幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

カツオと米が護った、自由の国土佐の精神。

2021-02-27 23:42:10 | 麗しき光の国 高知

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本日は、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しくださり、本当にありがとうございます。

さて、高知の料理の代名詞と言えばカツオ。

カツオの水揚げ量では、高知は日本一ではありませんが、旨さで言えば日本一、いや世界一ではないでしょうか。

なぜそんなに、土佐のカツオ料理は旨いのか?

それはやはり、昔から食べていたので、カツオの選別や、調理方法のノウハウの蓄積が違うのだろうと思います。

カツオのたたきが有名ですが、これはカツオに付いている寄生虫を心配した土佐藩が、領民にカツオの刺身を食べることを禁止したことから始まったとか。

つまり、「火で炙っているので、もはや刺身ではない。」ということで、ヒョウタンからコマ、これが旨かったということですね。

手焼き松たたき650g(鰹たたき) [CONCENT]コンセント

ということで、カツオのたたきは江戸時代の土佐が発祥ですが、カツオと言えば、黒潮に乗って回遊する外洋の魚であることは、もう皆さんご存知のことだろうと思います。

つまり江戸時代の土佐には、外洋に出られるくらいの航海技術が、一般的な漁師レベルで持っていたということになりますよね。

いくら日本一、黒潮に近い高知県だと言っても、黒潮の潮流に負けないで漁ができるには、それ相応の、大きな船は絶対に必要です。でなければ、外洋の波に耐えることはできないし、黒潮に流されてしまうからです。

ということは、江戸時代の土佐の国では、一般漁師が外洋漁ができる大きな船舶を持っていたということですし、大きな船を泊めておけるだけの、大きな港があったことを示しています。

ということは、江戸時代に土佐の国以外の地域でカツオ料理が発展しなかったのは、外洋漁ができるくらいの大きな船を泊めて置けるだけの、大きな港がなかったからとも言えるのですね。

そう、江戸時代の土佐の国には、カツオ漁ができるくらいの、大きな船を泊めておける港が、もうすでにあったんです。

それが、香南市の手結港(ていこう)や、室戸市の津呂港や室津港など、土佐藩初期の家老野中兼山が造った外洋港です。

以前の記事で、野中兼山の灌漑事業による、米の大量生産大量輸出による土佐の繁栄について述べましたが、いくら米を作っても、売れなければ儲けはないし、また運ぶのにコストがかかっては儲けがありませんので、大量消費地である、関西圏への米の運送は船を使いました。

ただ土佐湾は、ほぼ外洋とも言える荒波の海ですので、航海を安全に行うために、輸送船が寄港できるところが欲しかったのですが、そのために兼山は手結港や津呂港などを造ったのです。

当時の港は、河川などの河港(かわみなと)が主流でしたが、河港だと浅く、大きな船を泊めることができません。ですから野中は外洋港という、当時世界で誰も行っていない手法で、手結港などの当時としてはかなり規模の大きな港を、新たに造ったのです。

そしてそれは、地元漁師も使うことができた、つまり、手結港など規模の大きな港があったので、土佐のカツオ文化が花開いたわけですね。

                世界初の外洋港手結港

さて私はこの手結港などの大型外洋港が、土佐人の気質である、自由を愛する精神を培ったと思っているんです。

なぜかというと、江戸時代における大きな港というのは、即海軍力を意味するからです。当時の軍船は砲弾などを積んでいるのではなく、多くの侍を乗せられる船が軍船だったからです。

つまり当時は、輸送船や漁船=軍船だったわけです。

つまり関西への土佐藩輸送船の寄航用の港ではあるのですが、大きな船が泊まれるわけで、そしてカツオ漁などができる大型船舶も常備しているわけですから、事実上土佐藩は、立派な軍港をいくつも保有していたことになります。

で、土佐藩はどこから護っていたかというと、江戸幕府です。当時の幕府は、外様大名お取り潰し政策真っ只中でしたから。

しかし、手結や室津港など、いくつも大型港があれば、幕府の軍船は入れないわけですね。つまり、海から土佐の国へ進攻は不可能なのです。

もし土佐藩お取り潰しのお沙汰が出て、土佐藩が「嫌じゃ!」と言えば、幕府は土佐征伐に来たいのですが、大きな港がいくつもある、つまり、いくつも大型軍船がある土佐を、攻めることが難しいのです。

野中兼山の造った用水路、通称三又(香南市) 

で、陸路からの進軍はどうか。

幕府と言えば、大軍で攻められるのが優位な点ですが、土佐の山間の道は狭いので、大軍は易々と進軍できません。幕府軍が列を組んで進入するところを、鉄砲で粛々と撃てば良いわけです。幕府の大軍は、土佐の険しい山々が無力化します。

そしてやっとこさ山間を抜けると、土佐山田から高知城下までは、野中兼山が造った堰により新たに開発された水田が、高知城下まで延々と広がるわけです。

水田は、即ち湿地(ぬかるみ)ですので、馬も進めなければ、大軍の高速移動は不可能となります。

しかも、野中兼山の造った水路は、嘘みたいに水量が多く、また農業用水とは思えないくらい広く、また流れも速いですが、それが平野中に、縦横無尽に張り巡らされているわけですね。

つまり、堰(せき)と用水路は、軍用の堀でもあたっと思うのです。これで、甲冑で武装した兵士はもちろん、馬だって流されてしまいます。そして鉄砲は濡れ、ただの重い筒と化します。

またその灌漑事業を手伝ったのは、前任の長宗我部(ちょうそかべ)の家来の生き残った人たちですが、野中は事業を手伝った見返りに、新たな田畑を、長宗我部配下の方たちに与えます。この人たちは、帯刀を許された形で、土佐藩に下士として仕えることとなります。

土佐への侵入者から見たならば、土佐藩山内家と対峙するまえに、戦国時代四国最強と言われた人たち(長宗我部)と戦わなければならないわけです。

           長宗我部元親公初陣像

野中の造った江戸時代の土佐は、超黒字体質だっただけでなく、対幕府において、完全な防衛体制を築いていたのですね。少なくとも江戸時代の土佐への侵攻は、進入者は全滅覚悟で来なければなりません。

幕府にとっての土佐藩は、どうしても戦いたくない相手だったと思うのです。だから、大政奉還の建白書一枚で、徳川幕府は政権の存続を諦めたとも言えると思うのですね。

これが、土佐の自由な気風を育てたのではないでしょうか?

