幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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「人のために」と思って努力しよう

2019-08-31 20:43:25 | ヘルメスエンジェルスの世界

 

月刊誌ヘルメスエンジェルス 154号 大川隆法総裁「光のことば サクセスNo,1の精神」より

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「人のために」と思って努力しよう

前号では、「成功してお金持ちになりたいと思うなら、「お金をもうけよう。」とするのではなくて、「大勢の人の役にたつような仕事をしよう。」とすることが大事だ。」という話をしたね。

いま、スーパーマーケットでも、デパートでも、そこにあふれているようなヒット商品は、そういう思いでつくられたものだ。

大勢のお客様が、「これは便利だなあ。こんなにいいものが、こんなに安く手に入るのか。」と思うようなものをつくった人が、大成功をし、会社も発展して、収入も増えているんだよ。

だから、「人のために。」と思ってした仕事が、実は自分のためになるんだ。

反対に、「自分のために。」と思ってごまかしたりすると、それは自分のためにならなくなるんだ。

たとえば、ある大手のお菓子の会社が、消費期限(安全に食べられるぎりぎりの日付)の切れた牛乳や卵などを材料に使ったことで、社会的に非難を浴びたことがあった。

会社の利益のことだけを考えたら、期限切れの牛乳や卵であっても、実際にはまだくさっていないものだったら、「起源は過ぎているけれど、寒い季節だからまだ使える。」などと思ってしまう。

「原材料を仕入れるためにお金がかかっているから、捨てるのはもったいない。まだくさっていないのであれば、使ってもかまわないだろう。そうすれば、仕入れた値段の分について損をしないですむ。ほかに見ている人もいないし、食べる人にも、どうせわかりはしないだろう。」と考えるわけだね。

会社の中のことだけを考えたら、それですべてうまくいくような気がするんだ。

しかも、会社が得するようなことを現場の工場で行ったならば、上司や、会社の社長までが、ほめてくれそうな気がするんだね。

しかし、悪いことをしていると、必ずどこかでばれるものだ。

やがて、ある工場で消費期限切れの材料を使っていたことがわかると、「それなら、きっとほかの工場でも同じことをしているのだろう。どの商品も、みんな、そういう材料を使ってつくられているのだろう。」と思われて、会社はいっぺんに信用をなくしてしまうんだ。

その会社の商品を買う人はいなくなり、スーパーも商品をもう置いてはくれなくなる。

そうなると、会社がつぶれそうになって、本社ビルを売りに出して、お金に換えなければならなくなったり、ほかの会社に助けを求めなければいけなくなったりする。そんなことになってしまうわけだね。

これは、その会社が、正直ではなかったからだ。お客様をだまそうとしたからだね。

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本当に人々の幸福を考えたならば、どうすればよかったのだろう。

自分の会社のことよりも、お客様のことを第一に考えたなら、「健康に害のあるようなものは使えない。」と言って、期限を過ぎたものはパッと捨てるべきだろう。

昔は、スーパーなどでも、おきゃくさまに対して正直ではないことをしていたんだ。

スーパーで商品を棚にならべるときに、古い商品が売れ残らないように、「新しく入ったものは後ろの方に隠して、古いものを手前にならべるのがよい。」と言われていた時代もあるんだ。

ただ、これは正直ではない。

お客様は、きょう入ったものを、きょう買えたらうれしいよね。

パンや弁当も、つくりたてのもの、入りたてのものをお客様に買って食べてもらったら、いちばんおいしいし、お客様のためになるはずなんだ。

そのため、発展しているところでは、一日に三回も商品を仕入れていたりするんだ。

やはり、「新しいものを手前に置く。」というやり方をしたお店が発展していき、「新しいものを後ろへ回し、古いものを手前に堕して、売れ残りをなくそう。」としたお店がすたれてつぶれていっているんだ。

それは、結局、会社が自分たちのことしか考えていなかったからだね。

幸福の科学月刊誌 https://happy-science.jp/info/2017/29431/

映画『光り合う生命。-心に寄り添う。2-』予告編  

 

大川隆法総裁 プロフィール

大川隆法 幸福の科学グループ創始者 兼 総裁

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は2,900回を超え(うち英語説法130回以上)、また著作は31言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,500書を超える。『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、映画「宇宙の法-黎明編-」(アニメ・2018年10月公開) 「僕の彼女は魔法使い」(実写・2019年2月公開) 「光り合う生命。-心に寄り添う。2-」(ドキュメンタリー・同年8月公開) 「世界から希望が消えたなら。」(実写・同年10月公開) 「心霊喫茶『エクストラ』の秘密 -The Real Exorcist-」(実写・2020 年公開) など、18作の劇場用映画を製作総指揮・企画しているほか、映画の主題歌・挿入歌等、100曲を超える作詞・作曲を手掛けている。

ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)会長、ARI Production(株)会長でもある。

 

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】


特許4件!学会発表20件‼ハッピーサイエンス・ユニバーシティーの、誇るべき成果!

2019-08-31 00:49:31 | 幸福の科学学園・HSU

 

 

 

 

 

 

映画『光り合う命』より https://aripro.co.jp/products/hikariau/

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先般、幸福の科学の大学機関ハッピーサイエンス・ユニバーシティー(通称HSU)から、渡邊和也専務理事が来高し、ご講話を賜りました。

渡邊和也さんと言えば、昨年上映され、週刊集客ランキングで2週連続1位を記録したアニメ映画、『宇宙の法・黎明編』で、一躍人気キャラとなった、ザムザのモデルになったと言われる御仁です。

それはさて置き、今回伺った話でビックリしたのは、開校から4年経過したHSUの学業の成果です。

HSUには文系の人間幸福学部、理系の未来産業学部、芸能・政治を学ぶ未来創造学部、経営を学ぶ経営成功学部がありますが、理系の未来産業学部では、この4年間で、特許4件、学会発表20件もの成果を上げたとのことです。

スゴイです。

特許4件、これは文句なしです。

このペースで行けば、HSUが、幸福の科学グループの稼ぎ頭になる日も近いのでは?

いや、国富を稼ぐ大学になるかもです。

そして学会発表というのは、必ず「新発見」もしくは「新事実」がないとできないものです。

つまり、HSUの4年間で、少なくとも20件もの「分野における、何らかの新発見があった。」ということです。

そして学会発表というのは、通常の大学では、教授や助手など、先生方が行いますが、HSUはすべて一般学生が行ったものです。

さて、ここからは、ひょっとしたら失礼な文言かも知れませんが、さあ、日本の最高学府と言われる東京大学や京都大学、その他の有名大学などで、学生が書いた論文で、学会の発表などあるのでしょうか?

おそらく、ゼロ件です。

なぜならば、日本の大学というのは、これまでの学問の蓄積を学ぶものでしかなく、教授ら講師陣の授業をまとめたものを、レポートとして提出します。

ですので、新たな仮説に基づいた研究や実験などを、学生が行うことができません。

HSUは、学生の発案で、研究や実験などを、可能な限りどんどんやらせ、その結果をレポートするスタイルなのです。

これは、数多くの特許や新発見を発表したり、ときにノーベル賞を獲得したりする、海外の大学に似たスタイルです。

「ハッピーサイエンスユニバーシティー」の画像検索結果

http://happy-science.university/

また、卒業生の就職率が99%越えというのもスゴイ。

100%に届かなかったのは、一人の学生が、進路を決定できなかったことによるものらしいので、それって事実上100%ですよね。

それだけではありません。

「HSU卒業生は、仕事に対する心構えが養われていて、語学が堪能なので、今年は昨年の2倍採用したい。」と言ってきた企業もあるらしいです。

幸福の科学は、立宗から30数年で、海外に100カ国に支部を持ち、中学から大学までの学校を持ち、政党をつくり、自主制作映画も数多く発表し続けています。

これらは通常、2代目3代目も事業ですので、30年余りでここまで広がりを見せた宗教は、史上初めてのことでありましょう。

しかもそれらが、全てオリジナリティーを持つ内容ですので、宗教の枠を超え、もはや、文明の基礎をつくっていると言えますよね。

HSUは、それら幸福の科学グループの、理論的、体系的根幹になるものですが、早速、大きな成果を上げていることが、とても誇らしく思えます。

さて8月30日から、全国の一部会場で上映され、9月7日からは、全国各地で上映されるドキュメンタリー映画「光り合う命」では、このHSU学生と、幸福の科学のご高齢な在家信者さんとの交流が描かれています。

「光り合う命」の画像検索結果

このHSU、2014年に「幸福の科学大学」として文部科学省に設置認可申請をした際、結局不認可になりました。

映画「光り合う命」には、そのときの審議委員らの不認可の理由が、テロップとして発表されるらしいです。

聞くところによると、「霊言といったものを学んだ学生が、まともな人間に育つはずがない。」というものだったらしい。

「おいおい、何を言うぞね。」と私は思う。

HSUの学生さん、超がつくほどまともぜョ。

若いモンは、頑張っちょるぜョ!

