魔人の鉞

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「東条英機 封印された真実」 はヒイキの引き倒し

2014-04-12 18:21:55 | 第2次大戦

佐藤早苗 「東条英機 封印された真実」 (1995年 講談社)。

東條氏が獄中で書き記した膨大なメモを世に出し、東条英機像の修正、つまり、東條英機は国の
名誉を守り、天皇の戦争責任を否定するために東京裁判を闘ったのであり、実は人間味あふれる
人物だった、ということを主張しています。私は近頃の右翼的な思想に反対するため、この本を
敢えて読んでみました。

膨大な資料を東條家の信頼を得て預かり、それを読みこなした女史の努力には敬意を払いますが、
東條家の側に立つあまり冷静な歴史的判断を見失っていると感じます。
東條氏礼賛の機運がこの本から興っているなら、徹底的に批判する必要があります。

◆いやいや総理?
たとえば36p、「総理大臣という最高の立場だけあてがわれて、陸軍と海軍とに別々に動かれて
一番やりにくかったのは東條自身であったはずである。東條は陸軍大臣ではあったけれど (総理
兼務=rocky注)、当時はまだ参謀総長ではない。」 と庇っています。しかし東條氏は生粋の軍人
として総理になる前から陸軍の中枢を占めて主戦論を唱導し、陸軍大臣・総理大臣となりやがて
参謀総長をも兼ね、意に沿わぬ将官を左遷し、治安維持法で国民を縛り上げ、戦陣訓で生きて
虜囚の辱めを受けるなと命じ、捕虜となった場合の仕方も教えなかったわけです。いやいや総理に
されたなどと開戦の最高責任者に同情している佐藤女史に、死んだ兵士や国民、また相手国の
被害者への目線が残念ながらまったく感じられません。

◆ドイツ頼みの情報音痴
117p 「長期戦は覚悟しなければならない、そうなればソ連参戦の可能性が高まり (ママ)、防空
に十分の戦力を配置できず空襲の可能性さえある、必要な鉄の生産は期待できない」 ことを東條
は認識していながら、「開戦に踏み切ったのはなぜなのか。何かに一縷の望みを託したとしか思え
ない。それは (中略)ドイツの勝利を確信していたか、もしくはドイツに多大の期待をしていたか
である。」
ドイツがイギリスを打ち負かせば、アメリカも折れるしかない、と思ったらしいという推測です。
しかし海を渡らなければ征服できないのにドイツの海軍力はイギリスの足元にも及ばないことは
分かり切っていました。そこでイギリス上陸作戦の前提として、ドイツはドーバー海峡一帯の制空
権を奪取するため航空戦 「バトル・オブ・ブリテン」 を1940年7月から10月まで展開しました。
しかし逆に損害が大きく、ついに断念してしまいます。そして1941年6月22日に対ソ戦に突入した
わけです。
その対ソ戦も当初は快進撃を見せましたが9月からのレニングラード攻囲戦では頑強な抵抗に遭って
陥とせず、10月からのモスクワ攻防戦でも冬の気候に停滞を余儀なくされ、12月5日にはヒトラー
が35人もの将軍たちを罷免してモスクワ攻略失敗が確定します。
こうしたヨーロッパの戦況の変化、ドイツの勢いの低下はみな日本の宣戦布告以前の出来事で、
東條氏がこのあたりの情報を知らないはずがありませんし、知らなかったなら情報収集がまったく
杜撰としか言いようがありません。知っていてなおドイツがイギリスを降伏させ得るような希望的
憶測を元に天皇に上奏していたのであればデタラメな話で、いかに独り善がりだったかがよく分かり
ます。
佐藤女史はこのあたりの国際情勢の変化にまったく目を配っていません。

◆戦争終結の超楽観的妄想
106p、 戦争終結についての11月4日軍事参議官会議における 「東條の見解は、2年目以降の戦局の
見通しが立たないまま開戦するが、 <一、アメリカの主力艦を撃滅し、 二、ドイツのアメリカ
への宣戦布告やイギリス本土上陸などによる、アメリカの戦意喪失、 三、通商破壊戦によって
イギリスの死命を制し、アメリカの態度を変えさせる、 四、アメリカの重要軍需物資を絶つこと>、
これらが成功すれば終戦へ持って行けると読んでいた。」 としています。
しかし、2年目以降の戦局は日本の資源不足に加えて米国の戦備が格段に充実することが予測される
からこそ見通しが立たないわけです。緒戦すべてうまく行けばひょっとしてアメリカが戦意喪失して
くれるかも、とか、ドイツが、といった他人任せの希望的観測と、自給可能なアメリカの軍需物資
を絶つなどという意味不明の内容では、評価の仕様がありません。これを 「当時これだけの腹案を
述べ得た人が、統帥部ではなくて陸軍大臣としての東條であったことが注目に値する」 と持ち上げ
ていますが、佐藤女史のメガネは随分と曇っているのではないでしょうか。

◆真珠湾と原爆についての反論
真珠湾攻撃をルーズベルトは知っていたはずだから奇襲ではない、とか、原爆は大変残虐な兵器で
そんなものを使ったアメリカに日本を裁く資格はないとか、今日右翼の人たちが口にすることをほと
んど当時東條氏が書いているというのは大したものだと思います。しかし宣戦布告が遅れたのは事実。
また原爆や無差別空襲は戦争犯罪であり、いまからでも告発すればいいと思いますが、だからといって
自分のしたことが免罪されるわけもありません。