なぜならば、絶対に幕府は、土佐に攻め入ることができないからです。

これら、誇るべき土佐の歴史から伺える真実は何かと申しますと、国防は国民の自由の担保だということです。

そして、国防を強化しても、経済が疲弊するとは限らないということです。

幸福実現党は、日本国民の自由を護ります。そして日本を、更に繁栄させる政策があります。

そして人口減から徳島と合区になった高知を、再び日本のトップランナーにする高い志があります。

議員の育休を議論しようとしたり、不倫なんかで議員辞職するなんざぁ、志が低すぎて話しにならないです。

もうそんな、でも・しか議員の時代は終わらせましょう!

この国に未来を。そして高知に、子々孫々神仏の繁栄を。

幸福の科学ならびに幸福実現党へのご支援を、よろしくお願いいたします。

高知県では、吾川郡佐川町で、町議として頑張る宮﨑知恵子への応援をよろしくお願いいたします。

と言うことで本日は、幸福実現党ホームページより、幸福実現党沖縄県本部が、沖縄県各自治体に対し、中国からの軍事的脅威に対し、台湾や沖縄県諸島防衛への陳述を行った報告記事をご紹介いたします。

それでは、またのお越しを。

                   (ばく)

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宮崎 ちえこ | 幸福実現党 - The Happiness Realization Party

宮崎 ちえこ | 幸福実現党 - The Happiness Realization Party (hr-party.jp)

中国の脅威から台湾・先島の防衛を求める意見書を決議することを求める陳情書

沖縄県本部が、「台湾・先島の防衛を求める陳情書」を沖縄県議会他、28市町村議会に提出 | 幸福実現党 - The Happiness Realization Party (hr-party.jp)

1月12日の日経新聞社の郵送世論調査で、「中国を脅威と感じるか」という質問に対し、「脅威と感じる」(56%)「どちらかといえば脅威を感じる」(30%)の合計は86%で、初めて北朝鮮の82%を上回りました。

その脅威は、中国の香港、台湾政策に現れています。

米国の大統領選挙でバイデン氏が大統領への当確を示すやいなや、香港警察が拘束した香港の活動家に対し、執行猶予なしの懲役刑を課し、さらに香港最後の民主主義の砦と言われたアップルデイリーニュースの経営者を逮捕、米連邦議会がバイデン氏の勝利を最終的に認定した1月6日には、香港の活動家50名を逮捕しました。

50年間、一国二制度を約束したはずの香港の自由を奪い、台湾周辺においては、台湾の防空識別圏を超えた飛行を繰り返したり、台湾への上陸作戦を想定した軍事訓練を公表して、圧力をかけ続けております。

中国は近年、台湾との友好国を経済援助などによって懐柔し、台湾との国交断交を促しており、現在台湾と国交がある国は17 か国まで落ち込んでいます。

中国は今年、中国共産党立党100年を迎えます。

今や、香港、台湾を一党独裁の全体主義下に置き、世界の覇権を握ろうとする中国の思惑を正視することなくして、日本の主権を守り抜くことはできません。

その道標として、台湾を主権国家として認め、台湾との経済、安全保障連携を強くしていくことによって国際社会においてリーダーシップを発揮し、自由で開かれたインド太平洋地域の平和に貢献することこそが、今日本に最も必要とされることなのではないでしょうか。

中国包囲網を形成するとともに、台湾の孤立化を防ぐためにも、日本は日台間の連携を強化するとの決断を下すべきです。

その際、対中弾道ミサイル防衛能力の向上は喫緊の課題となります。中国は、日本を含むアジア太平洋地域を射程に収める中距離弾道ミサイルの充実を図っています。迎撃ミサイルシステムの充実だけでは国民を守り切ることはできない、という現実を直視し、抑止力強化のために、攻撃能力の保有なども急ぐべきであります。

昨年米連邦議会調査局、米国防総省が公表したレポートによれば、中国海軍の艦船数は米国海軍を抜いています。

米国は海軍艦船を世界に展開しておりますが、中国は米国を上回る艦船をアジアに集中させており、アジアにおける米中の軍事力の均衡は大きく崩れてきております。

このような中、中国公船が昨年、尖閣周辺の接続水域に航行した日数は333日間で、過去最多となりました。

今年も元日から中国公船は尖閣周辺を航行し続けておりますが、海保が1,000トン級の巡視船4隻で対応しているのに対し、中国海警局は、5,000トン型と3,000トン型各1隻、1,000トン型2隻の布陣が多いとされます。今後海保は6,500トン型の巡視船を投入する予定ですが、中国は既に世界最大級12,000トンの巡視船を2隻保有しています。中国海警局の1,000トン以上の警備船の数は、日本の同クラスの巡視船の3倍であり、歴然としたこの力の差によって、尖閣諸島周辺は今、これまでで最も不安定化していると言えます。

安全保障の要は、力の不均衡を起こさないことです。中国に尖閣諸島上陸の隙を与えてはなりません。海保の装備拡充、さらにグレーゾーンに対処するため、「領域警備法」を制定し、国家主権に対する侵害を排除するために必要な武器使用を認め、海上保安庁、警察に領域警備の任務を付与するなどすべきです。

以下、議会において、下記の意見書を可決し政府へ提出することを陳情いたします。

― 記 ―

一、尖閣周辺及び先島警備ための、海保装備の拡充をし、中国海警との勢力不均衡を解消すること。

一、グレーゾーン対処に向けた「領域警備法」を制定すること。

一、「日台基本関係法」を制定し、台湾との関係を強化すること。

一、日台FTAを締結、台湾のTPP参加を促して自由主義圏の経済関係を強化すること。

一、日台の安全保障の交流を行うこと。

一、台湾との同盟関係を念頭に、台湾が独立国家であることを承認し国交回復を図ること。

一、米国とも協力し台湾の国連への加盟など国際社会への復帰を後押しすること。

一、敵基地攻撃能力の保持検討も含めたミサイル防衛体制を早急に構築すること。

以上

 

那覇市議会に提出

 

那覇市議会に提出

南城市議会に提出

 