ということで、映画でも、この国の闇に光を当て、ちゃんとしたところや、ちゃんとした人たちには、きちんと、ちゃんとした立場が与えられて然るべき、公平な世をつくるべく、大人たちも、ちゃんとしなければいけないと思いますよね。

ということで本日は、Liberty webより、映画「光り合う命」の奥津貴之監督インタビュー記事をご紹介いたします。

             (ばく)

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映画『光り合う生命。-心に寄り添う。2-』予告編

【未放送部分公開!】白倉律子×HSU 鈴木真実哉ディーン 日本経済復活の秘策 天使のモーニングコール 1450回 (2019/7/13・14)

映画「光り合う生命。」公開間近 奥津貴之監督インタビュー

映画「光り合う生命。」公開間近 奥津貴之監督インタビュー 

 監督の奥津貴之氏。 

8月30日から、ドキュメンタリー映画「光り合う生命。─心に寄り添う。2─」が全国で公開となる。同作を手がけた奥津貴之監督に、映画に込められた思いや見どころを聞いた。

(聞き手:飯田知世)

 「若さと老い」の対比

──「生きるとは?」をテーマにしている作品ですが、若者と4人のシニアとの交流を通して、「若さと老い」の対比が映し出されています。

奥津貴之監督(以下、奥): 映画「光り合う生命。」は、幸福の科学の大川隆法総裁が企画された映画です。 

人生のスタート地点にいる若者と、だんだんゴールが見えてきているお年寄りの両方の視点から人生を対比するので、「そもそも、生きるってなんだろう」という話になってくるんですよね。 

完成から少し時間が経ってから、初号試写を観たんです。製作している最中は、形にすることに一生懸命でしたが、後から観て、「この企画はすごいな」と、改めて思いました。 

ナビゲーターの希島凛さんと渡辺優凛さんは、若者代表でもあります。どういう人生を歩んでこられたのかを、いろいろな人に深く聞いていって、「人生って素晴らしい」ということに気づくんです。話を聞くうちに、いろいろな人の魂の輝きに出会って、変わっていくんですよね。 

──映画では、生死への考え方も描かれていたように感じます。

奥: 4人のシニアの方に出演いただいたのですが、「限られた時間をもっと輝かせよう」と考えていらっしゃる方ばかりでした。

人生に対する考え方によって、老いや死への考え方も変わってくると思います。 

つまり、「生まれてから死ぬまで」が人生と考えると、死で人生が終わるので、「死ぬ前にいろいろ片付けておこう」という感じで、いろいろ整理しようとする人の方が多いのではないかと思います。 

一方、「何かをするために生まれてきて、死んだ後にそれが判定される世界に還る」と考えると、「このままだとあの世に還れないから、限られた時間をもっと輝かせよう」となるんですよね。 

「今が一番若い」と思えるか

奥: 出演されていたシニアの皆さんが素敵だったので、私もこの映画を通して、「歳を取るって悪くないな」と思うようになりました。だんだん熟して智慧がついていく感じがあるんです。年齢も言い訳にされていませんでした。 

これは、人生をどちらから見るかという視点もあると思います。 

つまり、未来から見ると、今が一番若いんですよね。だから、言い訳をしないで、何かを始めれば、10年後には人生が変わっているかもしれない。 

ただ、過去から見たら、今がいちばん歳を取っています。「この歳だから」と言ってしまうと、そこで終わってしまうんです。 

教育って何?

──映画の中では、幸福の科学の教育機関である、幸福の科学学園中学校・高等学校とハッピー・サイエンス・ユニバーシティにも訪れていましたね。 

奥: 実際に行ってみると、そこで学んでいる生徒はみんな素敵でした。ただ、取材をすればするほど、分からなくもなりました。 

例えば、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティは、2014年に文部科学省に設置認可申請をしましたが、不可になりました。その理由は、「教養や総合的な判断力、人間性を育てられないから」でした。 

でも、足を運んで実際に見てみると、きちんと育っているんですよね。ですから、すごく不思議な気持ちになりました。「これがだめだとすると、そもそも大学って何? 教育って何? どうすればいいの? 何が良くて何がだめなの? 」と、分からなくなったんです。いろいろな人の話を聞けば聞くほど、その気持ちは強くなっていきました。 

不認可の理由はエンドロールの最後に出るので、席を立たずに最後まで見ていただきたいなと思います。

 

「生きるとは」を考えるきっかけに

──映画の中では、歌も象徴的でした。

奥: 歌には映画のコアの部分が凝縮されています。映画を製作するにあたり、まずは曲をひも解くことから始めました。 

メインテーマ「光り合う生命。」には「光と光が出会うのが人生」という歌詞があるのですが、「一人一人の素晴らしさが映し出されるように撮りたい。光をみんなに見ていただきたい」と思って、撮影に臨みました。 

挿入歌「青春の輝き」は、「若さにおごっているとあっという間に人生が終わってしまうよ」という感じの歌なので、人生の深みを感じさせる映画にしたいと思いました。 

──最後に、公開を待ち望んでいらっしゃる皆さんへ、メッセージをお願いします。

奥: 映画の中では、「生きるとは?」という問いに対して、それぞれの人がそれぞれの答えを語っています。その姿を見ることによって、自分だったら限られた人生をどう生きるかを考えるきっかけにしていただければ嬉しいなと思います。

映画「光り合う生命。」公式サイト

https://aripro.co.jp/products/hikariau/

公開劇場一覧

https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=hikariauinochi

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

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大川隆法総裁の遺言。(オープニングメッセージ裏話・加筆再掲)

2019-08-29 23:53:35 | 大川隆法という偉大な光

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今年発足から33年を迎えた幸福の科学。

その歴史は、ひとえに、大川隆法総裁という御仁の、卓越した思想、そして指導力や経営力の歴史であります。

また、大川隆法総裁という方の、人柄そのものが、幸福の科学の歴史です。

幸福の科学の歴史から抽出される大川総裁のお人柄は、”全く私心がない”ということです。

それだけは間違いのないことです。

たとえば、私心にまみれた私ならば、判断に迷う岐路において、大川隆法総裁のような決断はできないです。(笑)

宗教界では、まず教祖殿を作り、それを総本山とするというのがセオリーですが、大川隆法総裁は、まず、信者職員の研修施設を建てて、それを総本山化しました。

その間御自身は、賃貸マンション生活だったのです。

総本山研修施設は栃木県内にたくさん造られ、今思えばそれは、世紀末の惨事から、首都東京を守る結界の意味があったとしか考えられません。

なぜならば、栃木県は東京の東北部(鬼門)にあり、大川隆法総裁は、宇都宮在住までして、首都を護ったと推測します。

晴れて1999年夏、大川隆法総裁が、頑なに拒んでいた教祖殿が、東京に大悟館として建立され、総裁は初めて、ご自身の自前の居に入られました。

これも今思えばですが、1999年の夏という、人類の悪想念がピークに東京入りですから、また自らご自身を、東京の結界の一部になさったのやも知れません。

いやきっとそうでしょう。

大川隆法総裁は、そういう御仁なのです。

以前の記事で書いた、繁栄の法大献本の折には、大川総裁は東京住まいだったのですね。

大悟舘と同年、1999年建立、聖地四国正心館礼拝堂 http://shoja.jp/shikoku/

念願の教祖殿入りした大川隆法総裁ご一家。

これで教祖様ご自身に、よい環境が与えられたのですから、「もっとお働きになっていただける」と、私は簡単に考えておりました。

しかし、世紀が明けてからの総裁は、今から思えば、何か元気なかったように見えました。

講演会も、大会場を使ってのものは少なくなり、正心館や総合本部ビルを使っての、ビデオ公演のような形での開催が増えました。

そして大川隆法総裁のお声も、今から思えば、絞り出すような感じでした。

前世紀のような、はつらつとした若々しさが薄らいだのです。

「大川隆法総裁が、お老けになった。」

当時の大川総裁は、40台半ばだったと思いますが、私はそう感じておりました。

今から思えば前世紀末に、大川隆法総裁は、相当のエネルギーを消耗なさったのだと思います。

大川隆法総裁は、命を削っていたと思うのです。

そして2004年、大川隆法総裁は、心臓麻痺で倒れました。

それまでの激務が祟ったのです。

大川隆法総裁の心臓は、完全には、動いていませんでした。

心室細動といって、痙攣のように動いてはいるけれども、血液を全身に送るポンプ機能がないので、現実的には心停止状態だったのです。

しかし、総裁はその医学的には、完全に亡くなっている状況にもかかわらず、生きているのです。(笑)

これは、医学界の奇跡でした。

この、「心臓が止まっているにもかかわらず、元気に生きている人。」という演目で、大川隆法総裁は、世界に医学論文に発表されています。(笑)

いや、現に今でも、大川隆法総裁の心臓は、動いていないかもしれません。(笑)

後日その件について、大川隆法総裁、至極あっさりと曰く。

「医者が何と言おうと、使命のある者は、死なないんですよ。」

「あーはははははははは。」

大川隆法総裁が、心不全で集中治療室で治療を受けていた時の、エピソードが伝わっております。

倒れた次の日総裁は、すでに食事が取れるほどに回復なさっていました。(心臓が止まっているにもかかわらず。)

「ああ、美味しかった。」と合唱し、食事を終えた総裁は、おもむろに筆記用具を取り出し、次々と執筆活動を始めたのです。

それが、幸福の科学の月刊誌の冒頭に載っている、オープニングメッセージなのですね。

大川隆法総裁は、その後刊行される月刊誌オープニングメッセージを、すべてこの危篤状態のときに、書き上げたのです。

そのお心は、もう推測する以外にないのですが、総裁はこのときに、ご自分の死を覚悟なさったのではないでしょうか?

「万一今、自分が亡くなっても、人類が路頭に迷わないように、せめてオープニングメッセージだけは残しておきたい。」

そういったお心で、危篤状態でオープニングメッセージを、書き残されたのではないでしょうか?

