![ãã³ã ãã¬ãªã¥ã¼ã XX 1982-87](https://b-cles.jp/car/wp-content/uploads/2015/07/honda_prelude_1982-87_1.jpg)
ホンダプレリュード(2代目)1982年~1987年
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このブログは、高知に暮らす幸福の科学信者による布教ブログですが、代表編集長の私は大の自動車好きでして、それが高じて時折自動車関連記事をお届けしております。
布教ブログとしては、はなはだ申し訳けないのですが、これが結構アクセスを稼いでおりまして、いつまで経っても心というテーマでは踏み込んだ記事の書けない編集長(笑)でも、「自動車という窓から見える社会性には、一定の説得力があるのかな?」と自負しております。
さて今回は、前回に引き続きホンダの話題から。
シティーやVTECの記事でもご紹介しましたけれども、80年代のホンダ車は、原理主義的というか、突き詰めたというか、そういう意味で、後々に大きな影響を与えた傑作車が多いです。
今日のお題のプレリュード(2代目)ですけれども、そういう原理主義的なホンダだからこそ実現した傑出した作品です。
プレリュードの何が突き詰められているかというと、FF、つまりフロントエンジン・フロントドライブ車でありながら、前の低い素晴らしいプロポーションを得、そしてなおかつ、卓越したハンドリング性能を誇ったことです。
今でこそ、数々の技術的革新と普及により、運動性能云々が言われなくなったFF車ですが、プレリュード出現以前のFF車は、「スタイルが凡庸で、ハンドリングは評価対象外」というのが一般常識でした。
それをホンダは、「FFでもスタイリッシュで、ピカイチのハンドリングが可能」ということを、現実的に示して見せたのです。
その始まりは、「ボンネット(エンジンが収まる、ボディ前方部分)を低くして、かっこいい商品を作ってくれ。」という、営業サイドから技術部門への、ひとつの提言によって行われたようです。
この提言には、FF車しか生産ラインのないホンダにとって、「無理じゃ!」と突っぱねても良かった事情がありました。
というのも2つの事柄から、FF車に低いボンネットは無理な条件があるからです。
一つはエンジンの存在です。
エンジンには当然、それ相応の「高さ」が存在します。
ボディ後方にエンジンのあるミッドシップや、ポルシェ911などのRR(リアエンジン・リアドライブ)車ならば、いくらでも低いボンネットが可能ですし、エンジンを後方に下げられ、なおかつ、前輪の前の空間を自由に伸ばせるFR(フロントエンジン・フロントドライブ)車でも、寸法に余裕があればボンネットを下げることは可能です。
しかし横置きとはいえ、前タイヤ前方にエンジンを積むFF車では、エンジン搭載高以上にボンネットの高さを下げられない事情があります。
![「ポルシェ930ターボ」の画像検索結果](https://www.autocar.jp/wp-content/uploads/2017/08/porsche930turbo_170818_01.jpg)
そしてもう一つが、タイヤを吊るすサスペンションの存在です。
サスペンションがなぜ必要かというと、乗り心地をよくするのはもちろん、タイヤを地面に押し付けて接地させるためです。
タイヤが地面に接地できなければ、自動車は進むことも曲がることも止まることもできません。
つまりサスペンションがなければ、自動車は安全な運転ができないのです。
サスペンションには独立式と固定式と半独立式がありますが、自動車の前輪のサスペンションは、よほどの強度を必要とする車種でない限り独立式です。
ちなみに現在の乗用車で、前輪が固定式サスペンションなのは、スズキ・ジムニーだけだと思われます。
固定式だと他のタイヤの影響をどうしても受けてしまうので、後輪に比べ圧倒的に重要な働きをしている前輪には、高価な独立式でなければ高速での運転操作が難しくなります。
しかしFF車の前輪を吊るすサスペンションで問題となるのは、タイヤとサスペンションを収めるスペースです。
FF、特に現在主流の、エンジン横置き搭載のFFには、横方向に余分なスペースが一斉ありません。
![](http://www16.tok2.com/home/carmeet/event/syouwahonda/pre2ndeng.jpg)
独立式のサスペンションの形式には、ダブルウィッシュボーン式とストラット式がありますが、それまで横置きエンジン搭載のFF車では、横方向のスペース効率に優れるストラット式しか搭載例がありませんでした。
しかし「横方向にスペース効率に優れる」ということは、「縦に長い」ということでもあります。
ですので、それまでのFF車では、低いボンネット高のかっこいいスタイルは不可能だったのです。
しかしホンダは、このFFにまつわる問題を、見事に解決してみせたのです。
一つは、エンジンを傾斜させて搭載したこと。しかしこれは、他にも実例がありました。
しかしもう一つは、まったく新たな挑戦でした。
ホンダの新技術、それは、横方向のスペース効率に優れた、ダブルウィッシュボーン式サスペンションです。
ウィッシュボーンとは鎖骨のことで、V字型のリンクの形状が、鳥の鎖骨に似ていて、それを二本使用することから、ダブルウィッシュボーン式と呼ばれます。