南城市議会に提出

名護市議会に提出

 

名護市議会に提出

西原町議会に提出

 

西原町議会に提出

北中城村議会に提出

 

北中城村議会に提出

 


参考

中国の脅威から台湾・先島の防衛を求める意見書を決議することを求める陳情書 


よさこい祭り 自由と繁栄の神に捧げる舞 【加筆再掲】

2020-08-10 23:04:42 | 麗しき光の国 高知

 

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

高知の夏の風物詩、「よさこい祭り」。

今年は残念ながら、中国発新型コロナウィルス感染禍により、中止となってしまいました。

よさこい祭りは、北海道のよさこいソーラン祭りに飛び火し、全国にその名が知られるようになって、今では、「本家よさこい祭り」を名乗らないといけないようでございますね。(笑)

このよさこい祭り、祭りの歴史は、近代になってからです。

発端は、お隣の徳島の阿波踊りに対抗したとも言われますし、とにかく暑いので、商店街にお客さんを呼ぶために、商工会議所などで有志が企画したとも言われます。

参加規約もゆるく、本家高知においても、年々参加チームが増えています。

参加ルールはこれだけです。

  • チームあたりの参加人数は150人以下。
  • 鳴子を持って前進する振り付け。
  • 曲のアレンジは自由だが、よさこい鳴子踊りのメロディーを必ず入れる。
  • 地方車は各チーム1台(必須・大きさ等に制限あり)。

実はこのよさこい祭り、日本の祭りにとって、とても重要なファクター(要素)がない、極めて珍しいお祭りなのですね。

祭りにとって、重要なファクターとは何か?

それは、「神」です。

祭りは元来、その年の年初に感謝するお正月から始まって、農作物の豊穣や豊漁や、商売繁盛を神に感謝したり、お盆などでは、先祖への慰霊の念があるものです。

この、祭り=神への感謝の具現化というのは、全世界共通のバロメーターであって、日本は世界中の宗教が紹介されている関係か、お正月には初詣(日本神道)、お彼岸やお盆(仏教)、ハロウィンやクリスマス(キリスト教)など、世界中のお祭りが行われております。

まぁ、ひょっとしたら、日本人は世界でも有数の、お祭り好きの民族なのかも知れません。(笑)

いや、お祭り好きなのは、宗教への造詣が深いということであり、基本的に、神への感謝の思いとか、畏敬の念とか、また逆の意味で親近感が強いという、日本人のメンタリティーがあるのだと思います。

政治のことを、「まつりごと」と呼んだりもしますが、祭りとは、神への感謝や誓いあってのものであるし、元来、祭政一致が原則の日本では、祭りと政治が一体であったということですね。

つまり、神の御心の実現が、本来の政治なのです。

 

このよさこい祭りは、始まりにおいては、暑い夏場のお客さん集めだったかも知れませんが、性別や年齢制限もない、衣装も音楽アレンジも自由と、これら参加規約の特性や、その踊りの多様性を見る限り、結果的に全く別の概念を創出したかも知れません。

それは、この祭りには、「自由と繁栄への願い」が込められているのではないかと思うんです。

だとすれば、極めてオリジナリティーの強い概念ですので、だからこそ短期間で、全国に広がったのかも知れませんね。

高知は本場ですし、昨今では全国でも注目されますので、踊り子さんたちは、高いレベルを目指し、祭り当日まで、それはそれは、熱心に踊りの練習をしております。

それは、市中のいたるところで見ることができます。

これはもう、現代的な「精進」そのものと言えるのではないかと。

またこの最も暑い時節、3日も続けて市中を踊り続けますが、これなども、現代の「苦行修行」そのものではないかとも。

よさこい祭りは、「自由と繁栄の神に捧げる舞」だと、私は思いますね。

舞は、高知県内においては、ライブでテレビ中継されておりますが、これなども、参加チームすべてが紹介されます。

有力チームだけではなく、初参加も含め、すべてのチームが放映されるのです。

そしてコンテストがあって、上位チームは、後夜祭でハレの舞台で踊れるんですね。

これなども、「自由」という概念を、どれだけ重視しているかだと思うんですよ。

つまり機会の平等が、完全に保障されているわけです。

この「機会の平等」こそが、「自由」の最も重要な部分なんです。

機会の平等があって、各々が工夫して、すべてが切磋琢磨して、結果、すばらしい披露ができたものを、皆が称えると。

過去には、「初参加で、一躍トップチームの一員に・・・。」という実例もあって、だからこそ最後まで面白いんですね。

これが、歴代上位チームしか紹介されなかったり、初参加チームは、ヘンテコなハンディがあったりしたら、ちっとも面白くないと思うんです。

本質的な面において、高知の方って、「自由の神の概念」を、心の奥底で感じ取っていると思うんですね。

よさこい祭りを見るたびに、私はそう思うんです。

もしも、日本の政治やマスコミが、この高知の自由の精神、完全なる機会の平等の祭りのスピリットを持っていたならば、政党用件などを持ち込んで、現存する議席数や過去の得票数によって、新たな政治を志す人たちを「諸派」扱いにして報道規制したり、有力な候補者だけを、連日テレビで紹介したりすることは、許されざることとなるはずです。

よさこい祭りの精神、「完全なる、機会の平等を重視する自由の精神」が、日本全国にとどろき渡ることを、祈念してやみません。

そして、高知の民の捧げる舞が、「自由と繁栄の神」への祈りとして届きますことを。

本日は経典『黄金の法』(幸福の科学出版)と、大川隆法幸福の科学グループ総裁と釈量子幸福実現党党首との対談集『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)の抜粋をお届けいたします。

                   (ばく) 

よさこい祭り公式ウェブサイト http://www.cciweb.or.jp/kochi/yosakoiweb/

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第64回 よさこい祭り 本祭 初日 高知信用金庫 愛宕競演場 2017 8

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=154

天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。というのは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂国の女王となったことに起因しているのです。

天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。

天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。

「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから捜し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。

このように、神代の時代は、天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。

しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪心や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。

祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。

普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っておりました。

高級霊からの神示は的確で、だれひとりとして異論をはさめず、そのため、政治に秩序があったと言えます。

その時代にくらべると、現代の政治家たちは、知名度によって選出され、数のカで支配しており、やはり無秩序の感を免れえません。

真理に対して盲目の人々、権勢欲のみに目がくらんでいる人々による衆愚政治の観があります。

一日も早く、徳治政治への切り換えが、また、人徳ある人の出現による政治の向上が望まれます。
『黄金の法』(幸福の科学出版)P199~201

 

 

宗教が政治を行うことに関して、「政教分離規定があるから、どうのこうの……」と否定的に捉える人もいます。

憲法の政教分離規定だけを捉えて、そのように言うのは構いませんけれども、それでは、憲法一条の「天皇制」はどうなのでしょうか。

本当に政教分離を言うのであれば、実は、天皇制が成り立たなくなるのです。

そうすると、日本国憲法が最初から崩れてしまうんですよね。(中略)

戦後、歴史の教科書からは消えているかもしれませんが、「天照大神の子孫が天皇家である」ということになっています。

したがって、憲法上、象徴制であろうがなかろうが、天皇家が日本国の中心でなければならないし、天皇制があるために日本は存続しているわけです。

現代のアメリカ民主制的なものの考え方で、そのままストレートに考えたら、天皇制と国民主権とは、合うはずがないではありませんか。全然、合っていないですよ。どうして、それが合いますか。

天皇制というのは、はっきり言えば、王権神授説の考えですよ。(中略)

「神様やその代理人が地上に降りてきて国を治めているのだ」という王権神授説がありますが、君主制などは、みな、そうですよね。

これを打ち破ったのが、フランス革命で、王様たちをギロチンにかけて首を斬っていきました。

そういうフランス革命的なものを民主主義と呼ぶのであれば、天皇制とは合わない。

つまり、最初から、憲法として矛盾する形態になっているんですね。

そのようなものをくっつけてやっているのは、実は、政教一致、祭政一致の考え方が裏にあるからです。

要するに、「天皇家は神々の子孫だから、やはり別格である」という考え方が裏にあるために、天皇制が成っているわけです。(中略)

国民の総意に基づいて天皇制がある一方で、国民主権というものがあります。この部分は、法律論的、憲法論的には、本当はぶつからなければいけないところなのですが、なぜか、訳が分からないまま、うまくくっついています。

その理由は、実は、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」なんですよ。(中略)

この部分を無視して、政教分離だけを言っているわけですから、憲法学者もジャーナリストも、本当はまったく分かっていないのだと私は思います。(中略)

右翼も、「皇室を守る」と言っていますが、「天皇は神々の子孫だと分かっているのか」と言えば、それは、全然、分かっていないのです。そもそも神棚が消えていますのでね。

だから、もう少し根本的に考えなければいけないですね。
『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)P32~39 

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065


坂本龍馬先生が、教科書から排除ってどうよ!

2017-11-18 23:16:06 | 麗しき光の国 高知

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びっくりする話題を耳にしました。

坂本龍馬先生が、学校の歴史の教科書から消えるというのです。

由々しきこと。

歴史とは、大学受験のためにあるのではなく、過去を知ることで、今を生きる感謝を教え、これからの指針の基礎とするものです。

坂本龍馬先生は、ご生前は政府の役職についていません。

しかし、倒幕をなし、その後の明治政府の要人たちを結びつけるという、歴史的大仕事をしました。

”人物”としての坂本龍馬先生は、超超一級の人物のはずです。

坂本龍馬年生なくば、薩摩の西郷さんと長州の桂小五郎さんは、敵対し続けていたはずです。

ならば、ともすれば、今はまだ江戸時代かも知れないし、今の日本は、植民地主義の欧米列強の支配下にあったかも知れません。

それを教えるのが歴史です。

   

幸福の科学出版 ttps://www.irhpress.co.jp/

高知県民としては、とても許せるものではありません。

どうも左翼的な信条の教育では、偉人を評価することは、人の平等に反すると思っている節があって、かつて偉人と呼ばれた方が、どんどん、ただの人になってきている。

しかしそれは、平等不平等の観点から論ずるものではなく、「人生の理想像をどう定めるか」という観点でなければ意味がないと思う。

偉人を学ばない歴史など、ただ時間の無駄でしかありませんよ。

土佐が生んだ超一級の人物坂本龍馬先生は、次世代を引き継ぐ日本の若者たちに、もっと知っていただかなければならない方のはずです。

本日は取り急ぎ、ブログ『理想国家日本の条件』に投降されていた関連記事をお届けいたします。

          (ばく)

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NHK大河ドラマ「龍馬伝」OPテーマ(佐藤直紀)

歴史教科書からの坂本龍馬"排除"にファン悲痛…原因は暗記重視の高校教育と大学入試か

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/cdf4d55c64edd3d17dd0196b8e029154

2017年11月18日 00時02分34秒 | 歴史資料 動画 日中韓

歴史教科書からの坂本龍馬"排除"にファン悲痛…原因は暗記重視の高校教育と大学入試か

https://abematimes.com/posts/3243640 より

■龍馬ファンたちは「まっこといかんぜよ!」

 高校と大学の教員らで作る「高大連携歴史教育研究会」が、高校の授業が大学受験への対応で暗記中心になっていることを問題視して、教科書に掲載する歴史用語をおよそ半分に減らす"精選案"を発表した。その中には、あの坂本龍馬も入っており、大きな話題を呼んでいる。

 同研究会では、実際の歴史上の役割や意味が大きくないとして坂本龍馬のほか、武田信玄と上杉謙信、そして吉田松陰などを削るとしている。その一方、「共同体」のような概念や「グローバル化」といった、現代的課題につながる語句を追加するとしている。

 “龍馬のふるさと“高知県にある坂本龍馬記念館の高松清之館長は「残念です。高知県にとって、歴史上の人物といえば"坂本龍馬"です。幕末維新の上で龍馬の役割は大きく龍馬の行動や考え方は"思考力や表現力を重視する教育"に十分あたると思います。なぜ龍馬が消えてしまうのでしょうか…?」とコメント。

