が多く、非常に短い命です。

したがって、「限られた寿命のあいだであるから、完全には分からなくても、やむをえない。分からないからこそ努力するのだ。目隠しをされて目が見えないような状態で、いろいろ苦労をして、別の意味での経験を積み、力をつけているのだ。それは、ちょうど、山登りをしているようなものである。そういう苦労をみずからに課して、魂を鍛えているのだ」と考えればよいのです。
『神秘の法』(幸福の科学出版)P244~246

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https://cafe-extra.jp/

中国発・新型コロナウィルス感染 霊査 守護霊霊言 習近平の弁明

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「メダカはメダカ、フナはフナ」白いオタマジャクシと、『偶然』という名の神(追記更新)

 


『愛無限』 生き物の「創られた痕跡」

2020-03-18 23:55:22 | 命の不思議
「ガラパゴス諸島」の画像検索結果
 
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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。
ここは宗教布教ブログですが、ものすごく心の話が少ないサイトです。(爆笑)
 
しかしここの代表編集長(私)は、進化論など、神様の御存在を、???なものにしている価値観などには、無視できない性格でして、様々な意見を日々発表しております。
 
ですから皆さん、あんまり興味ないかも知れませんけど、一緒に考えてみてくださいね。
 
私は創造論者で、つまり、「全てのものは、神様がお創りになった。」と信じています。
むしろ、このすばらしい世界が、勝手に意味もなく存在するということは、私にはとても信じられないです。
 
進化論的に、あるとき偶然に、無意味にできあがり、無意味に存在すると信じられる方が、私にとっては???なことで、「どうしてそんなことが信じられるのかなぁ。」というのが私の本音でして、私個人的には、進化論を信じられる方というのは、ある意味で、信仰心がお強いのではないかなぁと思います。
 
そう、信仰者である私は、「偶然という神」を信じることができないのです。

            ガラパゴスゾウガメ

さて、ダーウィンの進化論が訴えていること、そして、生物学者ダーウィンが発見したことは、進化の法則ではなく、「生物の適応能力の高さ」です
 
有名な、「種の起源」はガラパゴス諸島(ペルー)に暮らす鳥のくちばしの違いとか、亀のこうらの形であるとか、全部そういう論点からの発見と考察です。
 
ダーウィンさんご自身は、「自分は生物の進化の法則を発見した」と思ったでしょうし、そして科学者として真実に忠実に行動し、世間に勇気を持って発表したつもりであったでしょう。

しかし、ダーウィンの論文程度のことは、一世代でも起こりうるのです。

たとえば、水泳選手などは手に水かきができます。

私の職場の同僚に、学生時代の6年間(たった6年ですよ!)水泳をやってた方がいますが、この方の手のひらには、しっかりと水かきがあって、私は驚愕しました。
 
 
          ガラパゴスベニタイランチョウ

また、日本人は遺伝的に腕が短いのですが、それでも、昨今の若者の腕は長くなりましたよね。
同僚の若い女性の方には、組んだ後ろ手に腰掛けられる方もいます。(世界ビックリ人間ショーみたいな職場ですね。笑)

人間は、関節周囲に成長線があるので、成長期に負担が強くなると骨密度が高くなり、硬くなって成長しにくくなります。

最近では、重労働も減り、腕への負担が減ってきいるので、腕が長くなったと考えられます。
同様に最近は、膝下が長い方も多いですが、きっと、椅子暮らしの普及が影響しているのでしょうね。

床から立ち上がる畳生活と、椅子生活では、骨への負担が全然違うので、それが足の長い日本人が多くなった背景にあると思われます。

「進化論は、生物の適応能力を解明した学説である。」実はこれは、ダーウィン在世中の学会での評価でもあります。
ではなぜ、一分野の学説に過ぎなかった進化論が、世界を席巻するようになったのでしょうか? 