つまり、毎月私たちが触れることができる、月刊誌「月刊幸福の科学」のオープニングメッセージは、大川隆法総裁からの、人類への遺言なのです。

毎月この月刊誌の到着を、心から楽しみにしていらっしゃる80代のご婦人が、私が担当している地区にいらっしゃいます。その方曰く。

「この月刊誌の、最初のお言葉(オープニングメッセージ)が大好きなのよ。」

「大川先生はお若いのに、先生のお言葉は、死んで行くだけの私たちより深いものがある。」

「私は、この最初のお言葉を読むと、何も怖くなくなるのよ。」

「私は、大川隆法先生の大ファンよ。」

 

そう言ってそのご婦人は、入会してしてくださいました。

命を削り、私財を投入にてまで、破滅を回避した大川隆法総裁。

そして死の間際においても、「せめて人類に遺言を。」と思えるこの御仁。

このお方が、仏陀・救世主でなくてなんなのでしょうか。

いや、もうそういう表現だけでは、浅薄な言葉にしかならないと私は思うのです。

10月に全国で公開される映画『世界から希望が消えたなら』は、大川隆法総裁が倒れたときのことが、長女沙也加さんの目線で描かれているということです。

多くの方に、ご覧になっていただきたく存じます。

 

                (ばく)

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仏の心 ―大川隆法総裁 心の指針124―

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

 

『無限のパワー』
さあ、信じるがよい。 人間のパワーが無限であることを。

無限であることを信ずるがゆえに、 無限のパワーが出てくるということを。

自分でそれを有限と信じてどうなる。 それで、幸福になった人が一人でもいるか。

しかし、わたしは言おう。

無限のパワーを信じてこそ、 無限のエネルギーを放出させうるのだ。

無限に大きな仕事をした方など、歴史には数限りなくいる。

死してなお、その名が、その言葉が、その思想が、 仕事をしつづけているのだ。

我が言葉を信じよ。 あなたの力は無限である。

あなたは無限界人間となれるのだ。

仏の子に限界などないのだ。
「無我なる愛」(オープニング・メッセージ第二集)

大川隆法講演会「人生に自信を持て」特集 天使のモーニングコール 1454回 (2019/8/10・11)

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世紀末 借家住まいの 救世主(加筆再掲)

大川隆法総裁の、「最初で最後のわがまま」(加筆再掲)

腕組みする大川隆法総裁と、青いスーツの秘密。

私は、ボロボロの大川隆法総裁を見ました。


【宮﨑知恵子佐川町議】「防災対策として、ドローンを活用すべき。」

2019-08-29 00:45:17 | 宮﨑ちえこ佐川町議会日記(幸福実現党)

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佐賀県や福岡県、長崎県などの北九州地域、そして兵庫県や京都府、そして静岡県など、広範囲に渡って梅雨前線に伴う大雨や突風による、大きな被害が出ております。

梅雨前線は停滞前線とも呼ばれ、影響が長期間続く可能性があります。

なぜ前線が停滞するかというと、性格の違う高気圧の勢力が拮抗しているからです。

ですので梅雨前線で大雨が降る場合、拮抗している高気圧のどちらかが、勢力を落とさない限り、その場から離れません。

ですので、これまで雨の降ったことのない地域でも、継続的に大雨が長期間続くことがあります。

また地形や風向きなどにより、同じ雨雲でも雨の降る量も違ってくるので、天候予想がとても難しいのが特徴で、同じように大雨をもたらす台風との、大きな違いです。

いずれにしましても、早く天候が回復することを、心よりお祈り申し上げます。

「JR佐賀駅 大雨」の画像検索結果

冠水したJR佐賀駅

私の暮らす高知県も、災害大国です。

年間降水量でも、昨年2018年は3位でしたが、1位の常連ですので、他人事ではありません。

県内に、四万十川や仁淀川など一級河川の大河が多数見られ、また、山に囲まれた盆地の地形であることから、大雨時における土砂崩れや土石流などの大規模災害から、地域住民の方々の、生命と財産と安全守ること、そして、災害時において、地域行政の迅速な判断をしていくことは、大変重要なことです。

本日、高知県佐川町の宮崎知恵子町議(幸福実現党)とお会いした際に、宮崎議員から、「ドローンの活用を地方自治体で考えてはどうかと考えました。」との話を聞きました。

宮﨑議員によると、災害時の判断の重要な基軸となる、災害地域の被災状況も情報収取に、最近普及してきた、ビデオカメラ付きのドローンを活用してはどうかということで、「早速、9月の定例町議会に提案してみます。」と語っていました。

ドローン本体の価格も手ごろなものになってきており、整備や電気代などの維持費も安いですよね。

「宮﨑知恵子 幸福実現党」の画像検索結果

宮﨑知恵子 佐川町議会議員 (幸福実現党)https://hr-party.jp/member/prefectures/kochi/

 

同様の機能を持つヘリコプターと比較した場合、高知県が保有する医療用ヘリコプターなどの緊急出動には、使用料は発生しませんが、たとえば東邦航空という民間航空会社のヘリコプターの場合ならば、1時間あたり46万5000円かかりますので、ヘリコプターで同様の情報を得ようとすれば、1時間あたり、約50万円もの行政コストが発生する計算になります。

ドローンは、200g以下の重量ならば、運転資格は不要ですが、ビデオカメラ付きドローンならば、それなりの重量があり、撮影用ドローンの飛行運転には資格が必要です。

しかしそれは。市町村役場職員に、公費で所得していただいたとしても、十分低コストで運用できます。

もちろん、ドローンは飛行物ですので、夜間は基本的に飛行できないし、大雨や強風の最中に活用はできないのは当然ですが、それはヘリコプターでも同様です。

大雨の後、ドローン映像を無線LANでつないで、実況中継できる機能があれば、災害時の被害状況や、道路が寸断されるなどで、人の立ち入れない危険な地域の早期把握が可能です。

また、平時からの観察データの蓄積により、地域自治体でしかできない、きめ細やかな避難の告知や、避難マップの充実などにも役立つと思いました。

このように、コストパフォーマンスに優れたビデオカメラ付きドローンを、市町村レベルでも災害情報ツールとして活用するべきだと、今回の北九州豪雨のニュースを知って、私も思った次第です。

本日は経典『心の挑戦』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、国家や地域に影響を与える、集団としての仏教的真理(因果の理法)についての一節をご紹介いたします。

            (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

【LIVE】九州北部・中国地方、大雨警戒/ウェザーニュースLiVE 2019年8月28日(水)

心の挑戦 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=176

もちろん、業(ごう)においては個人責任は当然の問題ですけれども、社会全体、人類全体というような、大勢の人々の共通の運命のようなものもあります。

大きな戦争のときには、個人個人は正しく生きていても、そこから逃れることはできない、というような運命があります。これを「共業(ぐうごう)」といいます。これに反して、個人の業のことを「不共業(ふぐうごう)」といいます。  

「環境や社会や時代のせいではないと言いつつも、実際には共業というのがあるではないか」「自分は人を殺したくなくても、戦争が起きたではないか。どうしてくれる」「自分は、一生懸命、事業をしているのに、経済不況が来たではないか」──そういう考えもあるでしょう。  

ただ、これも結局は、人間というのは個人独りだけでは生きられるものではないということです。ロビンソン・クルーソーのように、孤島に独りで生きるわけではないし、みんなで共同生活をしているわけです。それぞれの人が「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」の縁起のなかで、お互いにつながって生きているのだ、ということを考えなければいけません。  

そう考えると、社会が悪いとしても、その一端を担っているのは自分でもあるわけです。ですから、自分自身の個人修行はあくまでも大切にしていくわけですけれども、自分がかたちづくっている共同体、その社会や国家自体が悪い場合には、その一員として世の中をよくしていくために、「自分も何かをしなければいけない」という気持ちを、常に持つことが大事です。  

ですから、共業そのものの悪い傾向を解消するためには、やはり光の仲間を増やしていくことこそが正道であるわけです。  

そのためには、どうしたらよいか。それは仏法真理を一人でも多くの人に伝えることです。それも、真心を込めて、熱意を込めて、一人ひとりに仏法真理を伝えていくことです。  

それが、やはり、多くの人々の共通の運命としての共業が、不幸な方向に向かっていくのを救うことであると思います。(中略)  

個人個人が自分の心を正すことは大事なことです。

しかし、「個人個人が自分の心を正していって、その流れが全体に広がったときに、全体の運命をも変えていけるのだ」ということを教えることもまた、大切な大切な修行であると思うのです。  

ですから、「利自即利他(りじそくりた)」──自分を磨きながら他の人々をも導いていく──それこそが真実の宗教のあり方なのだということを、どうか深く悟っていただきたいと思います。

『心の挑戦』 (大川隆法著 幸福の科学出版)P258~261

 


偉人教育には、いじめをなくす「脱平等教育」の側面があると思います。

2019-08-28 00:59:38 | いじめから子供を守ろう

 

1992年バルセロナ五輪金メダリスト 岩崎恭子さん。

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幸福の科学の教育機関、幸福の科学学園中高校や、ハッピーサイエンスユニバーシティ(HSU)では、偉人の人生を学ぶことを重視しています。

土佐の英雄坂本龍馬先生の例を挙げるまでもなく、歴史上の偉人は皆、数々の困難に対して打ち勝ち、その過程においての努力や勤勉を通して、多くの富を社会に還元しています。

そしてそこには、多くの人たちに対して、また社会や国家や世界に対しての「愛」が、その人生の根底にあると思うのです。

だからこそ、そこに「徳」が生まれ、多くの方に、長く語り継がれているはずです。

そして我々は、偉人を学ぶことによって、努力の大切さや、個性を愛する心や、また様々な困難に遭遇した際に、彼らの人生から、苦難からの脱却の方法や発想など、多くのことを学ぶことができます。