![ストラット式](http://driving310.com/wp-content/uploads/2016/02/image-10-300x293.jpeg)
自動車のタイヤは、上下にしか動いて欲しくないものです。
しかしタイヤを何も固定しなければ、グラグラです。
動いてほしい上下だけでなく、正面から見て左右に動き、タイヤの接地角度が変化(キャンパー変化と言います。)し、横から見て前後に動き(キャスター変化と言う)、上面から見て左右に動き(これをトー変化と言います)ます。
この厄介なタイヤのキャンパー変化、キャンパー変化、トー変化を抑制するためには、タイヤホイールが連結している部品を、上下それぞれ二方向でボディに連結必要があるのです。
![](http://www.abe-auto.co.jp/araimennto%201.png)
これがダブルウィッシュボーン式サスペンションですが、上下2本のウィッシュボーンが動くだけの、広大なスペースが必要で、巨大なタイヤハウスが必要です。
もう一方の主流のストラットサスペンションは、タイヤ関連の下方向のみボディに連結し、上方は、上下の衝撃を抑えるダンパーで兼用しています。
部品が少ないですし、踏ん張りも強いですが、どうしても背の高い構造になります。
何かが優れていれば、何かが劣っているのが「真実の姿」であり、優れた部分を磨き、劣っている部分を克服する努力こどが「文明の進歩」なのです。
さてそれまで誰もなしえなかったプレリュードの前輪革命は、タイヤ関連部品の上部を支えるウィッシュボーンの形式を変更し、タイヤの上方にまで追いやって、なおかつずらした形状の、アッパーアーム式と呼ばれるものです。
![å³6](http://image.itmedia.co.jp/mn/articles/1105/16/yk_link02_2-6.gif)
このプレリュードのサスペンション形状だと、レースなどの究極的な状況であれば、強度やトー変化に問題が出る可能性がありますが、一般的な高速道路走行くらいでは、ダブルウィッシュボーン式サスペンションらしい、しなやかさが失われることはなかったはずです。
「横方向のスペース効率に優れたダブルウィッシュボーン式サスペンション」で、一般的なFF乗用車では不可能だった、低いボンネットを実現し、その優れたプロポーションで、2ドア車では、異例とも言えるヒット作となりました。
ここで称えたいのは、プレリュードまでにも、ホンダSシリーズで日本初のDOHCエンジンを発表し、F1に出場して優勝し、シビックのCVCCで排気ガス規制に立ち向かったホンダの、まさにホンダスピリット「為せばなる 為さねばならぬ 何事も 為らぬは人の 為さぬなりけり」の、苦境に立ち向かう挑戦精神です。
この「為せばなる ・・・」は、有名な米沢藩9代目当主であり、上杉鷹山公の言葉です。
幸福の科学大川隆法総裁の霊査によれば、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の前世が上杉鷹山公とのこと。
ホンダに脈々と流れるホンダスピリットと、上杉鷹山精神との共通点はまだあります。
鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得には、
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。
とあります。
![「本田宗一郎」の画像検索結果](https://www.nippon.com/ja/ncommon/contents/column/82188/82188.jpg)
一方、本田宗一郎氏は、自身が一代で築いたホンダを、御自身の子孫に譲りませんでした。
「会社は公器」という本田氏の精神でしょうが、これも、藩の私物化を戒めた鷹山精神に通じますよね。
今の為政者には、何かと言えば増税を口にし、まるで「国民の財産は俺のもの」と言わんばかりで、「ホンダで研修なさったらいかがか?」と苦言を言いたくなります。
そう気が付けば、総理も副総理も、その他の先生方も、みんな二世議員ばかりですよね。
ということでマニアックなメカの話から、偉人の言葉、そして現代日本政治への苦言まで、このブログらしく、脱線に脱線を重ねて参りましたが(爆笑)、本日は、上杉鷹山霊言『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、今のお上に聞かせたい、日本史上屈指の名君の言霊をご紹介いたします。
(ばく)
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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】
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お上のほうも、自分たちの仕事の付加価値というものを客観的によく考えて、襟を正さなくてはいけないと思うんですよ。(中略) 公務員は、まず、給料やボーナス等が適正かどうかを考えるべきですね。民間よりたくさんもらっているところもあると思うんです。実際に、いい仕事をしているなら、まあ、文句は言いませんけれどもね。だけど、その額は、法律や条例等で決められますから、改まるのが非常に遅いし、弾力性に富んでいませんね。やはり、こういうところは考えるべきでしょう。