「ガラパゴス諸島」の画像検索結果
              ウミイグアナ       
 
それは、欧米の植民地政策の正当性を説明する、理論的根拠に利用されたからです。

黒人たちの頭部は、平均すると欧米人より小さいです。ですから、
 
「頭部が小さいということは、脳も欧米人より小さく、彼らは我らより劣った種族である。」「劣った彼らを、より優れた我らが導くことを神も望んでいる。」

こういった理屈で、白人らは世界中に進出し、領土確保を正当化したのですね。

つまり、進化論の歴史的背景には、生物学的真実の追求ではなく、政治的に大いに利用された過去があるのです 
 
要するに、進化論が正しかったから広まったのではなく、植民地支配のために、当時の植民地を中心に、人々に押し付けられたのが、かつての進化論なんです。
 
ということで本日は、経典『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)より、創造主(神仏)によって、人間が創られた痕跡についての、大川隆法幸福の科学グループ総裁の説法をご紹介いたします。
 
それでは、またのお越しを。
             (ばく)

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モナコ国際映画祭・最優秀作品賞!千眼美子、涙を滲ませる/映画『心霊喫茶「エクストラ」の秘密−The Real Exorcist−』特別映像

ガラパゴス諸島 GALAPAGOS 1920P

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=136

人間には、創られたものとしての痕跡があります。

赤ちゃんは、生まれてきたら、すぐに酸素呼吸ができます。口も日も鼻も耳も付いています。人間の肉体の姿そのものを見ると、あまりにも見事に、この地上で生活ができるように創られています。

これは、ある意味で信じ難いことです。

また、幸福の科学の教えを学んでいる人は、「魂」という問題に遭遇します。

魂の問題について深く研究すれば研究するほど、「魂とは、ほんとうに値打ちのあるものである」ということが分かります。

そして、「この値打ちの奥にあるものは何か」ということに思いを巡らすと、「やはり、人間は創られたものなのではないか」という推定が働くことでしょう。

人は、それぞれ、思うことや考えることは違います。

しかし、たとえば、心を揺さぶる言葉に接したときには、誰もが同じように感動します。

「先祖を辿(たど)っていっても、親戚でも何でもない」という関係は幾らでもあるはずですが、それでも、同じように心を揺さぶられます。

日本人に限らず、外国の人であっても、きちんと翻訳された真理の言葉に触れると、魂を揺さぶられます。その部分において、人はみな同じです。

これは、なぜでしょうか。

実は、まったく別々の個性として生きてきた人たちであっても、そのなかに、お互いに分かりうる部分があるのです。

人間がお互いに分かりうるのは、相手と同じものが自分のなかにもあるからです。

自分のなかにないものは分かりません。自分の感覚や思いのなかに、相手と同じものがあるから分かるのです。

それぞれ、いろいろな環境に生まれた人、自分が会ったこともない人、地球の反対側に住んでいる人、アフリカの人、インドの人、このように多種多様な人がいますが、すべての人の心に共通して流れるもの、すべての人の心を貫いているものがあるわけです。

地上では、それぞれの両親から別々に生まれた人間であっても、突き詰めていけば、心の部分、魂の部分で、すべての人がつながっています。

地上には六十億以上の人々がいますが、みな、つながっている部分があります。

行動様式や話している言語、髪の色や肌の色は違っても、心の奥において、その価値観において、道徳律において、真理において、確かに共通している部分があるのです。

「その元が何かあるに違いない。その元にあるものは何だろうか」と手繰っていくと、その元なるものが、「根本仏」「根本神」などといわれる存在です。

「魂は根本仏(根本神)によって創られている」という推定が働くのです。
『信仰のすすめ』(幸福の科学出版)P133~136

 

大川隆法総裁 プロフィール

大川隆法(おおかわ りゅうほう) 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は3,000回を超え(うち英語説法150回以上、公開霊言・リーディング1000回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,600書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020年5月公開) 、「奇跡との出会い。―心に寄り添う。3―」(ドキュメンタリー・同年公開)、「夜明けを信じて。」(実写・同年秋公開) など、20作の劇場用映画の製作総指揮・原作・企画のほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている

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