私の場合は、小学校で学んだ、江戸時代の土佐の政治家、野中兼山(のなか けんざん)を知って、生まれ育った土佐の国への郷土愛が生まれました。

偉人伝を学ぶことにより、人生を立て直した方はとても多いでしょうし、郷土の偉人を知ることで郷土愛が深まったのも、私だけではないはずです。

しかし最近の学校教育では、偉人について学ぶ機会が減らされているとのことです。

この背景には、平等に重き価値をおく、共産主義的な思想の影響が大きいらしいのです。

それはどうやら、「偉人を認めると、人の価値に違いが出る。」という理屈らしいですね。

聞くところによると、小学校の運動会のかけっこで、よーいドン!でスタートして、1位の子もビリの子も、一緒に一列に並んでゴールする学校があるとのこと。

それでは、教育にならないです。

足の速い子、一生懸命早く走ろうと努力した子の、ハレの舞台を奪うだけでなく、「人生ってこんなもの」と子どもの心に植え付けているようなものです。

足が速くなくても、力が強いかもしれません。

手が起用かも知れません。

歌が上手いかも知れません。

絵が上手いかも知れません。

優美に踊れるかも知れません。

勉強ができるかも知れません。

人は、存在そのものが、平等に尊いのです。

それぞれの子が、それぞれのハレの舞台で輝くことを通して、人として輝き、最終的に世界が輝いていくのではないでしょうか。

また、行き過ぎた平等教育は、もっと深刻な問題の要因となります。

「いじめ」です。

現代的ないじめの多くは、「人と違っている」ということを発端として始まるのです。

それは行き過ぎた平等教育では、「違い」が許されないからです。

たとえば、1992年のバルセロナ五輪の競泳女子200m平泳ぎで、競泳史上最年少14歳で金メダルを獲得した岩崎恭子さん。

勝利後すぐの岩崎恭子のインタビューで 「今まで生きてきた中で一番幸せです」 の言葉は流行語にもなりました。

そんな世界のスーパーヒロインの彼女ですが、金メダル後、学校で深刻ないじめにあったのは有名な話です。

これなども、悪しき平等教育ならではですよね。

平等教育の環境下の教室では、世界一の生徒など、存在してはいけないのです。

このように、平等教育社会においては、人と違っていることだけでなく、凡人でないことであっても、たとえば、人より金持ちであっても、勉強ができても、美人であっても、男前であっても、いじめの対象になりえるわけです。

これが正しい社会でしょうか。

 

幸福の科学では霊言などを通して、偉人や成功者や超一流の人物の、生の声を経典で学ぶことができますが、これが幸福の科学の、自助努力を尊び、進歩を愛する精神的土壌となり、自由主義的でとても寛容な宗教となっているのだと思います。

「平等」の名のもとに、偉人を教育から排斥し、歴史から消すことは、結果的に個々人の努力を無意味化することとなり、個々人の個性を否定し、自由な社会形成を阻むこととなるはずです。

多くの学校で、偉人教育に力を入れてくださるところが、もっともっと増えてくださることを、私は切に願っております。

本日は経典『リーダーに送る「必勝の戦略」』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、アメリカで最も尊敬されている大統領リンカンについての一節をご紹介いたします。

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

映画「光り合う生命。-心に寄り添う。2-」監督インタビュー 天使のモーニングコール 1456回 (2019/8/24・25)

リーダーに贈る「必勝の戦略」 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=123

リンカンが大統領になったのは、ちょうど、「国が二つに分かれるか否か」という南北戦争の前でした。このときに、リンカンが、「アメリカは二つに分かれてはいけない」という強固な意志を持っていたからこそ、いまのアメリカ合衆国があるのです。(中略)  

リンカンの思想を見てみると、彼は、「誰に対しても悪意を抱かず」ということをモットーとしていました。このような人が南北戦争の指揮者であったことは、不思議としか言いようがありません。(中略)  

リンカンについては次のような逸話もあります。  

ホワイトハウスにリンカンの友人が泊まっていたとき、その人が夜中にトイレか何かの用で廊下へ出ると、低い唸り声のようなものが聞こえてきたのです。「いったい何だろうか」と思って廊下を歩いていくと、ある部屋のドアが少し開いていて、そこから明かりが漏れていました。  

その部屋のなかを覗いてみると、奥のほうで、四つん這いになり、床のじゅうたんに爪を立て、脂汗を流し、涙を流しながら、低い声で神に祈っている人がいました。「誰だろう」と思ったら、それがリンカン大統領だったわけです。  

リンカンは、「私の考えは間違っていないでしょうか。私を正しく導いてください。同胞たちを苦しめないでください」というようなことを、一生懸命に祈っていたのです。  

戦いによって血が流れ、南の人も北の人もたくさん死んでいます。それゆえ、「これが正しい戦いであるかどうか」と悩むのは、国のトップとしては当然のことです。(中略)

これはトップの孤独です。上が「こうする」と決めたら、下はそれに従うだけなので、トップには、「これは、ほんとうに神の意に適っていることなのかどうか。間違っていないのかどうか」という悩みが尽きません。  

リンカンの場合も、「自分としては、奴隷制には反対であるし、南北の二つのアメリカを認めるべきではなく、一つのアメリカであるべきだと思うけれども、それが真に神の意に添ったものなのかどうか」ということで、毎夜、ものすごい苦しみがあったわけです。(中略)  

そのようにして夜な夜な祈っていたというのですから、まるで宗教家です。リンカンは、そういう人だったのです。(中略)

そのような人であったからこそ、人徳がにじみ出してきたのでしょう。こういう人の下で、アメリカは分裂の危機を回避して一つになり、奴隷制を廃止して平等な社会になったわけです。  

上に立つ人というのは大変です。能力だけで、すべてを解決できるものではなく、最後は、仏や神と同通しなければ、国難を乗り切ったり、人類を正しく指導したりすることはできないのです。そういう謙虚な心が非常に大事です。  

こうした偉人たちの例を参考にして、「与える愛、無償の愛とは何か」ということを考えてみてほしいのです。  

「人から称賛を得よう」とか、「自分が何かを手に入れよう」とか、そういうことを考えていない人たちが、世の中には、いるのであり、そうした人たちが時代を超えて世の中を照らしているのです。

『リーダーに送る「必勝の戦略」』(大川隆法著 幸福の科学出版)P90~95


ホンダ・プレリュード(2代目)のホンダスピリット「為せば成る なさねばならぬ 何事も」

2019-08-25 00:43:50 | 自動車から見える日本と世界

ホンダ プレリュード XX 1982-87

ホンダプレリュード(2代目)1982年~1987年

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このブログは、高知に暮らす幸福の科学信者による布教ブログですが、代表編集長の私は大の自動車好きでして、それが高じて時折自動車関連記事をお届けしております。

布教ブログとしては、はなはだ申し訳けないのですが、これが結構アクセスを稼いでおりまして、いつまで経っても心というテーマでは踏み込んだ記事の書けない編集長(笑)でも、「自動車という窓から見える社会性には、一定の説得力があるのかな?」と自負しております。

さて今回は、前回に引き続きホンダの話題から。

シティーやVTECの記事でもご紹介しましたけれども、80年代のホンダ車は、原理主義的というか、突き詰めたというか、そういう意味で、後々に大きな影響を与えた傑作車が多いです。

今日のお題のプレリュード(2代目)ですけれども、そういう原理主義的なホンダだからこそ実現した傑出した作品です。

プレリュードの何が突き詰められているかというと、FF、つまりフロントエンジン・フロントドライブ車でありながら、前の低い素晴らしいプロポーションを得、そしてなおかつ、卓越したハンドリング性能を誇ったことです。

今でこそ、数々の技術的革新と普及により、運動性能云々が言われなくなったFF車ですが、プレリュード出現以前のFF車は、「スタイルが凡庸で、ハンドリングは評価対象外」というのが一般常識でした。

それをホンダは、「FFでもスタイリッシュで、ピカイチのハンドリングが可能」ということを、現実的に示して見せたのです。

その始まりは、「ボンネット(エンジンが収まる、ボディ前方部分)を低くして、かっこいい商品を作ってくれ。」という、営業サイドから技術部門への、ひとつの提言によって行われたようです。

この提言には、FF車しか生産ラインのないホンダにとって、「無理じゃ!」と突っぱねても良かった事情がありました。

というのも2つの事柄から、FF車に低いボンネットは無理な条件があるからです。

一つはエンジンの存在です。

エンジンには当然、それ相応の「高さ」が存在します。

ボディ後方にエンジンのあるミッドシップや、ポルシェ911などのRR(リアエンジン・リアドライブ)車ならば、いくらでも低いボンネットが可能ですし、エンジンを後方に下げられ、なおかつ、前輪の前の空間を自由に伸ばせるFR(フロントエンジン・フロントドライブ)車でも、寸法に余裕があればボンネットを下げることは可能です。

しかし横置きとはいえ、前タイヤ前方にエンジンを積むFF車では、エンジン搭載高以上にボンネットの高さを下げられない事情があります。

「フェラーリディノ」の画像検索結果 「ポルシェ930ターボ」の画像検索結果

そしてもう一つが、タイヤを吊るすサスペンションの存在です。

サスペンションがなぜ必要かというと、乗り心地をよくするのはもちろん、タイヤを地面に押し付けて接地させるためです。

タイヤが地面に接地できなければ、自動車は進むことも曲がることも止まることもできません。

つまりサスペンションがなければ、自動車は安全な運転ができないのです。

サスペンションには独立式と固定式と半独立式がありますが、自動車の前輪のサスペンションは、よほどの強度を必要とする車種でない限り独立式です。

ちなみに現在の乗用車で、前輪が固定式サスペンションなのは、スズキ・ジムニーだけだと思われます。

固定式だと他のタイヤの影響をどうしても受けてしまうので、後輪に比べ圧倒的に重要な働きをしている前輪には、高価な独立式でなければ高速での運転操作が難しくなります。

しかしFF車の前輪を吊るすサスペンションで問題となるのは、タイヤとサスペンションを収めるスペースです。

FF、特に現在主流の、エンジン横置き搭載のFFには、横方向に余分なスペースが一斉ありません。

独立式のサスペンションの形式には、ダブルウィッシュボーン式とストラット式がありますが、それまで横置きエンジン搭載のFF車では、横方向のスペース効率に優れるストラット式しか搭載例がありませんでした。