 また、国民的人気のある坂本龍馬ファンからは悲痛な叫び声が上がる。横須賀市にある焼鳥店「やきとり竜馬におまかせ!」の店主・齋藤秀一さんは16歳のときに司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』に出会って以来の坂本龍馬の熱心なファンで、龍馬や幕末史を語り合う場を作りたいと9年前に脱サラ、この店をオープンさせた。店内には龍馬ファンの著名人のサインや、関連ドラマのポスターが掲げられている。11月15日は龍馬の誕生日かつ命日でもあり、集まった常連客たちは龍馬"排除"の報せに「まっこといかんぜよ!」と気勢を上げていた。

ネット上には様々な反応があり、番組にも「龍馬は神格化されすぎ大げさなんだよ」「龍馬から日本の財閥が始まっているわけだし、要るかな」と、賛否両論のコメントが寄せられた。

■「龍馬="西郷のパシリ"という見方もできてしまう」

 坂本龍馬といえば、日本初の"商社"である「亀山社中」の立ち上げ、討幕のきっかけとなった薩長同盟の立役者、明治新政府の基本方針とも近い「船中八策」を作成したとされるなど、ファンたちが指摘するように、様々な功績も挙げられる。

 今回の騒動について、NHK大河ドラマの監修も務めたことがある本郷和人・東京大学史料編纂所教授は「僕が高校生の頃、教科書に坂本龍馬は載っていなかった。やっぱり司馬遼太郎の小説ですごく人気になったことがきっかけだろう。小説の世界が学問を変えていった、一番いい例だと思う。ただ歴史学的には、坂本龍馬="西郷隆盛のパシリ"という酷い表現もできてしまう。それだけに、教科書から消えてもしょうがないという判断もあり得る。上杉も武田も川中島の戦いも、当時の中央の情勢とは関係がないという言い方もできる。敵に塩を送ったというエピソードも、おそらく歴史的事実ではない。みんなが大好きな新選組だって、全ての教科書は載っていない」と話す。

その上で本郷氏は「どういう考え方の下に語句のリストを決めたのかがわからない。織田信長が本当に優れた戦国大名だったのかという問題について、『違う』という意見が今では大勢を締めている。織田信長の評価ですら分かれることがある。それなのに、要る言葉・要らない言葉を誰が決めるの?ということになってしまう。ただ、『坂本龍馬を落とす』と聞けばびっくりするので、注目を集めるのが目的だったのかもしれない。例えば"大岡越前"として知られる大岡忠相や、上杉謙信・武田信玄、そして両者の『川中島の戦い』など、エンターテインメント性、物語性があって、"ドラマの常連"のようなものを日本史という科学から落としたいという意図を感じた」と指摘。

 「例えば宮本武蔵は吉川英治の小説で一躍有名になったが、今は下火だと思う。坂本龍馬はずっと人気なので、やっぱり何か我々にフィットする現代的なものがあるはず。そういうことを勉強するのは悪くない。若い人たちの歴史嫌いを考えた時、あなたたちが知っている坂本龍馬は歴史学の教える坂本龍馬と違うと強調するのは得策ではないと思う」との見方を示した。

■教科書の内容を覚えることが歴史の授業なのか?

 慶應義塾大学特任准教授の若新雄純氏は「本来、歴史を読み解き、考察する力のある人が歴史のスペシャリストのはずだが、今の入試では、どれだけ正確に暗記しているかを問うものになっている。共通試験の膨大な答案を採点するだけでも大変なのに、点数の基準が明確にしづらい自由記述を増やしていく難しさもあるだろう。でも、日本は全ての"出口"が大学受験になっているので、入試が変わらないと授業も変えづらい」と話す

「高大連携歴史教育研究会」によれば、高校の主要な歴史教科書「世界史」「日本史」ともに、およそ3400〜3800語が掲載されており、大学入試で問われる可能性のある用語も3500語にも上る。これは1950年代に比べて3倍近くの量で、現場からは2000〜2500語程度にすべきという意見も出ているといい、高校・大学教員を対象にしたアンケート調査でも「大学入試の影響で用語の暗記中心の授業形態になっている」という質問に肯定的な回答が7割を超えたという。

 今回の"精選案"について同研究会はTwitterで

と説明している。

 また、2020年度からは大学入試が択一式の「センター試験」に代わって、暗記よりも思考力や表現力を重視する「大学入学共通テスト」が利用されることも背景にある。これについても同研究会は

とツイートしている。

 自身も教科書執筆の経験がある本郷氏は「物語的な要素を入れないと高校の子たちは付いてきてくれないだろうと思って草案を書いたら、高校の先生方に『駄目です。現場の教師は教科書に書いてあるものは原則として全て覚えろと教育しています。あなたが書いてきたものは余計な物が多すぎる』と言われた。バカじゃないかと思った。教科書を全部覚える必要ないでしょうと。ただ、これはブーメランでもある。高校の先生からすれば『そんなこと言ってたら大学受験に受かりません』ということ。だから僕たち大学教員が一番悪いとも言える。本来、これを知っているか知らないかというクイズみたいな入試はダメなんです。教員は工夫してないと言われても仕方ない。択一式でも、上手に問題を作れば大丈夫だ」と話す。

■「直虎は男だと思う」「材料の中からどんな歴史像を立ち上げるかが歴史学」

 作家の峰なゆかが「スマホで調べれば何でもわかる時代だし、物事を暗記することの価値は下がっていると思う」と指摘すると、本郷氏も「僕が担当しているテストでは何でも持ち込みOK。そういう問題しか出さない。スマホで調べてもいいし、むしろ"先生を持ち込みました"というような機転を求めている。論理性のある方が良い点を取れるように工夫して問題を作れば良い」コとメント。

 「昔、師匠の石井進先生(東大名誉教授、日本中世史の権威)に『先生が書く教科書は分厚いですね』と言ったら、『必要ないものは覚えなくていい。使えるところだけ使えば良いんだよ』とおっしゃった。高校の先生が『君たちが覚えたいところを覚えればいいと先生がおっしゃってくれればそれでいい。事件や戦争、改革などの事例について、先生が適宜メカニズムや概念を教えてくれてれれば、全てを暗記する必要はないはず。A、B、Cという材料が与えられたときに、そこからどういう歴史像を復元させ、立ち上げていくかというのが歴史学の肝。いくつもの材料の中から理論的に構築していく手順を覚えていく、それが大事なことではないか。その作業は他の分野でも応用が効く。2年で覚えたことは2年経てばすっかり忘れてしまう」。

