世界初の外洋港 手結(てい)港 高知県香南市
高知は長らく、県民所得で下位に甘んじております。
しかし歴史上、ずっと貧乏な地域であったわけではありません。
江戸時代には、全国随一の経済大国だったのですね。
今、多くの高知県民の心からは、この歴史的事実が忘れられていることを、私はとても残念に思います。
その歴史の名残は、今でも、高知の県民性に残っていると思います。
また私たち高知県民の心の奥には、「幕府(政府)なにするものぞ!」とか、「自由に生きていきたい」という願いはありませんか?
酒にまつわるエピソードも豊富だし、気前の良い県民性も、どこか「なんとかなるんじゃない(^^♪」という、楽観的な性格が多いのも、これらは、貧乏な国の人たちではあり得ない性分なんですね。
そして土佐人は、本来、卑屈を嫌う誇り高き民なのです。
それは、多くの富が溢れ、その富や力を元に、自らが自由を総出してきた、長い歴史がそうさせるのです。
24万石と言われる江戸時代の土佐は、実質石高は50万石以上あったのです。
当然米は余りますから、それを人口の多い関西圏などに200年以上売り続けたので、超黒字体質であったので、土佐は日本随一のけい経済大国で、学問や武道などの習い事も盛んでした。
坂本龍馬先生は、江戸随一の道場の筆頭にまで行きましたが、当時土佐で一番は、日本で指折り数えるくらいの・・・、これ以上言うと、他県の方から怒られるので、このへんで。(苦笑)
土佐は50万石以上の石高と言いますが、元々そういう土地だったのではありません。太閤検地では、10万9千石とありますから、24万石というのは、当初は為政者が見栄を張っていたと思われます。
しかし江戸時代初期において、土佐人自らが、50万石以上と言われる豊かな国を創出したのです。
その中心になった人物が、土佐藩2代藩主の家老、野中兼山です。
野中兼山像(本山町)
野中の施策は、高知の風土や地理的条件を調査した上で、適切な大規模インフラを構築したことです。
野中は今の兵庫県出身ですので、これだけ適切なインフラを構築するには、土佐中を練り歩いて実態調査したはずです。
そして野中の施策を手伝ったのは、山内家ではなく、その前の統治者、長宗我部家の家臣の人たちでした。つまり、当時の庶民だったのです。
そして野中らは、国防インフラ並の規模で生活インフラを造ることで、日本のトップの豊かな地域とするだけでなく、江戸幕府のお取りつぶし政策から土佐を守ったのです。
それが、「自由は土佐の山間より」という、自由の国土佐の歴史の要因です。
大事なことは、 「この豊の国を、私たち土佐人は、自分たちの手で創出した!」 という、誇るべき歴史的事実です。
江戸時代から続く高知市大手筋の日曜市
そして国防インフラとして造ったものを、平時においては民間が、交通インフラや生活・産業インフラとして使ってしまうという発想は、今後の日本の行く先に、とても参考になると思うのです。
一般的な生活インフラですと、どうしても初期投資が小さくなり、大規模なものは造りにくくなってしまいます。
産業インフラも、投資分の見返りから計算されたものが、価値の多くを占めますので、どうしても大事業にはなりません。
しかし国防インフラにとっては、国家が守れることこそ最大のリターンですから、国家が守れないような、陳腐な代物は造っても仕方がないので、初期投資は大きく、大規模事業化がしやすいのですね。
そしてその大規模インフラは、平時においては、もったいないので使ってしまえば、今度は生活・産業インフラとしては、とても大規模なものとなりますね。
生活・産業インフラとして造ったものは、規模が小さくなり勝ちですし、現状の高速道路のように、日常生活上の交通インフラオンリーの発想ですと、微妙に蛇行している構造となったりして、国防として使おうとしても、とても国防機能としては使えません。
よって、生活・産業インフラオンリーの発想だと、有事の際には、改めて国防インフラを構築しなければならなくなるので、二重の出費と時間が必要となるわけです。
野中が家老に赴任する前の土佐の国は、高知平野の地形的特徴から、米が多く採れませんでした。当時の米作は、自然の湿地帯でした耕作できず、坂の平野で水がはけ、大河ばかりで水利用できなかった高知平野は、広大な荒れ地だったのです。
それを野中らは、大きな河川の上流に堰(せき)を造って、平野を丸ごと水田と化し、土佐を米所といたしました。
野中兼山作 山田堰跡
また、大量に採取できるようになった米を、大量に海上輸送する必要から、土佐湾沿岸に大規模港をいくつか造りました。これにより、ローコストで大漁の米を運送できるようになったのです。
その名目は、天候の厳しい土佐沖での航行を考え、藩船の避難先として造られたものです。
それにより土佐藩は、外様の小藩であるにもかかわらず繁栄し、幕末の雄藩のひとつとなりえました。
幕末の雄藩、薩摩・長州・土佐の三国の共通点は、共にとても豊かな藩財政をしていたことです。
これは野中兼山という、一人の傑出した政治家の造ったインフラによる、200年以上の富の蓄積があったからです。
しかし野中の造ったこれらの事業は、単純に藩経済活性化とだけ考えれば、驚異的な大事業でありました。
当時の技術的レベルや常識的規模から考えれば、堰や港の規模が大きすぎるのです。
堰からは用水路が平野中に張り巡らされるだけでなく、用水路としてはとても広く、しかも、水の流れがとても早くなるように造られています。
水田用の用水路ならば、無理に水を早く流す必要はありません。
むしろ、ゆっくり流す方が、使い勝手が良いのではないでしょうか?