しかし「横方向にスペース効率に優れる」ということは、「縦に長い」ということでもあります。

ですので、それまでのFF車では、低いボンネット高のかっこいいスタイルは不可能だったのです。

しかしホンダは、このFFにまつわる問題を、見事に解決してみせたのです。

一つは、エンジンを傾斜させて搭載したこと。しかしこれは、他にも実例がありました。

しかしもう一つは、まったく新たな挑戦でした。

ホンダの新技術、それは、横方向のスペース効率に優れた、ダブルウィッシュボーン式サスペンションです。

ウィッシュボーンとは鎖骨のことで、V字型のリンクの形状が、鳥の鎖骨に似ていて、それを二本使用することから、ダブルウィッシュボーン式と呼ばれます。

ダブルウィッシュボーン式 ストラット式

自動車のタイヤは、上下にしか動いて欲しくないものです。

しかしタイヤを何も固定しなければ、グラグラです。

動いてほしい上下だけでなく、正面から見て左右に動き、タイヤの接地角度が変化(キャンパー変化と言います。)し、横から見て前後に動き(キャスター変化と言う)、上面から見て左右に動き(これをトー変化と言います)ます。

この厄介なタイヤのキャンパー変化、キャンパー変化、トー変化を抑制するためには、タイヤホイールが連結している部品を、上下それぞれ二方向でボディに連結必要があるのです。

  「キャンバー変化」の画像検索結果 

これがダブルウィッシュボーン式サスペンションですが、上下2本のウィッシュボーンが動くだけの、広大なスペースが必要で、巨大なタイヤハウスが必要です。

もう一方の主流のストラットサスペンションは、タイヤ関連の下方向のみボディに連結し、上方は、上下の衝撃を抑えるダンパーで兼用しています。

部品が少ないですし、踏ん張りも強いですが、どうしても背の高い構造になります。

何かが優れていれば、何かが劣っているのが「真実の姿」であり、優れた部分を磨き、劣っている部分を克服する努力こどが「文明の進歩」なのです。

さてそれまで誰もなしえなかったプレリュードの前輪革命は、タイヤ関連部品の上部を支えるウィッシュボーンの形式を変更し、タイヤの上方にまで追いやって、なおかつずらした形状の、アッパーアーム式と呼ばれるものです。

「ホンダプレリュードダブルウィッシュボーン式サスペンション」の画像検索結果 図6

このプレリュードのサスペンション形状だと、レースなどの究極的な状況であれば、強度やトー変化に問題が出る可能性がありますが、一般的な高速道路走行くらいでは、ダブルウィッシュボーン式サスペンションらしい、しなやかさが失われることはなかったはずです。 

「横方向のスペース効率に優れたダブルウィッシュボーン式サスペンション」で、一般的なFF乗用車では不可能だった、低いボンネットを実現し、その優れたプロポーションで、2ドア車では、異例とも言えるヒット作となりました。

ここで称えたいのは、プレリュードまでにも、ホンダSシリーズで日本初のDOHCエンジンを発表し、F1に出場して優勝し、シビックのCVCCで排気ガス規制に立ち向かったホンダの、まさにホンダスピリット「為せばなる 為さねばならぬ 何事も 為らぬは人の 為さぬなりけり」の、苦境に立ち向かう挑戦精神です。

「上杉鷹山」の画像検索結果 

この「為せばなる ・・・」は、有名な米沢藩9代目当主であり、上杉鷹山公の言葉です。

幸福の科学大川隆法総裁の霊査によれば、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の前世が上杉鷹山公とのこと。

ホンダに脈々と流れるホンダスピリットと、上杉鷹山精神との共通点はまだあります。

鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得には、

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 

右三条御遺念有間敷候事

一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。

一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。

とあります。

「本田宗一郎」の画像検索結果

一方、本田宗一郎氏は、自身が一代で築いたホンダを、御自身の子孫に譲りませんでした。

「会社は公器」という本田氏の精神でしょうが、これも、藩の私物化を戒めた鷹山精神に通じますよね。

今の為政者には、何かと言えば増税を口にし、まるで「国民の財産は俺のもの」と言わんばかりで、「ホンダで研修なさったらいかがか?」と苦言を言いたくなります。

そう気が付けば、総理も副総理も、その他の先生方も、みんな二世議員ばかりですよね。

ということでマニアックなメカの話から、偉人の言葉、そして現代日本政治への苦言まで、このブログらしく、脱線に脱線を重ねて参りましたが(爆笑)、本日は、上杉鷹山霊言『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、今のお上に聞かせたい、日本史上屈指の名君の言霊をご紹介いたします。

         (ばく)

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富国創造論 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=86&utm_source=IRHweb&utm_medium=POPLINK&utm_campaign=id86

お上のほうも、自分たちの仕事の付加価値というものを客観的によく考えて、襟を正さなくてはいけないと思うんですよ。(中略)  公務員は、まず、給料やボーナス等が適正かどうかを考えるべきですね。民間よりたくさんもらっているところもあると思うんです。実際に、いい仕事をしているなら、まあ、文句は言いませんけれどもね。だけど、その額は、法律や条例等で決められますから、改まるのが非常に遅いし、弾力性に富んでいませんね。やはり、こういうところは考えるべきでしょう。  

それから、「公立病院の病院長には経営責任がない。県知事や市長等に経営責任や人事責任までがある」と言われているんでしょう? これでは、病院のシステムについて改革しようがないではないですか。当然、病院長に経営責任を取らせるように努力しなければいけないでしょうね。(中略)  

やはり、「経営という問題をクリアせずに、国家の財政赤字を、全部、税金の問題にすり替える」というのは基本的に間違いなんですよ。「まずはきちんと経営を再建することが大事だ」ということですね。  

もちろん、経営再建のなかには人員削減も含まれていると思いますが、少なくとも、公的な組織のトップに経営責任を与えなければいけない。経営責任と、それに伴う権限の両方を与え、独立した経営体として運営していける方法を考えさせなければいけないわけです。(中略)  

やはり、「経営体としてやるべき努力は、全部、試みる」ということと、「公的な組織の長に決定権を与えて、責任を取らせる」ということが大事ですね。  

例えば、「この公立病院を三年以内に黒字にしなさい。できなかったら、あなたはクビです」というように、タイム・リミットを決めて、やらせることが基本ですね。そう言われたら、自分がクビになりたくない人は、経営改革をせざるをえないでしょう。その際に、「黒字の病院では、どうやっているのか」ということを参考までに教えてあげるのは大事だと思いますね。  

ですから、まずは、そういう経営レベルの努力をし、それでも足りなければ、次に税金問題になるのであって、それをやらずして増税を論議すべきではないんです。  

今、「高所得者の累進課税率をもう少し上げるべきではないか」「消費税も十五パーセント、二十パーセントと上げるべきではないか」などと言っているけれども、経営レベルで努力した上でなければ、そういう議論は基本的にすべきではないと私は思いますね。まだ、全然やれていないと思います。やはり、経営努力しなければ駄目ですよ。  

国家公務員および地方公務員等の仕事が効率的になり、サービスが向上して、国民が、「もうちょっと税金を払ってもいい」と思うような状況にならなければ、税金は取れないし、また、そうした良い状況になったときには、おそらく、増税が要らなくなっているはずです。

「黒字の公益法人を見つけては、それをいじめる」などということも、現実には起きているわけでしょう?(中略)これは考え方が基本的に間違っていると私は思いますね。  

そういう非営利法人であっても、それだけ利益がたまってくるのは、ニーズがあるからですよ。(中略)多くの人々が「その料金は妥当だ」と思っていて、それで利益がたくさん出るんでしたら、もう一段、事業として裾野を広げていくべきです。(中略)  

そういう利益が出ているところは、「民間会社並の可能性がある」ということを意味しているので、そこに公務員を引き取ってもらうようにしたほうがいいですね。単に失業者を出すよりは、そのほうがいいと思います。そして、そのなかで、多少なりとも違ったサービスを提供できるように努力していくべきですね。  

先ほど言った「漢検」もそうです。これから、移民が増えてくれば、外国人に漢字を教えるような事業が、当然、出てきますよね。そういう事業をやるために、先生を雇い、いろいろな所に教室を展開したら、当然、費用はかかり、利益は消えていきます。でも、それは移民を増やすために必要な事業でしょう? 漢字が読めなければ日本人になれないですからね。  

ですから、「漢検は利益が出すぎているから、外国人に漢字を教えるような事業を展開して、その黒字部分をもう少し投資に充てなさい」というような業務指導をするのが当然であって、「利益が出すぎるのは、けしからん」「本当に悪いことをしている」「着服したのではないか」などと言いすぎるのは問題ですね。(中略)  

「英検」みたいなものだって、受験者が増えれば増えるほど、当然、利益が増えますが、「利益が増えたから、けしからん」という考えは間違いですね。そういう英語の検定試験を受ける人が増えることは、「日本人が英語の資格に対して一定の値打ちを認め、英語能力を上げようと努力している」ということなのですから、それを悪いことのように言って潰そうとするのは間違っています。  

やはり、その英語事業を多角化していって、もう一段の国際人をつくれるような事業形態をつくり、公務員の余剰部分を吸収して、彼らが稼げるような体質に何とか持っていくべきです。  

「それは、民業を圧迫するから、いけないことだ」という考えもあるけれども、そんなことはないんですよ。非営利法人がそれだけの競争力を持っているのであれば、民間は民間で、それに負けないように、さらに頑張りますからね。「公立の小・中・高」対「塾・予備校」の戦いでは、軍配は明らかに民間のほうに上がっているわけですから、非営利法人がそういう事業をやっても、民間はいくらでも参入できるんです。  

公のものがよくなれば、民間も、さらにそれを超えるべく努力する。それが、まあ、資本主義市場経済のあるべき姿ですね。  

だから、「事業仕分け」もいいけれども、ちょっと間違わないようにしなければいけませんね。基本的には、黒字になったほうがいいんですよ。増税しないで黒字になるなら構わないんです。

公営のもの、非営利のものでも、増税をしないで黒字化できる事業は良い事業なんです。「増税して黒字にする」というのは、最悪、最低、最後の仕事ですね。

『富国創造論』(大川隆法著 幸福の科学出版)P214~225

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韓国GSOMIA破棄と、日本がなすべきこと。

2019-08-24 00:24:10 | 日本を守る!

