魔人の鉞

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「天皇と特攻隊」 批判

2014-04-22 22:45:17 | 第2次大戦

またまた特攻隊関連で、「天皇と特攻隊」 太田尚樹 (講談社、2009)。

冒頭から特攻隊についての昭和天皇の関わりを解き明かします。天皇は
特攻に批判的だったとしています。

昭和19年10月26日、及川軍令部総長のレイテ作戦結果奏上の第5項目で、
神風特攻隊敷島隊の戦果が報告されるまで、天皇は特攻作戦については
ご存じなかったようです。
陛下は 「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった。」
(20p) と仰せになり、そのお言葉は軍令部から全軍に発信され、セブ島で
中島正中佐 (「神風特別攻撃隊」を猪口力平と共著) が電文を読み上げた
ということです。

その後、10月30日の米内海相上奏のさいに天皇が 「かくまでせねばならぬ
とは、まことに遺憾である。」 「神風特別攻撃隊はよくやった。隊員諸氏
には哀惜の情にたえぬ。」 と仰せたことを参照して、「まことに遺憾である。」
の言葉が及川総長のときにも出ているのではないか、電文はそれを省略
したのではないか、と推測しています (21p)。
しかし日本語としては最後に言われることが最も重要で、最後に 「よくやった」
といえばお褒めの言葉と受け取るのは当然です。もし陛下が非道な作戦と
考えたなら、これきりで止めよと言えば良かったのです。

実際に米内上奏の前に、陛下には及川総長上奏の補足資料として10月28日に
「神風特攻隊御説明資料」 が提出されており、そこには
「本特攻隊が帝国海軍従来の特別攻撃隊または決死隊と異なります点は、
計画的に敵艦に突入致します関係上、生還の算絶無の点で御座います。
本計画は最初第一航空艦隊の戦闘機のみにて編成いたしておりましたが、
現在では各隊、各機種に及ぼしつつある模様で御座います。」 (25p、原文
カナまじり) と書いて、特攻が生還絶無の極めて特殊な作戦であることと
その拡大を示唆しているのですから、これをそのままにしたということは
特攻作戦の継続拡大を了承したということに他ならないでしょう。

保阪正康氏が著書 『特攻と日本人』に引いた、陸軍侍従武官吉橋戒三の日記
(未発表、1945年1月7日) に、陛下が特攻の戦果をたいへんお喜びになった、
とあるのは本当らしいと思えます。

では太田氏自身は作戦としての特攻を批判しているのかというと、どうも
そうではないようで、なんとか大西中将を弁護したい気持ちがあるようです。
「舞台作りから実行までをやってのけた大西を、ただの暴将、狂気の軍人と
いう評価で固定できないのは当然だろう。それは死んだ隊員の、苦悩の極地
を超えて達した崇高な決意を冒涜するばかりか、特攻の本質を語ったことに
ならないからである。」 (232p)
作戦指導者の独善を批判することがなぜ特攻隊員を冒涜することになるので
しょうか。そんなことを言えば、戦争指導者や作戦指揮者に一切何の批判も
許されなくなってしまいかねないでしょう。

大西中将が毎日新聞記者・戸川幸夫に語った、
「いったん敗北して、そこから新生日本を作り出す。それには特攻を出す
ことによって、国民にその旺盛な士気と自信を自覚させる。その力が戦後
のたてなおしに不可欠なのだ。」
という言葉を引いて、「彼 (大西) の思考を支配していたのは、あくまで
戦後の新しい日本の復活であった。」 (225p) と評価します。
しかし大西中将は終戦のご聖断の前後でさえ戦争続行・2000万特攻を主張
しており、「最後には天皇までも道連れにしようと考えて」(241p) いたほど
で、それでは日本を再建すべき日本人が誰もいなくなってしまいかねま
せん。特攻を新生日本の自信にしようなどいうのは取ってつけた理屈に
過ぎず、自分の作戦をあくまでも推進したいという我執以外の何物がある
でしょうか。
切腹時の遺書も、すでに散華し神となった (はずの) 隊員に対して敬語を
使うわけでもなく、生き残った者には命令口調でいかにも偉そうであり、
同情するに値しません。遺書に、特攻隊の英霊に対し、
「最後の勝利を信じつつ 肉弾として散華せり
 然れどもその信念はついに達成し得ざるに至れり」
とあるけれども、特攻の戦果はほとんど得られなくなっていたことは
大西氏自身よく知っていたはずで、終戦の大詔ではじめて 「達成し得ざる
こと」が分かったというのでしょうか。唾棄すべき傲岸不遜・我利独善の
狂人と断定して差支えないでしょう。

そもそも、アメリカがまさかと思った初期の戦果はともかく、後は鈍足の
飛行機なのに援護もなくほとんど撃墜されるばかりの特攻で死ぬことが、
どうして国民の自信になるのか、私にはまったく分かりません。

太田氏は、「特攻隊員たちの飛行時間はせいぜい二百時間であり、それを
どう活用するかは、経済学理論に通じる側面を持っていた。(234p)」 と
書いています。これほど無神経な議論もないでしょう。特攻隊員たちの
飛行技術が十分でなかったのは、訓練もままならず飛べるようになった
側から次々と特攻させたせいであり、指揮官や戦争指導部の責任でなくて
何でしょうか。それなのに、未熟だからと若人の命を経済的砲弾として
数えるなどは、死者を冒涜すること極まりないと思います。日本は人を
大切にしない精神主義でこそ敗北した、と私は思います。

「あえて無理をやってのけた事実は、好悪は別にして、日本人の自信に
つながっていることも認めざるをえない。」(254p) と太田氏は結論します
が、私にはそんなことで自信を持つとは考えられません。そうした論理
が大西中将だけでなく特攻を承認し終戦時まで継続させた戦争指導部の
責任を免罪することになるならば、まったく許されないことです。

特攻隊員たちの精神はまことに崇高です。しかしそれを悪用した、人命
を軽視するお偉方の精神主義では絶対に勝てない、ということを日本人
が確信したのは確かでしょう。
ところがこの頃そうした精神主義を賛美する傾向があるようです。太田氏
のこの本も、好意的評価に傾いているのは残念です。
       (わが家で  2014年4月22日)

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