また港も当時の船ならば、大船団を構える事ができるほどの大型の港でありました。
私はこれら、野中兼山の事業は明らかに、対江戸幕府を意識した、国防インフラの観点から造られている と私は考えています。
当時は、外様系大名の取り潰し政策が激しく、大きな藩から取り潰されていた時期だからです。
そして野中の造った土佐の国は、幕府軍の進入が絶対できない国となっているからです。
広大な平野に、縦横無尽に張り巡らされた用水路は、堀としての機能を持ちます。
また、平野中が水田ということは、平野中央にある高知城にいたるまで、広大なぬかるみということです。
鎧兜を身に着けた当時の侍たちは、水量豊富で流れの速い用水路=堀でおぼれ、火縄銃はただの筒と化します。
また延々と続くぬかるみだと、馬は無力ですし、疲弊した侵入者を葬ることなどたやすいことです。
野中兼山作 三又(みつまた)用水(香南市)
また大型港は、即軍港を意味し、大型の軍船を利用できます。
土佐藩を、海上から攻撃することは、当時の船では絶対に不可能です。
徳川幕府は、土佐藩を取り潰すことはできなくなりました。
土佐の国に攻め入れば、幕府軍は一網打尽となり、確実に負けるからです。
野中らの造った、一見すると生活・産業インフラに見える国防インフラによって、土佐の国は栄えるだけでなく、外様藩でありながら、幕府と事実上の対等関係であったと見ると、歴史の謎が解けるのです。
これが幕末に、土佐前藩主山内容堂(やまのうち ようどう)公による、大政奉還建白書提出によって、江戸時代が終わった経緯でもあるの思うのです。
つまり、当時の強く豊かな土佐藩が、倒幕の意思を表明したら、大幕府としては、打つ手がなくなったということです。
私は現代日本を、野中兼山の政治思想で守ることをお勧めいたします。
ともあれ国防を強めることが、国民負担増にならず、国家を繁栄させた実例は、日本の歴史に実際に存在するのです。
日本は未来の子孫のためにも、そして世界の平和のためにも、勇気を持って、国防からの繁栄の道に進むべきだと思います。
そのモデルは、土佐の歴史にあると思うし、そのモデルは、実際に国政に生かせるのです。
「野中兼山の再来」と呼ぶべき政治家が現れたとき、土佐の国のゴールデンエイジが始まるはずです。
今後の土佐は、「野中兼山の再来」を、政治選択するべきだと私は思います。
本日は経典『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)の一部抜粋をご紹介いたします。
(ばく)
「新しき繁栄の時代へ」ー2019年「エル・カンターレ祭」ダイジェスト①ー 天使のモーニングコール 1477回 (2020/1/18・19)
人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲だからです。
仏は人間が生きていくうえにおいて目的を与えました。その目的が人間を不幸にしていくものならば、世界は悲惨なものとなっていくでしょう。しかし、仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになったのです。
要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべきなのです。
なぜ人間はもともと幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から分かれてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質があるのです。
仏の性質とは何でしょうか。
「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感をよしとしている」と言えます。
すなわち、「仏がこの大宇宙を統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていいのです。
したがって、仏が仏として存在している、その存在の目的自体が、幸福に立脚点を置いていると言えるのです。 では、仏の幸福とは何なのでしょうか。仏は何に対して幸福を感じているのでしょうか。生成、化育、発展、繁栄――すべてのものが大調和のなかに大いなる発展をし、繁栄する、その途中の経験のなかに、仏は喜びを感じているのです。
仏は仏として存在を停止しているときには、なんらの喜びもありません。しかし、仏が仏として活動し、その活動内容が、「すべてのものを調和させつつ、発展、繁栄させていく」という目的を体現していくことであるならば、その途中において、仏は大いなる経験、美しい経験、喜びを伴う経験を得るのです。
そうすることによって、仏自体もまた、いちだんと大いなる存在への転化、拡大、発展を得ているのです。
「人間は幸福を求める存在である」「人間は幸せに生きられるように創られた」ということ自体が、すなわち、仏の本性、仏の慈悲なのです。
『永遠の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P233~236
ダイハツキャストCM キャスト アクティバ「そびえ立つ道」篇 山﨑賢人