それから、「公立病院の病院長には経営責任がない。県知事や市長等に経営責任や人事責任までがある」と言われているんでしょう? これでは、病院のシステムについて改革しようがないではないですか。当然、病院長に経営責任を取らせるように努力しなければいけないでしょうね。(中略)
やはり、「経営という問題をクリアせずに、国家の財政赤字を、全部、税金の問題にすり替える」というのは基本的に間違いなんですよ。「まずはきちんと経営を再建することが大事だ」ということですね。
もちろん、経営再建のなかには人員削減も含まれていると思いますが、少なくとも、公的な組織のトップに経営責任を与えなければいけない。経営責任と、それに伴う権限の両方を与え、独立した経営体として運営していける方法を考えさせなければいけないわけです。(中略)
やはり、「経営体としてやるべき努力は、全部、試みる」ということと、「公的な組織の長に決定権を与えて、責任を取らせる」ということが大事ですね。
例えば、「この公立病院を三年以内に黒字にしなさい。できなかったら、あなたはクビです」というように、タイム・リミットを決めて、やらせることが基本ですね。そう言われたら、自分がクビになりたくない人は、経営改革をせざるをえないでしょう。その際に、「黒字の病院では、どうやっているのか」ということを参考までに教えてあげるのは大事だと思いますね。
ですから、まずは、そういう経営レベルの努力をし、それでも足りなければ、次に税金問題になるのであって、それをやらずして増税を論議すべきではないんです。
今、「高所得者の累進課税率をもう少し上げるべきではないか」「消費税も十五パーセント、二十パーセントと上げるべきではないか」などと言っているけれども、経営レベルで努力した上でなければ、そういう議論は基本的にすべきではないと私は思いますね。まだ、全然やれていないと思います。やはり、経営努力しなければ駄目ですよ。
国家公務員および地方公務員等の仕事が効率的になり、サービスが向上して、国民が、「もうちょっと税金を払ってもいい」と思うような状況にならなければ、税金は取れないし、また、そうした良い状況になったときには、おそらく、増税が要らなくなっているはずです。
「黒字の公益法人を見つけては、それをいじめる」などということも、現実には起きているわけでしょう?(中略)これは考え方が基本的に間違っていると私は思いますね。
そういう非営利法人であっても、それだけ利益がたまってくるのは、ニーズがあるからですよ。(中略)多くの人々が「その料金は妥当だ」と思っていて、それで利益がたくさん出るんでしたら、もう一段、事業として裾野を広げていくべきです。(中略)
そういう利益が出ているところは、「民間会社並の可能性がある」ということを意味しているので、そこに公務員を引き取ってもらうようにしたほうがいいですね。単に失業者を出すよりは、そのほうがいいと思います。そして、そのなかで、多少なりとも違ったサービスを提供できるように努力していくべきですね。
先ほど言った「漢検」もそうです。これから、移民が増えてくれば、外国人に漢字を教えるような事業が、当然、出てきますよね。そういう事業をやるために、先生を雇い、いろいろな所に教室を展開したら、当然、費用はかかり、利益は消えていきます。でも、それは移民を増やすために必要な事業でしょう? 漢字が読めなければ日本人になれないですからね。
ですから、「漢検は利益が出すぎているから、外国人に漢字を教えるような事業を展開して、その黒字部分をもう少し投資に充てなさい」というような業務指導をするのが当然であって、「利益が出すぎるのは、けしからん」「本当に悪いことをしている」「着服したのではないか」などと言いすぎるのは問題ですね。(中略)
「英検」みたいなものだって、受験者が増えれば増えるほど、当然、利益が増えますが、「利益が増えたから、けしからん」という考えは間違いですね。そういう英語の検定試験を受ける人が増えることは、「日本人が英語の資格に対して一定の値打ちを認め、英語能力を上げようと努力している」ということなのですから、それを悪いことのように言って潰そうとするのは間違っています。
やはり、その英語事業を多角化していって、もう一段の国際人をつくれるような事業形態をつくり、公務員の余剰部分を吸収して、彼らが稼げるような体質に何とか持っていくべきです。
「それは、民業を圧迫するから、いけないことだ」という考えもあるけれども、そんなことはないんですよ。非営利法人がそれだけの競争力を持っているのであれば、民間は民間で、それに負けないように、さらに頑張りますからね。「公立の小・中・高」対「塾・予備校」の戦いでは、軍配は明らかに民間のほうに上がっているわけですから、非営利法人がそういう事業をやっても、民間はいくらでも参入できるんです。
公のものがよくなれば、民間も、さらにそれを超えるべく努力する。それが、まあ、資本主義市場経済のあるべき姿ですね。
だから、「事業仕分け」もいいけれども、ちょっと間違わないようにしなければいけませんね。基本的には、黒字になったほうがいいんですよ。増税しないで黒字になるなら構わないんです。
公営のもの、非営利のものでも、増税をしないで黒字化できる事業は良い事業なんです。「増税して黒字にする」というのは、最悪、最低、最後の仕事ですね。
『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)P214~225
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