怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

人々の丁寧さでプラスマイナスゼロになるんじゃあないか、って思ってしまう

2019年09月20日 | ここの品々
ドイツで起こることは大抵日本でもある、またその逆も言えている。
たとえば、移民・難民。難民こそ日本は少ないだろうが、帰省のたびに外国人住人が増えていることに気づかされている。
中には頭巾の女子も多くいて、びっくりしてしまう。イスラムはかなり人気のある伝統宗教でアジア各国に、中国にさえいるのだから、彼らが日本に住みたいと思うのも自然かもしれない。

バリアフリートイレも、確か2,30年前ほど前からホテルなどに義務付けられていると日本の生活で読んだ記憶がある。
東京都は来年のパラリンピックのために、条例を作って更なる普及を目指しているようだな。
日本の地方都市なら可能だろうが、人口過密な東京都のホテルは非常に室内が狭いことが多い。あの状態でバリアフリーのトイレなどを作るのは、業者泣かせのような気もする。

これはドイツの高速道路沿いのホテル、ロビー階のトイレだ。(客室ではない)

広々と贅沢な空間は、ここだけでなく、ドイツのほとんどのホテルがそうだ。

ドイツの車椅子は日本のそれより幅が広い。身体の大きい欧州人のための製品だから当然だろう。
欧州人車椅子のために、東京の各施設はでっかい入り口を造りなおさなければならないのだろうか?
無理かもしれない。
だが、安心して欲しい。
こちらの生活を始めたときに非常に気になったのは、高齢者や障害者に、人々が冷たいと見える態度をすることだった。
私が自転車チェーンにズボンのすそを絡ませてしまい、公道で動けなくて困っていたときも、だれも声をかけてくれなかった。
(例外も多くあるから、これからドイツ旅行・ドイツ居住の予定の人たち、恐れないで欲しい)
ドイツ人車椅子生活者が、所用で日本旅行をしたとき、人々の親切さに驚いたそうだ。
あらゆる場面で手伝ってくれる人々に恵まれたそうで、本人と彼の家族にはいい思い出になっているらしい。
もしかしたら、白人の車椅子旅行者ということでちやほやされていたのかもしれない。(赤ちゃん連れのお母さんがしばしば人々にないがしろにされる、という記事を読んでいるので、それとついつい比較してしまうっ)

バリアフリー施設が貧しくとも、人々が親切で適切な援助を差し伸べれば、大丈夫だ。(トイレ介助に一緒にトイレに行く、という場面は想像しがたいが)
「素晴らしいバリアフリー施設の日本だった」より「人々が親切で快適だった」というほうがいいじゃあないだろうか?
日本の日本人はその素質の方が建築物よりあるから、絶対にいいっ

ドイツじゃあないがしろにされていた人々が日本で丁寧に接してもらえるんだ。
素晴らしい体験をさせてやろうぜっ、トイレを大きくするよりっ