 今回の問題について渋谷で話を聞いてみると、

 「良いんじゃないですかね、減ったほうが。勉強しなくて済むから」(女子高生)

 「同世代が知らないんだったら、別にいい。覚える単語が減るのはいい。歴史に関心ないし」(女子高生)

 「近現代は残すべきだし、大昔のことは減らしてもいいと思う。坂本龍馬を削るのは大反対」(中年男性)

 「歴史は面白いところがあるから興味を持って覚えるもの、反対」(中年男性)

 「上の世代が知っていることを、知らないってことはバカになる、だから反対」(女子高生)

 と、賛否両論だった。

本郷氏は「30年くらいしたら、歴史学がよりフレキシブルな社会学に取って代わられてしまう可能性もある。だからアニメやゲーム、ドラマ、小説もひっくるめて歴史を好きになってもらったほうがいい。今年の大河ドラマの井伊直虎も男性だったという説があるが、僕も直虎は男だと思う。でも、そういうことも教科書から削っていくということではなく、自由に話し合いをしながら面白がっていけばいい」と語った。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

 

よさこい祭り 自由と繁栄の神に捧げる舞 【更新】

2017-08-12 00:07:24 | 麗しき光の国 高知

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高知の夏の風物詩、「よさこい祭り」。

よさこい祭りは、北海道のよさこいソーラン祭りに飛び火し、全国にその名が知られるようになって、今では、「本家よさこい祭り」を名乗らないといけないようでございますね。(笑)

このよさこい祭り、今年が64回目と、祭りの歴史は近代になってからです。

発端は、お隣の徳島の阿波踊りに対抗したとも言われますし、とにかく暑いので、商店街にお客さんを呼ぶために、商工会議所などで有志が企画したとも言われます。

参加規約もゆるく、本家高知においても、年々参加チームが増えています。

参加ルールはこれだけです。

  • チームあたりの参加人数は150人以下。
  • 鳴子を持って前進する振り付け。
  • 曲のアレンジは自由だが、よさこい鳴子踊りのメロディーを必ず入れる。
  • 地方車は各チーム1台(必須・大きさ等に制限あり)。

実はこのよさこい祭り、日本の祭りにとって、とても重要なファクター(要素)がない、極めて珍しいお祭りなのですね。

祭りにとって、重要なファクターとは何か?

それは、「神」です。

祭りは元来、その年の年初に感謝するお正月から始まって、農作物の豊穣や豊漁や、商売繁盛を神に感謝したり、お盆などでは、先祖への慰霊の念があるものです。

この、祭り=神への感謝の具現化というのは、全世界共通のバロメーターであって、日本は世界中の宗教が紹介されている関係か、お正月には初詣(日本神道)、お彼岸やお盆(仏教)、ハロウィンやクリスマス(キリスト教)など、世界中のお祭りが行われております。

まぁ、ひょっとしたら、日本人は世界でも有数の、お祭り好きの民族なのかも知れません。(笑)

いや、お祭り好きなのは、宗教への造詣が深いということであり、基本的に、神への感謝の思いとか、畏敬の念とか、また逆の意味で親近感が強いという、日本人のメンタリティーがあるのだと思います。

政治のことを、「まつりごと」と呼んだりもしますが、祭りとは、神への感謝や誓いあってのものであるし、元来、祭政一致が原則の日本では、祭りと政治が一体であったということですね。

つまり、神の御心の実現が、本来の政治なのです。

 

このよさこい祭りは、始まりにおいては、暑い夏場のお客さん集めだったかも知れませんが、性別や年齢制限もない、衣装も音楽アレンジも自由と、これら参加規約の特性や、その踊りの多様性を見る限り、結果的に全く別の概念を創出したかも知れません。

それは、この祭りには、「自由と繁栄への願い」が込められているのではないかと思うんです。

だとすれば、極めてオリジナリティーの強い概念ですので、だからこそ短期間で、全国に広がったのかも知れませんね。

高知は本場ですし、昨今では全国でも注目されますので、踊り子さんたちは、高いレベルを目指し、祭り当日まで、それはそれは、熱心に踊りの練習をしております。

それは、市中のいたるところで見ることができます。

これはもう、現代的な「精進」そのものと言えるのではないかと。

またこの最も暑い時節、3日も続けて市中を踊り続けますが、これなども、現代の「苦行修行」そのものではないかとも。

よさこい祭りは、「自由と繁栄の神に捧げる舞」だと、私は思いますね。

舞は、高知県内においては、ライブでテレビ中継されておりますが、これなども、参加チームすべてが紹介されます。

有力チームだけではなく、初参加も含め、すべてのチームが放映されるのです。

そしてコンテストがあって、上位チームは、後夜祭でハレの舞台で踊れるんですね。

これなども、「自由」という概念を、どれだけ重視しているかだと思うんですよ。

つまり機会の平等が、完全に保障されているわけです。

この「機会の平等」こそが、「自由」の最も重要な部分なんです。

機会の平等があって、各々が工夫して、すべてが切磋琢磨して、結果、すばらしい披露ができたものを、皆が称えると。

過去には、「初参加で、一躍トップチームの一員に・・・。」という実例もあって、だからこそ最後まで面白いんですね。

これが、歴代上位チームしか紹介されなかったり、初参加チームは、ヘンテコなハンディがあったりしたら、ちっとも面白くないと思うんです。

本質的な面において、高知の方って、「自由の神の概念」を、心の奥底で感じ取っていると思うんですね。

よさこい祭りを見るたびに、私はそう思うんです。

もしも、日本の政治やマスコミが、この高知の自由の精神、完全なる機会の平等の祭りのスピリットを持っていたならば、政党用件などを持ち込んで、現存する議席数や過去の得票数によって、新たな政治を志す人たちを「諸派」扱いにして報道規制したり、有力な候補者だけを、連日テレビで紹介したりすることは、許されざることとなるはずです。

よさこい祭りの精神、「完全なる、機会の平等を重視する自由の精神」が、日本全国にとどろき渡ることを、祈念してやみません。

そして、高知の民の捧げる舞が、「自由と繁栄の神」への祈りとして届きますことを。

本日は経典『黄金の法』(幸福の科学出版)と、大川隆法幸福の科学グループ総裁と釈量子幸福実現党党首との対談集『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)の抜粋をお届けいたします。