◆戦争の権利、侵略当然の時代
当時は国家に戦争をする権利があり、また侵略は西洋先進国がみなやっていたことで、日本だけが
責められる理由はない、との論理は、これも侵略された側のことをまったく考えていない独善です。
戦争をする権利はあったかもしれないが、東條氏は拙劣な戦争指導で多くの兵士と国民を死なせた
敗戦責任と、侵略した相手国の多くの死者に対して何ら自責の念が無いように思えます。

◆自衛のため、という 「自虐史観」
249-251pに、自決失敗のころに書かれた遺書が紹介されています。その中にこうあります。「大東亜
戦争は彼 (米英=rocky注) より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民自衛の為、已むを得ず
立ちたるのみ。この経緯は宣戦の大詔に特筆大書せられ、(中略) もし世界の公論が、戦争責任者を
追及せんと欲せば、その責任者は我に在らずして彼にあり」。(原文カナ混り)
10年も中国大陸を侵略し、さらに同盟国ドイツを恃んでインドシナにまで進駐したので厳しい経済
制裁を受けたのに、自分は被害者だから米英に宣戦した、何が悪いんだ、とは当今の右翼の言い分と
そっくりです。
「自虐史観」 という言葉を彼らに差し上げましょう。苛められたので、勝てる自信のない一か八かの
戦争を挑んでみたが、結果はボロ負けに負け多くの国民が死んでしまった、しかし時の運で仕方がない、
ということです。しかも自決し損ないました。なんと情けない指導者でしょうか。

○詔勅に 「東亜の解放」 なし
それから、宣戦の詔勅を読み返してみましたが、自衛と 「東亜の安定」 とだけあって、欧米列強
からの 「東亜の解放」 という言葉はいくら探しても見つかりません。
戦後のアジア諸国の独立はあくまで結果論であり、日本の戦争目的ではなかったことがまったく
残念です。東條氏の大東亜会議にしても、おためごかしだったと私は思います。

◆戦争を続けたかった東條
252p、終戦について 「東條は陛下の意思にしたがって、彼ら (青年将校たち=rocky注) を説得して
いたというものの、東條の本音は絶対に降伏はしたくなかったのだ。」
外征の兵士たち300万人もが戦病死し、東京は数度の大空襲で廃墟となり、自身が暴虐と非難する
原爆さえ2発も落とされて、まだ東條氏は降伏したくなかったと佐藤女史はいうのです。佐藤女史は
東條氏を弁護したつもりでひいきの引き倒しになってしまっています。
これについては、保坂正康氏の 「幻の終戦」 (柏書房、1997年、81p) に、昭和19年1月の東條総理
の帝国議会での演説が載っています。
「(前略) 最後の勝利は、あくまでも、最後の勝利を固く信じて、闘志を継続したものに、帰するので
あります。(中略) 大和民族の尽忠報国の精神力は、万邦無比であります。(中略) 危険が身近に迫れ
ば迫るほど、困難が眼前に積めば積むほど、われら一億国民の精神力は熾烈となっているのであります。」 
こうした極端な精神主義が、「一億玉砕」 「一億特攻」 をそのまま実行する本土決戦作戦さえ生み
出したのです。まだ玉砕できる国民が数千万人もいるのですから、たしかに東條氏は本音では降伏など
したくなかったでしょう。
毎日新聞2014年4月12日掲載の 「保坂正康の昭和史のかたち」 では、保坂氏は東條総理の 「この
論理では、決して日本は負けない。どれだけ痛めつけられても降伏しない。国土は解体され、国民は
全滅状態になっても負けたとは言わない。負けたと言わないのだから負けてはいない。こういうニヒ
リズムが東條の演説には潜んでいる。」 と指摘しています。
昭和20年6月には 「義勇兵役法」 が施行され、15~60歳の男性、17~40歳の女性はすべて国民義勇
戦闘隊に編入され、拒否は許されなかった、とあります。そして肉弾特攻の要員として訓練させられ
たわけです。
とても正気とは思えませんが、それは東條氏の考え方と完全に一致します。そんな東條氏が 「人情家
で人の心の解る人」 (179p) だとは私には思えないし、かりに一人の人間としてそのような側面があった
からといって、東條氏に同情しようとも思わない。「不運な星の下に存在した悲劇の人」 などとは、
佐藤女史はまるで恋する乙女のようです。


以上のように、佐藤女史は世界情勢についてまったく不勉強で、一方的に東條氏に同情を寄せており、
その所論は参考になりません。このような論説が右派論客の間でもてはやされているとすれば、戦前
の軍部と選ぶところがない、ということでしょう。


○東條氏の孫娘さんについて
佐藤女史の本とは関係ありませんが、このごろ東條氏の孫娘という方がときどき集会に登場して発言
されているようですが、祖父のしたことを誇りにしているようならば感心しません。別に彼女に戦争
責任はありませんし強制することはできませんが、戦死した敵味方の兵士たち、犠牲となりまた被害
を受けた日本と諸外国の国民多数の冥福を祈り、不戦の祈りをすることこそが彼女のなすべきことでは
ないかと私は思います。
       (わが家で  2014年4月12日)

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