 「文在寅霊言」の画像検索結果

https://www.youtube.com/watch?v=JVnApRbA6P0

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韓国が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA・ジーソミア)の破棄を決めました。

あ然としたのは、私だけではなかろうと思います。

国家の安全保障を、「反日」という「感情」で破棄してもよろしいのでしょうか。

安全保障は、極めて現実的に、そして論理的に論じるべきです。

でなければ未来は。「悲しみ」と「慟哭」の感情で生きる世となります。

韓国は、歴史を紐解けば、常に「亡国の選択」をし続けています。

これほど、選択を間違い続けていて、なおかつ民族が続いているのは、もはや奇跡としか言いようがないと思えます。

ひるがえって日本は、国家の苦境のとき、最後の最後は正しい選択をしているように思えます。

まぁ、今の日本の「憲法9条論」も、「感情で論じられている」という点は気をつけなければなりません。

今回の勧告文在寅政権の決定は、アメリカの国務長官も、「失望している」と述べ、文政権を非難する立場を鮮明にしました。   https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190823/for1908230005-n1.html

ともあれ、今回の勧告によるGSOMIAの破棄は、日本には、少なくとも短期間においては、それほど影響はないでしょうけれども、韓国にとっては死活問題です。

まず韓国の国防問題。

GSOMIAは軍事情報に関する協定ですが、これを機に、日本が朝鮮半島への対応を変えれば、韓国は軍事的に苦境に立ちます。

一つは、例えば韓国が北朝鮮との戦闘状態に入った場合に、日本が後方支援しない場合、在韓米軍だけでは、北朝鮮の南進を止められないのです。

これは実際に、先の朝鮮戦争時に起きたことです。

【速報】韓国の文大統領と北朝鮮の金委員長が守護霊霊言で語った本心 日本はどうする?

 
Photo: doddis77 / Shutterstock.com https://the-liberty.com/article.php?item_id=14207

これは、半島と言う地政学的な条件ですので、時が経てば解決する問題ではありません。

韓国(南朝鮮)防衛には、対馬海峡の制海権とその上空の制空権が必須です。

二つ目は、日本が北朝鮮と合同で、韓国を挟み撃ちにする可能性です。

これは韓国にとっては、最悪の状況です。

今回の韓国の安全保障を掛札にした、感情的な決断は、韓国にとって最悪の選択肢の可能性を創出してしまったわけですね。

日本としては、感情的な韓国に惑わされないようにしないといけませんし、そのためには、やはり、幸福実現党の言うように、「自分の国は、自分で守る体制つくり」を早急に進める必要があると思います。

そもそも韓国が、日本を含めた安全保障に関する事例で揺さぶりをかけてくるのは、日本が、「自分の国は自分で守る体制ではない」からです。

日本が普通の国のように「自分の国は、自分で守る体制であれば、いくら感情的な韓国政府であっても、このような間違いは起こしようがないからです。

本日は、Liberty webより関連記事をご紹介いたします。

また、幸福実現党きっての外交通、及川幸久外務局長の最新動画も必聴です。

        (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

20190823 韓国GSOMIA破棄 米国の見方【及川幸久−BREAKING−】

 

米シンクタンク研究員が来日 「韓国は、何度日本に謝らせれば気が済むのか」

 

米シンクタンク研究員が来日 「韓国は、何度日本に謝らせれば気が済むのか」

 
報道陣を前にスピーチするウィットン氏。

 《本記事のポイント》

  • アメリカの対中強硬政策は今後も引き続き変わらない
  • 韓国の言動は日韓を引き裂き中国を利するものである
  • 日本も国家戦略として中国包囲網に力を割くべき

 

ブッシュ政権時代に国務省で特使を務め、トランプ政権でも上級顧問を務めたクリスチャン・ウィットン氏がこのほど、東京都内の日本外国特派員協会で報道陣を前にスピーチを行った。現在はワシントンD.C.に拠点を置くシンクタンク「センター・フォー・ザ・ナショナル・インタレスト」の上級研究員を務める外交専門家だ。

 

ウィットン氏は冒頭で米中貿易戦争に言及し、トランプ政権の誕生によってアメリカの対中政策が劇的に変化したと指摘し、こう語った。

 

「私がブッシュ政権時に国務省で働いていた当時、北朝鮮による拉致被害や中国の人権問題などについて取り組んでいました。国務省の中には、主要な敵対国である中国と最大の貿易関係を結ぶことは、安全保障の観点から避けるべきであり、中国からの輸入品に関税をかけるべきだと言う人もいました。

 

(中略)しかし、ブッシュ政権当時に通商代表と国務副長官を務め、その後世界銀行の総裁にまでなったロバート・ゼーリック氏は、中国を訪問しパンダとハグをしたのです。グーグルで探せばその写真が出てきます」

 

ウィットン氏は、トランプ政権の対中強硬政策はたとえ政権が変わっても引き継がれるだろうと話した。

 

その上で、逃亡犯条例の改正を巡ってデモが続く香港にも言及し、「香港で起きていることと米中関係は別の問題ではない」と述べた。香港における「一国二制度」の反故は、航行の自由を無視した南シナ海での軍事開発や為替操作など、諸外国との約束を平気で破るという中国政府の体質を明らかにしているという。

 

 

「韓国はアメリカの同盟国を引き裂き、中国を利している」

紛糾する日韓関係についても、以下のように明確なスタンスを明らかにした。

 

「我々が第二次大戦のことを忘れることはないでしょう。しかし、戦争に従事した政府や業界との交流が、今なお大戦の記憶に支配されるということではありません。例えば、アメリカやロシア、欧米諸国は、ドイツの軍事的努力に従事したのみならず当時の残虐行為にも加担したドイツの企業と取引をしています。

 

大戦の記憶は歴史学者の領域に過ぎ去ったものであり、もはや議論すべき第一の問題ではありません。しかし、韓国は違うようです。韓国は、確かに恐ろしい出来事ではあるものの、すでに日本政府が繰り返し謝罪と補償を行い処理済みの問題を、何度も何度も蒸し返し続けており、他に類を見ないほどです」

 

「どれだけ謝罪と補償を重ねれば満足するのかを(韓国に)聞くべきです。韓国はこれまで幾度となく、これで十分だと言っておきながらゴールポストを動かし続けてきました」

 

さらに、アメリカの同盟国である日韓両国を引き裂く韓国の行動は中国を利するものだとして批判。反日路線を突っ走る韓国の文在寅大統領に対してクギを刺した形だ。

 

 

日本政府に求められる外交判断

アメリカが対中強硬政策の方針を明確にする一方、日本政府は中国が進める「一帯一路」に協力する動きを見せるなど、中国に依存した経済政策を進めている。中国の脅威を正しく認識し、一貫した国家戦略を立てるべきだ。

 

ウィットン氏が指摘した厄介な隣人・韓国についても、中国包囲網を強めることが解決への近道となり得る。韓国にとって中国はいわば"頼みの綱"であり、それを失ってしまえば韓国は反日路線を弱めるしかないからだ。

 

大局を見据えた外交判断が、今後ますます重要になる。

(片岡眞有子)

文在寅 韓国新大統領守護霊インタビュー

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1860

 

 南北共通の敵として、
日本から金を引きだす?
核を持つ“統一朝鮮”によって、
日本を支配する?

日本政府もマスコミも
気づいていない、
東アジアの新たな火種――
文新大統領が描く、
国家戦略のシナリオとは。 

 


骨は、折れて治って初めて完成する⁈ 心も同じですね。

2019-08-22 21:29:22 | ばくちゃんの独り言

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は男性ですけれども、看護師を職業としています。

人呼んで、「白衣のペ天使」です。(爆笑) それも手術部という、血なまぐさい世界で生きております。
「人の生き血に手を染めて、やばい薬を動かして、命のやり取りの日々」でございます。(笑)
そんな日々の中で、人さまの体を、内側から毎日毎日見ておるのです。 きも~って思わないでくださいね。(笑)

私たちは、同業者以外の方のことを、「堅気(カタギ)の人」と呼びます。(笑) ちなみに、私の妻は堅気の人です。(笑) 私の妹は10年ほど前に、足を洗いました。(爆笑)

 

私たちの身の回りには、刃物が沢山あります。 私たちは、刃物の取り扱いに長けています。 そしてこの業界に長くいると、血を見ると落ち着くようになります。(笑)

私たちは、赤い回転灯とサイレンのついた車に乗った人たちと、とてもご縁の深いお仕事です。(笑) 私たちは、あのサイレンの音が近づくとドキドキします。 もうホント、怖くて怖くて仕方ないです。(笑)

だってその後には、密室での取り調べで、ねほりはほり色々聞かれますし、体中あちこち調べられます。 その取調べは、嘘は通用しなくて、決して、ごまかしは効かないんです。(笑)

ちなみに、私たちの業界の禁句は、「いらっしゃいませ~。」と、「またどうぞ!!」と、「まいどありぃ~。」です。(爆笑)