                   (ばく) 

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第64回 よさこい祭り 本祭 初日 高知信用金庫 愛宕競演場 2017 8

Love surpasses Hatred ~「ファイナル・ジャッジメント」テーマ曲

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=154

天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。というのは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂国の女王となったことに起因しているのです。

天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。

天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。

「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから捜し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。

このように、神代の時代は、天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。

しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪心や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。

祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。

普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っておりました。

高級霊からの神示は的確で、だれひとりとして異論をはさめず、そのため、政治に秩序があったと言えます。

その時代にくらべると、現代の政治家たちは、知名度によって選出され、数のカで支配しており、やはり無秩序の感を免れえません。

真理に対して盲目の人々、権勢欲のみに目がくらんでいる人々による衆愚政治の観があります。

一日も早く、徳治政治への切り換えが、また、人徳ある人の出現による政治の向上が望まれます。
『黄金の法』(幸福の科学出版)P199~201

 

 

宗教が政治を行うことに関して、「政教分離規定があるから、どうのこうの……」と否定的に捉える人もいます。

憲法の政教分離規定だけを捉えて、そのように言うのは構いませんけれども、それでは、憲法一条の「天皇制」はどうなのでしょうか。

本当に政教分離を言うのであれば、実は、天皇制が成り立たなくなるのです。

そうすると、日本国憲法が最初から崩れてしまうんですよね。(中略)

戦後、歴史の教科書からは消えているかもしれませんが、「天照大神の子孫が天皇家である」ということになっています。

したがって、憲法上、象徴制であろうがなかろうが、天皇家が日本国の中心でなければならないし、天皇制があるために日本は存続しているわけです。

現代のアメリカ民主制的なものの考え方で、そのままストレートに考えたら、天皇制と国民主権とは、合うはずがないではありませんか。全然、合っていないですよ。どうして、それが合いますか。

天皇制というのは、はっきり言えば、王権神授説の考えですよ。(中略)

「神様やその代理人が地上に降りてきて国を治めているのだ」という王権神授説がありますが、君主制などは、みな、そうですよね。

これを打ち破ったのが、フランス革命で、王様たちをギロチンにかけて首を斬っていきました。

そういうフランス革命的なものを民主主義と呼ぶのであれば、天皇制とは合わない。

つまり、最初から、憲法として矛盾する形態になっているんですね。

そのようなものをくっつけてやっているのは、実は、政教一致、祭政一致の考え方が裏にあるからです。

要するに、「天皇家は神々の子孫だから、やはり別格である」という考え方が裏にあるために、天皇制が成っているわけです。(中略)

国民の総意に基づいて天皇制がある一方で、国民主権というものがあります。この部分は、法律論的、憲法論的には、本当はぶつからなければいけないところなのですが、なぜか、訳が分からないまま、うまくくっついています。

その理由は、実は、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」なんですよ。(中略)

この部分を無視して、政教分離だけを言っているわけですから、憲法学者もジャーナリストも、本当はまったく分かっていないのだと私は思います。(中略)

右翼も、「皇室を守る」と言っていますが、「天皇は神々の子孫だと分かっているのか」と言えば、それは、全然、分かっていないのです。そもそも神棚が消えていますのでね。

だから、もう少し根本的に考えなければいけないですね。
『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党出版)P32~39

 


高知を、日本の人口減対策のモデル地区とするべきだ!

2016-03-03 16:50:30 | 麗しき光の国 高知

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日本が、国勢調査を始めて以来、初の人口減に転じました。

それに伴い、国会議員の定数がどうのこうのと言っているようでございます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160226-00000027-jij-pol

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160227-00000004-mai-pol

しかし私は疑問に思うのです。

しかし問題は、人口が減ったのですから、だから議員を減らす・・・ではなくて、人口が減らないようにするには、政治としてどのような具体策があるかを検討するべきではないでしょうか?

年間の総出生数が、総死亡数を下回ったのですが、少子高齢化が叫ばれて以来、政治的に有効な手立てを打てているとは、私には到底思えません。

しかし政治は政治で、こう思っているのではないでしょうか?

いや、きっとそうに違いありません。

「国民の自由意志に基づき、個々人が生まないのだから、それは国民の自由意志による選択の結果であって、政治の責任ではない。」

「むしろ、国民が各々の自由意志によって、人口減になっているのを、政府は何とか補おうとしているのだから、感謝されるべき立場である。」 と。

しかし、果たしてそうでしょうか?

私には、そうは思えないのです。

下のグラフをご覧ください。

この統計から、実に面白い答えを導き出すことができます。

グラフから明治以降、日本では空前の人口増を続けてきたことがわかります。

注目していただきたいのは、江戸時代が始まって以降、緩やかな人口増があり、1200万人だった人口が、3000万人まで増加しています。

そして特徴的なのは、江戸時代中期の享保年間、ちょうど8代将軍吉宗の時代から、明治が始まるまでの間、ほとんど人口の増加が見られないことです。

江戸時代が始まってからは、戦国時代が終わり、戦乱の世が終わったことで、人口が増え始めたのは理解できます。

しかしなぜ、江戸中期から、日本の人口は停滞したのでしょうか?

男女の営みによって子宝が得られるのは、江戸時代も現代も同じです。

ならば日本は、明治以降なぜ急速な人口増に転じたのでしょうか?

これがわかれば、人口減に歯止めをかけられるのではないでしょうか?

このグラフのある平安時代から明治時代の始まりまでは、経済の基本は米でした。

昔の日本は、言わば、「米文明」だったと言えますよね。

縄文時代の日本人は栗を主食としていたことがわかっていますが、その頃は「栗文明」とも言えますね。

縄文時代とその後の弥生時代を分ける大きなポイントは、栗から米へ、文明の機軸が大きく変わったことです。

縄文時代の日本の総人口は数万人とも言われますから、栗と米、この穀物が持つエネルギーが、文明力の差でもあり、それが人口の差とも言えるのではないでしょうか?

明治以降の日本は、それまでの米文明から脱却し、殖産工業を中心とした、近代的で大きな経済を持ちました。

その文明力こそ、これまでの人口増の秘密であったと思うのです。

要するに、文明の持つエネルギー総量が大きければ、大きな人口を養うことができる・・・と言えるのではないでしょうか?

