本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。
私たちは、幸福の科学という宗教を奉じております。
宗教と言えば、なんだか時代遅れのようなイメージがあるかも知れません。
しかし、今では万能と言われる科学は、元来は「宗教を説明するためにできた」と私は思っております。
ガリレオ・ガリレイ然り、ニュートン然り、アインシュタイン然り、湯川博士然り、超一流と言われる科学者は、皆一様に神仏を信じていました。
「仏陀やモーセやイエスキリストといった、偉大な宗教家が説いた神や人間、そして神が創った宇宙やこの世界を、万人に理解できる形で説明するのが科学」
これが幸福の科学の基本的立ち位置だと、私個人としては認識しております。
ですから宗教と科学は、幸福の科学的に言えば対立せず、むしろ補い合う形で、教えの中では融合しているスタイルなのですね。
科学では、原因と結果が重視されますが、仏教でも「因果の理法」や「縁起」を重視します。
因果とは、「親の因果が子に祟り。」と言われて、なんだかあまりよろしくないイメージがあります。
縁起も、「縁起が良い。」とか、「縁起が悪い。」とか、日本では日常言語にもなっていますが、これらは仏教用語です。
因果とは、原因と結果です。
縁起とは、原因と結果を結びつける、中間因子のことです。
たとえば、「マッチ一本火事のもと」ですけれども、マッチ一本あっても、燃え広がるためには、新聞紙のように、何か火を大きくする媒体が必要ですね。
これが「縁」です。
「袖振れ合うも、他生の縁」と申しますが、こういう「縁」を媒体として、結果が起こることを称して「縁起」と言います。
このように、さまざまな事象を、原因と結果に基づいて分析していくのが仏教のスタイルですが、これは、科学の分析スタイルと同じなわけです。
仏教の祖師であるお釈迦様は、科学者でもあるわけですね。
そして仏教の代表的なお経で、般若心経(はんにゃしんきょう)の一節では、色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)という有名な文言がございます。
色(しき)というのは、仏教的な解釈では、「目に見えるもの」ですので、これは物質と解釈できます。
空(くう)というのは、これはさまざまな解釈がありますが、「色」との対峙で、「目に見えないもの」と解釈可能ですね。
無(む)という概念も仏教にはありますので、空は「目に見えないけれども、存在するもの」という概念だろうと思われます。
「目に見えるものは、すなわち、目に見えないものと同じだ。」
直訳すると、なんだか訳がわからない文言でございます。(笑)
しかしこの「空」を、仮にエネルギーと解釈いたしますと、様相が一変するのですね。
色即是空とは、アインシュタインの「特殊相対性理論」の有名な公式、「E=mc2」同じだと言えるのです。
特殊相対性理論とは、あらゆる物質に含まれるあらゆるエネルギー(E)は、質量(m)×光の速度(c)の2乗という数式で説明したものです。
つまり物質(色)は、光の速度を2乗しただけの、エネルギー(空)を内包しているということです。
現実にこの理論をもとに、原発などは稼動しているのですね。
「特殊相対性理論の第1発見者は、2500年前のお釈迦さま。」こういう言い方だってできるわけです。
そして少なくとも、2500年前のインドの人々は、このお釈迦様の説法を聞いて理解できた、もしくは、信じることができたということは、般若心経が残っていることから事実だということです。
何が言いたいかと申しますと、宗教とは決して、未開の人類が、苦境から現実逃避するために作り出したものではなく、元来は高等な学問でもあったということです。
つまりは宇宙や世界、そして人間と人生における、真理の探究が宗教の本質であるということです。
その、真理の追究において、科学も哲学や諸学問も変わりはないし、そのたどり着いた真理に基づき、それを理想とすることで、芸術や文明ができてきたことや、宗教が理想とする社会を築こうとする、具体的な施策こそが政治だということです。
真言密教のマンダラ(多次元宇宙論とも言えますよね。)
ですから私は、現代において、そして未来に向けて、皆様に勇気を持って、神仏を信じていただきたいのです。
その皆様お一人お一人の勇気を、このブログでお助けする一助になればと、私は心より願っております。
ということで本日は、経典『ユートピア創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)より。相対性理論を超える理論をご紹介いたします。
きっとお釈迦様も、難解と言われる般若心境を、このように「さらっと」お説きになったんでしょうね。
では、またのお越しを。
(ばく)
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いま地球に来ているUFOの技術は、それほど高いものではありません。地球の科学文明から見ても、あと百年もすれば充分に入手できる能力です。
ただ、そのためには、超えなければならないハードルがあります。物理学者のアインシュタインは、「光の速度(光速)を超える速度はありえない」と言いましたが、そうした物理学を超えなければならないのです。
人間が肉眼で見ることができる宇宙の星は、何百光年、何千光年、何万光年、何十万光年の距離を隔てています。現在のスペースシップ(宇宙船)では、その距離を移動することは不可能です。
では、アインシュタインの定義を超える速度を持った乗り物を、はたして人類は開発することができるのでしょうか。
可能です。私は光の速度を超える速度を知っています。それは、異次元世界において、すなわち、四次元以降の「霊界」といわれる世界において、私が常に体験していることです。
四次元以降の世界においては、過去の世界を見ることも、未来の世界を見ることも可能です。タイムマシンの原理と同じように、何百年前、何千年前の時代を見ることも可能であり、また、未来を見ることも可能なのです。
これは、「霊的な速度(霊速)は光速を超えている」ということを意味しているのです。
霊界のなかには、地球だけで完結している部分と、地球以外の他の星や銀河と連結している部分とがあります。
特に、「九次元」といわれる世界、別名「宇宙界」ともいわれる世界においては、地球霊界と、知的生命体が住んでいる他の星の霊界とは、つながっています。
三次元世界において、光の速度で何万年も何百万年もかかる距離であっても、霊界を通ると、一瞬で移動することが可能です。要は、異次元空間を飛ぶ科学を開発することです。そして、それは可能なのです。
現在の物理学や天文学の限界の果てにあるもの──それは私たちが科学している霊界の科学です。
この両者が合体したとき、人類は異次元空間を旅行して、他の惑星に行くことが可能となるでしょう。
現在の科学技術をもってしては、月や火星に植民都市をつくることをもって、人類はまだその限界としていますが、やがては異次元空間を飛んでいくことが可能となるでしょう。私はそれを予言しておきます。
『ユートピア創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)P130~132
本年8月28日(金)公開 映画『心に寄り添う 3 奇跡との出会い』より https://aripro.co.jp/products/kiseki/
本年10月16日(金)公開 映画『夜明けを信じて』より https://yoake-shinjite.jp/