以前同僚と飲みに行った際、そこのお店のママさんに、「お兄さん方、とても機嫌の良い人たちだけれども、何のお仕事なさっているの?」と質問されて、

「いやぁ、人の生き血に手を染めて、やばい薬を動かして、命のやり取りの日々ですわぁ。あーははははは。」とお答えしたところ、周りのお客さんがみ~んな帰っちゃって、ママさんを不機嫌にしちゃったことがあります。(爆笑)

こんな人間が、世間では医療者をしておりますので、皆さんご自分の健康は、ご自身で管理なさってくださいね。(爆笑)

 

さて、人の体は真に不思議で、神様がお創りになったとしか思えない、数々の不思議な事柄に満ちております。
たとえば、折れた骨が治ったところ、「骨折線」と言いますけれども、その骨折線は、もう二度と折れないんですね。

すごく硬い骨に変化するんです。 ある意味これは、「骨は折れて、治って、初めて完成する。」とも言えるんですね。

私は、「心」も同じだと思うんですよ。

辛く悲しく苦しいできごとがあると、心は痛み傷つきますが、努力して乗り越えて、経験と知恵を得ることで、それを乗り越え、しかも二度とその苦しみを味わうことがなくなる訳です。

結局これが、悟りの意味だと思うんですね。
その時に大事なことは 『正しく治す』ことです。 骨も必ずひっつきます。

必ずひっつくんですが、変な形にひっつきますと、後で痛んだり、グラグラしたりしますね。
心も同じです。

正しく治さないと、変なカルマ(業=心の傾向性)になったり、トラウマになったりします。
さて、医学には、基本的な3つの学問があります。

1.解剖学 = 身体の正しい仕組み

2.生理学 = 身体の正しい働き

3.病理学 = 病の状態と、その仕組み  です。

お医者様は、これで人を診、治療している訳です。
また、心も同じだと思うのです。

 https://happy-science.jp/info/2017/26991/

「心も、折れて治って完成する。」そして、心を治すには、正しく治す必要があると思うのです。

そして「心を正しく治すには、正しい心の 解剖学・生理学・病理学を持つ宗教が必要だ。」ということも重要なことです。

幸福の科学は、心の解剖学・生理学・病理学 が完全に揃い、しかも日々の心の健康生活まで踏み込んだ、世界で唯一の宗教だと思うのです。

他にも良い教えはたくさんありますけれども、この3つが現代的な形で揃っているは、幸福の科学だけだと思うのですね。
偉大な信仰との出会いに、心より感謝申しあげます。

本日は、幸福の科学大川隆法総裁経典『釈迦の本心』(幸福の科学出版)より、心の調律に重要な、「視覚情報の処理」について語られた一節です。

これは伝統仏教的に言うならば、八正道の「正見」の現代的な説明と言えると私は考えます。

         (ばく)

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映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

太陽の昇る国、日本 天使のモーニングコール1376回 (2018.2.10,11)

 

 釈迦の本心

 http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=151

 人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。

欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。

したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。

そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。

そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったくの他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の眼で批判的に検討してみるのです。

この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。ある人がある行為をしたとき、それに対する見方は人それぞれです。

たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。

その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼はたいへんやる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。

しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社してまもないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。

ここが見方の分かれるところなのです。

この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。

その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。

そうした原因を見いだしたならば、それを取り除いていく必要があるのです。

 『釈迦の本心』(大川隆法著 幸福の科学出版)P66~69


将来の目標をしっかりと持つと、現実は近づいてくるんだ。

2019-08-21 18:52:19 | ヘルメスエンジェルスの世界

エンゼルスの大谷翔平【写真:Getty Images】

月刊誌ヘルメスエンジェルス 150号 大川隆法総裁「光のことば サクセスNo,1の精神」より

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将来の目標をしっかり持とう

前号では「世の中で大きな仕事をした人は、みんな、『因果の理法(原因・結果の法則を知っていて、成功の種をまいて努力した人なのだ。」ということや、「成功した人に対して、嫉妬したり、悪口を言ったりするひまがあったら、少しでも多くの努力をしようと考えなさい。」という話をしたね。

さらに、成功するような人は、人生において、明確(はっきりしていて確かなこと)で具体的な目標を持っている人が多い。

はっきりと、「自分はこういうふうにしたい。」という具体的な目標を持っているんだ。

たとえば、「将来、漫画のDr(ドクター)コトーののように、お医者さんになって無医村に行き、病人を治したい。」というような明確な目標を持つと、その目標に近づいていけるんだ。

実際に大学の医学部への合格も近づくことだろう。

また、「将来、自分は弁護士になって、困っている人たちや、罪に問われている人を助けたい。」というような明確な目標を持っていれば、「勉強したい。」という気持ちも出てくるはずだね。

それから、「将来、自分は会社の経営者になって、大きな仕事をしたい。」と思えば、大学で経営学を学ぶ必要があるだろうし、「海外で活躍したい。」と思えば、語学の勉強をしなければいけないだろう。

そういうふうに、目標をはっきりと持てば、そのためには何をしなければいけないかが出てくるんだ。

だから、まず、明確で具体的な目標を心にいだくことだね。

「サッカー 本田圭佑」の画像検索結果

 

ただ、それを、いろいろな人に言って回る必要はないと思う。

いろいろな人に言うと、それを批判されたり、悪口を言われたり、「おまえなんかには無理だよ。」などと言われたりして、しょげてしまうこともある。

だから、目標は自分の心のなかに秘めておいて、「絶対にこのようになってみせるぞ。」と、強く、長く願っていることが大事だ。

そして、実際に、目標の実現が近づいてきたときには、それをほかの人に話してもいいだろう。

人間は、大志、大きな志(こころざし)を持つことが大事だ。

しかし、それを、あまり早いうちに人に言う必要はないんだ。

平凡な人ほど、それをくさしたり、悪口を言ったりして、じゃまをすることがあるからね。

だから、大きな志を持ったら、心の中でそれを育ててほしい。

そしてその志を達成するために、毎日毎日、努力していくことが大事だね

   (つづく)

映画『世界から希望が消えたなら。』予告編【2019年10月18日ロードショー】

「未来への希望」

 

 


神さまと神の子の『奇跡を感じよう』(加筆再掲)

2019-08-21 00:30:32 | ばくちゃんの独り言

 

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。

このブログ、その名の通り、高知に暮らす幸福の科学信者による、私設布教サイトです。

日々微力ながらの投稿生活ですし、真似事以上のものではない布教活動でございますが、少しでも、世の方々の生きる力になれるお仕事の、お手伝いをさせていただければ本当にうれしいですし、それは何より、私自身の心が、神さまへの感謝で満たされる思いがいたします。

「それって、神の子の特権なのでは?」って、私は思うんですね。

さて、私自身の信仰を振り返るとき、私は決して、努力型の人間ではないんですけれども、はい、由緒正しき怠け者だとは思うんですが(笑)、その反面、「人は努力した以上に、幸せになっちゃいかんだろう。」とか、「それって、欲だろう。」「でも、努力した分は、ちゃんと何かを得られないといけないだろう。」という発想をする人間なんですね。

心の傾向性からすると、結構な現実派で、案外唯物的でもあるし、恥ずかしながら、あんまり神々しくないタイプ(爆笑)でもあります。

 

ただ、そういう心境だと、「これこれ、ばくちゃんさん、それじゃぁ、奇跡はおきませんよ。」と、幸福の科学の支部長さんとかに、ご教導いただいたりするんです。

「それってどういうこと?」と、幼い信仰頭脳の私は、日々・・・、いやぁ、日々でもないですねぇ。(笑)

時折考え続けていたんですけど、(爆笑)、最近になって、「やっぱり信仰って、最後は神さまに、委ねないといけないんだなぁ。」と、50歳を過ぎたあたりから、やっと、ぼっちぼっちですけれども、ほんの少しだけ、思い至れるようになった次第です。

たとえ努力したとしても、その結果は委ねないといけない。

そう思えるようになると、なんだか、大いなるものみたいなものが、とても身近に感じられるようになったのが、不思議ですね。

ほんのちょっと前までですと、「う~ん、やっぱりいやじゃぁ!」「ここまで頑張ったのに、なんで委ねないと、いかんのじゃぁ!」と、心の中で駄々をこねていたんでありましょうけれども、ちょっとは、神の子として、進歩できとるのかなぁと思えるようになりました。

これって、神の子としての、魂の成長なのでしょうか。

そうそう、いつものように話が変わりますけれども(笑)、水滴と水滴って、触れたら一瞬で合体するじゃないですか。

ああいうのって、神さまと人間の関係を、表現しているんじゃないかなって思うんですよね。

この世界は、神さまからのメッセージに満ちているように、私には思えますし、そして、人間は神さまの子ですから、本質的には同じだと思うんで、人間は神さまを信じることで、神さまと一体になることができるんではないかとも。

「神さまを信じ切る」とか、「委ねる」という心って、自分という小っちゃな水滴が、大きな水滴と一緒になるとか、大河となって流れていくとか、そういうドラマティックな、人生の転回が起きている瞬間なのではないかと思うんですね。

 

「水滴 | 写真の無料素材・フリー素材 - ぱくたそ」の写真

そしてこれが、「信仰の最後の姿なのかな?」って、初老のオジいになって、ほんの少しわかったような気がするんです。

いや、永遠の生命を持ち、この世とあの世の転生輪廻の法の中で、永遠の旅人である神の子の修行には、もっともっと高い境地があるはずでした。

今の私には、その境地がどのようなものかは分かりませんが。。。

とにかくも、「少しでも、世の中を潤せる人間になれたらいいな。」って思いますし、「潤えました。」と言って下さる方が、少しでも増えてくれたらうれしいって思っています。

本日は、大分での御法話の抜粋が見つかりましたので、謹んでお届けいたします。

                 (ばく)