つまり、「子供が増えても、生活レベルが落ちなければ、子供は増える」ということです。

子供が増えれば、当然、生活の消費量が増えます。

その増えた消費を、補ってあまりあれば子供は増え、子供が増えれば、生活レベルを下げざるを得なければ、子供は減る。

こういう経済法則が成立すると思うのです。

現実、現代日本では、人工妊娠中絶の数が、年間100万人前後と言われます。

普通のイメージで人工妊娠中絶と言えば、若気の至り、若い頃の過ち的なものを、皆様はご想像するかと思いますが、医療者である私は統計を知っています。実際は、3人目のお子さんが、もっとも中絶されているのですね。

これが悲しい現実です。

要するに現代の日本は、子供を3人、生むことができない社会だということです。

つまり今人口減に至った日本は、明治以降の文明の富の機軸を米から変えてきた文明力が限界に達した・・・と言えるのではないかと考えます。

であるならば、日本に必要なことは、国会議員の定数削減ではありません。

それはただ、日本国民の政治選択の自由を狭めるだけです。

今やらねばならぬこと、それは、更なる経済成長です。

経済成長による富の創造こそ、人口減という、日本文明の危機を救います。

日本は一生の内で、子供を3人でも、個々の家庭の経済がびくともしないくらい、大きな経済となるのを目指すべきだと思います。

      福山まさとし 高知・徳島代表  http://ameblo.jp/ma-fukuyama/

 

愛する高知は、日本のなかでも、早くに人口自然減にいたりました。

日本国内的に言えば経済規模の小さな高知で、有効な手立てを実験すれば良いと私は思うのです。

高知でノウハウを得、全国版に普及できるよう、熟成させればよろしいのではないでしょうか?

その一案こそ、幸福実現党 福山まさとしの、「高知・徳島”合区特区”構想」です。

高知と徳島くらい、特別に減税したり規制緩和をしなければ、ここの人たちは、すでに絶滅危惧種だぞ!と言っているわけです。

高知徳島両県民が、天然記念物になる前に、「合区特区」を勝ち取るべきだと、高知を愛する私は、心よりそう思っているのであります。

                      (ばく)


土佐のクジラと、世界一旨い土佐湾の魚。

2015-04-01 21:21:30 | 麗しき光の国 高知

            高知のホエールウォッチング風景

土佐湾にはクジラがいます。

土佐湾にいるクジラには、ある大きな特徴があります。

それは、土佐のクジラは世界で唯一、回遊しないクジラ ということです。

それは、NHKの動物番組でも取り上げられています。http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?sp=p088

毎週日曜日午後7時30分よりテレビ放送 NHKダーウィンが来た(第88回) 「土佐のくじらは池に住む」

 

クジラは、大食漢です。

クジラのエサとなる魚やプランクトンは、栄養の豊富な寒流に多くいます。

寒流の多くは、冷たい海底から湧き上がったものなので、栄養分が豊富です。

反対に暖流は、海の表面を流れているので、栄養分が生き物に食い尽くされていて、海の砂漠と呼ばれます。

 

子クジラは体が小さく、冷たい環境に耐えられないので、親クジラは栄養の乏しい南の海で、約半年間ほぼ飲まず食わずで出産と子育てをします。

そして子クジラが育って、冷たい環境に平気になったら、エサの豊富な北の海で、腹いっぱい食べまくるのですね。

これが、クジラの回遊メカニズムです。

 

エサ場を求めて回遊するクジラが、回遊しないでも暮らせる土佐湾。

それは、大食漢のクジラが、飢えることなく暮らせるだけのエサがあるということです。

これは土佐湾が、世界一豊かな海である証拠だと、もう言い切って良いと思います。

 

もちろん他の海域にも、良い漁場はあるし、おいしいお魚はあると思います。

しかしそこには、そこで生まれ、そこで生き、そこで死んで行くクジラはおりません。

 

では元来、「海の砂漠」と呼ばれる黒潮。

黒潮の流れ込む土佐湾が、なぜこれほどまでに豊かなのでしょうか?

通常ですと、栄養たっぷりですが、海水温の低い寒流と、栄養はほとんどないが、海水温の高い暖流のぶつかるところ(潮目)で、魚のエサであるプランクトンが大量発生します。

その潮目を狙って、小型の魚が集まり、その小型の魚をエサにするカツオや、マグロなどの大型の回遊魚が集まります。

 

 

ですから、寒流と暖流のぶつかる潮目は、良好な漁場となり、その多くは、日本だと東北以北の北の海です。

 しかし、土佐湾は南に位置するので、寒流は到達しません。

どういうことでしょうか?

 

実は土佐湾の海底から、湧き水が上がって来ているらしいのです。

高知県の方ならご存知ですよね。

室戸の海洋深層水・・・というのがありますね。

 

ああいう感じで、土佐湾の海底からは栄養たっぷりの、海底から湧き水が湧き出るポイントが、いくつもあるらしいのです。

 

 

 

つまり、土佐湾自体が、天然の潮目となっているということです。

そう土佐湾は、奇跡の海なのです。

 

ですから高知のお魚は、新鮮だから美味しいのではなく、土佐湾の環境で育つから美味しいということです。

 

つまり、土佐湾で暮らす魚たちは、栄養たっぷりの海域で育っているので、魚自体が超え太っていて、うまみ成分が嘘みたいに多いということです。

ですから高知では、山間部でいただくお魚も美味しいです。

もちろん、港町でいただく方が美味しいですが、山間部であってもおいしくいただけるのは、魚自体のおいしさが圧倒的だからだと思います。

 

  

土佐湾にクジラがいる限り、「高知の魚は、世界一美味いぜョ!」と言い切って良いと私は考えています。

世界で唯一、土佐湾で生まれ土佐湾で死んでいく、土佐のクジラが証人です。

 

そして私は、こういった高知の特殊な環境を生かして、攻めの地域づくりをするべきだとも考えています。

その方法論やアイデアに関しては、ブログ記事で折々、お届けできればと存じますし、またぜひ、読者の皆様方から、ご意見を頂戴できればと存じます。

                               (ばく)

 

 


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