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奇跡を感じよう

脚本家に訊く、映画「世界から希望が消えたなら。」の魅力 天使のモーニングコール 1439回 (2019/4/27・28)

 

何せ奇跡を感じようと言っているのですから、そういう単なる自助努力の教えで話をしようとは思っておりません。 ちょっと違う形でお話をしてみたいと思います。

そういう自己防衛の思いから、苦しみが出てるんだけども、これから逃れよう逃れようとしてあがいているうちはあなたがたは、実は、その苦しみから逃れることはできませんよと。 本当はできないんですよと。 諦めなさい! 諦めなさい。。。 人を責めるのも諦めなさい。 自分を責めるのも諦めなさい。 自分の子どもを責めるのも諦めなさい。 「今、目の前に、自分の目の前に起きている現象は、すべて、これは起きるべくして起きているんだ」ということを、受け入れなさい。

「今、起きている事態は何か、他の人の原因や、あるいは自分自身の、何かのミスによって、たまたま起きたことではないんだ」と。

「今、起きて自分を苦しめている、あるいは自分の頭を占領しているこの問題は、実は、起きるべくして起きている、自分に今、必要だから、こういう課題が現れてきたんだ」と、思っていただきたいんです。 それが一つは、例えば病気っていうのでも、そうでしょう。病気をする。 これは努力して病気になる人は少なかろ

うけれども、「まさか」と、考えてもなかった時に病気になるようなもんですね。 不養生だったり、運動不足だったり、ストレスが多かったり、栄養が悪かったり、いろんな理由もありましょうけども、この世的には説明はつくと思いますが、病気をするには、病気をする、現在、病気というのが出てきた理由が、実はあるんです。 現れてきたのは、今、現れてきたのは、それが現れてくる必要があるから現れてきたんです。

今の年齢の、あなたの立場で、それがそういうふうにして、現れてくる必要があるから、現れてるんです。 それから、たとえば、受験で不合格というようなものが、出てきたとしたら、それは単に運・不運だけの問題ではなくて、何かを、あなたに必要な課題を、そこで教えようとしているんです。 それは、過去の努力不足を教えようとしてるかもしれないし「もっともっと世間の厳しさを知りなさい」と教えているのかもしれないし、あるいは、「これを機会に将来、決して、自己慢心することなく、転落することなく精進せよ」と、教えているかもしれない。

ただ「現れてる現象は、偶然ではないんだ」と、「あなたに必要なものが今、現れてきてるんだ」と、どうか、知っていただきたい。 子どもの出来が悪くても同じです。 あるいは、子どもに障害があって生まれても、やっぱり、実は何か理由は必ずあって、それが現れてきている。 夫婦の間で問題が起きても、それは今、そういうふうにして、出てくることは何か意味があるんです。 それが現れてきていることには、現れてきている意味があります。 夫婦で争いが起きる。理由があります。 意味があります。

何かを教えようとしています。 それは何かが、今、問題として、出てこなければいけない時期が来たから、それは出てきて、その問題の中に、夫婦の葛藤の中に、何かを教えようとしているものがあります。 それを読み取ってください。 それを読み取らないと、それを自分自身を責める道具や、他人を責める道具に使ってはいけません。

そういう意味での分析的なものの考え方、原因を追究して分析して、善悪を分け、分別をつけ、いろいろと分析して、説明して、そして「こうすれば解決する」っていうふうな、判断の仕方は、確かに、会社でやってるような仕事ではよくある、やり方ではあるんですけども、仕事のレベルではそういうふうにいろんな問題解決のアプローチを、やっていかなければならないんですが、その仕事の世界ではなくて、仕事から一歩離れた宗教の世界の中においてはですね、「そうした問題も、ある意味があって生じている」と、考えるべきで、逆に今度は、それを、「結論を出してしまおう」と、「即、結論を出してしまおう」と、思うのをやめてください。 現れてきているには現れてきてる理由があるんだから、この現れたものを、受け入れてください。

「とうとう自分の人生の問題集のひとつが出てきたんだな」と、「今、出てきたんだな」と、いうかたちで、それを静かに受け入れる心を持ってください。 そして、「この世に偶然なるものは何もないのだ」と、いうことを、知ってください。

だから、「すべてが、会社仕事風に解決するもんではないんだ」ということです。 それを受け入れて、受け入れた先に、実は道が開けてくるんです。

それを受け入れて、「こういう現象が私に起きた。たまたま、何でこんな私に」「これほど、勉強した自分に」「これほど、家族を大事にした自分に」「これほど、親孝行した自分に」「これほど、美しい自分に」まあ、いろいろありましょうけれども、「こんな問題が起きたのか」と、思うかもしれませんが、静かに受け入れてみてください。

そして瞑想の時を持ってみてください。 心を止めて、あれこれ考えるのではなく、分別智で考えるのでなく、実は分別で、善か悪か、プラスかマイナスか、前か後ろか、右か左か、分けて考えて結論を出そうとして、焦っている心が苦しめているんです、自分をね。

その時に、まず一切を受け入れて、そして判断を下さないで、「ここにすべて、宇宙の意志が今、自分に対して現れているんだ」というふうなことを考えてください。 過ぎてしまえば、意味は分かってきます。 この世に生きているうちに意味が分かることもあれば、この世を去った世界に還って、その意味が分かることもあります。 それは、なんとも言えませんが、「受け入れるということも、勉強の一つなんだよ」ということを、知ってください。  

大宇宙の意志が働いて、今自分に新しい課題を、与えてられている、その意味を、静かに受け取ることが大事です。 何か、あなたの今世の、魂の修行のために、必要な内容が、その中に、含まれているはずです。 必ずや、そうなんです。

だから自己防衛の考えで、全部を解決しようと思わないで、会社的な仕事のかたちで問題を解決しようとしないで、今度は逆に、受け入れる。そして、その中に、大宇宙の意志を感じ取る。 あるいは、神の心を、仏の心を感じ取る。

あなたがたは、「人生に何の問題もなく、まっしぐらにスーッと成功さえすればいい」と考えがちだけども、そんな人生計画の人なんて一人もいないんです、実は。

だから、進んでいく先にある落とし穴がたくさんあるんだけれども、事前に教えるわけにもいかないんです。 「ここに落とし穴がありますよ」と最初から知ってたら、そんなのよけて通るの簡単なことでしょ? 勉強にならないんですよ。 だから意地悪だけども、ごめんなさいね。 意地悪だけれども、落とし穴に落ちることになってるんです。

必ず引っかかる。 必ず引っかかるんだけれども、落ちた時に考えてくださいと。 偶然落ちたんじゃないよと。 落とし穴は掘られてありました。最初から。 それはあなたに必要な落とし穴だから。 そこに落ちてから、お尻をしたたか打って、ちょっと夜空を眺めて、考えてください。

そういう時期が、人生には何度か、必ず、必要なんです。 その時期を通り越さなければ、本当の意味での、自分も分からなければ、他人も分からないんです。 他人の気持ちが分からないんです。

そういうことを、経験を通さないと、見えてるようであって、見えてないんです、本当の世界の姿が。 そういうところで、落とし穴に落ちて、出れなくなって、心細くなって、夜空を眺めて、星空を眺めて、一晩を明かす。

その時に、初めて見えてくるものがあるんです。 自分がいかに、多くの人に与えられ、支えられてきたか」ということを、「自分がいかに、他の人の協力というものを、見落としてきたか」ということを、「自分自身の手柄にしていたことの中にも、実はそうでないものもあったんだ」ということを、そういう、孤立無援の気持ちの中で、人は発見するようになります。 そうした大きな気持ちの中に包まれたときにですね、あなたがたは今、宇宙の力と一体になるんです。 その時に、大宇宙の力と一体になります。

言ってることを、復習しましょうか? 「すべてを、委ねなさい」と言っているんです。 「すべてを、仏に委ねなさい。 すべてを、エル・カンターレに委ねなさい」と言っているんです。

「主よ、私が苦しんでいるのは、決して、他の人のせいでもなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪をしよう、としてるわけでもなく、今世、この世に命をうけた意味を教えるためであるんだと、いうことを、私は受け入れて、悟りたいと思う」と、「だから主よ、御心に委ねます」と、いう気持ちで、じたばたするのをやめて、判断を下すのをやめて、静かに受け入れなさい。受け入れた時に、浮力がわいてきますから。

生きていく力が、グーッと上がってきます。 その時に、奇跡が訪れてきます。 今まで自我力で頑張っていて、苦しんで苦しんで、世の中が地獄に見えて、自分が地獄の底であがいていたと思ってたのが、実はそうでなかったことが分かります。

鳴門の渦潮のなかで、きりもみになって溺れていたと思ったのが、畳の上で寝転がってただけだ、ということが分かってきます。 だから「大きな力に、大いなる力に、委ねる」という気持ちを持ってください。 そうすれば、あなたがたは自然自然に、気がつかないうちに、救われているでしょう。

自我力で、自分の力で自己防衛しようと思っているうちには、奇跡は起きません。この自己防衛を、自分の自我力・・・知識や、経験や、判断、善悪の分別力、こういうもので、解決しようと思っているうちは、奇跡は起きないんです。

ところが、今言ったとおり、大宇宙の心に、一体になって、自分の身を委ねた時に、奇跡が起きてきます。 それを、感じ取ってください。

今日から、どうか、そういう、瞑想の時間を、1日に15分でも結構ですから、取ってみてください。 自分の計らい心でいろんなことを解決しようと思ってるのを、一旦、全部やめて、「そのままありのままに受け取ろう」と、「目の前に現れたことを、そのまま受け取ろう」と、いう気持ちになってください。

そして、奇跡がその身に臨んでくるのを、感じ取ってください。

- 虹色の願い -

 


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